Seemaのアルバム(2)「流れるままに」
2005年 12月 18日
今聴くと、その後の「癒し系」歌手の皆さんとはずいぶん違うと思うが、アコースティックをベースに民族楽器を多様してワールドミュージック的なアプローチを展開していたことは確かだし、その辺がミュージック・マガジン誌で高評価を受けた所以かもしれない。
ちょうど、元ちとせさんが話題になっている頃、ライブを初めて観た何人かのお客さんからのコメントに「元ちとせのようで、良かった。」と書かれていたのを思いだす。私としてはこちらの方が先にやっていたとの思いがあって、少し苦々しくも思ったものだ。
このアルバムにかけるナリさんの熱意は今考えても本当に凄かった。ちょっと暴走気味とも言えたが、最終的には彼の情熱に全員が巻き込まれていった。このアルバム中、かつシーマのレパートリー全ての中でも代表曲と言えるM3"朽ちた果実"は、2回ぐらいすべてを録り直したのではなかったか? OKテイクはレコーディング最終日頃に「もう一度!」という彼の思いの結晶なのだった。
全体には、前述のようにワールドミュージック的ではあるのだが、完全にそういうアレンジになっているのはM5とM9ぐらいで、実はもっと多彩な音楽性を持っている曲ばかりで、簡単に一括りにしたくない。逆にそういう民族音楽的色彩は全体の統一性を出すために使われただけで、それぞれの曲のベースにあるものはもっと骨太なものだった。
"朽ちた果実"は大変いい出来だと思うが、それに負けずにM4のタイトル曲"流れるままに"も相当おもしろい。今聴くと両方とも70年代のニューソウル的なムードもあってかなりイケている。
シーマのメロディ・メイクの能力はかなりの充実ぶりで、よくもこんな曲を立て続けに書いたものだと思う。相変わらず詞は意味不明だらけだが、それがかえってイメージを広げている。だから、そういう点から言うと、聴き手にはかなり緊張を強いるかもしれない。リラックスした暇(いとま)を与えずに、濃厚な音世界がどんどん繰り出されているからだ。
特に私はM7"ピアス"にその後のライブでも、すっかりハマり込んだ。こんな曲を演奏している自分がすごく誇らしかったし、ライブハウスで対バンする他の連中を常に叩きのめすことが出来ると思っていた。
そんな私が完全にすべてをまかされたのがM10の"堕ちた天使"だが、今ならもっとウマイ演奏が出来たろうとも思いつつ、アレンジャーとして、ここでの仕上がりには満足だ。
やはり今のところ、シーマの代表作はこのアルバムだろう。参加したミュージシャン全員がナリさんの「ロマン的」な大きなオーラに導かれながら、みんな一つの目標に向かっていた。また、ほとんどの曲をレコーディングとミックスした当時伊豆スタジオの立川、濱野(彼はバンドのベーシストでもある)両エンジニアは強力に良い仕事をしていると思う。