2012年 06月 15日
大橋純子/クラブサーキット2012スタート
2012年 03月 04日
3月に入って
タケさんとは4月に、このバンド編成での企業イベントのライブが予定されています。
おお、この日もう一つのトピックとしては、この番組収録でパネラーとして参加していた、安倍なつみさんとスタジオで一昨年以来の再会。挨拶すると、明るく声をかけてくれた。お互いに元気を確認したって感じかな。やはり彼女には、キラキラしたものがたくさんあるだけに、ますます活躍の場を広げていってほしいです。
翌3日は、前日よりももっと早くに新幹線に乗り込み、大阪へ。NHK大阪ホールにて、松崎しげるさんと大橋純子さんのジョイント・コンサートなのだが、NHKホールとは言え、TV収録ではなく純粋なコンサート。今回は100分のステージを昼・夜2回ステージ、お客さんはどちらも満杯だった。時間の長さだけでなく、その内容も濃いのですが、気心しれたバンド・メンバーとの演奏だけに、それほど疲労は感じなかった。個人的には今年初めての大ホールでの演奏だったので、いい緊張感と集中を保てた感じで、かなり満足でした。
松崎さんのバンド・メンバーは大阪泊まりでしたが、チーム大橋の私とギターの土屋さんは終演後、再び新幹線で帰宅。スケジュール的にはタフでしたが、それでも車中は、ビールで乾杯しながら大いに語り合ってしまいました。本番終了後のテンションの高さゆえか、いろんな話になって、これも楽しかったな。
明日からは、来週のペコさんのライブに向けてリハーサルが始まります。自分のペースをどんどん上げて行かなくちゃ。
2011年 12月 26日
大橋純子&松崎しげる/クリスマス・ディナーショウ
1回目が13時30分始まりで、バンドはサウンドチェックのために朝7時に集合だったので、長い一日ではありましたが、ショウの成功による満足感が体の疲れを吹き飛ばしてくれたように感じました。このステージから、ジュンコさんのセットに"大人の恋をしましょう"と"愛は時を越えて"が新たに加わり、松崎さんのバンド・パインツリーファミリーバンドの皆さんにもお手伝い願ったわけですが、彼らの的確で大人なバッキングの効果が、よりクリスマス・ナイトにマッチしていたと感じましたし、私も新鮮な気分で演奏することができました。こういうところがジョイント・コンサートの楽しみでもあります。
もちろん、チーム大橋として参加している私と土屋さんが、逆に松崎さんのバッキングにも加わるわけで、これはこれで、ちょっとしたスパイスになっていれば面白いかと思っています。
もう、このジョイント・ショウ自体は長くやってきているので、メンバー・スタッフはすでに気心通じ合った仲間ですが、それに甘えずに、来年はより進化をとげるべく、内容も新しくして意欲的なショウ作りが企画されているとのことで、ますます楽しみな感じになってきました。
さて、ということで、今年のジュンコさんとの仕事は無事に終了、今年もファンの皆様のサポートには深く深く感謝の言葉をお伝えせねばいけません。本当にありがとうございました。
そして、また来年。少しでも、ジュンコさんの活動がより充実していくように、我々バンド側もますます頑張って行きますので、どうぞ引き続きの応援をよろしくお願いいたします。
2011年 12月 23日
大橋純子/クリスマス・ディナーショウ2011
リハーサルの段階で、ジュンコさんをはじめ、メンバーからも好評だったので、今回はこの形で演奏することになったのでした。個人的には、なかなかリスキーな部分もありましたが、それなりの準備をすれば、ちゃんと対処できると思い、あえて挑戦した次第です。
もちろん、本当のベーシストのようにはいきませんが、他のメンバーが少しでも通常に近い形でのプレイが出来るようにサポートすることはできたように思っています。
千葉ミラマーレ(17日/昼夜2回)とタウンホール船堀(19日)のセット・リスト:
m1.星に願いを(When You Wish Upon A Star)2.たそがれマイラブ 3.大人の恋をしましょう 4.時代 5.季節の中で 6.地上の星 7.シルエット・ロマンス 8.愛は時を越えて En1.White Christmas 2.You've Got A Friend
さて、肝心の内容の方ですが、バンドの編成が小さいのと、クリスマス向けのディナーショウということもあり、リズムを強調した楽曲は控えられました。その分、じっくりとバラード中心にジュンコさんのボーカルを楽しんでもらうということですが、その意図は十分に達成できたと思います。
当日録音したプレイバックを聴くと、全体のサウンドに統一感があり、すっきりして落ち着いたムードで、個人的にも好感の持てるものに仕上がっていました。これは、とてもうれしかったことです。
これは、オープニングにやった"星に願いを(When You Wish Upon A Star)"が、その後の流れにもいい影響を与えていたからではないか、と思っています。
誰もが、どこかで聞いた事のある、あまりにも有名なアメリカのスタンダードである"星に願いを"は、それこそあまりにもたくさんのカヴァーを生んでいますが、ミュージカル風、ジャズ風、どんな形でやろうとも、元の楽曲が偉大なので、それなり成立してしまうでしょう。
ただ、そのアプローチの仕方で、歌い手側のセンスが問われることになります。

それも当然で、アレンジ担当のネルソン・リドルはナット・キング・コール、フランク・シナトラをはじめとするビッグ・ネーム・シンガー達の名編曲で知られる巨匠ですから。おっと、TVの「バットマン」の音楽もね。


また、ネルソン・リドル氏は、85年にリンダとのコラボ3作目「For Sentimental Reasons」制作中に亡くなられたので、彼の最後のアレンジメンツ3曲は彼自身の指揮ではなく録音され、翌86年にリリースされたのです。これが彼の遺作であったのでした。そういったことも知らずに、このアルバムをずっと無視していたことが、今は恥ずかしいです。
そして、今回初めて聴き、全2作と比較して、このラスト・アルバムこそがリンダ&リドルのベストではないかと思う今日この頃でありますなぁ。リンダの歌の素直な美しさ、リドルのパーフェクトなアレンジ、そしてジョージ・マッセンバーグのレコーディングとミックスが最高です。すべてひっくるめて「音が良い」のでした。
ですから、ここから選曲してきたジュンコさんのセンスの良さが光るのでありますよ、ウム。




それに、エルビス・コステロの曲を積極的に(「Living In The USA」でも1曲、ここでは3曲も)取り上げているのも実に興味深かった。この時期、ジェームス・テイラーらとともに来日して、ジョイント・コンサートがあり、喜々として観に行った。

これぞ、アメリカン・メインストリームの傑作でしょう。
さてさて、相変わらず脱線の極致ですが、それほど、今回の"星に願いを"は我々に良い効果を与えてくれたのでした。"たそがれマイラブ"からのオリジナル曲、カヴァー曲も、その影響下で一つの流れとしてまとまりました。
とは言え、"地上の星"や"アイトキ"では、バンドが3人しかいなくても、燃えるものがありますなぁ。これは止めようがない。そして、大ラスの"You've Got A Friend"。一応、我々3人のステージ前の合い言葉は「いい気になって、楽しくなりすぎるな!」だったのですが、やはり、演奏する楽しさと興奮を抑えられない部分はどうしてもありました。ただ、それも良しです。
個人的には、無事に3回のステージが終わって、本当に心からうれしく思いました。やはり、シンセベースとキーボードを両方弾くことを決めたからには、それなりの成果を上げたかったからだと思います。もちろん、この形が今後のサウンドではありません。ちゃんとベーシストを入れて、少なくとも4リズム以上でのバッキングこそが、大橋純子さんの音楽への敬意だと信じていますから。
というわけで、今年のジュンコさん単独でのライブは終了。後は25日の松崎しげるさんとのジョイント・ショウを残すのみとなりました。
2011年 09月 25日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(11)
En1.サファリ・ナイト

それにしても、あらためてオリコンのチャートなんかをチェックしてみると、この"サファリ・ナイト"、"たそがれマイ・ラブ"(最高位2位)、シルエット・ロマンス(7位)に続いての3番目(20位)で、"愛は時を越えて"(30位)よりも上だった。
ちなみに、続くのは"ビューティフル・ミー"(40位)、"シンプル・ラブ"(44位)。ただし、売り上げ数で見て行くと、"愛は時を越えて"が3位に浮上して、"サファリ・ナイト"は4位となるが、それでも10万枚以上ですから、たいしたもんです。
もちろん、ジュンコさんも美乃家も、アルバムを中心にした活動をしていたのだから、ヒットチャート云々で評価するのは的外れなんだけど、私が思っていた以上に、"サファリ・ナイト"が一般的にも支持されていた事を、ちゃんと数字が物語っていたのでした。これからも大事にしていかにゃいけませんな、ウム。
En2.You've Got A Friend

このダニー・ハサウェイのライブ盤は、「一家に一枚」級の名盤であるし、ここに入っている"What's Goin' On"と"You've Got A Friend"は、ミュージシャンにとっては、ちょっとしたセッションでよく演奏するもので、それほど、このアルバムでのアレンジは人気が高いし、カッコいい。
特に、ソウルフルな歌唱が出来る人には、聴かせどころ満載で、まさにうってつけなのだった。

それにしても、「Donny Hathaway Live」の臨場感って最高。これがライブだ!って感じ。そして、彼が弾くウーリッツァー(Wurlitzer)・ピアノがこれまた最高に気持ちいい。だから、我々がカヴァーする時も、どうしてもウーリッツァーっぽいサウンドでやりたくなるのだった。




しかし、レコーディングされたものの、理由はわからないがお蔵入りとなり、長く未発表だった。が、彼女の代表作であり、これまたアリフ・マーディン氏プロデュースの「Dusty In Memphis」が1999年にデラックス・バージョンとしてリイシューされた時に、めでたくボーナストラックとして収録されていた。
私は、本編の方ばかり気にして、ボーナストラックの方はほとんど見向きもしなかったのだが、今になって聴いてみたら、なるほど、60年代のブルー・アイド・ソウルの代表格ともいえるダスティらしい出来で、これはこれで、なかなか。で、イントロのピアノが、ダニー・ハサウェイっぽい感じだけど、そこまでは行き切ってない、って具合。
ひょっとすると逆に、ダニー・ハサウェイが、これを参考にしたかも?なんて。とりあえず、同じアトランティックだし、アリフ・マーディンがらみで、ありうるかも。うーん、また眠れなくなっちゃうなぁ。(ちなみに、ダスティの"You've Got A Friend"はマーディン氏ではなく、Jeff Barryのプロデュース)
まぁまぁ、とにかく、どんな形であろうとも、この名曲"You've Got A Friend"は常に素晴らしいということです。
そして、ジュンコさんは今年、震災で苦しむ被災者の皆さん、そして、いつまでたっても明るい希望を持てないでいる日本人すべてに、この曲の持つ、シンプルでありながら、常に深いメッセージを贈るように歌い切った。
私は、名古屋でのステージで、演奏前のジュンコさんのMCで、この曲の歌詞の暖かいメッセージにあらためて感じ入り、思わず熱いものがこみ上げてきてしまった。何度もやっている曲であるのに、これほど感動して演奏できたことはなかった。
さて、これで、クラブサーキット2011の詳細は終了です。長々と最後まで読んでくださった方には厚くお礼を。そして、各会場にお越し下さった、たくさんの方々にも、厚く熱くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。来年もまた、再会できますように。
2011年 09月 24日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(10)
m8.愛は時を越えて


この曲がヒットした頃と言えば、当時の政府・日銀の失政(90年、遅すぎた総量規制、金融引き締め)による急激なバブル崩壊が始まっており、92年には東京佐川急便事件に始まる金丸信議員の失脚・辞職・逮捕、経世会の分裂、小沢一郎議員らによる新党結成、93年には細川政権誕生で、自民党が下野したものの、細川、羽田の短命政権、社会党離脱により、自社さ政権の誕生という大混乱の時代。
信じられないことだが、ここ最近の政治状況と同じようなことが、あったのだ。そして、あれから約20年間は「失われた20年」となってしまった。
なんと"アイトキ"が歩んできた年月の不幸だったことか。我々日本人は、この20年間、たくさんのものを失った。それは、単なる財産や資産の価値だけでなく、自信や誇りや希望さえも揺らぐような喪失感の中で過ごしてきたと言っても、言い過ぎではない。
そして、今年、3.11。
私は今回、"愛は時を越えて"のイントロを弾くたびに、その響きが、鎮魂の鐘のように思えてしかたがなかった。あまり、そういうことを意識しすぎないように心がけていたつもりだったが、いざ、あのフレーズと和音が鳴ると、自然とそのような思いになったのだった。
その後も、音楽に夢中になっていたとは言え、心のどこかに鎮魂と哀悼の思いが常に置かれていたように感じる。
芹沢類さんによる歌詞は、最初から大きな世界観を持って、このように作られていたのかは定かではないのだが、たとえそうであろうと、なかろうと、やはり時代が詞と曲をじょじょに育て、より深い意味を聴き手に感じさせるものなったことは確かだと思う。
歌い手である、ジュンコさんが自ら強く、それを意識していることが一番大きい。ある意味では、ジュンコさん自身が伝えたい意味を深めて、曲を育てた、という事だと思う。
私も、この曲への印象は90年代とは一変した。バブル時代の名残りをどこか感じさせるオリジナル・バージョンから、今のテラ・バージョンへの変遷はかなり興味深い。
実は、この曲にはたくさんの別バージョンが存在するのだ。
①92年シングル・バージョン、②93年のアルバム「ミスセレナス」収録のリ・ミックス・バージョン、③同じく「ミスセレナス」収録の重実徹さんによるピアノ・インストゥルメンタル、④93年の9月リリースの「ネオヒストリー」収録の井上鑑さんアレンジによるストリングス・バージョン、⑤2003年のミニ・アルバム「June」収録の私のアレンジによるウィズ Dr.K・バージョン、そして、⑥2009年の「Terra 2」バージョン、計6種類を現在聴くことができる。



①は音数も多く、シンセのサウンドやディストーションのギターがこの時代っぽく感じられるが、やはりヒットするための強さを持っている。テレビ局からの要望が多く、現場ではその対応にストレスを感じたとの話を、コーディネーターの人から聞いたことがある。だが、その苦労が実を結んで、ヒットにつながった。間奏のギター・ソロは堀越信康くんで、彼とは若い頃にずいぶん一緒に仕事した。クレジットの表記を見て、すごく懐かしく思ったのだった。
②は①と同じ音源であり、その違いは微妙ではあるが、よく聴きこむと、二人のミキサーがそれぞれ何を主張したいのかが、じょじょに見えてくる。リ・ミックスは中山大輔さんで、私が大いに影響を受けた人で、かつての飲んだくれ同士でもある。彼はちょっとしたところで、やんちゃしている。本人はいたって大真面目ではあるが。
③は完全なるインストだが、名手である重実くんに、これほどシンプルに弾かれると、逆に聴き手の方がいろいろ思い入れを込めてしまう。彼とは、20代前半の頃によく顔を合わせる仲で、その当時から強力にうまくて、とても頼もしい存在だった。
④は井上さんのアレンジが美しい。純音楽として素晴らしいと思う。曲が進むにつれて①以上にドラマチックになるのが井上さんらしい。井上鑑さんは、もちろん日本を代表するアレンジャーであり、その楽曲の中に自分の主張を必ず入れ込むことにも長けている。そこが、彼のアーティスティックな一面だろう。
⑤はこの中で一番素朴だが、徳武弘文さんのアコとエレキ両方のギターが素敵で、フレーズ一つ一つに愛があり、彼の人間性と同じく、とっても優しさに満ちている。この時のベースは六川さんで、私と3人だけで演奏した。ドラムスはRecycleで作ったものだ。
徳武さんが、ジュンコさんの仮歌の凄さに、少し緊張していたのが印象的だった。でも、その時録ったマーチンのアコギの音は、本当に素晴らしかった。
⑥は泰輝さんのピアノが凄いということに尽きる。たぶん3回ぐらい重ねていると思うが、実に緻密でありながら、かなり豪華絢爛でもあると思う。彼は一人だけで、どんな形でもやり遂げることが出来るだろう。その才能には脱帽だ。
もしも、"アイトキ"が好きな人、それどころか、ぞっこん惚れ込んでいる人は、一度、これらのテイクを順番に聴き進めてほしい。私はそれをやって、何とも不思議な気分になった。正直、どれがいいとか、ここがイマイチ、といった話ではない。歌自体が持っている不変の意志とも言えるものが、どのテイクにも貫かれていることに気がつき、そして、バックのアレンジ、演奏には「それぞれの時」「その時の空気」が刻まれている、ということ。
正直、この曲のように、印象が年月とともに大きく変わって行ったものを、私は他に知らない。
ジュンコさんが「ネオヒストリー」のライナーノーツで、この曲について書かれている文章が素敵なので、勝手に引用させてもらう。
「この曲には、いろいろな逸話があり、生、死、門出と、どの場面にも不思議とフィットする多面性を秘めています。私にとっては、まさに新しいスタッフとの出会いがあり、新たなる門出であり、人を信じるという強さを知り、期待されるという大きな自信を持てるきっかけとなりました。
これからの歌手生活における第2の扉は、まさに開いたところ。これまでの道を振り返りつつ、未来への道を再び、ゆっくりと1歩づつ歩んでいこうとしています。
"希望"を私の道づれとしてネ・・・」
さて、"アイトキ"を演奏し終わると、私個人は数秒ほど茫然としてしまう。一呼吸置かないと立てない感じだが、無事に終えることが出来て、常に大きな満足感も味わってもいるのでした。そして、会場からの暖かい拍手には、心から感謝しています。本当にありがとうございました。
2011年 09月 19日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(9)
m7.Disoco Medley_d.Boogie Wonderland
長々と引っ張ってきた「ディスコ・メドレー」をネタに昔の音源を掘りまくるコーナーも、いよいよ最後か。"Boogie Wonderland"はそれほど広がりはないか?どうなりますか。

「ブギー・ワンダーランドで踊りだせば、ロマンスが生まれる」
「すべてのレコードが演奏され、私の心はずっとつぶやき続ける『Boogie Wonderland!』『Wonderland!』って」
天下のアース、怖いものなしのEW&Fの「ディスコ賛歌」は、それまでの凝ったアレンジを抑えて、シンプルで力強く、こむずかしいメッセージも一切なし、よって心から楽しむべし。70年代後半のいわゆるディスコ・クラシックのナンバー1ソングは、"Boogie Wonderland"でいいじゃないのかな。

77年に"Best Of My Love"で全米1位になったのだから、大きな態度で主役を奪ったって、文句なし。

これを含むアルバム「Rejoice」もいいんだ。日本のアイドルものみたいなところもあって、結構可愛らしくて面白いのだ。モーリスのプロデュースといい、Tom Tom 84のアレンジ、バックをつとめるアル・マッケイやヴァーディンも絶好調ですな。
そんな彼女達のもう一つの代表曲が"Boogie Wonderland"なわけ。当然、我々「チーム大橋」も、女性ボーカル陣、(山下)ユキコ・ネーサンと(佐藤)ヒロシ・ヒロチャンの二人が大活躍。ここにジュンコさんも加わって、エモーションズの3声ハーモニーを見事に再現したのでありました。おまけに間奏部分では、ベースのロクさんと4人で、ステップ、ステップ、ステップ。足がつりそうになっても、ビートがあるかぎり、ダンスは止まらないのでした。
老体にムチ打った、我々の頑張りのかいもあって、どの会場、どのステージでも、大いに盛り上がっていただきました。年齢に関係なく、みんな立ち上がってリズムに乗ってる姿を見れるのは最高にうれしかった。本当にありがとう。ライブで皆が一つになれる感覚って、何度やっても感動するし、何もかもが吹っ飛んでサイコーの気分でした。
こんな喜びを与えてくれる曲を生み出してくれたアース・ウインド&ファイアーには心からの感謝と敬意を表したい。
極めて意図的に「ディスコ」「ダンス」をターゲットにしながらも、ちゃんと音楽作品としての品位を失わずにいるところが、やはりさすがアースだと思う。

"Boogie Wonderland"は、モーリスらメンバーの曲ではなく、完全に外注で、メロディを作ったのは、ジョン・リンド(Jon Lind)という人物。彼は74年にモーリスとともに、"Sun Goddess"をラムゼイ・ルイスのために書いた実績を持つ。EW&Fもライブでのレパートリーに入れており、75年のライブ盤「Gratitude」に収録されている。
アース以外では、85年のマドンナの大ヒット曲"Crazy For You"が有名だろう。



日本では、はっぴえんどやシュガーベイブなどに大きな影響を与えたようで、この「Fifth Avenue Band」、リーダーだったピーター・ゴールウェイが解散後結成した「Ohio Knox」、ゴールウェイ自身のソロ「Peter Gallway」の3枚は、山下達郎さんに「三種の神器」と言わしめた名盤として知られていた。また彼らを「AORへの先駆け」「プレ・AOR」と評価する向きもある。
で、何と、モーリス・ホワイトが、このバンドのファンであったらしく、特にケニー・アルトマン(Kenny Altman)とジョン・リンドの曲が気に入っていたらしい。彼らは本国アメリカでは全く売れなかったというのに、まして黒人ミュージシャンであるモーリス・ホワイトが、ちゃんと彼らの才能に目をつけていたいうのが驚きだ。なるほど、私もケニー・アルトマンの書いた"One Way Or The Other"は大好きだし、確かに69年にこのサウンドは進んでいる。
そして、モーリスは74年の「Open Our Eyes」で、彼にボサ・ロック調の"Feelin' Blue"を書き下ろしてもらっている。
また、ジョン・リンドの方は、フィフス・アヴェニュー・バンドでは大ラスの"Angel"1曲だけしか作っていないのだが、これが、なかなかグルーヴィなブラス・ロック調で良いんだ。中盤ではコーラスをフィーチャアする感じも、その後のアースとのつながりを予感するものがあって面白い。

プロデュースはリトル・フィートのローウェル・ジョージで、全体にはアコースティック中心のフォークぽいムードに、少しハネた感じのリズムが加わって、ボーカル陣が少しずつ、R&Bぽいニュアンスがあるのが、なかなかいい。今後ちょくちょく聴きそうな好盤。だが、彼らもこれ1枚で終わってしまうのだった。

この時代は、LPの裏ジャケを見て、どういうミュージシャンが参加しているかを確認して購入するのが、ほぼ常識だったので、このアルバムなんかはまず問題なく、AOR系に興味ある人は、みんな買った口ではないかな。結構、仲間うちでも評判になっていたのを思い出す。
個人的には、前回紹介した2nd「Wild Child」の方が好みなのだが、1stの1曲目"Ooh Child"がやけに印象的だったような。今は持ってないんで、何とかしたくなってきた。

おおっと、実は「I Am」を中心に、このアルバム制作での重要人物であるデイビット・フォスターも話題にしたかったのだが、それはまたの機会にします。
それでは。
2011年 09月 17日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(8)
m7.Disoco Medley_c.Fantasy
じょじょに"Fantasy"に近づきます。
チャールズ・ステップニーという大参謀を突然失ったモーリス・ホワイトのショックは大きかったと思う。だが、まさにトップスターの道を歩んでいるEW&Fに停滞は許されない。すぐに、ステップニーに代わるアレンジャーが必要になる。ここで、指名されたのは、再びシカゴ人脈からの人選で、Tom Tom 84(本名トム・ワシントン、「Tom Washington」「Tom Tom Washington」の名義でのクレジットもある)である。

ただ、ステップニーが、バンドの「父親」「コーチ役」として細部にわたって影響を与えていたのに比べて、たぶん、彼はもっと職人アレンジャー的に関わっていたのではないかと思う。なので、特別に自分の個性を押し出すようなことはせず、もうすでにスター・バンドとなっていたEW&Fにおけるステップニー・サウンドをうまく継承するように、きっちりとした仕事をしていたと感じる。もちろん、これは今だから言えることで、当時は、彼のアレンジがどうのこうのよりも、バンド全体が「すげぇ」で終わっていたわけ。

それにしても今の時期、ユージンの作り出すメローでスイート(ありきたりな表現でスンマセン)なシカゴ・ソウルがすっごく新鮮。こういう音楽も楽しめるようになるなんて、年齢を重ねるのも悪くないって感じね、うんうん。




で、各ミュージシャンの演奏はどれも良いし、若きジュンコさんの歌声も素晴らしい。だが、正直、このアルバムは、聴いていて何となくよそよそしい感じがしてしまう。それは、ミックスのせいなのか、楽曲なのか、アレンジなのか、よくわからない。たぶん、時代がそろそろAORやフュージョンから次に進もうとしていたことが大きいような気がする。
それは、何もジュンコさんやケンさんだけでなく、当時のポップス先進国であるアメリカとイギリスでも起こりつつあった流れだった。今ここで、話題にしているEW&Fでさえ、この時点ですでに帝国の崩壊が現実になりつつあったのだから。
だから、ジュンコさんは「何かもっと新しいものを」やりたがっているようで、少し持て余しているようだし、ケンさんも日本ですでに十分やり尽くした音楽を、最後にLAのスタジオ・ミュージシャンでやってみた、というムードか。要するに、二人にとって真の海外レコーディングでの冒険は、翌年のニューヨークとなるのは必然だったのだろう。
おっと、またどんどん脱線しそうなので、何とか踏ん張る。


で、アルバム2曲目の"Fantasy"、キーボードの導入部が何ともドラマチックなムードを漂わせて、いかにも大仰なのだが、続くイントロダクションがやったらカッコイイ。ちょっと出来過ぎじゃないかってぐらい。ところが、歌に入ったら、あら驚き、サンバじゃねぇか!でもって、この哀愁のメロディと、少々説教っぽい歌詞が、アースのキャッチフレーズの「宇宙」「エジプト」「占星術」やら何やらと結びついてくるんですなぁ。よく考えると、ムチャクチャなイメージの展開なんだけど、曲自体は良いのよ。
特に、日本人はこういう哀愁のムードに弱い。だから、日本でのこの曲の人気はすごい。当時のディスコ・ブームでの象徴的なヒット曲として、この"Fantasy"を上げる人も多いと思う。今回、各会場でのお客さんの反応も、この曲で俄然ヒートアップしてくる感じがよくわかった。
それから、Tom Tom 84のホーン・アレンジも気が利いていて、実際に演奏していると、サビのボーカルとの絡みで、かなり燃えるのだ。ほんと楽しかった。

まぁ、モーリス&ヴァーディンのホワイト兄弟はともかく、もう一人クレジットされているエドゥアルド・デル・バリオ(Eduardo del Barrio)って誰?

何か、いろんなことが出来過ぎみたいに組み合わせっているようにさえ思うけど、やっぱり、こういう人脈を形成するあたりが、モーリス・ホワイトの「やり手」度の高さを物語っているではないか。
とにかく、この曲に正しいラテンの血を注入したのは、デル・バリオに違いない。また、彼は9曲目の"Runnin'"でも共作者として名を連ねているが、これは、まさにカルデラみたいなラテン・フュージョン。ただ、前述の"Zanzibar"同様、ファルセット・ボイスによるメロディがここでも登場するのが、かろうじてアースか。
そして、そして、もう一つ。この「All 'N All」において、インタールードに使われている"Brazilian Rhyme"というタイトルの小曲が二つあって、共にミルトン・ナシメントの作とクレジットされていたが、一つは、クラブ系で人気の高い"Beijo"で、これは実はモーリスの作らしく、もう一つの"Ponta de Areia"はまさしくミルトン作の名曲。

だから、アースがこの曲を取り上げたのを聴いて、あまりにも時間が短いのにがっかりした。それに、ここでのアレンジはTom Tom 84ではなく、エウミール・デオダートがやっているというのに、わずか52秒でフェイドアウトなのだ。

それにしても、当時はアースの新譜を興奮して聴いていただけだったが、今さらながらに、チャールズ・ステップニーの死をきっかけに、EW&Fは音楽の方向性を変えざるを得なかったのだ、ということがよく理解できた。
次は"Boogie Wonderland"。まだ、続きます。
2011年 09月 14日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)
放送は10月らしいのですが、残念ながら北海道のみの予定。番組の主旨は3.11の大震災から半年後にからめて、「歌の力」で被災地への支援したい、ということ。もちろん、募金活動もかねてのものでした。ひょっとしたら、全国放送が後日あるかもしれませんな。
さてさて、いっこうに終わらない「クラブサーキット2011詳細」シリーズ、始めは意図せぬ脱線が、じょじょに幅を利かせ、そこに「悪のり」もあって、どんどん膨張化してしまい、ただの「オタク」丸出しになってしまいましたが、多少のひんしゅくは覚悟で、この際とことん行ってみることにします(?)。もう少しおつきあいを。
詳細(6)からの続き。
m7.Disoco Medley_c.Fantasy_d.Boogie Wonderland
アース・ウィンド&ファイアーの曲って、やっぱり派手で楽しいし、ライブでの演奏効果も上がる作品が多い。ブラックミュージック通で、うるさ方の人々からは「薄味」ファンク的な評価がされているけど、70年代から80年代のミュージックシーンで、最も成功したR&Bグループはアース(EW&F)であり、一般大衆からの支持は圧倒的であったことは事実。ただし、これは彼らの音楽が白人層の音楽ファンに受けたからだ、という皮肉な見方も同時に出来る。

そんな状況化ではあっても、この「太陽神」は売れた。一応、現場で見ていたわけですから本当です。


今考えると、EW&Fのリーダーでプロデューサーであるモーリス・ホワイトは、ある意味「超やり手のビジネスマン」だったに違いないと思う。バンドに「アフリカ」「エジプト」「宇宙」「占星術」といったキャッチコピー的なキーを持ち込み(これが、すべてピタっとハマる)、と同時に、黒人層だけを意識したようなファンク指向ではなく、バンド以外でも有能な作家・アレンジャー、ミュージシャンを積極的に導入して、いち早くアダルト・コンテンポラリー的な音楽を目指したことも、大きな成功に結びついた。彼は、ちゃんと先を見据えて、予測する能力と実現のための戦略を持っていたと思うのだ。
彼はドラマーであり、ボーカリストではあるが、こと音楽制作においては、完全なる「外注型」のプロデューサーだった。そこが、自らアレンジするクインシーやアリフ・マーディンとは違う。なので、重要なブレーン、具体的には優秀なアレンジャーを引き入れること、それが成功への最大の秘訣だった。そして、その見立てもバッチリだったわけだ。
そこで、EW&Fの音楽を実質的に作り上げてきたアレンジャー達の中で、私が特に注目したいのが、チャールズ・ステップニー、トム・トム84、デイビット・フォスターの3人となる。


左上・「Rotary Connection」(1967)、右上「Songs」(1969)、左下「Hey, Love」(1971)、右下「Minnie Riperton/Come To My Garden」(1970)


彼のオリジナルだけでなく、ストーンズやボブ・ディランらのカヴァーにおける、全くもって「ブっ飛んだ」アレンジにもヤラレル。いや、実に気持ちいい。ドリーミーでスペーシー、ロマンティックでもって、ビューティフルなのだ。時に、バート・バカラックやフィフス・ディメンション的な部分から、ブライアン・ウィルソンのような過激さまで含んでいると思う。一度ハマると、そうとう深い。
ミニー・リパートンの"Les Fleur"をYouTubeから、どうぞ。



この時期、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツイン・リード・スタイルが確立し、演奏面ではヴァーディン・ホワイトのベースとともに、アル・マッケイのカッティングが大きく効いていることも外せない。
ライブ・テイクもご機嫌なのだが、実はこのアルバムの4面目のスタジオ・テイクにかなりの名曲が並んでいる。"Sunshine""Sing A Song"からスキップ・スカボロー作の超名曲"Can't Hide Love"まで、圧巻にカッコイイ。ここに最高のアースがいる。

ステップニーのアレンジは9曲中6曲だが、バンドとのコラボがまさに完璧に仕上がったことを見事に示していると思う。やっぱ、"Getaway""On Your Face""Imagination"と続く3曲がゴキゲン。
ちなみに、チャカ・カーンの78年の傑作「Chaka」の2曲目"Love Has Fallen On Me"はステップニーの作編曲、だけど、すでに死後のリリースなのは、彼女が同じシカゴ出身の才人に敬意を表したのかも。
この後、アース・ウインド&ファイアーはさらなる飛躍と成功を手にするので、ステップニー時代をあまり知らない人も多いように思うが、私はこの時期が音楽的には一番だと思っている。洗練されていて、なおかつ、ちゃんとブラックミュージックの根っこを持ったバンドとしての力作、傑作がずらっと並んでいて、大好きである。そして、ロータリー・コネクションも含め、チャールズ・ステップニー万歳だ。
YouTubeでステップニー氏関連のビデオが二つあったので、埋め込みます。
まだ、肝心の"Fantasy"に辿り着かない。よって次回も、アースで。続く。
2011年 09月 07日
大橋純子/クラブサーキット2011詳細(6)
まったく、この詳細シリーズを長々と中断したまま、だらだらしてしまった。一応、言い訳すると、パート6ではチャカ・カーンを中心にしたレポを書くつもりだったので、彼女のこれまでのアルバムを久しぶりに聴きだしたところ、これがまぁ、どツボにはまったというか、すっかり魅了されてしまい、毎日毎日、聴きこんでしまった。正直、チャカ・カーンという人をちょっと過小評価しすぎていたのではないか、と反省しきりの今日この頃といった感じ。つまり、簡単に「プリンセス・オブ・ソウル」「クイーン・オブ・ファンク」と書かれてしまう彼女こそ、実は女性ポップ・ボーカル史上に革命を起こした人なのではないか、とさえ、今は思っているのだった。
それほど、彼女の後世への影響は大きかった、と確信するにまで至っている。
とは言え、ルーファスの10数枚、ソロの10数枚を聴き倒すのはなかなかの作業(?)、いや凄い喜び。おまけに、偉大なるプロデューサーであるアリフ・マーディンのこともチェックしはじめると、これはもっともっと大変なことになる。アリサ・フランクリンに始まって、ダニー・ハサウェイ、ラスカルズ、AWB(アヴェレージ・ホワイト・バンド)、ビージーズ、スクリッティ・ポリッティ、でもって、とどめにノラ・ジョーンズと。いやいや、まだまだ....。
奥深いアメリカ音楽界においても、まさにProdecer's Prodecerと言えるのはクインシー・ジョーンズとアリフ・マーディンだと思っている。これは、単にヒット作の数ではない、商業的な部分とともに、音楽的にパーフェクトな仕事をしているのか、どうか。
というわけで、いろんな音楽を聞きすぎて、簡単にまとめることができなくなった。だが、それではいっこうに終わらないので、とりとめのない流れになってしまいそうだが、なんとかやってみる。
m7.Disco Medley_b: What Cha' Gonna Do For Me

特に1978年のファースト・ソロ「Chaka」(左)、80年の「Naughty」(右下)、81年の「What Cha' Gonna Do For Me」(左下)の3つは、「アリフ・マーディン3部作」として高く評価したい。というか、誰が文句つけるってぇの、これらに。
強いて、どれが好きかと言うと、「What Cha' Gonna Do For Me」の音楽性の高さにはノックアウトだが、当時一番繰り返し聞いていたのは「Chaka」、やっぱり"I'm Every Woman"がいい!(アシュフォード&シンプソンの名作、リチャード・ティーのピアノもカッコイイ。)


だが、この曲に含まれる高い音楽性は、単にディスコ/ダンス・ミュージックとして片付けられない。R&B、ファンク、ジャズ、AORらのさまざまな要素が最高に洗練された形で1曲に集約されているのだから。そういう点においては"Ai No Corrida"以上にレベルの高い曲だと思う。
とにかく、こういうシンプルなリズム・パターン(16ビートを内包する8ビート)でファンキーなグルーヴを出すのって、けっこうむずかしい。それでいて、70年代前半のファンクのように、「汗臭い」だけじゃ駄目で、極めてオシャレで都会的でなくてはカッコ悪い。そこら辺に、ミュージシャン側に知性も求められるわけだ。

それまでのAWBは、アリフ・マーディンのプロデュースで、"Pick Up The Pieces"や"Cut The Cake"のヒットがあるスコットランドのファンク・バンドだったのだが、時代の流れでAOR的方向に変化する必要に迫られ、デイビッド・フォスターに任せたわけ。ところが、フォスターはワンマンに、どんどんアレンジと演奏を進行させたらしく、そういう彼の姿勢にメンバーは反発。しまいにコンテンポラリーな音楽性にも嫌気がさしたとのことで、この後、分裂・解散への道を辿ることになった。(この後、82年にシカゴが同じように、フォスターの力を借りて、80年代の変革に成功した。とは言え、シカゴもその後、彼との作品に対してあまり良い発言していない感じだしなぁ。)
それじゃこの「Shine」がひどいか、と言うと、そうでもないんですなぁ。特にAORファンの多い日本では、評価と人気が高い。もちろん、初期のAWBのファンクが好きな人(私も)には、かなりショッキングなサウンドなんだけど、今聞くと「これはこれなり」って思える。意外に楽しめるここ数日であります。
というわけで、"What Cha' Gonna Do For Me"のオリジナル・アレンジは、たぶんデイビッド・フォスターとAWB。これをチャカ・バージョンでは、グレッグ・フィリンゲインズとアリフ・マーディンがアレンジをやっていると思われるが、イントロのシンセ・フレーズあたりは残しつつも、いろいろと手を加えて、全体的には(AWBの狙いとは逆に)、より「ファンキー」で、より「ゴージャス」な方向性でまとめられている。仕上がりは圧倒的にチャカの方がカッコイイ。AWB版は、まぁ「軟派」で、あんまり盛り上がらない。特にチャカでは至福の喜びとなる大サビ部分が、全然サッパリなのだ(それが良いとも言う人も多いでしょうな)。
それにしても、この曲がチャカに合うとよんだ、アリフ・マーディンの耳はすごい。

おっと、YouTubeで面白いビデオを発見。ネッド・ドヒニーがバンドとともに、この曲をリハしているところが撮影されていて、これがまたサイコーにゆるい!必見です。
さて、チャカの方にちょっと話を戻すと、この頃のアルバムではドラムスはスティーブ・フェローンでキマリ!(ジュンコさんの「Point Zero」にも参加)なのだが、これは当然、アリフ・マーディン〜AWB人脈。ただし、彼とヘイミッシュ・スチュアートのみ、78年の「Chaka」から重用されているので、彼らだけがお気に入りだったのかも。
また、この曲のイントロでのドラム・フィルは最高にカッコ良くて、チョーしびれるのだが、AWBバージョンもチャカ・バージョンも全く同じだった。だが、ミックスの違いで、これまたチャカの勝ちである。


肝心のルーファスの方はどうだったかというと、個人的にはクインシーとの組み合わせは、セールス的にはともかく、音楽的には失敗だったと思う。
とは言え、ルーファス自体はすごくカッコいいバンドだった。ロック色の強い73年の1st「Rufus」から、"Tell Me Something Good"を生んだ2nd「Rags to Rufus」、トニー・メイデンとボビー・ワトソンが加わってファンク色が濃くなった「Rufusized」、「Rufus Featuring Chaka Khan」。マデュラ(Madura)のデイビッド・ウォリンスキーも加わって、意欲的な音楽性が発揮され始めた「Ask Rufus」、「Street Player」と、どれも良いのだ。今は、こちらの方を興味深く聴き返すのでありました。と同時に、ジュンコさんが美乃家で目指したものって、彼らのような形に近かったのか?、とも思うのだった。









そして、偉大なるプロデューサー、亡きアリフ・マーディン氏の偉業をちょっとだけのぞく意味合いをこめて、これもご覧ください。
まだ続く、と。