ウィーンの元旦、午前11時からはテレビでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを見ましたが、いつも日本では夜の7時ぐらいからで、ほろ酔い加減でゴロゴロしながら聴いていたのに、こちらでは午前中とは、正直調子が狂います。
 で、やっぱりゴロゴロしながら見ていましたが、途中で居眠りしたりしながらで、あまり記憶に残っていません。覚えている部分では、バレンボイムの指揮による演奏はちょっと鳴らしすぎじゃない?と思いながらも、盛大にブラボーの声が飛んでいましたね。個人的には、あまり好みではありませんでした。
 ピアノを弾くとあれほど繊細でロマンティックな表情を見せるのに、彼は指揮台に昇ると、何故か力技で量感過多な感じに聴こえるのでした。

 ただし、最後の方でやったハイドンは良かった、というか、だいたい音楽としてシュトラウスよりもハイドンの方が数段上ということです。今年はハイドン没後120年(?/失礼!没後200年でした。「旅人さん」ご指摘ありがとう!)だかで、ハイドン関係のイベントが多いようです。

 それと、アンコールの際に恒例の指揮者による新年の挨拶で、イスラエル国籍を持つ彼が、現在の中東紛争に対して、何かコメントするかが注目でしたが、これまでも中東和平への活動をしてきた人だけに、やはり「世界に平和と、中東に正義が訪れるように望みます」というようなことを訴えていました。このときばかりはとても緊張した表情になっていたのも印象的でありました。

 さてその夜は、コンツェルトハウスにて、マルク・ミンコフスキ指揮ウィーン交響楽団によるベートーヴェンの第九を聴きに行きました。今回の旅行では、あまり音楽イベントに行く予定は多くないのですが、その中でも注目のものでありました。
 年末年始の「第九」というのはかなりベタな内容ですが、私は初めて生で第九を聴いたので、とっても楽しかったです。
 指揮のミンコフスキは昨年見たモーツァルトのオペラ「ポントの王ミトリダーテ」での演奏ですっかり好きになった人だし、最近評価が鰻登りに上がっているウィーン響との競演には始まる前からワクワクでした。
 それと、チケットをネットで買ったので、席を指定できたのですが、今回はわざわざオケの真横のところにしました。多少バランスは悪くても、きっとナマナマしい音が聴けるでしょうし、何より指揮者の表情や動きを良く見たかったのでした。

e0093608_19234869.jpg で、予想通りの快速テンポで第1楽章からノリノリでした。彼のテンポはどれもこれも速いのですが、情感とノリをちゃんと両立できていたと思いました。それと、第九の1楽章は音楽的にも濃いので、のっけからドキドキしながら入り込んでしまいました。
 2楽章は完璧。実にかっこよかった。3楽章も速かったですが、弦から美しい響きを引き出していて感心しました。

 そして、4楽章。うーむ、わかっちゃいるけど、感動しちゃう。「喜びの歌」のメロディがどんどん膨らんでいくのが、何ともタマランでした。合唱の皆さんが、これまた素晴らしい出来でした。とにかく、バスのソロ(これも見事)が終わってから大合唱になった瞬間はゾクッとしました。最高にいいバランスだったからです。

 その後はめくるめくベートーヴェンの魔力に恍惚となっておりました。
最後の追い込みも急速でスリリング、大いに堪能しました。フランス生まれのミンコフスキは全体に明るい表情の音作りで、ドイツ的な重厚さは薄かったですが、とにかくノリの良さで、聴き手をグイグイと巻き込んでいくのが「今っぽい」し、好感が持てました。
 とにかく楽しかった。楽しい第九というのは、これまでの常識からすると違うかもしれないけど、ベートーヴェンの偉大さに変わりありません。
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by harukko45 | 2009-01-02 19:14 | 聴いて書く

 一週間ほどブログを更新してなかったですが、実は3月31日からウィーンに行っておりました。で、いつものようにブラブラ・ダラダラと休暇を楽しんできたのですが、滞在したホテルのネット環境が悪く、昨年のように旅の日記をつけると言ったことは不可能でありました。
 まぁ、毎回ウィーンに行っても私のやっていることは同じなので、新たに書き加えることもないのですが、それでも、今回は久々にウィーン・フィルのコンサートをテアター・アン・デア・ウィーンで聞けたのはとっても幸せな出来事でありました。

e0093608_5195919.jpg それは4月5日で、ピアノと指揮がダニエル・バレンボイム、曲目はベートーヴェンのピアノ・コンチェルト3番と4番、というベートーヴェン好きには願ってもない内容であります。ちょっと皮肉っぽく見れば、「あまりにもベタな」コンサートかもしれないですね。なにせ最近はベートーヴェンの人気がかつてに比べてがた落ちですから。
 しかし、好きなものは好きだし、文句のつけようのない大作曲家の傑作古典をバレンボイムが弾き振りするのですから、これは何としても見逃せなかったのでした。

e0093608_5431073.jpg というわけで、出発の数週間前からオンライン・チケットを購入し、家にあるCD(バレンボイム25歳での’67年EMI盤、指揮は巨匠クレンペラー、 スタジオはアビーロード。それにしてもポップスもクラシックも古い録音ばっかしか持ってないのぉ!)での予習も抜かりなく、当日をワクワクしながら待っていたのでありました。
 それと、たぶん日取りを合わせたのだと、勝手に思っているのですが、この3番の初演が1803年の4月5日、アン・デア・ウィーンで作曲家自らのピアノで行われたわけで、205年前(半端だ?!)と同日同場所での演奏に、何かしら物語性を感じてしまう私なのでありました。(ちなみに、4番も1806年12月22日、アン・デア・ウィーンで初演された/ベートーヴェンは自作の作品の演奏会場として、ここを大変に評価していたとのこと)

 バレンボイムは、現存する指揮者を代表する人気と高い評価を得ている人物であるが、私は指揮者としての彼はあまり好きではない。12年前にウィーン・フィルの定期演奏会でブラームス4番を聞く機会があったが、その時はちっとも感動しなかったのだ。「あぁ、ウィーン・フィルをムジーク・フェラインで聞いたっけ」って感じ。ベルリンのリンデン・オーパーにおけるオペラもTVで見たが、あまり感心しなかった、というか、つまらなかった。

 だが、ピアニストとしての彼は、特にモーツァルトのピアノ・コンチェルトのCDでの演奏が大好きで、かなり愛聴しているし、最近NHKが頻繁に放送しているベートーヴェンのソナタ全集のライブ映像も素晴らしいと思った。

 私は彼の音が好きだ。西欧人としては比較的小さい体と手から紡ぎ出される音は、全く剛腕な感じがなく、極めて繊細で緻密だと感じる。それと、よく歌っていて表情が豊かに変化していく。強烈な個性とテクニックで弾き倒してしまうタイプでなく、とにかく音楽に感じ入って、深く理解し尽くすピアニストだと思う。その音楽の読みの深さが、たぶん凡人のそれとは雲泥の差なのだろうと感じる。それはTVで見た、若手にベートーヴェンのソナタを教授する番組を見るだけでもわかるのだった。

 さて当日、それまで雨まじりの天気ばかりだったのに、この日は気持ちのよい晴れとなり、ポカポカとした昼下がりのコンサートとなったのでした。
 盛大な拍手に迎えられて登場したマエストロ・バレンボイムは指揮棒を持ち、ピアノは弾かず、まず前段としてフランツ・リストによるカンタータ「ベートーヴェン百年祭に寄す」(Introduction to the Cantate "Zur Säkularfeier Beethovens" , Adagio from op. 97)が演奏されました。これは、初めて聴いた曲で、全体にウォーミング・アップ的な印象でしたが、ウィーン・フィルのいつもながらの美音が心地よく、土曜の夕方(3時半)にはピッタリのリラックスした雰囲気でありました。

 しかし、やはり本編のピアノ・コンチェルトになると一気に緊張感が高まりました。まずは、再び登場したマエストロが慎重にピアノの椅子の位置を調整していたのが印象的でした。
 そしてピアノの前に立ち、いかにも「田舎くさーい」主題のオーケストラ部分を指揮し始めると、馴染みのあるベートーヴェンの世界に一気に引き込まれたのでした。ただ、CDにおけるクレンペラーの大きな広がりのある感じよりも、ウィーンらしい少し小粒で優雅な響きとなっていましたが、Cmの堂々とした雰囲気はちゃんと残されていました。

 さぁ、いよいよピアノ・パート。おもむろに座って鍵盤に向かったマエストロでしたが、最初のユニゾンのかけ上がりでちょっとミス・タッチがあり、ドキっとしました。とは言えすぐに、そんなことはたいして問題にならないほど、オケとピアノとのバランスの良さに心を奪われ、感嘆してしまいました。
 アン・デア・ウィーンはどちらかと言えばドライな音質で、規模もそれほど大きくないので、今回のような演目にはピッタリと思ってはいましたが、それでもそのバランスの完璧さ、聞きやすさはさすがでありました。私の席は3階の少し右側後ろでしたが、そのサウンドに全く不満を感じる事はなく、その美音に終始酔いしれることが出来ました。

 マエストロは、その後もところどころ些細なミス・タッチがあったり、オケとの合いがいま一つの部分もありましたが、それ以上にやはりCDで聞く20代の演奏よりも深みのあるニュアンスが素晴らしく、音楽が止まるような部分が全くなかったのは凄いと思いました。
 また、3楽章のロンドの主題の弾き方が、CDよりも「こぶし」が効いていて実に良かった。短調なのに、ウキウキする楽しさを感じさせてくれて、思わずニヤリとしてしまいました。

 前半の3番だけでもかなり高揚した気分になりましたが、それ以上に休憩後の4番はほんと素晴らしかった。というか、曲がそもそも素晴らしいのでありますが、とにかく演奏家にとって、とても大事だと思うのは、「あーいい曲だ、なんて素晴らしい曲なんだ」と聴き手にシンプルに感じさせることだと思うわけで、その場合は演奏家のエゴイスティックな主張や個性は邪魔になるのです。しかし、この日のバレンボイムのピアノにはそれが皆無でした。だから、素晴らしいのです。曲にそれだけ深く入りこみ、音符の全ての意味を完全に理解して共感していなくては絶対に出来ないことだと思います。

e0093608_5202382.jpg それにしても、この4番、いい曲です。深いし、渋いです。だから、年齢を重ねるとその素晴らしさがよく理解できます。だから、どんどん好きになります。1楽章最初の主題をオーケストラの前にピアノのソロで弾くところだけで、もうメロメロです。その静けさや内面的な表情がやがて激しい転調を経て、豊かな広がりに発展して行くのです。こちらはついて行くだけでクラクラでしょう。
 2楽章の幻想的な響きはベートーヴェンのもう1つの素晴らしさ。ただ「ボーっと」しているだけじゃない、実は激しい感情が渦巻いているのです。弦のアンサンブルとピアノとの対話を、じっと聞き入り、深く瞑想するのみです。
 3楽章のロンドでのマエストロのノリは最高でした。のっけから心が弾んでワクワクしっぱなし。でも、イケイケどんどんで賑やかに盛り上がっていくわけじゃないんだな。全体には渋いニュアンスが支配しているのが、良いのです。そしてそれが最後に速いテンポの力強いエンディングとなり、聴き手に大きな満足感を与えてくれるのでありました。

 ですから、うるさ方の多い3階席も「ブラボー」の嵐でしたし、私も感激して、とっても豊かな気持ちになりました。それに、バレンボイムのピアノはやっぱり好きだなぁとあらためて思ったのでした。

 さて、マエストロは、ここ30年ぐらいピアノよりも指揮の方に力を注いでいましたが、2005年にシカゴ交響楽団を退団して以後、ピアノにも再び重点を置くと明言しています。それこそが私の望むことでありますし、今後もこのような形でコンサートをやってくれれば、ファンとしてはこの上ない喜びとなるでしょう。

 でも、来年のニューイヤーはどうかな? 指揮だけだと、ちょっと不安だな。ピアノ弾いてほしいけど、シュトラウスでピアノはないもんな。
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by harukko45 | 2008-04-08 05:19 | 聴いて書く

年末の第九

 昨夜、ついさっきまでN響の演奏によるベートーヴェンの9番を聴いていた。というか、最後まで聴いてしまった。実を言うと私は、ついつい日本人による演奏(クラシック、ジャズ、ポップス問わず)をTVなどで見たり聴いたりすることに拒否反応があったりするのです。悪い癖ですが、外国人のものは積極的に楽しむのに、日本人の演奏にはついつい余計なことを考えたり、思わず口を挟んだりして、心底楽しめない耳になってしまったようです。自分の心の狭さに、とことん呆れてもいますが、これも「欧米か」ってとこか、自虐的コンプレックス体質に成り下がっているのか。

 昨晩もいつものように、1楽章が始まったあたりでは、「ここはもうちょっとなぁ」とか「その出だしじゃタイムキーパーって言われちゃうよ」とか「ずいぶん軽いなぁ」なんてブツブツ言っておりました。なのに、何となく離れがたくて、ずるずると2,3楽章と聴き進むうちに、私の心もおだやかになり、ついに大スペクタクル・ショーである4楽章まできてしまい、最後の大運動会を思わす、大はしゃぎのマーチに大興奮してしまいました。アホか!

 まぁ、やっぱ何だかんだ言い尽くされてはいるけど、曲が素晴らしいから、ちゃんと演奏してくれれば何も文句ないです。本当にベートーヴェンは素晴らしいです。子供の頃、あまりにも「教育的」に聴かされたので、その反動で長いこと「嫌悪」の対象でありましたが、中年になってから再び大好きになりました。

 1楽章はとても音楽的には難しいし、深いです。なので、なかなか瞬時に感動するたぐいの音楽ではありません。とにかく、こちらを緊張させます。指揮するのも大変なんじゃないかな。評論家先生達や学者さん達はこの1楽章を絶賛しますが、どうも私は苦手です。ただ、その内容の深さには敬意を持っています。
 一転、2楽章はシンプルでわかりやすいスケルツォで、ベートーヴェンらしいシンコペーションやアタックを効かせて、ロック的なカッコよさがあります。スタンリー・キューブリックが大傑作「時計じかけのオレンジ」でこのスケルツォを実に効果的に使用していて、まさにベートーヴェンが「かっこ良かった!」
 3楽章は美しいアダージョではありますが、私はいつも、途中のいきなりの展開に笑ってしまう。それまで、まさに楽園の花畑の中で優雅にたたずんでいるのに、突然夢から叩き起こされて、そのまま絞首刑を言い渡されるような気分になるからです。それほど、彼の音楽は大仰なのです。「何でぇ?人がせっかく気持ちよくしてんのに、あんなおぞましいファンファーレを鳴らすのさ!」 まぁ、たぶんベートーヴェンの気持ちをあえて代弁すれば、「私の芸術を表現するのに、お前の都合など気にしてられるか!」ってとこでしょう。
 それと、美しい弦に比べ、木管やホルンの扱いがいまいち垢抜けてない印象がしてしまう。モーツァルトだったら、もっとうまく書くだろうなぁ。
 
 で、その大仰さで3楽章を数倍のスケールで上回るのが有名な「歓喜の歌」を含む4楽章。ただし、ここは最高に大好き。ここまで、やりきってくれる作曲家は人類の宝です。自分自身の魂の叫びをこれほどのスケールで表現してしまうのは、どう考えてもとんでもないこと。ほとんど傲慢なるエゴイスティックな音楽にもかかわらず、その音楽的効果が強力で美しいがゆえに、聴き手はすっかり巻き込まれてしまう。
 それでも、歓喜の歌が出てくるまでの部分は、3楽章よりも笑ってしまう。それまでの主題が演奏され、「ああ、もっと美しい調べを、もっと!」って悶え苦しむベートーヴェンの魂をあらわすチェロとコントラバスのユニゾンがそれらをいちいち否定する。で、歓喜の歌の旋律が流れると、「おおっ!それじゃ、それじゃ!」って喜ぶんだから勘弁してよ。

 だが、その後はベートーヴェンの天才にただ平伏すことになる。彼はいわゆる変奏の名人であり、基本的に第九の4楽章も「歓喜の歌」の変奏の繰り返しだ。で、そのバリエーションがどんどん展開し発展していくのがとんでもなく素晴らしくて感動する。こんなシンプルな主題が繰り返されるたびにどんどん美しさと偉大さを獲得していくのが凄いのです。
 最も好きなところは、テノールの勇壮なソロと大合唱があってからの弦の合奏だ。もうこれぞベートーヴェンの偉大さ極まれり、いやいやこんなの書くのチョロイチョロイって雰囲気も。それぐらい音符を書く彼はさぞやノリノリだったろうし、頭の中は炸裂しまくっていたことだろう。
 興奮の極致を体感した後、一転とても宗教的な合唱によるパートがくるが、こちらの体は地球を離れて、まさに宇宙を漂うような気分にさせられる。ここも大好き。その後も合唱が大活躍、その激烈な展開にクラっとしつつも、まったく飽きさせないのだった。

 ところが、ついに来てしまった、まるでトルコ風マーチか、はたまた大運動会か、とにかくそれまでの極上の美の競演をすっかり台無しにするかのごとくエンディングに駆け上っていく狂乱のブンチャブンチャを何と例えるか?! 「お前さんはそんなにしてでも、これがやりたいんだな!」
 「苦悩を経て歓喜へ」が彼のトレードマークだが、それもここまでくると手が付けられない。こちらは呆然とするのみだろう。完璧なる美しさをも、同じ曲の中で自ら無惨に破壊しつくす、その恐ろしい才能に畏敬の念を覚える私はほんとに小市民じゃわい。

 あー、面白かった。というわけで、CDでフルトヴェングラーのを続けて聴いている。この場合、指揮者も尋常じゃないから、ますます狂い方が凄い。パンクも軽くぶっ飛ぶ。
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by harukko45 | 2006-12-31 02:43 | 聴いて書く

 メリー・クリスマス! だからってわけじゃないが、今日もクラシック・ネタ、昨日に続いてワルターを聴くことに。

 前回はワルター先生のベートーヴェンはちょっと、みたいな書き方をしたが、それはいわゆる有名交響曲(中・後期の奇数番号)において言えることで、ベートーヴェンが全部ダメというわけではない。それどころか、先生のもの以外は聴く価値がないのではないか、と思えるものもある。それがこの2番で、世評ではこれに6番「田園」も加わるのだろうが、私は6番そのものがいまいち苦手で滅多に聴くことがないので、ちょっと語れない。しかし、2番に関してなら自信を持って宣言する。これ以外にベートーヴェン2番のCDは必要ない!

 世の中にある、ありとあらゆる音楽表現の中でも、稀に存在する「完璧」という称号をこの演奏に献上したいと思う。1959年のコロンビア交響楽団とのステレオ盤で、先生は82歳だった。最晩年でありながら、何と言う若々しさ! 曲中に力強い生気がみなぎっている。

 常に緊迫感を保ちながら、素晴らしいノリの良さで進んでいく1楽章は「完璧の中の完璧」で、ただただ唖然として聴き入るのみ。ノリだけでなく、各楽器のバランスの良さ、魔法のような強弱、そして何より気品があって美しい。そして、コーダでのトランペットが「ブワーッ」とクレッシェンドするところなど、「恐れ入りました!!」と最敬礼である。

 陶酔の極致である2楽章は、本当にすごい。ここまで感じ入って歌いきる指揮者、演奏家がいるだろうか。永遠に聴いていたい。
 3、4楽章も全く気を緩めることなく、それでいて懐の大きさも感じられて、強く貫かれた芸術家としての意志と卓越した名人芸の両方がちゃんと存在している。なのに聴き手にそれを押し付けることなく、最後まで音楽そのものを堪能させてくれるのだった。

 そして、演奏の良さに加えて、録音の良さも特筆すべき点だ。ステレオ録音の最初期であり、オール真空管式の機材、マイクはソニーのコンデンサー・マイクのよる3チャンネル1/2インチ・テープでのレコーディングとのことだが、本当にリアルな素晴らしい音質で、最近のものに決して負けない。この当時のディレクターのジョン・マックルーア氏のすごい仕事のおかげで、こうような宝物が残って、私は今日も幸せなひとときを過ごせるのだった。感謝である。
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by harukko45 | 2005-12-25 00:53 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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