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2004.5.22

 小泉訪朝、5人の拉致家族帰国。

 国家って何? 政治ってこんなもの? これが外交?

 政治は確かに現実的に対処しなくちゃいけないもの、理想や夢だけではできないものなのはよく理解してるけど、それでも今日の結果で我々が味わう「虚しさ」って、何なの? 

 だいたいもう一度よく考えてみよう。「拉致」って犯罪じゃないの? それもわざわざイラクに出かけていったのではなく、この日本国内から連れ去られた人々。その人達に不条理な人生を強いたのは北朝鮮じゃないか。何でその犯罪者に対して、我が国の首相は、こんな中途半端は態度でノコノコと会いに行ったのか。

 いや、結果として「ノコノコ」会いにいったと見えるが、実は首相としては大きな政治決断だったのだろう。しかし、それならそうで、もっとしたたかに、慎重に、そして誇り高く外交交渉できないのか。彼らはプロじゃないのか?

 完全に北朝鮮になめられてないか?

 北が切ったカードは5人の帰国のみ。かたや日本側は、米25万トン、医療支援に1000万ドル、おまけに経済制裁はしないという宣言までしてしまった。全く持って軽くあしらわれてしまったではないか。

 ジェンキンス氏の説得は日本側でやれなんて相手に言われて、「ハイそうですね。」ってそのまま受けてしまうなんて、まんまと相手は責任のがれしてしまったではないか。

 日本から金やら米やらを奪い取るのは、こんなにも簡単なんだと、北は思っているにちがいない。

 確かに、蓮池さん地村さん家族の再会は感動的だった。子供達の笑顔を見られたのは、少し救いではあった。でも、大きな虚しさ、そしてじょじょにわき上がってくる怒りを抑えることができない。

 ああ、何で日本はかくもぶざまになったのか?

 それは、我々一人一人も自問しなきゃならないんじゃないか?

 ああ、何で日本人はかくもぶざまになったのか?

 はっきり言って、今や全世界を混乱に巻き込んでいるブッシュ率いるアメリカという国でさえ、過去にその国民は政治を変え、政権交代をおこす力と良識をちゃんと持っていたではないか。じゃ、我々日本に何故できないのか?

 日本ってこんなにも軽い国なのか?

 とにかく納得いかないし、怒りをおぼえるし、そしてとてつもなく虚しい。
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by harukko45 | 2004-05-22 00:00 | 日々のあれこれ

2002.9.17

 昨年2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、我々人類が、なんと困難でおぞましい問題を未だに抱えながら、21世紀という新しい時代を生きて行かねばならないかを、世界中に知らしめたわけで、我々はその現実にショックを受け、悲しみ、怒り、そして困惑したまま言葉を失った。その後、アメリカから導き出された結論は、「報復」であり、結局は前の時代と変わらぬ、人類お得意の「殺し合い」であった。ニューヨーク、ワシントンで起こったことの結果が、アフガニスタンでの戦争であり、それに連鎖して、パレスチナ、イスラエルでの終わりない戦闘、そして今、噂されるイラク攻撃へと結びついていく。

 この状況において、我が日本も、アフガンに自衛隊を派遣して、アメリカ軍の後方支援をし、もうすでにこの一連の事態に否応なく巻き込まれていたにもかかわらず、はてさて、私を含め、我々日本人はこの「新しい戦時、新しい危機」を、まるで対岸の出来事のようにしか感じていなかったのだ。確かに、テレビに映るニューヨークのグランド・ゼロやアフガニスタンの惨状は、ショッキングではあったが、極めて切迫した事態とは認識できていなかった。いや、頭や言葉ではその場を取り繕って、「新しい戦争」や「平和」を語っても、実際はただただ漫然と日々過ごしてきたのだ。そして、評論家然としていた私は、アメリカ特有のステレオ・タイプで単純化された「正義vs悪」という考え方やスーパー・パワー(軍備、経済力)によって圧倒する解決法を不快に思っていたし、それどころか、アメリカこそが、世界混乱の大きな要因をつくりだしているではないか、とさえ思っていた。

 現在もその考えの一部は正しいと考えるが、現実には「結局、ブッシュの言うとおり。」だったことを、まざまざと思い知らされたのだ、今日9月17日。

 2002.9.17。日本人として、私は大変なショックを受けた。正直、昨年の9.11以上にである。我々のそばには「テロ国家」が実在していたのだ。北朝鮮による日本人拉致を我々は甘くみすぎていたのだ。5人生存8人死亡。こんな結末を誰が予想しただろうか。「拉致問題」は北朝鮮による日本へのれっきとした「テロ」に他ならない。ブッシュの言うとおり、北朝鮮は「悪の枢軸」と呼ばれて当然の蛮行をおこなってきたことを、今日認めたのだ。この真実を前に私の心は凍り付き、悲しみがおそい、テレビを前に涙を止められなかった。そして、同胞が受けた屈辱に対して、強い憤りを感じずにいられない。何が国交正常化か、何が経済援助か。今回、北朝鮮が恥も外聞もかなぐり捨てて、日本に外交的に全面降伏したのは、 金正日体制の維持のためだけであり、また日本の背後にいるアメリカが怖いからだ。そんな見え見えの態度に日本は引き下がっていてもいいのだろうか。強い怒りの感情でいっぱいになった。

 がしかし、ここにきて私は自己矛盾を抱えている。「報復」の感情を表す私にアメリカを非難することなど出来ないではないか。まして、「平和」を望むことも。結局、永遠に巡る「殺し合いのスパイラル」にまた荷担するだけではないか。そして、なんとも、やりきれない思いを持ちながらも、私は今回の小泉首相を評価したいと考えるようになった。

 何故か。それは、歴代首相のなかで、「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」と発言したのは小泉だけであり、彼の主張がこのトップ会談を実現させる要因の一つであり、彼の登場が10年、いや5年でも早かったなら、いかなる結果が出ていたのかを思うと、政治家だけでなく、政治をダイナミックにコントロールしていく意志に欠ける、我々国民の姿勢にも何らかの責任があるのだということに気づかされるのだった。

 大局的にみて、北朝鮮との間に国交のない、いわゆる「戦争状態」を放置しつづけたことこそ、この悲劇の原因であり、憎しみをあえて抑えて、国益を優先させた小泉の決断は、やはり正しかったと思う。がもちろん、これからほんとうに北朝鮮が変わっていくのかどうか、日本政府が安易な妥協をしないかどうか、みんなでしっかり注視していかなければならないのである。
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by harukko45 | 2002-09-17 00:00 | 日々のあれこれ

 そもそも、「国民栄誉賞」とはなんぞや?

 『国民栄誉賞は、栄典とは異なるが、内閣総理大臣表彰(総理府内閣総理大臣官房人事課で所掌)の一つ(その中でも最もポピュラーなもの)であり、同賞は、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的」として1977(昭和52)年8月(福田内閣時代)に創設された。』

 私の記憶では、読売ジャイアンツの王貞治選手のホームラン世界記録の達成を讃えるため、政府も何かできないか?といったことがきっかけであったと思うのだが。であるから、第一回の受賞者は王選手で、その後、現在までに15人の受賞者がいるので、表にしてみることにした次第。

1王 貞治   1977年9月5日
     ホームラン新記録達成の功
     1977年9月3日に記録達成
2古賀 政男   1978年8月4日
     「古賀メロディー」作曲による業績
     1978年7月25日に死去
3長谷川 一夫   1984年4月19日
     真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献の功
     1984年4月6日に死去
4植村 直己   1984年4月19日
     世界五大陸最高峰登頂などの功
     アラスカで行方不明
5山下 泰裕   1984年10月9日
     柔道における真摯な精進 前人未踏の記録達成などの功
6衣笠 祥雄   1987年6月22日
     野球における真摯な精進 前人未到の記録達成の功
7加藤 和枝(美空ひばり)   1989年7月6日
     真摯な精進 歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功
     1989年6月24日に死去
8秋本 貢(千代の富士)   1989年9月29日
     真摯な精進 相撲界への著しい貢献の功
9増永 丈夫(藤山一郎)   1992年5月28日
 歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功 美しい日本語の普及に貢献
     1993年8月21日に死去
10長谷川 町子   1992年7月28日
  家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功
     1992年5月27日に死去
11服部 良一   1993年2月26日
     数多くの歌謡曲を作り国民に希望と潤いを与えた功
     1993年1月30日に死去
12田所 康雄(渥美 清)   1996年9月3日
 映画「男はつらいよ」シリーズを通じ人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた功  
     1996年8月4日に死去
13吉田 正   1998年7月7日
     「吉田メロディー」の作曲により国民に夢と希望と潤いを与えた功
     1998年6月10日に死去
14黒澤 明   1998年10月1日
 数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに世界の映画史に輝かしい足跡を残された功
     1998年月9月6日に死去
15高橋 尚子   2000年10月27日
     女子陸上史上初の金メダル獲得で国民に感動を与えた功


 これを見て気づくのは、スポーツ選手は現役・あるいは引退時に受賞しているが、芸能・芸術関係の受賞者は死去のさいに送られたケースがほとんど(藤山一郎さんを除く)であるということだ。個人的には、美空ひばりさん、服部良一先生、黒沢明監督には生前から、こういった栄誉がおくられるべきだったと思うし、その功績がタイムリーでインパクトの強いスポーツに比べて、芸能関係が多少軽んじられてはいないかとも思えてくるのだ。

 だからというわけじゃないけど、やっぱ、この賞はなんか胡散臭く感じちゃうんだな〜。ここに並ぶ人達の素晴らしい功績に対して、それを簡単なものに表しちゃって、本当の敬意にやや欠ける気がするのだ。他にもっとスマートな表現の仕方ってないものなのかな?そもそも、わたす方の政治家や官僚が国民から尊敬されてないんだから、いかにも宣伝に利用しているなんて勘ぐられてもしょうがないんじゃない?

 要は、後付の賞なんかでお茶を濁すより、文化・スポーツへの常日頃の取り組みのお粗末さを、もうちょっと政府・お役人は考えてみたほうがいいんじゃないかということだ。ジャンジャン!

 ところで、編集長からのもうひとつのお題、「バンマスの栄誉について」。結局のところ、他のバンマスがいかなる仕事ぶりで、いかなる栄誉を受けている存在なのかどうかは知り得ず、自分のことしかわからないわけで、そこから判断するに、バンマスとは、ちっとも栄誉に浴するような職ではないのでありまして、今までも、そのような扱いを受けた例しがありません。

 バンマスはバンドをまとめる役目ということになりますが、実は他の人がやらない雑用が主な仕事にふくまれますし、また、一般にバンド内部というのは、上下関係もなく、いたって自由奔放なムードなのです。とかく、個を捨てること(犠牲にすること)が、全体(チーム)に貢献することであると語られがちな日本ですが、それはチーム・プレイというものへの誤解であって、実は卓越した個人プレイ・個性が、生かされていなければ、本当のチームプレイ・全体への貢献は成り立たないはずなのです。極端な話、メンバー全員が自分の得意なことをやり尽くすことがチーム(バンド)への最大の貢献になり、そのチームは真に強いチームとなりうるのです。

 そういう環境をつくり、気を配るのがバンマスの本当の役目と考えておりますので、実際のオイシイ部分は他のメンバー、もちろんジュンコさんをはじめとするフロントの皆さんが持っていくわけで、私など、とかく栄誉とは全く無縁なのであります。でも、たまにはみんなに誉めてもらいたいわ〜、なんちゃって。

 それでは、お後がよろしいようで。
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by harukko45 | 2001-11-02 00:00 | 日々のあれこれ

 なかなかこのコーナーの更新が進まないのに業を煮やした、植村編集長から、「僕がお題を出すから、それについて書いてください。」とのこと。

 いやぁ、別にさぼってたわけじゃないんだけど、他の仕事に時間を割いているうちに、いまひとつ霊感が降りてこず、日々過ぎ去ってしまったのよ。ごめんちゃい。でも、たまにはこうやって、お題を頂戴してあ〜だ、こ〜だ書くのもいいかもね。けっこう勝手気ままにできるかも?

 というわけで、今回のお題は、「イチローと国民栄誉賞とバンマスの栄誉について」。ふ〜ん、まずはオイラの好みのネタをだしてくるあたり、なかなかやりますな、編集長殿。

 それでは、いってみますか。まずは、10月26日新聞紙上に、こんな記事がのりました。

 『政府は26日、米大リーグ・アメリカンリーグで首位打者に輝いたイチロー(本名・鈴木一朗)選手(28)に国民栄誉賞を贈る方向で検討に入った。小泉首相は同日午前、記者団に「国民栄誉賞ものの活躍であることは間違いない」と語った。安倍晋三官房副長官も記者会見で「日米にまたがり8年連続で首位打者になるという前人未到の偉業を達成した。国民の中から(栄誉賞をという)声があるのも確かだ。本人の意向を踏まえて考えていきたい」と述べた。』(朝日)

 そして翌27日には、次のような記事が。

 『米大リーグ「シアトル・マリナーズ」のイチロー(本名・鈴木一朗)選手(28)は26日、政府の国民栄誉賞授賞の打診に対し、「まだ若い」などと辞退の意向を伝えた。政府は本人の意向を確認したうえで最終判断するとしてきたことから、イチロー選手への国民栄誉賞は見送られることが確実になった。』

 イチローが今年国内外を問わず、最も活躍したスポーツ選手であることに異議をはさむ人はまずいないでしょう。大のスポーツ鑑賞好きを自他ともに認める 私自身も、今年イチローが大活躍するシアトル・マリナーズをとおして、アメリカ・メジャー・リーグを見る喜びをおおいに味わったわけで、彼をいくら賞賛してもしきれないと感じている一人でもあります。が、だからといって、すぐに政府が「国民栄誉賞」を送るという発想はどうも気に入りません。だいたい、「国民の中から声がある」なんて、ほんとうですか?こういう言い回しじたいが、いかにも政治家的・官僚的ではありませんか。この手のものは前々から、政府の宣伝や受けねらいに使われるようなきらいがあり、どうにも胡散臭く思えてくるのです。

 それを、イチローが自ら、「まだ若い」と辞退することは、風貌も精神もサムライを感じさせる彼らしく、全くもって納得してしまいます。よく考えれば、当たり前なのです。イチローにしてみれば挑戦が今始まったばかりなのです。彼の歩む野球道・サムライ道は、まだまだ極められてはいない、まだまだ可能性が秘められているのです。その一年目の活躍を取り上げて大騒ぎしたがるのは、いかにも日本人的な「熱しやすく、冷めやすい」心根を表しているようにも思えてきます。真に彼を愛し、応援するならば、「栄誉賞」などというような博物館的趣味の発想はやめて欲しいのです。

 まあ、首相がイチローに栄誉賞を贈りたいと賞賛するのは良しとして、それより変に感じるのは、それを彼が辞退したなどという記事がスポーツ誌を中心に大々的に一面をかざるのは何故なのか?だいたい、こういう情報が内閣官房からマスコミにリークされて、まるでスキャンダルのような報道として扱われることが、イチローにたいして失礼ではないのか?偉大な功績を残した人への敬意にかけるのではないでしょうか。この国に何人かいるアホーが、イチローが国家からの賞を辞退するのは不遜な態度だ、などと言いかねないからです。そういう、配慮にかけるのです、この国の政府、メディアは。

 そもそも、普段の政治・外交などのニュースに、政府・官僚サイドからのリークものが、なんと多いことでしょうか。我が国のマスコミ関係者はそういったものを、よくチェックせず垂れ流していることが多くありませんか。その方が無責任で問題です。

 なんでもかんでも、お上からのお達しをありがたく承るのでは、封建制度の時代や先の戦時中とかわらないのです。ですから、垂れ流される情報について、受け取る我々もある種の批判的精神をもって臨まなければ、真実を見誤ることにもなりかねないのです。(To be continued)
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by harukko45 | 2001-11-01 23:00 | 日々のあれこれ

That's A Entertainment

 前回のぼやきから一ヶ月経ってしまいましたが、みなさんお元気でしたか?いや〜、大きなお世話ですか、失礼しました。しかしまあ、この間に小泉氏が日本国の首相になりましたねえ。確かに彼は魅力のある人物であることは確かですが、支持率80%は高すぎませんか?とかく日本人は熱しやすく冷めやすい国民性なのです。出る釘は打たれるという風土でもあります。最初のうちはチヤホヤしておいて、そうしながら、あら探しして一気に引きずりおろすなんてことはよくあるじゃないですか。数ヶ月後には手のひらを返すように不支持にまわっている人が多いかもしれません。

 とはいうものの、このあいだの国会中継は私が生まれてから初めて面白いと思いました。野党の代表質問に対しての首相の受け答えには思わず引き込まれたというか、正直バカウケしてしまいました。実際テレビなどで、それなりの人物たちが意見を戦わせるのをみるのは、なかなか楽しいものです。田原総一朗氏がやっている「朝まで生テレビ」や「サンデープロジェクト」などが良い例でしょう。ああいうところでの白熱する論戦をなぜ国会ではやらないのか、いつも歯がゆい思いを感じていましたが、小泉氏の登場でその可能性が少しは出てきたということでしょうか。

 そういった期待も持ちながらも、私は小泉首相に対しては少し冷静に見ていきたいと考えます。とにかく、彼のいう改革とは具体的に何を、どのくらいのスピードで行うのか、そして何より自民党でできるのかどうかなど、まだまだわからないからです。ということで、これからしばらく政治から目が離せないということでしょうか。ただ、久しぶりに政治で楽しませてもらったのでした。

 話かわって先日、King of FUNK/James BrownとEarth,Wind&FireのライブがNHK-BSで放送されました。両者ともまさに、「これぞショウだ!」という一言でありました。あーだ、こーだ言うてる場合じゃありません。楽しいのです。おもろいのです。

 James Brownはピッツバーグ(だと思ったけど)でのコンサートでしたが、とにかく舞台になにもひかないで、じかに楽器やアンプをセットしただけのシンプルさに、まずはヤラレました。二組のリズムセクションを曲ごとに使い分け、おなじみの司会者やマネージャー登場しての「マント・ショウ」、何故か現れる昔のゴーゴーガール風の白人ダンサー、そして、なんてったってすごいのが、曲つなぎとテンポチェンジの素晴らしさ!これについては、見たことある人ならすぐわかるでしょうけど、親分の指示にピタっとバンドがついていくスリリングさがたまりません。同業者として、いつも感心するし敬服します。ボスの動き、気配をすべて見逃すまいとしているようなドラマーの真剣な眼差しが実に印象的でありました。もちろん、御大ジェ〜イムス・ブラウンのボーカルはまるで衰えを知らないすさまじさでありました。

 一方、Earthは東京国際フォーラムでの模様でした。全盛期のメンバーは三人だけでしたけど、後から後からヒット曲の連発には否応なく盛り上がってしまいます。サウンド面では、テープ(ハードディスク?ADAT?あるいはProTools?)との同期を多用したり(特にコーラスの補強)して、全くの生ものだったJ.Bとは対照的でしたが、 こちらはある意味、良く作りこんだステージングと言えるでしょう。やっぱり曲がエエな〜。思わず口ずさんじまうのだ、サビのメロディーを!アレンジも良くできてるな〜とあらためて感心し、Phillip Baileyも相変わらず素晴らしいボーカルでほんとに嬉しかったのでした。

 同じブラック・ミュージックであっても音楽的に「タカ派」と「ハト派」ぐらい違うイメージを持つ両者ですが、二日間見て感じる素晴らしい共通点は、とにかく「お客を掛け値なしで喜ばせる、楽しませる」精神でした。あ〜やっぱ理屈じゃないなって再確認する次第であります。あっしなんかまだまだアオイってことよ!ね、大将。

 さて、政治に音楽ときましたので、ついでにサッカーについて語らせていただきます。やはりヨーロッパでしょう。特にチャンピオンズ・リーグは準決勝がおこなわれ、ついにユーロクラブ・チャンプを争う2チームが決まりましたね。

 アウェイ・ゲームにおいて、手堅いディフェンスでリーズ(イングランド)のイケイケ・サッカーを引き分けで乗り切った我らがバレンシア(スペイン)は、ホームにおいて、一転して超攻撃的に攻めまくり3-0で相手をねじ伏せました。サンチェス2点、メンディエタのだめ押しと、文句のつけようがありません。これぞ、オーレ!でありました。30歳以上ばかりのベテランが並ぶディフェンス陣や、「第二のマラドーナ」との評判高い若きファンタジスタ、アルゼンチンのアイマール坊やの活躍も絶賛に値するものでした。

 かたやもう一試合、実にしたたかな試合運びでレアル・マドリッド(スペイン)の攻撃をかわし、エウベルのひと振りでアウェイを勝ったバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)も、ホームにおいては、試合開始のホイッスルが吹かれるや否や、猛烈なアタックを見せました。これには、背筋がゾクっときましたね。スゲェー!バイエルンのすさまじい気合いに感動してしまったのです。そして、またしてもエウベルが決め、フィーゴに1点返されるも、見事なトリック・プレイでイエルミンスが決勝点をゴールに突き刺したとき、レアルの2連覇は夢と消えたのでありました。

 あ〜、華麗なる絵巻物のようなレアル、特に愛するフィーゴ様が敗れ去ったのはひどく残念ではありますが、バイエルンにあの「カンプノウの悲劇」のリベンジを果たさせてあげたいという気持ちもあったので、こちらは複雑でした。

 残った2チームは共に、ディフェンスが強く、実に機能的な組織力を持っています。本来、芸術的ともいえるレアルやバルセロナのようなサッカーが好きな私ですが、この両チームはある意味完璧で、割と好きなのです。中盤のつぶしあいばかりに終始するイタリアのチームなどよりもよっぽど素晴らしいのです。現にくそおもしろくないイタリア勢は一つも決勝トーナメントに残らなかったじゃないですか!いい気味なのです。ま、とにかく5月23日、そのイタリア、ミラノにおいて一発勝負の決勝戦が楽しみでしょうがありません!ただ、どちらを応援するか困っている次第です。ん〜、今回はバイエルンに勝たせたい方にやや傾いてるかな?

 何はともあれ、素晴らしきアーティスト達に栄光あれ!そして大感謝!
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by harukko45 | 2001-05-12 00:00 | 日々のあれこれ

It's got to be REAL

 最近は、子供が親を殺したり、親が子供を殺したりと、ニュースを見ていて、いたたまれない気持ちになってしまうことが多いのです。そういう事件のあと、学校の朝礼では校長が「命の大切さ」をお決まりのように、子供達に説いています。はて、それが真実でしょうか?なにか、違和感を感じてしまうのです。殺人や凶悪な行動に至る彼らの意識に渦巻くものや、少なからずそういう行動に共感したり、自分もキレてしまいそうだという思いに応えることが、まるで判で押したように語られる「命の大切さ」なのでしょうか。何かリアリティに欠けている気がしてしまうのです。

 ましてや、その当事者の一人である親は、私とほぼ同年代が多く、一緒に机をならべていたような連中があそこまで追いつめられてしまうのです。果たして、私達が受けてきた教育とは何だったのか、自分達の成長はどこかでゆがんでしまったのか、大きなむなしさが募ります。私達は「子供を叱れない大人」との烙印を押されているのです。

 自民党の総裁選が連日騒がれています。確かに4人の中で総裁に選ばれた人物が、次期首相になる公算が大きいのですから、大変重要なのはわかりますが、実際、国民の多くが考えているのは「自民党はNO!」なのではないですか?自民党にはもうウンザリなのです。なのに何故マスコミはあんな連中を大々的に報じてチヤホヤするのでしょう。

 なぜ小泉なのですか?彼はついこないだまで、「身を挺してでも森政権を守る」といってきたのです。それが、森政権の総括もせず、反自民ぶってるのは何なのでしょう?だいたい彼の唱える「郵政三事業の民営化」をはじめとする構造改革は今の自民党では実現する可能性がないと考えるのが普通でしょう。おまけに最近では野党にラブコールを送っていますが、そんなら、さっさと離党するほうがいいのではないですか。

 じゃ、なぜ橋本なのですか?彼は景気後退の原因をつくった人物ではないですか。今更、過去の政策についてあやまられても困ります。彼は首相当時、不良債権の本当の数字を知らなかった、まさかここまで大きいとは思わなかったし、大蔵省も銀行の幹部でさえ正確に把握してはいなかった、と語っています。じょうだんじゃない、この国の真実を知らない連中が国を動かしていたなんて!

 現在の不況の要因としてあげられる不良債権問題ですが、それが語られ始めた宮澤政権時代、財政を6兆円銀行に注入すれば解決していたと言われています。なのに、その政府の申し出に対して、銀行側が断ったのです。何故、断ったのか?大蔵省が銀行側に断るように指導したからです。大蔵省はバブルがはじけても、すぐに持ち直すと甘くみていたのでしょう。また自分達のミスも隠さねばならなかったのでしょう。おかげで、6兆で済んだものがこの10年たって、10倍の60兆償却してもまだ、80兆(150兆とも言われる)あるのです。いや、このまま不況が続けば、もっと増えてしまうのです。

 この当時の首相の宮澤が強い政治力は発揮していれば、大蔵省をおさえることが出来たのです。それに失敗した彼が「平成の高橋是清」とか言われて、大蔵大臣に復帰してもう何年たつのでしょう。この国には過去の失敗をきちっと検証・総括し、それを生かすという文化がないのでしょうか。

 しかしながら、このような愚かな政治を生んでいるのは、我々国民であり、愚かな国民が選ぶ、愚かな政治家が、愚かな政治を行い、国民をますます愚かにし、次の選挙でも愚かな政治家を選ぶのです。この国は経済だけでなく、精神においてもデフレスパイラルに陥っているのです。

 何処に真実があるのでしょうか。何が本物なのでしょうか。いや、どれも真実であり、どれも本物なのでしょう。臭いものにフタをする時代はとっくに過ぎたのです。本物の再発見は愚かな自分に気づくことからはじまるのでしょう。

 ただ、今は浜崎あゆみの言葉が一番ピンときます。「夢も希望も持てない時なのに、『明日に向かってがんばろう』なんて歌えない。」

 本物じゃなきゃだめなんです。
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by harukko45 | 2001-04-18 00:00 | 日々のあれこれ

徒然にぼやきしこと

 2001年を迎えたと思ったら、もう4月ですか。2月に仮オープンしたこのホームページも二ヶ月が経ったわけですね。私もこのコーナーを受け持って、最初はドタバタしながらアップデートしておりましたが、我が編集長の植村氏のご指導を仰ぎながら、自らもHTML辞典を引きつつ(最近やっと購入)、だいぶ効率良くテキストがかけるようになってきました。こうなってくると、テキストそのものに美しさと愛らしさを感じるようになってきている今日この頃の私なのであります。

 愛らしい物というと、みなさんそれぞれ色々あるでしょう。私にとっては、現在こうして向き合っているコンピューターがまずあがってきます。私はマッキントッシュG4・400を一年半程前から使っていますが、やはり音楽制作での使用がメインとなります。最近では、デスクトップそのものをスタジオに持ち込んで、シンセとして使うこともよくあります。私のシステムは「Cubase」ですが、ドラムのウエちゃんとプロデューサーのケンさんは「Performer」を使ってますね。会うとお互い、あ〜だこ〜だ情報交換するのが常となっているわけです。

 さて、こういうコンピューターによって創られる音楽は、ポップ・ミュージックにおいても60年代からあるわけで別にめずらしいわけじゃないですが、ここ最近、パソコンの浸透とその機能の飛躍的な進歩によって、よりパーソナルな世界に入っていく傾向にあります。つまり、【創った私と聴き手のあなた】だけの世界とでもいいますか。別に作り手がそれを意識しようがしまいが、ひとりで作業することが多いから、ある意味しかたがないのですが、時に「聴き手のあなた」もいない「身勝手な私」を押しつけられる不愉快さも多々感じてしまうことも事実です。

 しかし、このことは何もコンピューターのせいだとはいえません。当然、それを創るアーティストの才能のあるなしであることは間違いありません。例えば、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンや80年代のプリンスなどは、コンピューターを使おうが使うまいが、「only me and you」を表現し、聴き手はその閉ざされた世界に魅了されてきたわけで、まさに天才のみができるものだったのです。私はその何に感動するのかと言えば、閉ざされた世界に分け入って、彼らの深いダークサイドに触れ、そこにある豊かな情緒を感じられることなのです。

 最近は情緒面より、「こうしたいからこうする。そして、こうなった。」というようなアーティスト、プロデューサー側の「意志」の方が強く、それがどうにも、うざったく思えて、音楽を素直に楽しめなくなってしまうのです。コンピューターの発展は「こうしたいからこうする。」をより簡単に実現させ、ならば、「もっとこうしたいからこうする。」を強く我々に思わせることになり、その結果、人工的・頭脳的表現が幅を利かせていて、「こう感じたから、こうなってしまった。」というような自然発生的・偶然の産物・あ〜音楽の神様が微笑んだ的表現が失われつつあると思うのです。それに、「こうしたい」ことが聴き手にとっては、「ふ〜ん、あ〜したかったのね。」程度のバレバレ状態がほとんどですから、益々むなしさも募るということです。

 もちろん、この意見は作り手でもある私にとっては、両刃の剣であって「じゃあ、お前はどうなんだ?」と問われても、その回答に窮するのも事実です。ただ、アップルのCEOであり、コンピューター業界の予言者と名高い、スティーブ・ジョブズ氏が今回来日したおりに、TV番組でキャスターの「これからのパソコンの方向性」についての質問への答えがヒントになるかもしれません。

 ジョブズ氏によると、パソコンは現在、第三の革命期に入りつつあるとのことです。第一期はパソコンの誕生でその革命はおもにオフィスを中心に起き、第二期はインターネットによって各家庭に入り、そして第三期、これからのコンピューターは人々の「感情」を表現することに使われる、と言っておられました。グラフィックと音楽分野が強いアップルの経営戦略としては至極当然にも思える反面、その発言には共感できます。

 ハードウェア側から「感情」というキーワードが出された以上、こちら側も「感情・情緒の復活」が大きな命題となるのではないでしょうか。いや、ちとおおげさな。でも、その命題に取り組むことで音楽における肉体性を取り戻し、「身勝手な私の意志」を聴くことから、「豊かな情緒の泉」に浸る音楽への脱却へと繋がっていくのではと思うのです。
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by harukko45 | 2001-04-05 16:00 | 日々のあれこれ

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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