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魔笛

e0093608_3202353.jpg 昨日、久々にモーツァルト晩年のオペラ「魔笛」を見た。それも、2つ。1つは2006年のザルツブルグ音楽祭のライブ映像で、リッカルド・ムーティ指揮のもの。もう1つは、何と今どき珍しいオペラ映画として昨年公開されたケネス・ブラナー監督による英語版「魔笛/The Magic Flute」である。

 実を言うと、私が初めて買ったオペラのCDが「魔笛」であり、ライブ映像として見たのも「魔笛」が最初だったので、何かと思い入れがある。CDはいろいろ買って聴き比べたが、相変わらずの骨董好きとでも言うか、結局ワルターの56年のメトでのライブとベームの64年盤が残った。映像では82年のザルツブルグ音楽祭のライブで、レヴァイン指揮のものが好きだ。

 だが、ここ最近のライブ映像には失望の繰り返しだったし、2005年にウィーンのシュタッツオーパーで生を観た時も全く面白くなかった。どれもこれも演出が最悪であり、過激な現代化だったり、極端なお伽話風だったり、奇抜すぎる衣装や舞台美術にもいちいち抵抗を感じてしまっていた。
 それに、歌手も指揮者も十分に共感せずに仕事しているのではないかと思えるものばかりだったし、いかにも初心者向きな扱いにも腹立たしい気持ちを持った。

 というわけで、いくらモーツァルトの傑作ではあっても、もはや今の時代の「魔笛」には期待できないと感じていたのだが、結論から言うと、このムーティの演奏もブラナーの映画も、もの凄く感動してしまった。映像を見ながら、音楽を聞きながら、何度も涙がこみ上げてきた。
 これは全くもってうれしい驚きであり、「魔笛」はまだまだ新しい、現代に十分通用する素晴らしい作品であることを再認識した。

 ムーティはオペラの指揮においてかなり信頼しているのだが、正直、序曲から1幕途中まではあまりサエない感じだった。かつて83年に、同じザルツブルグ音楽祭で伝説的名演と絶賛された「コシ・ファン・トゥッテ」でのキビキビした演奏に比べて、ずいぶん年を取ったように思えたし、ステージも極彩色豊かな舞台と衣装で、何ともどっかの絵本のようで、最初の大蛇のシーンだけでガックリだった。
 だが、1幕目のフィナーレあたりから一気に一体感が高まり、突然として私を夢中にさせてしまった。演出も最初に危惧したほど行き過ぎたものではなく、あまり抵抗感をおぼえなくなっていた。それとたぶん、ザラストロ役のルネ・パーペが登場したことも大きい。それまではまぁまぁだった他の歌手達が、まるで一本筋が通ったように良くなったのは、彼の存在感あふれる歌唱と演技が刺激になったからだと思う。

 実は、これまでザラストロという役もその曲も、あまり好きではなかったのだが、彼によって今までの観点を180度改めなくてはならなくなった。年老いた権力者然として威張っていたザラストロが、堂々としていながら権威主義的でなく、理知的で若々しいリーダーとして生まれ変わったのである。こういうイメージで来られると、彼が歌う曲も実に美しく感じてしまうのだった。

 2幕目からはストーリーの荒唐無稽さ、あいまいさも何のその、ムーティが実に美しく、そして繊細にオケを鳴らしていたのが素晴らしくて、こちらも集中して音楽を聞く感覚になり、モーツァルトの遺言であるこのオペラの美しさを十分に堪能することができたのだった。特に、タミーノとパミーノの火と水の試練の場での音楽が美しかった。

e0093608_3211832.jpg さて、ムーティのいいライブを楽しんだ後に、ケネス・ブラナーのオペラ映画は果たして如何に、と思いきや、冒頭からそんな心配をすぐに吹っ飛ばす映像の連続に、さすがシェークスピアもので実績を上げてきた名優・監督だけのことはある、と深く感心させられる素晴らしい作品だった。

 まずは、台本をうまく書き換えて、設定を変更し、台詞の辻褄を合わせ、現代人にも理解しやすい展開にしていたのが良かった。私としては、オペラ演出家達の方にこれぐらいの発想が欲しいと思うぐらいである。
 また、CG使いが巧みでセンスが良かったし、音楽を尊重した演出に何より好感を持った。ここでのモーツァルトの曲はBGMではなく、主役なのだから。ある意味、ミュージックビデオ的な要素もあって楽しいし、ケン・ラッセルの音楽映画(「悲愴」「マーラー」「トミー」「リストマニア」等々)からの影響もちらちらと見えて、ラッセル・ファンとしてもうれしい。

 とにかく、序曲につけられた、まさに映画の序章とも言える映像だけで、かなりシビレル。そして、オペラを見ている時と同じように、最後の試練の場、パパゲーノの首つりの歌、パパパの二重唱のシーンではすっかりやられっ放しであった。

 それと、この映画でもザラストロ役をルネ・パーペが好演していた。先ほど書いた役に関するイメージはオペラよりも映画の方がより印象的だったと言えるかもしれない。また、オペラでは別人が演じる弁者も彼がやっていたのだが、つまり弁者の正体はザラストロだったという台本の変更はとても理にかなっているし、いいアイデアだったと思う。それに、ここでも彼の歌が聞けるのは大変喜ぶべきことだし、その効果も絶大だったと思う。

 もし、オペラでの「魔笛」を楽しめなかった人がいたら、是非、このブラナーによる映画を見てほしい。こちらの方が現代にも通じるものを持っているし、それでいてメルヘンの世界、魔法の世界のイメージも壊していない。
 そして、ジェームス・コンロンが指揮するオケの演奏も素晴らしく、歌手とのバランスの良さを始め、スタジオ録音による完璧さがあって、音楽的な満足度も高いと思う。

 もしももしも、それでも「魔笛」にピンと来なかったら、それはモーツァルトとは縁がなかったということかも。なぜなら、彼の終着点は「魔笛」であり、けっして「レクイエム」ではないからだ。
 というわけで、私はその後ワルターのCDを聞いている。しばらく「魔笛」が頭の中を駆け巡りそうだ。

e0093608_3223151.jpg ブルーノ・ワルター指揮メトロポリタン・オペラ(1956)、ワルター先生のエグリと作曲家への共感度は何度聞いても凄い。オケは間違えたり、ずれたり大変だが、何より指揮者が素晴らしければ、全体の音楽はこうも偉大になる。ただし、初めて聞く人には薦められない。
e0093608_323094.jpg ジェームス・レヴァイン指揮ザルツブルグ音楽祭(1982)、ジャン・ピエール・ポネルの演出に不満は全くない。ずっとこのままでもいいじゃない。レヴァインの若々しい指揮とチェレスタの演奏が素敵。ウィーン・フィルもこの頃の方がより美音!歌手陣も今よりレベルが全然上。
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by harukko45 | 2008-08-06 03:42 | 聴いて書く

 一昨日書いた「ミトリダーテ」と前後してしまったが、これもNHK-BSで放送されたものの録画を観ての感想だ。というか、「ミトリダーテ」のところでも少し触れているが、演出があまりにも酷くて、およそモーツァルト生誕250年をお祝いするどころか、彼の音楽に泥を塗るような最悪の上演であった。

e0093608_4381146.jpg 一応、出演する歌手もかなり有名人が集まっており、指揮も若手有望株のダニエル・ハーディング、オケはウィーン・フィル、場所もメイン会場といえる祝祭劇場であるにもかかわらず、これほどまでに酷い出来だと、ザルツブルグ音楽祭の権威やら信頼感など消え失せてしまうのではないだろうか。
 だいたい、クラウス・グート演出の「フィガロの結婚」も二度と観たくないが、それでも一応最後までつきあった。が、マルティン・クシェイ演出の「ドン・ジョバンニ」は、1幕目半ばでウンザリし始め、2幕目はもう途中でやめた。後は早送りして「地獄落ち」のところをちらっと見て、すぐにすっ飛ばし、ブーイングの嵐をちょっと期待して、カーテンコールの部分を見たものの、それなりの拍手喝采で、「ふん、つまらん、時間の無駄だったわい」ってところですな。
 まぁ、この演出の初演は2002年だそうで、その再演をやったわけだから、これはこれで地元では評価されたということなんだろう。だが、これが本当にいいのか?おおよそ美的センスが良いとは思えない。下着姿で何度も登場するたくさんの女性達は、ちっともセクシーでなく、それが舞台全体に妖しいムードを作り出すのでなく、ただただみっともなく、カッコ悪く、見苦しく、笑いさえ出てこない。
 
 それにしても、エクサン・プロヴァンスで同じ「ドン・ジョバンニ」の大名演をやってのけたハーディングは、序曲でその期待感をいだかせたものの、その後は全く心に響かず、これが同じハーディングなのか?と疑いたくなるような指揮、というか存在感全くなしで、大変失望した。 
 だが、これほど酷い演出を真ん前で見届けなければならない指揮者の位置にいては、音楽への情熱も意欲も薄れてしまうだろう、と同情する。ハーディングもこんな仕事を引き受けてひどく後悔したのではないだろうか。

 音楽が無惨にも破壊され、演奏家も歌手も共感も共鳴もせず、指揮者が全く求心力を持ちえない現場というのは、はなはだ不幸だ。なので、歌手それぞれの出来もひどい。だがこれも、全くキャストのことを考えていないひどい衣装を着せられて、ただただカッコ悪い姿で舞台に立たされては、かなりの部分致し方ないことだったろう。何とか我慢して歌いきるのが精一杯でしょう。
 また、ウィーン・フィルはオケピットで舞台を見ないですむので、ここは「我関せず」を決め込んだと思われる。それほどまでに覇気を感じない。とりあえず「お仕事、お仕事」で終始。逆に、この舞台に不要な美音を聞かされても、こちらとしては白々しく感じるだけであるから、それで良かったかもしれない。

 とにかく、私にとっては史上最悪の「ドン・ジョバンニ」。グートの「フィガロ」も見る価値なしだったが、これは即刻ゴミ箱行き。
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by harukko45 | 2008-05-07 04:34 | 聴いて書く

e0093608_5383215.jpg これまでにNHK-BSで放送された、2006年のザルツブルグ音楽祭のオペラの中で一番素晴らしいものだった。これは、2002年のダニエル・ハーディング指揮によるエクサン・プロヴァンスにおける「ドン・ジョバンニ」とともに、モーツァルトが生きてこれを観たら、大喜びして飛び上がったに違いない。

 そもそも、このオペラはモーツァルト14歳(!!)の時の作品で、イタリア・オペラへのデビュー曲とのこと、で、非常に形式的で題材も神話や古代の物語である「オペラ・セリア」という様式(現代人には少々退屈?)でもあるので、これまではほとんど上演されてこなかったと思われる。
 だが、2006年は彼の生誕250年の記念イベントであったために、このような作品に再び光が当てられ、なおかつ素晴らしいパフォーマンスと演出により見事に蘇り、モーツァルトを聴く喜びと、新しい感動を与えてくれたのだった。

 はっきり言って、この年のザルツブルグ音楽祭での「フィガロ」も「ドン・ジョバンニ」も最悪の演出にペースを乱されて、演奏も歌唱もパっとしない出来だった中で、飛び抜けて完成度の高い仕上がりだと感じた。

 まずは、たぶんモーツァルト自身も絶対に想像もつかなかったであろうし、期待もしてなかったであろう、斬新で過激な演出をして、観るものを全く飽きさせなかったギュンター・クレーマー氏を賞賛したい。巨大な鏡をうまく使うなど工夫を凝らしながらも、全体としては音楽をきちっと尊重していて、過多でうるさい部分が一切なかった見事な演出で、先の「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」とは雲泥の差であった。

 また、歌手が全員、「完璧」と言っていいほどの出来で、各アリアにはすっかり堪能させられた。それほど有名な人が集まったわけではなかったと思うが、全員が一致団結して素晴らしい歌唱を繰り広げていくうちに、観客もどんどん盛り上がって行くのがよく伝わってきた。

 また、ソプラノに加え、男性陣もテノールとカウンター・テナーという編成だったのが、非常に新鮮で、音楽全体が澄み切っていて、とても明るく響き渡るのが印象的だった。
 もちろん、これはモーツァルトの譜面の凄さ(14歳ですけどね!)ではあるが、この日の歌手達とともにオーケストラ、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊)の演奏が素晴らしかったからに他ならない。そして、全体を引っぱり見事にまとめあげた、指揮者のマルク・ミンコフスキ氏の力量の高さに驚かされた。
 彼が導き出した、インパクト十分で生々しいフォルテ、ビブラートの少ない純粋な響き、そして何と言ってもウキウキするようなノリの良さには何度も感動したし、いわゆる「ドラマ」としてのオペラを越えて、単純に「純音楽」として楽しめたことが、とてもうれしく、大きな満足感を得られたのだった。

 終演後の観客の熱狂ぶりもかなりのものだったが、私も大絶賛のブラボーを心から関係者全員に贈りたい。 

 1962年生まれのパリ人、ミンコフスキ氏はこの年に、同じモーツァルトの40、41番のCDも発売していた。遅ればせながら、これはチェックしなければ。今後も大いに期待したい指揮者であるのは間違いない。
 それにしても、昨年ウィーンでの「イドメネオ」の指揮で感動したベルトラン・ドゥ・ビリー氏、今年のニューイヤーコンサートが素晴らしかった83歳のプレートル氏、皆さんフランス人。
 このところポップスもクラシックもフランスに「くらっ」としている私でありました。
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by harukko45 | 2008-05-05 05:35 | 聴いて書く

e0093608_19445052.jpg ミロス・フォアマン監督による84年の「アマデウス」は、たくさんの映画ファンが今も大絶賛しつづける傑作で、かく言う私も公開時に映画館で見て以来、その後もビデオやテレビ、DVDで何度も見続けて、そのたびに感動してしまう大好きな作品だ。で、昨夜久しぶりにまた鑑賞したわけです。

 ミロス・フォアマンはこの前に「カッコーの巣の上で」で70年代にすでにオスカーを取っているし、これも公開時に見に行って強烈なインパクトを受けた傑作でありましたが、何度も見たい作品となると、これは圧倒的に「アマデウス」に軍配が上がる。
 私自身、この映画がモーツァルトの音楽にどっぷりはまり込むきっかけになったし、初めて見た時にも、大いに刺激を受けたその音楽は、その内容をよく知るようになった今、より深く心に響くようになり、それが使われている映像の美しさ(特に室内でのロウソクの光を多用した撮影、キューブリックの「バリー・リンドン」の影響だろう)と相まって、大きな感動を与えてくれるのでありました。
 もう、何度も泣くよ、音楽がかかると。

 まずは、このピーター・シェーファーの戯曲全般の象徴となる「ドン・ジョバンニ」冒頭のDmの響き、それに続くオープニング・ロールで流れるモーツァルト17歳時作曲の傑作シンフォニー「25番(通称「小ト短調」)にしびれる。ただし、この「25番」に関しては、その楽想の凄さにはノックアウトだが、サウンドトラックにおけるネヴィル・マリナーの指揮は、ブルーノ・ワルターのを耳にしてしまったので、もはや物足りない。
 なので、ここではいつも「やっぱりワルターのエグリはすげぇーなぁ」と感心してしまう。

 そして、サリエリが初めてモーツァルトの演奏を聞くシーンでの「セレナーデ10番3楽章」。ここでの、サリエリが語る曲の解説(?)が実に的確で、「神からのギフト」であることの感動をより高めている。

 「後宮からの誘拐」に始まる、「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」でのオペラ・シーンの映像、演出はどれも最高に素晴らしい。ここでの印象が強くて、実際の歌劇場でこれらを見ると、物足りなさを感じることもある。それほど、魅力的で美しい映像だ。
 また、モーツァルトの音楽の中心は「オペラ」であった、ということが、きっちりと示されていて、私にはその後のモーツァルト鑑賞において、大きな指針となったのだ。
 だから、それぞれのオペラにおけるここでの的を得た解釈、(サリエリを通しての)解説には、オペラ全体の素晴らしさを知れば知るほど、深く強く共感できる。だから、ずっと涙が流れっ放しであるし、サリエリの嫉妬と敬愛の間で苦悩する心にも納得する。

 また、モーツァルトが存命中のウィーンでは一番人気だったという、彼自身が弾きながら指揮する「ピアノ協奏曲」演奏会シーンでの「22番3楽章」は本当にたまりません!このロンドは最高に楽しく明るいのだが、明るければ明るいほど、楽しければ楽しいほど、哀しみがおそってくる。そこでの、映像がこれまた美しくしあがっているので、余計印象的なのだった。

 妻コンスタンチェがサリエリに夫のオリジナル譜面を見せ、それを見たサリエリが「書き直しが1つもない、彼の曲は書く前に頭の中で完璧に仕上がっている」と感嘆し、打ちのめされるシーン、そこで流れる「フルートとハープのための協奏曲」「交響曲第29番」などの抜粋も、一瞬流れるだけで溜息が出る。

 そしてクライマックスとも言える、死を前に「レクイエム"ラクリモサ"」をサリエリに口述筆記させるシーンでの、パートごとの演奏と、それが組み合わさった時の興奮とかっこよさをどう賞賛すれば良いのか。
 実際に、この「レクイエム」はモーツァルト自身での完成に至らず、残りを弟子のジュースマイヤーにメロディとベース音を託し、彼の補筆によって仕上がったのだった。(だが、近年このジュースマイヤーの部分に批判が多く、研究者による改訂版が登場している)
 また、この「レクイエム」にまつわるエピソード(ワルゼック伯爵の企み)とモーツァルトの早い死が、サリエリ毒殺説にまで発展し、それがこの戯曲・映画の下敷きになっているのだった。

 なので、実際のモーツァルトの人生を調べて行くと、この映画における創作、脚色された部分が極めて興味深いし、その巧みなバランス感覚(フィクション性とハリウッド色)が娯楽作品としての面白さをも十分に感じさせてくれ、ピーター・シェーファーの才能とそれを完璧に映像化したフォアマンを高く評価したいのだった。
 また私は、ヘッセの小説「荒野の狼(ステッペン・ウルフ)」からの影響もあるのではないかと考えている。主人公が自らの才能を疑い精神を病み、ドラッグにはまり、その幻惑した世界で、憧れと嫉妬の対象である天才(この本ではゲーテとモーツァルト)にこてんぱんに叩きのめされていくところなど、似ている部分があるし、天才がけたたましい高音の笑い声を上げるところや、クライマックスで「ドン・ジョバンニ」の"騎士長の場"が現れる部分にも、関連性を感じてしまう。

 さて最後、サリエリは自らを「凡人の守り神」であると語るのだが、圧倒的な天才の能力をしっかり把握した彼も大いに讃えるべきではないかな、と最近思う。真に偉大なるもの、美しいものを理解することは実はとても難しいし、特にモーツァルトのようなとんでもない存在に出くわす事は、自らの死につながる苦悩を背負い込むことでもあると思う。

e0093608_194524.jpg ところで、今回見たのは、このところ流行りとも言える「ディレクターズ・カット」で、オリジナルよりも20分長くなっていた。そのおかげでストーリーの辻褄はついたが、その分流れが止まるような印象もあり、オリジナル版の良さを少し崩す結果となった。なので、私はオリジナル版の方が好きである。

 とは言え、それでも全体をブチ壊すもの(例えば「ニューシネマ・パラダイス」のディレクターズ・カット版の酷さ)にはなっていなかったし、オリジナルを良く理解している人には、特典映像をはさんで見る楽しさがあるだろう。

 とにかく、全編を流れるモーツァルトの音楽に非の打ち所なし、何がどうあろうとも、この素晴らしさに勝てるものはない。エンドロールも結局最後まで見てしまう。なぜなら、そこに「ピアノ協奏曲20番2楽章」が流れるからだ。物語を堪能した後の、このあまりにも美しい音楽にただただ感服するのみだ。
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by harukko45 | 2008-02-22 19:34 | 映画・TV

 10月末にNHKが放送したアーノンクール指揮ウィーン・フィルによる「フィガロ」を最近見終わった、ようやく。時間があまりなかったせいもあるが、それでも何回かに分けて鑑賞せざるを得なかったのは、簡単に言えば、面白くなかったからだ。
 つまらないなら見なければいいのだが、そこは一応2006年のザルツブルグ音楽祭において、「モーツァルト生誕250年における最大の成果」とまで言われた「フィガロ」だから、どこがどう良いのか、確認したくなるわけで。まぁ、時間の無駄だったけど。

 アーノンクールという指揮者は全然好きになれない。今回のウィーン・フィルより、96年のチューリッヒ歌劇場での演奏の方がまだ良かったと思う。そのチューリッヒ盤でも気になった、妙なところでフェルマータやポーズをするのが、ウィーンとではやたらと多くなったように思え、いちいち音楽が止まってしまう不快感を憶えた。歌手ものりづらかったのではないか。
 また、各曲のテンポも遅くもなく早くもなくの、何とも居心地の悪いあたりでキープされていたのが多くて、ちっともリラックスして聞いていられないのだ。
 だいたい、この人はこのオペラの何処を盛り上げて行けばいいのか、全然わかってないのではないか。メリハリのない表現で、ただただウィーンの美音が空しく響き渡っていた。
 
 そして、演出が最悪。こんなに重たるくて暗いフィガロなんか見たくない。そもそも、明るくドタバタやって、楽しく振る舞っているからこそ、その裏にある「モーツァルトの毒」「モーツァルトの涙」を発見した時の感動が深まるっていうのに、最初から「実はこのオペラの内容は、怖いんですよ」なんて提示するような描き方は、モーツァルト鑑賞には合わないし、そんな「演出家の野望」を押し付けられるのは、ご免被りたい。
 衣装や舞台、時代設定など、何でもかんでも、現代化するのもいただけない。それでいて、見ていてただウザったいだけの「天使」なんかを新たに登場させて、さも意味深な心理劇にしようというのが、腹立たしい。

 モーツァルトのオペラは、音楽が全てを表現しているのだ。だから、過度で余計な演出はかえってうるさくなるだけだし、必要ない。もし、何かをやりたいのならピーター・ブルックが「ドン・ジョバンニ」で魅せたような「抽象化」していく方法が正解だと思う。そうすることで、より音楽の雄弁さが際立っていくからだ。

 スザンナ役のアンナ・ネトレプコも最悪。「椿姫」も良くなかったが、スザンナに関しては、絶対に二度とやって欲しくない。
 「フィガロ」を見る喜びの一つに、「愛おしいスザンナ」に出会えるというのが大きいことなのに、彼女が歌った瞬間から、その希望は無惨にも消え去った。こんなに不愉快で不機嫌なスザンナなど見た事がない。
 彼女は一応、才色兼備で今や人気絶頂のソプラノ、ということになっているが、どこが素晴らしいのか、ちっとも理解できない。たぶん喜んでいるのは、鼻の下の長いオヤジ達だけだろう。

e0093608_19453328.jpg その他の歌手達はそれなりにレベルの高い人達だったとは思うが、取り立てて惹き付けられることもなかった。何とも優等生的な演技と歌唱に終始していた、とも言えるか。ただ、このような酷い演出と、指揮の元では致し方なかったと同情できる。

 こんな「フィガロ」が、これからの「フィガロ」なら、私は昔のCDを聞いて楽しむことにするし、高い金を払ってオペラ座に行くことはない。それと、アーノンクールの指揮するものは、よっぽどのことがない限り、聞くことはないだろう。
 この時のライブを収録したCDとDVDが発売されているが、購入する価値は全くないと私は強く思う。
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by harukko45 | 2007-11-13 19:48 | 聴いて書く

 ウィーンで聴いたテアター・アン・デア・ウィーンの「イドメネオ」(1/26)は本当に素晴らしかった。数日後にシュタッツオーパーでのプッチーニ「マノン・レスコー」も良かったのだが、全体としての完璧さはモーツァルトにはかなわなかった。
 指揮者のベルトラン・ドゥ・ビリーがとてもスリリングなさばきで、ウィーン・フィルを掌握しきっていたし、やはりオケ自体にウィーン独特のニュアンスがあり、これぞ本場のモーツァルトであることをあらためて実感させられた。

 歌手陣もイドメネオ王役のMichael Schadeが健闘していて、2幕目後半の長大なアリアを見事に決めて、「ブラボー!」の嵐だった。ウィーンの天井桟敷のお客はミラノとともに世界一厳しいと思われるが、この熱烈な大拍手は本物だった。
 女性陣ではイダマンテ王子役の地元ウィーン子のAngelika Kirchschlagerが相変わらずの大人気だったが、歌はかつて聴いた時の方が出来は良かった。が、ある意味、力強さや個性は弱くても、その歌声がオケによく溶け合って、モーツァルトの音楽の美しさがこちらに伝わるのを決して邪魔していないのはさすがだな、と思った。
 イリア役のGenia Kuhmeierも、1幕目しょっぱなのアリアにおいて、その声の良さで一気に聴き手の耳をステージにひきつけたし、エレットラ役のIano Tamarは最後の憎しみと絶望のアリアで、もう少し悪魔的にいき切って欲しい気もしたが、全体としては悪くなかった。

 とにかく、主要な役の4人のコンビネーションが実に良く、モーツァルトの重唱におけるメロディの美しさ、ハーモニーの巧みさを十二分に味合わせてくれたのだから、大満足だったのだ。

 そして、この日は合唱も素晴らしく、それはもともとの譜面の偉大さもあるだろうが、オケとともに最強音で歌われたいくつかのシーンは、どれも神懸かり的凄みを感じさせて、背筋がゾクッ、ゾクッとした。まさに畏怖の念を音楽に感じた瞬間だった。

 それと何と言っても、このウィーン劇場のちょうどいい大きさ(小ささ)がモーツァルトにぴったりだった。たとえ、もっと大きな会場でも、モーツァルトのオーケストレーションのうまさで、少ない人数のオケでもよく響くのではあるが、それでも、この程度のサイズのオペラ・ハウスがより良い音楽環境だと思った。
 私の座った3階の右でも、オケのバランスが最高であり、CDで聞けるようなウィーン・フィルの美音が、よりダイレクトに耳に届いてきたので、最強音での迫力もかなりのものだったし、それも無理して力づくで鳴らしている感じがなく、実に豊かだったのがうれしかった。特に2幕目以降は心がずっとワクワクドキドキ震えっぱなしだった。

 これからは、テアター・アン・デア・ウィーンでのモーツァルトは外せない。ここでフィガロを聴いたらどんなに楽しいだろうか。前にシュタッツオーパーで観た時は、全く感動しなかっただけに、是非聴いてみたい。

 さて、実は日本に帰ってから家にあるダニエル・ハーディング指揮スカラ座の「イドメネオ」を聴いてみた。DVDなのだが、映像はなしで音だけで鑑賞したのだ。すると、映像と一緒の時は、あまり感心しなかったはずなのに、音だけだとすごく良かったのには驚いた。
 まるで、小林秀雄が「モオツァルトのオペラは、上演されても目をつぶって聴いているだろう。」といった感じのことを書いていたのを思い出した。(彼の言いたい意味はこの場合と違うけど)

 つまりは、字幕を追いながらストーリーや台本の不備を感じつつ聴くよりも、モーツァルトの音楽に集中して身を委ねていれば、自然に感動するということを、私はやっと理解したのだった。ちょうど、生で聴く時は、ある程度のストーリー把握は必要であっても、まさにこの状態に近いわけで、ハーディングのスカラ座での演奏も決して悪いものではなかったのだ。そうでなければ、ミラノのお客が「ブラボー」と言うわけがない。

 いろいろな体験を経て、ようやく真実を見いだすものだと思う。と同時に1回観たり聴いたりしただけで、安易に良し悪しを判断するのは傲慢な態度だな、と反省もしている。
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by harukko45 | 2007-02-04 05:15 | 聴いて書く

ウィーン2007(7日目)part1

e0093608_1857136.jpg 日曜の朝は各教会でミサがあります。特に市の象徴でもあるシュテファンス・ドームでは小編成のオーケストラと合唱、独唱者4人にオルガンという編成でモーツァルトの"Piccolomini-Messe"が演奏された。これが、とっても良かった。2005年に来たときと同じようにオルガンの横でずっと立って聴いていたが、1時間半ほどのミサがちっとも長くなかった。我々のようなキリスト教徒でないものは、どうしても音楽以外の部分はチンプンカンプンだし、普通はただただ辛くなるばかりなのだが、今日はまったくそういうことはなかった。神父さん達のお説教や讃美歌など段取りはすべて決まっているのだろうが、その合間に挟まれるモーツァルトの音楽が実に良かった。これなら、誰だって飽きない。きっと、昔の人々もこのような音楽を聴きながらなら、朝から教会に行くのも苦痛ではなかっただろう。

 正直、音楽のみが目的である観光客ゆえの傍若無人の振る舞いに、多くの熱心な信者の方達は不愉快だったろうが、言葉がわからなくても、音楽の素晴らしさと教会のもつ厳粛な雰囲気が相まって、とても感動を受けたのだった。極めて有能な作曲家がいると、宗教的なものも人種民族を越えてしまうのだろう。

 ミサが終わると、皆が散会する際にオルガニストがソロで演奏するのだが、これがなかなか弾きまくってくれて面白かった(演奏のみならず、音色の切り替え、鍵盤の弾き分け、ペダルの調整、足によるスイッチング等大忙し!)。曲はわからないけど、ちゃんとした感動的な曲です。なので、音楽好きは結局帰らずに最後までそばで聴いているのでした。そして、終わると聴いていた人々がささやかながら拍手を。奏者は軽く会釈をするって具合でした。

e0093608_1963059.jpg とても晴れやかな気持ちで外に出ると、ケルントナー通りをブラスバンドの音が聞こえてきて、それがどんどんこちらに向かってくるのでした。それはかなりの人数の楽団と行列で、皆チロル風の民族衣装を着て行進しているのでした。ワクワクさせられるオーケストラ、荘厳なオルガンに続く、この突然のブラスバンドの強烈な行進曲の響きはまるで、マーラーの交響曲をそのまま地で行くって感じでした。

e0093608_18585191.jpg つられて、一緒についていくとその一団はシュテファンス・ドームに入っていきました。そして、再びミサが始まったのでした。今度はブラス・オーケストラによる演奏で取り仕切られるのでした。さすがにダブルヘッダーはきついので引き上げましたが、なかなか面白いものをみせてもらいました。

e0093608_1965790.jpg さて、そして向かったのはウィーンで最も有名なコンディトライ、デーメル"Demel"です。いよいよ今回もきてしまいました。旅も終盤、クライマックスを演出する重要な要素となるデーメルのケーキというわけです。とりあえず、トリュッフェル・トルテとアプフェルシュトゥルーデルを持ち帰りましたが、とにかくお店に入っただけで、うれしくなるような華やかさと立派さです。これだけで、美味しさがわかるというもの、気持ちをウキウキさせてくれるのでした。おまけに対応してくれた女性が可愛らしかった。うーむ、まだ食べてないけどこれだけでも、やっぱりデーメルが一番!ってことになってしまうのでした。

e0093608_190192.jpg で、食べました。さすがです。アプフェルシュトゥルーデルは日本支店の2倍以上の大きさですが、大変上品でありながら濃厚な美味しさで、いくらでもいただける名菓です。ご飯代わりにもなりますね。トリュッフェル・トルテはいわゆるトリフ・チョコレート・ケーキですが、これも絶品。とても甘いですが、それがうんざりするようなたぐいではなく、ギリギリのあやうさのところで、ちゃんと踏みとどまっています。そこが貴族的ともいえる感じに仕上がっていると思いますね。本当にうまかった。これは日本支店にはないね。
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by harukko45 | 2007-01-29 19:07 | 旅行

e0093608_18413225.jpg 夜、テアター・アン・デア・ウィーンにモーツァルトのイドメネオを観に行きました。3階の右側でしたが舞台もちゃんと見えたし、何より音響が非常に良く、内容も大変いい出来でした。これまで生で観たオペラの中でもベスト3に入るものでしょう。旅の間に、何だかんだいろいろなことがあっても、こういう素晴らしいステージを見せつけられてしまうからウィーンはたまらないのです。

 作曲家の素晴らしさ、オケの素晴らしさは言うまでもありませんが、今日は、歌手もスターがいるわけではないけど、全員のレベルが高かったし、合唱も大変素晴らしかった。オケと合唱による部分で、何度背筋がゾクっとしたことか。演出も題材がギリシャものなので、まさに遺跡の円形劇場を模した舞台に、それぞれのシーンでの象徴的な小道具を置くと言うものでしたが、そのシンプルさが逆にテーマを明解にしていて、何かしら「暗示」を示しているようでもあり、実に効果的だった。
 そして、指揮者のデ・ビリー氏(Bertrand de Billyベルトラン・ドゥ・ビリーが正しいらしい)がすごく良かった。よく全員を統率して、とっても音のバランスがよく、いざと言う時の劇的効果も満点で、本当に感動させられました。特に、1幕目と続けて演奏された2幕目の内容の濃さにはすっかり心を奪われてしまったのでした。終演後にも「ブラボー!」の拍手が続いて何度もカーテンコールがあったのも納得です。いろいろ細かいところも書きたいとも思いますが、後日ゆっくりとまとめることにします。今は素晴らしいオペラを書いたモーツァルトに感謝して、余韻を楽しみたいと思います。
 
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by harukko45 | 2007-01-27 18:42 | 旅行

年末年始クラシック三昧

 大晦日から元旦にかけては、毎年クラシック音楽のTV番組が多くあり、ちょうど酒飲みながらお祝い気分で聴くにはもってこいの感じ。

 まずは大晦日のNHK教育テレビでの「モーツァルト・イヤー2006 ハイライト」。ここでは昨年ヨーロッパと日本でいろいろとおこなわれたモーツァルト生誕250年の記念コンサートをダイジェストで見ることができ、その演奏の比較が出来て興味深かった。
 で、数々の大物有名指揮者、演奏家がどんどん登場する中、だんトツに惹き付けられたのはまたまたダニエル・ハーディングだった。前にも書いたザルツブルグ音楽祭での「モーツァルト・ガラ」での抜粋だったが、それまでホロ酔いもあって、「可もなく不可もなく」の印象で聞き流していたのが、彼のドン・ジョバンニ序曲が始まった途端、全神経が集中したのだった。やはり、彼は面白いし、情熱を感じるし、センスがいい。今年も引き続き要注目。

 次に年明け早々、現地はまだ大晦日だが、毎年恒例のベルリン・フィルのシルヴェスター・コンサート。今回はリヒャルト・シュトラウス、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、ドボルザークと比較的多彩(?)なメニュー。いつもは、何らかなテーマを持ってやっていたが、今回は何だったのだろう。実は、サー・ラトルとベルリン・フィルの組み合わせはこれまであまり感動したことがない。本当に合っているのだろうか。
 それと、いつも思うが、録音の関係か、残響が多いサウンドと過度なリミッターによるつぶれた感じがあまり心地よくないし、聴いてて疲れる。

 が、プログラムの2番目に登場した内田光子さんとのモーツァルト・ピアノ協奏曲20番は素晴らしかった。久々に、この曲を聴いて涙が出そうになった。内田さんのピアノが最高だったのだ。これほど深みのあるモーツァルトはなかなか聴けない。ほとんどのモーツァルト演奏は、もっと軽いパフォーマンスばかりに思える。
 まずは、オーケストラのみの序奏の部分で、それを聴き入る内田さんの表情からして凄い。完全に音楽の中に入り込み、自ら音楽の化身に姿を変えていた。
 そして、彼女のピアノの美音に心を奪われる。素晴らしいタッチ、強弱の表情の豊かさ、そして何より心のこもった、そして作品に共感しまくったフレージングにただただ引き込まれて、息も出来ない感じだった。
 2楽章の有名な主題で、これほどジーンと来て熱いものがこみ上げたのは、映画「アマデウス」のエンドロールでこの曲を初めて聞いた時以来だった。
 とにかく全楽章を通じ、悲しみをたたえた味わいのある音と心から歌う演奏に感動しまくった。ラトルの伴奏も素晴らしかったが、そのベルリン・フィルの重厚なサウンドにけっして負けない、内田さんのフォルテッシモを絶賛したい。また、あらためて20番の素晴らしさを再認識させられた。
 もう一度言う、こんなに深いモーツァルトはなかなか聴けない。
 なので、その後の「ばらの騎士」の抜粋などの演奏は、自分にはつまらなかった。それだけ内田さんが最高だった。

 さて、元旦になって今度はウィーンのニューイヤー・コンサート。指揮はズービン・メータ。私は彼の指揮をロサンゼルスとフィレンツェで見たことがある。私の印象では、ずいぶんオケに任せてしまう感じで、出たとこ勝負のような演奏に聞こえ、その時はあまり共感できなかった。ロスの時はオケも良くなくて、無難な演奏に終始していたし、フィレンツェでの「魔笛」は歌手の出来がすこぶる良かったので、それにかなり助けられていたと思った(オケだけによる序曲にはがっかりさせられた)。
 逆に言えば、いいオケと組めば、そのオケの良さをじゃませずに引出すということになるのだろう。それに、ウィーン音楽大学で学んでいたという経歴から、現在のウィーン・フィルにはその時の同級生が多くいるとのこと。そういう点では、実に新年らしい和気あいあいとしたムードで楽しい内容だったかな。

 でも、せっかくなんだから何かしら「こりゃ、たまらん」ってもんが聴きたかった。唯一「エルンストの思い出」での各楽団員のパフォーマンスをフィーチャアしたのは面白かったけど(ピッコロの超絶技巧に大喝采)。というわけで、去年のヤンソンスのようなワクワク感はなく、あっさりしたものだった。若きハーディングがここに登場するのは何年後か?意外に早いかな?
 
 そうそう、暮れに録画していた音楽歴史上に残る伝説のソプラノ、ビルギット・ニルソンの生涯を紹介した番組も面白かった。彼女は特にワーグナーで超有名だが、こうして聴くと、昔の音楽家には何とも言えない気品があるなぁ、と強く思った。それと、当たり前だが、歌が断然素晴らしい。これぞ、ディーヴァでしょう。今じゃ、ディーヴァって言葉、デビューしたてのJ-POPの新人歌手やら、何でもかんでも簡単に使ってるけど、少し控えましょうね。
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by harukko45 | 2007-01-03 15:23 | 聴いて書く

 ジョン・レノン・スーパーライブのリハ最終日は、スキマスイッチのこだわりぶりが伺えるご機嫌な選曲(ほんとにセンスいいと思ったよ!)と大橋君の歌声にうなった私であり、その後のランスルーも無事に終わって、いい充実感を感じながら帰宅しました。

 そして、今日は一日オフで、ずっと観られずにハードディスクに溜まりっぱなしのTV番組を立て続けに鑑賞したのでありました。

 で、久々にオペラ、それもモーツァルトの「イドメネオ」。長いんだな、これが。ただ、指揮はハーディングで、それも彼がスカラ座の2005シーズンの開幕を飾った時のライブ。否応なく期待は高まっていたんだけど、正直退屈して、途中から辛くなってしまった。
 初めてこのオペラを生で聴いた97年のウィーンの公演(P・シュナイダー指揮、ドミンゴがイドメネオ)では、モーツァルトのオーケストレイションの素晴らしさとドミンゴの演技力(もちろん歌唱力もふくめ)の凄さに感動しまくって、一瞬たりとも飽きなかったのだが、今回聴いてみると、「この曲って、こんなもんだったかなぁ?」と思ってしまった。

 とにかく、出ている歌手の皆さんに魅力的な人がいなかった。特にイドメネオ王役のテノールはあまりにも無難すぎて面白くなかった。エレットラ役のソプラノは最後の"オレステスとアイアスの"をうまく決めて、とりあえず盛り上げたかな。

 でも、これもウィーンの時のエリアーネ・コエッリョのイメージが残っていて、どうも物足りなかった。実は97年の時のコエッリョさんはあまり歌が良かったとは言えず、"イドメネオ"の数日前にプッチーニの"ボエーム"のミミ役を観て、歌も容姿も全く好きになれず、個人的には登場するだけで嫌な感じだったのだが、それがかえってこの憎まれ役とでも言えるエレットラにおいては、こちらの感情移入にぴったりで、舞台では妖気をまき散らしての大熱演に興奮させられたのだった。
 また、イダマンテ王子役のアンジェリカ・キルヒシュラーガーが美しくってねぇ。彼女(ズボン役だから彼か?)が出てくるだけでうれしくなったもんでした。
 そして、何よりドミンゴがやっぱすごくって!文句のつけようないパフォーマンスだった。

 なので、比べるとこのスカラ座のキャストは薄かったという印象だ。それに演出があまりいいとは言えなかった。舞台のセットや背景に大きな変化がなく、そんな中、妙に現代風の衣装で登場する人物にも必然を感じられず、つまらなかった。

 さて、ハーディングの音はいかに。確かにピリオド・アプローチを効かせて彼の個性を打ち出してはいたが、どうもこちらが古楽器風のサウンドにあまり新鮮味を覚えなくなったのか、前ほど刺激的とも感じなかった。それどころか、いろんなところで貧相な響きに思えたし、"ドン・ジョバンニ"の時のほとばしるような情熱も感じられず、物足りなかった。さすがのハーディングもスカラ座デビューに慎重な演奏になったのだろうか。
 同じイドメネオでも今年のザルツブルグでのウィーンフィルと(モーツァルト・ガラでの抜粋)の方が、出来はずっと良かったと思う。

 それから、NHK音楽祭でのマーラー室内オケとのブラームス(2番)も聴いたが、かなり失望した。自分の大好きな曲だけに、こういう2番ならやってほしくなかった。響きだけが今風(古楽器奏法が現代風!)で、その中身は空っぽのように感じてしまった。ハーディングについては、少々期待しすぎたのかもしれない。
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by harukko45 | 2006-10-30 18:26 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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