2011年 03月 07日
キック・アス

映画に詳しい方には、過去のさまざまな名作のオマージュがいろいろあって、そういうのをさがすのも楽しいのでは、そうとうカルトです。BGMのセンスもクールです。タランティーノ的でもあるし、彼よりも感覚が新しいと言えるかも。すっごい、好きです。
撮り方、編集でのこだわり、繊細さ、工夫にもしびれました。愛情さえ感じました。
2010年 02月 03日
LOOK

で、最初不思議に思って見入ってしまったのは、その映像が全て監視カメラによる撮影だったため。とは言え、ストーリーはちゃんとあって、役者がしっかり演技しているし、音声も入っているので、これは疑似監視カメラ設定を入念に組んで、きっちりと作り込んだフィクションであることが、すぐにわかった。
日本のテレビでもよくあるリアリティ番組風と言えるし、AV系の盗撮ビデオ風とも言える。
たぶん、いかにも監視カメラが置いてありそうな場所を何カ所か決め、マルチ・アングルで役者の演技を同時に撮影し、その後に加工と編集を緻密に行ったのではないかな。で、それがなかなかの成果を上げていて、すべて「ヤラセ」なんだけど、画質が落ちることで逆にすごくリアリティを感じさせる仕上がりになっているのだった。
そして、何より面白いと思ったのは、見ているこちらのノゾキ衝動をまんまとそそるように作っていること。だから、ストーリーはえげつないセックスと犯罪ものが中心となるし、それぞれ別々の話だったものが、ところどころ絡み合っていくのも、まさに「それっぽい」作りなのだ。
そもそも、そのストーリーの内容は別段凄いものじゃない、だが、見ている側のノゾキ意識を刺激しているので、より興味深く感じてしまうわけ。つまり、リフキン監督の罠にまんまとハマってしまうのだった。
私は正直「やられたー!」って感じだったのだが、今日になっていろいろググって見ると、熱心で真面目な映画ファンの中には「つまらない作品」として、かなり批判的なコメントが多いのには驚いたし、方や「監視カメラ社会への警鐘」みたいな評価にも疑問を感じた。
私としては、とことんB級に徹するやり口って結構好きなので、この映画は高く評価したいと思うが、だからといって社会的なメッセージを含んだ作品だ、みたいなことは言いたくないなぁ。それを言ったら、完全にリフキン監督にしてやられたことになる。
それよりも、この監視カメラによる盗撮趣味の感覚が面白いし、その内容のしょうもなさとそれを見入っちゃう自分自身のしょうもなさを同時に感じ、リフキン監督が「アッカンベェー」している姿を想像するのであった。
2010年 01月 06日
TVドラマ
昨年暮れに禁断の「24シーズン7」を見始めてしまい、「24」シリーズのファンの方なら、よくお分かりと思いますが、これを見始めたら最後、一気に全て見ずにはいられない。
実はフジテレビで11月から毎週放映されていたのをハードディスクに保存し、仕事が終わったらまとめてみようと思っていたのですが、昨年末までに放送されたのは9話まで。
結局、見始めたら2日で終了。次回のテレビ放映など待っていられない状況になり、レンタル店に駆け込んだあげくに、元旦に見終わったのでした。
いやぁ、なんだかんだ言っても面白かったわけですが、とは言え、何とも煮え切らないラストには大いなる欲求不満を感じさせ、これまた次のシーズンへの期待を否応なく盛り上げる手法にもまんまとひっかかっているのでした。
その第8シーズンは全米で今月からオン・エアとか。日本には今年の秋から冬なのでしょうかねぇ。
そうこうしていると、2日から4日まで日テレが「ドクター・ハウス シーズン2」を毎日2話ずつ放送、昨日はWOWOWが「クリミナル・マインド4」を放送開始。どちらも大好きなシリーズなので、ちょっと「たまりません」的状況が続き、テレビ三昧にどっぷりつかっております。
そんな中、BSフジで昨年から放送していた「MAD MEN」が年越しして昨日が最終回。このドラマ、さすがエミー賞を2年連続取るだけのことがある、ほんとに素晴らしい作品で、特に昨日の最終回にはかなりやられましたし、思わず拍手したくなりました。
地上波の方でシーズン2を放送しているけどすっかり見逃してしまったので、これはBS等で再放送されるのを待つ事にします。(おっと、レンタルも今日から開始ですか。)
この他にも、このところの海外ドラマ(と言っても、主にアメリカもの)の充実ぶりにはほんと驚かされます。なので、録画でハードディスクはいつもすぐ一杯になってしまう。
それに、今週末にはNFLのポスト・シーズンがいよいよ始まります。ますます外に出かけなくなってしまうか?
2009年 04月 14日
迷子の警察音楽隊
とは言え、ハードディスクにたまっていたサッカーやドラマ・映画をいろいろ観ていたのだが、そんな中、まさに出会うべくして出会うとも言うべき映画があり、とっても幸せな気分を味わえた。
それが2007年のイスラエル映画で、エラン・コリリン監督の「迷子の警察音楽隊」だ。

で、「エジプトの警察音楽隊が、文化交流の演奏旅行で訪れたイスラエルで迷子になり地元の人に助けられる」という話から、その背景、特に両国の歴史的な因縁などをいろいろと詮索するのも可能なのだが、そんなことを全く忘れさせるほど、映し出されている「たいしたことじゃない事」の積み重ねが魅力的だったのだ。
こういう映画の感想は「ほのぼのした」「やさしい気持ちにさせる」「心温まる」で十分なのだろうが、私はこの監督の映像、特に構図の決め方へのこだわりも素晴らしいと思った。俳優達の配置はかなり考え抜かれた意図を感じたし、そういったこだわりにより一つ一つのカットに安定感があり、観るものへの説得力を増していたと思う。台詞や演技で過剰に表現しなくても、その絵の力だけで登場人物の感情や思いが実によく伝わってきたからだ。
なるほど、これだけの出来なら世界で高い評価を受けたのも納得だ。これを観れたおかげで、疲れて固くなっていた私の脳ミソも、ずいぶん柔らかくなったように感じたのでした。
2008年 10月 14日
エディット・ピアフ〜愛の讃歌

さて、で、感想は。
正直、がっかりした。そして、思うのは音楽家、芸術家、ポップ・スター、ミュージシャン等の伝記、歴史ものは映画としてはかなりむずかしい題材だとあらためて思った。
主演のマリオン・コティヤールは素晴らしいと思ったし、過去のドキュメンタリー等で見られるピアフの感じにそっくりだったし、まさになりきっていたと感じた。だから、アカデミー主演女優賞も納得だ。
が、肝心のピアフは何だったのか。見終わっての印象では、酒とモルヒネ依存からくる精神不安定の破滅型人生ばかりが残る。
ただ、前半はいい。幼少期の生い立ち、過酷な貧乏生活からルイ・ルプレーに見いだされて、じょじょにその才能が認められていくあたりは、実にワクワクさせられたし、そのルプレーが暗殺されてしまい、彼女が「死神」扱いされるくだりも、その後の人生を暗示するかのようだし、偉大なアーティストに必ず存在する大きな暗闇を浮き彫りにさせていたと思った。
だが、問題は彼女の音楽がどれほど素晴らしいのか、という部分がその後全く薄れてしまうことだ。個人的に最も感動したのはやはり前半部分で、大道芸人の父のもとでストリートに立っているとき、客に催促されて思わず歌った"ラ・マルセイエーズ"だ。
その後、フランスを代表する歌手として大いなる名声を得てからは、音楽よりも悲劇の人生の描写に終始してしまい、そのあまりにも長い「歌わない時」のピアフを見続けるのは大変辛かった。
確かに、伝記映画だから、そのように彼女の人生をリアルに描き出していくのも当然だし、このような悲劇的な部分を知ることで、より感情移入できる人々もいるだろう。しかしながら、私にとって一番大事なのは、偉大なるピアフの歌であり、素晴らしい楽曲の数々なのだ。
ひょっとしたら、この映画の制作者達は「ピアフの音楽の偉大さはすでに一般に熟知されている」という前提の下にこの脚本を作り上げたのかもしれない。仮にそうだとしても、やはりどう考えても音楽が足りない。"モン・デュー"も"パダン"も"群衆"も"アコーディオン弾き"も断片だけで、ちゃんと聞けないなんて!
逆に言えば我々観客は、とんでもない天才には悲惨な人生がつきものなのは重々承知だ。にもかかわらず、そのような悲劇を乗り越えて、圧倒的な力で人々に喜びと感動を与えてくれるのが、彼らの音楽なのだ。
つまり、このような酷い状況にあっても、生み出された音楽はこのように素晴らしいものだ、というのが見たかった。
そういう意味においては、ストーリーとしては単純で、可もなく不可もなくではあったがジョニー・キャッシュの伝記映画"ウォーク・オン・ザ・ライン"の方が、少なくともキャッシュの音楽に浸る喜びがあった。
とは言え、これでピアフの音楽に傷がつくものではない。今は、CDで聞かれる彼女の歌以外は全てミステリーであってもかまわないと感じている。
2008年 10月 13日
レス・ポールの伝説

で、私のようなものが言うのもおこがましいが、まだ観ていない人、特に映画ファンというよりも、音楽、ポップ・ミュージックが好きな人、実際関わっている人は「絶対ミルベシ!!!!」と強く言いたい。
そして、今自分達がポップ・ミュージックをこんなにも楽しめているのは、レス・ポールという偉大な人物のおかげだったんだ、っていうことをしっかり認識してほしい。
なんて言っている私も、この映画を観たことで、あらためてその偉大さに脱帽した口だから、そんなに大口叩けないわけで、今日を境に私も、レス・ポールに最大限の敬意を払いたいと思ったのでありました。
レス・ポールの偉大さは、単にギタリストのみだけに留まらない。そのサウンドの飽くなき追求心が生み出したエレキ・ギターの開発、多重録音の発明と研究、レコードのカッティング技術やアナログ・テープ・ディレイの発明などはどれだけ現在の音楽界の発展に貢献していることか。要は、彼がいなければ現代のオーバーダビング・レコーディングによる音楽制作など有り得なかったし、豊かなギター・サウンドによるロックの発展などもなかったのだ、とも言えるのです。
もちろん、そういった発明や探求の中から生み出された音楽、それそのものが真に素晴らしいものであったからこそ、その影響力は絶大で永遠だということ。
そして、90才を越えた今でも現役でニューヨークのクラブで毎週自らのトリオを率いて演奏し続けている。そのバリバリの演奏をする姿を見ると、自分などまだまだとんでもなくガキであることに気づかされたのだった。ほんと、恐れ入りました。
ただ、1人の偉大な音楽家の歴史映画としては、掘り下げがもう1つだろう。だから、いわゆる映画ファンにはすすめない。しかしながら、音楽関係者としては、この程度のTVドキュメンタリー・タッチの方が彼の音楽への功績をちゃんと勉強できるので有り難い。

うー、感動して眠れなくなってしまったわい。
2008年 07月 21日
イカとクジラ

バームバックは「ウディ・アレンの再来」とも呼ばれているらしく、確かにそれを感じさせる「臭い」みたいなものがある。ブラック・ユーモア、皮肉、諦観を通奏低音に置きながらも、現代のポップ感覚やノリがあるので、観ていて楽しいのだった。と同時にイタイというかコワイというか。(これ以後はネタバレになりますので、ご注意を)
とにかくとにかく、ダメな負け犬家族の物語。ほんとにほんとにとことんダメな人間達。特に父親は最悪最低な存在だが、妙に憎めない。非常に親近感を憶えた。かつては人気作家だったが、今はスランプで落ちぶれてしまった彼の心情や嫉妬、傲慢、思いやりのなさ、それでいてやけに知識をひけらかして優越感にひたろうとするセコさ、その人間としての「小ささ」全てに共感してしまう、というか「自分に近い」と思ってしまう。
その父を崇拝し、カフカは凄いと父から聞けば読みもしないで人に吹聴し、ガールフレンドの扱いまで父から指南を受ける長男、結局それも外面だけで中味はナシ、つまり崇拝しているフリをしているだけなのに、自分はそれに気付かないでいる。そしてあげくには、彼はピンク・フロイドの曲をパクって自作として発表する。それでも悪びれた様子を見せない。
そんな彼の姿は自分にも「身におぼえ」がある。
母親は唯一成功者のようだが、実は彼女も欠陥人間で、ダメ夫への不満を浮気に求め、子供への配慮にも欠け、デリカシーがない。1人奇行に走る次男は、世の中的には一番危ない存在だが、逆にここでは一番「真っ当な」態度、反応に映る。傷ついた心を素直に表していたのは次男だけだった。
だが、このどうしようもない家族がとっても身近に感じられるほどリアリティがあったのは、脚本の素晴らしさとともに、役者の巧さもあったと思う。特に父親のジェフ・ダニエルズは大変な好演で、最高にハマっていた。彼は出世作とも言える「愛と追憶の日々」で、デブラ・ウィンガーの夫役を演じたが、これもどちらかと言えばダメ夫で、まさにこの手のものはお得意なのかも。他の3人の家族役の役者さん達も素晴らしい。さすがアメリカの俳優のレベルの高さを感じる。
で、エンディングでは長男がほんの少し「希望」を感じさせる、そしてこの映画タイトルの謎解きをみせてくれるシーンがあり、それもあっさりと表現するので、ハリウッド的スピルバーグ的にはなっておらず、その辺にもバームバック監督のセンスの良さを感じた。
だが、それ以上に印象に残ったのは、そのラスト2つ前のシーン。心臓発作で倒れ救急車で搬送される夫が元妻に向かって、「感謝」を言ったり「許し」を請うのかと思いきや、ゴダールの映画「勝手にしやがれ」での主人公の最後のセリフを披露し、それもJ・P・ベルモンドのようにかっこ良く「キマラナイ」という徹底的なダメぶりが、スゴイ!
そしてラスト前、病院のベッドで寝ていながらも相変わらずの父親の姿を見て、長男はそこからの脱出を決断するわけだが、その父の姿はカフカの「変身」における主人公がオーバラップする。まさに、父親は「虫」に変身した。だが、それでも自分ってものに気付いていない。
この映画は観ている時は、苦笑の連続で楽しく過ごせるが、終わってからいろいろと怖さを感じるものだった。でも、かなり好き。ノア・バームバック監督はこれからも注目したい。
2008年 02月 22日
アマデウス(ディレクターズ・カット版)

ミロス・フォアマンはこの前に「カッコーの巣の上で」で70年代にすでにオスカーを取っているし、これも公開時に見に行って強烈なインパクトを受けた傑作でありましたが、何度も見たい作品となると、これは圧倒的に「アマデウス」に軍配が上がる。
私自身、この映画がモーツァルトの音楽にどっぷりはまり込むきっかけになったし、初めて見た時にも、大いに刺激を受けたその音楽は、その内容をよく知るようになった今、より深く心に響くようになり、それが使われている映像の美しさ(特に室内でのロウソクの光を多用した撮影、キューブリックの「バリー・リンドン」の影響だろう)と相まって、大きな感動を与えてくれるのでありました。
もう、何度も泣くよ、音楽がかかると。
まずは、このピーター・シェーファーの戯曲全般の象徴となる「ドン・ジョバンニ」冒頭のDmの響き、それに続くオープニング・ロールで流れるモーツァルト17歳時作曲の傑作シンフォニー「25番(通称「小ト短調」)にしびれる。ただし、この「25番」に関しては、その楽想の凄さにはノックアウトだが、サウンドトラックにおけるネヴィル・マリナーの指揮は、ブルーノ・ワルターのを耳にしてしまったので、もはや物足りない。
なので、ここではいつも「やっぱりワルターのエグリはすげぇーなぁ」と感心してしまう。
そして、サリエリが初めてモーツァルトの演奏を聞くシーンでの「セレナーデ10番3楽章」。ここでの、サリエリが語る曲の解説(?)が実に的確で、「神からのギフト」であることの感動をより高めている。
「後宮からの誘拐」に始まる、「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」でのオペラ・シーンの映像、演出はどれも最高に素晴らしい。ここでの印象が強くて、実際の歌劇場でこれらを見ると、物足りなさを感じることもある。それほど、魅力的で美しい映像だ。
また、モーツァルトの音楽の中心は「オペラ」であった、ということが、きっちりと示されていて、私にはその後のモーツァルト鑑賞において、大きな指針となったのだ。
だから、それぞれのオペラにおけるここでの的を得た解釈、(サリエリを通しての)解説には、オペラ全体の素晴らしさを知れば知るほど、深く強く共感できる。だから、ずっと涙が流れっ放しであるし、サリエリの嫉妬と敬愛の間で苦悩する心にも納得する。
また、モーツァルトが存命中のウィーンでは一番人気だったという、彼自身が弾きながら指揮する「ピアノ協奏曲」演奏会シーンでの「22番3楽章」は本当にたまりません!このロンドは最高に楽しく明るいのだが、明るければ明るいほど、楽しければ楽しいほど、哀しみがおそってくる。そこでの、映像がこれまた美しくしあがっているので、余計印象的なのだった。
妻コンスタンチェがサリエリに夫のオリジナル譜面を見せ、それを見たサリエリが「書き直しが1つもない、彼の曲は書く前に頭の中で完璧に仕上がっている」と感嘆し、打ちのめされるシーン、そこで流れる「フルートとハープのための協奏曲」「交響曲第29番」などの抜粋も、一瞬流れるだけで溜息が出る。
そしてクライマックスとも言える、死を前に「レクイエム"ラクリモサ"」をサリエリに口述筆記させるシーンでの、パートごとの演奏と、それが組み合わさった時の興奮とかっこよさをどう賞賛すれば良いのか。
実際に、この「レクイエム」はモーツァルト自身での完成に至らず、残りを弟子のジュースマイヤーにメロディとベース音を託し、彼の補筆によって仕上がったのだった。(だが、近年このジュースマイヤーの部分に批判が多く、研究者による改訂版が登場している)
また、この「レクイエム」にまつわるエピソード(ワルゼック伯爵の企み)とモーツァルトの早い死が、サリエリ毒殺説にまで発展し、それがこの戯曲・映画の下敷きになっているのだった。
なので、実際のモーツァルトの人生を調べて行くと、この映画における創作、脚色された部分が極めて興味深いし、その巧みなバランス感覚(フィクション性とハリウッド色)が娯楽作品としての面白さをも十分に感じさせてくれ、ピーター・シェーファーの才能とそれを完璧に映像化したフォアマンを高く評価したいのだった。
また私は、ヘッセの小説「荒野の狼(ステッペン・ウルフ)」からの影響もあるのではないかと考えている。主人公が自らの才能を疑い精神を病み、ドラッグにはまり、その幻惑した世界で、憧れと嫉妬の対象である天才(この本ではゲーテとモーツァルト)にこてんぱんに叩きのめされていくところなど、似ている部分があるし、天才がけたたましい高音の笑い声を上げるところや、クライマックスで「ドン・ジョバンニ」の"騎士長の場"が現れる部分にも、関連性を感じてしまう。
さて最後、サリエリは自らを「凡人の守り神」であると語るのだが、圧倒的な天才の能力をしっかり把握した彼も大いに讃えるべきではないかな、と最近思う。真に偉大なるもの、美しいものを理解することは実はとても難しいし、特にモーツァルトのようなとんでもない存在に出くわす事は、自らの死につながる苦悩を背負い込むことでもあると思う。

とは言え、それでも全体をブチ壊すもの(例えば「ニューシネマ・パラダイス」のディレクターズ・カット版の酷さ)にはなっていなかったし、オリジナルを良く理解している人には、特典映像をはさんで見る楽しさがあるだろう。
とにかく、全編を流れるモーツァルトの音楽に非の打ち所なし、何がどうあろうとも、この素晴らしさに勝てるものはない。エンドロールも結局最後まで見てしまう。なぜなら、そこに「ピアノ協奏曲20番2楽章」が流れるからだ。物語を堪能した後の、このあまりにも美しい音楽にただただ感服するのみだ。
2008年 01月 06日
プロジェクト・ランウェイ3
内容は、有名デザイナーを目指す一般公募の人達が、毎週出されるいろいろな課題に挑戦し、その作品の評価による勝ち抜きで優勝者を決める、いわゆる「リアリティ・ショウ」と呼ばれるドキュメンタリー・タッチの番組。
これが、見始めるとハマる。同じような内容でボーカリストの勝ち抜きもの「アメリカン・アイドル」があるけど、正直「プロジェクト・ランウェイ」の方が数段面白い。うー、ここでも音楽業界の魅力が薄いことがバレてしまう。
まぁ、この手の番組は斉藤和義さんの曲"ウナナナ"の歌詞じゃないが「ドキュメンタリーなんて信じない!」って感じで、どこか「やらせ」部分もあるのでは、と疑りたくなるが、それでも見たいと思うのは、最終的に勝ち負けの判断となる「作品」が提示されるからで、これが「歌」よりも評価しやすく、見ていてわかりやすいのだった。
それと、出てくるデザイナー達の人間性がどんどんカメラによってえぐり出されていくのが、彼等には申し訳ないが、たまらなく面白い。「アメリカン・アイドル」よりも「プロジェクト・ランウェイ」の方が出場者への要求が高いので、その分プレッシャーも強く、追い込まれた人達が思わず見せてしまう「本音」がテレビに映し出されてしまうのだった。
実はこれは2006年の夏にアメリカで放送されたもので、たまたま私は去年飛行機の中でこのシリーズのクライマックスを見てしまい、誰々が最後に生き残るのかを知っているのだけど、言えるのは前回前々回よりもレベルが高い、ということ。でも、優勝者は知らない。
さて、そんな感じで毎週欠かさず録画してチェックになりますな、これは。
2008年 01月 04日
マーク・ジェイコブス&ルイ・ヴィトン
とにかく、ジェイコブスの制作過程からショウ本番に至るまでの流れが、細やかに映し出されていて、その作業場でのこだわり、舞台裏での緊迫感がすごくよく伝わってきたのだった。
いやぁ、それにしてもトップ・デザイナー率いるファッション・ブランド全体が持っているエネルギーは凄いものだ。音楽業界なんか完全に負けてるね。もちろん、ルイ・ヴィトンという巨大ブランドだからこそだけど、とは言え、「美しいもの、面白いものを作る」っていう事に対する情熱とこだわりの深さには、見ていて圧倒されるものがあった。
もちろん、出来上がったドレス、バック、シューズ、アクセサリー、それぞれを見ているだけでも、ものすごく楽しかったのでした。
アルマーニ73歳、円熟した姿から溢れ出る、信じられないほどのバイタリティとかっこ良さ、そこから生まれるものは「時代を選ばないエレガンス」なのだろう。
方やジェイコブスは40代で、今や絶頂期ともいえる精力的な仕事ぶりで、独創的で奇抜なアイデアを駆使して、次々と旋風を巻き起こしながらも、自身のコンプレックスや不安感も隠す事なくさらけ出す。
全くビクともしないアルマーニの姿に敬意を表しながらも、今まさに世の中の寵児として、嵐の真っただ中で大暴れするジェイコブスの姿には、ものすごくワクワクさせられたのでした。