今、現役で最も評価の高いピアニストの一人、ポーランド人のクリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマンとドイツ語風(?)表記もある)。
 その彼が、オール・ショパン・プログラムで世界ツアーを周り、日本にも来日。先月からほぼ1か月近く日本各地でコンサートをしていたのだが、その最終公演(失礼、12日の所沢が最後でした)が昨夜横浜みなとみらいホールであり、運よく生演奏を聴くことができた。

 1部/1.ノクターン 第5番 2.ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」 3.スケルツォ 第2番
 2部/1.バラード 第4番 2.ピアノ・ソナタ 第3番

 私はステージの裏手ともいえるパイプ・オルガンの脇に設置された席で、ちょうどピアニストを左斜め後ろ上から観る感じ。おかげで、彼の美しい指さばきや左右の足でのペダルの踏み分けのうまさがよく見えた。そのかわり、彼の表情は見えなかったが、それはたいしたことではない。

 ああ、何と言う素晴らしい音であろうか。ピアノという楽器はこんなにも多彩な音が出るものだったのか。彼は、ピアノをものすごい高いレベルでコントロールしているのだが、それは楽器本体だけでなく、会場全体をも楽器として鳴らしてしまうレベルであるということ。
 ツィメルマンは何事にも完璧主義らしいのだが、その代表的な例として特に有名なのは、自らのピアノを常に持ち込んで、調律師とともに各会場の特性と演奏する楽曲に合わせて調律すること。それは、レコーディング技術や音響学に造詣が深く、また、自らピアノの製作・修理を手がけることで、楽器の構造や素材の知識を持っているからなのだ。
 
 そのこだわりと情熱により生まれたピアノ・サウンドには、もはや溜め息しかなかった。1曲目のノクターンの一音が出ただけで、ゾクっとした。だが、この曲はまさにオープニングであり、コンサート全てのイントロダクションとして、お互い「慣らし」といった趣きだ。

 ソナタ2番の1楽章は凄かった。この時の左右の手のバランスが絶妙であり、テクニックも冴え渡り、感情と音量のコントロールが最高で、最後のフォルテッシモの決め方には息をのんだ。その凄みに圧倒されたか(単に曲を知らなかったのか、その可能性は低いと思うが)、1楽章だけで一部の観衆が拍手してしまった。正直、緊張感を維持したまま、2楽章になだれ込んで欲しかったが、思わず拍手したくなる気持ちも理解できた。
 ツィメルマンはその拍手に応えるように、軽く会場に向かって会釈してから、2楽章を弾き始めた。ここでの耽美的とも言える音色に涙が出そうになった。
 3楽章の前で、少し長めに時間をおき集中したあと、素晴らしい弱音で弾き始めた「葬送行進曲」は、私が想像していたのよりも、ずっと重いテンポで、内容もずっと深い表現だったのに驚いた。ここでも、音量のコントロールが完璧。そのダイナミクスの付け方には全く不自然さがなく、素晴らしくドラマティックだった。それでいて全体の表情は実にクールで洗練されているのだから凄い。
 4楽章はちょっと余裕がありすぎる気がして、最後のフォルテッシモでの結末も少し物足りなかった。彼は最強音の場面においても、全く力技になっておらず、パフォーマンスとしては力感あふれる仕草で鍵盤に向かっていくが、手が鍵盤に落ちる瞬間に絶妙の「抜き」をするので、けっして音が汚くならない。だが、有り余るテクニックが少し勝ちすぎて、もっと混沌とした表情から突然の爆発を期待した私はちょっと肩すかしを食らった感じだった。
 でも、それは私がアルゲリッチの豪腕演奏によるCDを聴きすぎているせいで、今思い返すとツィメルマンの表現はより「天国的」であったようにも思う。

 1部最後のスケルツォは曲自体が最高にカッコイイ。私はこれもアルゲリッチの奔放で強烈な演奏が耳にこびりついているので、彼の演奏は最初ものすごく繊細すぎるように思えた。でも、彼の音の素晴らしさにはやはり抗し難く、すぐに陶酔の世界に引き込まれてしまった。ただ、それゆえにここでも終結部に物足りなさが残った。美音の海での瞑想を突き破って、現実に引き戻すような強さが欲しい気がしたからだ。

 2部は1部を上回る完璧さだった。1部で右手の演奏にブレを感じるところが。わずかにあったのだが、2部ではそれも全く感じさせない素晴らしい内容だった。

 バラード4番、何と言う憂いに満ちた世界だろうか。曲自体が傑作なのだろうが、それにしてもこれほど豊かでうっとりさせられるとは思わなかった。
 だが、盛大な拍手にお辞儀すると、一息つくことなくすぐにソナタ3番を弾き始めるとは思わなかった。何とも言えぬ気迫を感じた瞬間だった。

 で、この3番には完全にノックアウトだった。1,2楽章では何度もハっとさせられる表情があり、初めて聴いた曲のように新鮮であり、3楽章は本当にこの世のものとは思えず、そのうち主題も何もあるわけでなく、ただただ和音が鳴っているだけのように感じ始め、その陶酔の響きだけに浸るようだった。ずっとこの状態に留まりたい、そんな気持ち。
 そして、圧巻の4楽章。ものすごい早弾きに釘付け。体は上から下へ、下から上へジェットコースターのようにブンブン振り回されるようだ。それが最高に気持ちいい。
 そして終盤、右手の早いパッセージを弾きこなす時に、彼は左手でピアノにつかまって、自らを支えるようなポーズになった。サイコーにカッコイイ瞬間だった。もちろん、すぐに左手は鍵盤に戻り、感動的なエンディングを見事に決めた。興奮してしまった。

 もちろん、ブラボーの大拍手。でも、さすがにアンコールはなかった。この3番の名演の後に、これ以上何を求めようと言うのか。もう本編だけで完全に満足させていただいた。彼もやり切っただろう、そして聴き手の私も感動しまくった。それで十分すぎるほどだった。ツィメルマンは確実に大巨匠への道を進んでいる。素晴らしい夜を体験できて幸せで一杯だ。


 
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by harukko45 | 2010-06-12 03:25 | 聴いて書く

 このところずっと、というか今年一番でハマりまくっているのが、これです。

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 (左) マルタ・アルゲリッチ・コレクション1(ソロ・レコーディング集)

 すべての音楽家の中で、現在世界最高のピアニストの候補に必ずあがるであろうマルタ・アルゲリッチ。クラシック音楽云々、ジャンル云々を越えて、私も彼女が世界最高であると言ってもかまわないと思っています。(まぁ何より大好きだということがあるわけですが。)

 アルゲリッチは超天才、鍵盤の女王、自由奔放なじゃじゃ馬などなど、すでにいろいろな言葉で紹介されているので、私ごときがどうのこうの言う次元ではないのですが、とにかく彼女の場合、男女という性別を越えた圧倒的なレベルで、ピアノを弾きこなしてきた唯一の「女性」ピアニストであると考えます。でもって、少々頭でっかちが多い男性奏者など瞬く間に蹴散らすほどのエネルギーに満ちていると言えるのでした。

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 (右) マルタ・アルゲリッチ・コレクション2(コンチェルト・レコーディング集)

 彼女の演奏が好きなのは、極めて簡単に言えば「ノリが熱くてサイコー」であるから。「ノリ」だとか「グルーヴ」だとか、ついつい安易に使ってしまいますが、ただただテンポが速いとか(実際に他の奏者よりも総じて速いけど)、現代的にリズミカルであるというだけではダメで、ちゃんと音楽への情熱と技術の裏付けがなくては、「サイコー」とはならないのです。

 私は彼女のほとんどの演奏が大好きだし傑作ばかりだと思いますが、その多くを抱えるドイツ・グラモフォン社が彼女の音源を年代順にボックス・セットとしてまとめてくれてたおかげで、とても容易く手に入ることができ、ものすごく有り難いと思っています。それも8枚組、7枚組でありながら、それぞれ3,000円ほどで買えるのだから、DG社に感謝感謝です。

 第1集のソロ・ピアノでは、まずはショパンがどれもこれも素晴らしく、私はこれでショパンが大好きになったし、リストのソナタはとんでもなく凄いし、ラベルもかなり好き。(バッハは個人的に苦手なのと、彼女としてはまぁまぁか。シューマンは演奏は素晴らしいが曲自体どうもネクラでねぇ。/いや、今日聴いてみたら泣けた、こっちの精神状態もあるか。)

 第2集のコンチェルトでは、シノーポリの指揮によるベートーヴェンの1番2番が大好きで、ブレンデル/レヴァインの演奏と双璧。プロコフィエフ、ラベルのコンチェルトも名演だが、それよりも初めて聴いたハイドンがこんなにカッコイイ曲とはびっくりしたし、これまた初めて聴いたショスタコービッチも最高。(お得意のシューマンはDG盤もいいが、他にも良いのが出ている)

 評論家を始め、世評がすごく高いショパンとチャイコフスキーは、あまり好きな曲でないので聴く機会は少ないが、それでも好き嫌いを越えて、演奏は素晴らしいと思ったし、特にこれまで退屈至極と敬遠していたチャイコンの1楽章を、すっかり夢中にさせてくれたのは彼女が初めてだった。

 このあと、第3集としてデュオやトリオなどの室内楽ものがセット化されるとのこと、これまた楽しみですわい。
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by harukko45 | 2009-09-23 23:24 | 聴いて書く

 一週間ほどブログを更新してなかったですが、実は3月31日からウィーンに行っておりました。で、いつものようにブラブラ・ダラダラと休暇を楽しんできたのですが、滞在したホテルのネット環境が悪く、昨年のように旅の日記をつけると言ったことは不可能でありました。
 まぁ、毎回ウィーンに行っても私のやっていることは同じなので、新たに書き加えることもないのですが、それでも、今回は久々にウィーン・フィルのコンサートをテアター・アン・デア・ウィーンで聞けたのはとっても幸せな出来事でありました。

e0093608_5195919.jpg それは4月5日で、ピアノと指揮がダニエル・バレンボイム、曲目はベートーヴェンのピアノ・コンチェルト3番と4番、というベートーヴェン好きには願ってもない内容であります。ちょっと皮肉っぽく見れば、「あまりにもベタな」コンサートかもしれないですね。なにせ最近はベートーヴェンの人気がかつてに比べてがた落ちですから。
 しかし、好きなものは好きだし、文句のつけようのない大作曲家の傑作古典をバレンボイムが弾き振りするのですから、これは何としても見逃せなかったのでした。

e0093608_5431073.jpg というわけで、出発の数週間前からオンライン・チケットを購入し、家にあるCD(バレンボイム25歳での’67年EMI盤、指揮は巨匠クレンペラー、 スタジオはアビーロード。それにしてもポップスもクラシックも古い録音ばっかしか持ってないのぉ!)での予習も抜かりなく、当日をワクワクしながら待っていたのでありました。
 それと、たぶん日取りを合わせたのだと、勝手に思っているのですが、この3番の初演が1803年の4月5日、アン・デア・ウィーンで作曲家自らのピアノで行われたわけで、205年前(半端だ?!)と同日同場所での演奏に、何かしら物語性を感じてしまう私なのでありました。(ちなみに、4番も1806年12月22日、アン・デア・ウィーンで初演された/ベートーヴェンは自作の作品の演奏会場として、ここを大変に評価していたとのこと)

 バレンボイムは、現存する指揮者を代表する人気と高い評価を得ている人物であるが、私は指揮者としての彼はあまり好きではない。12年前にウィーン・フィルの定期演奏会でブラームス4番を聞く機会があったが、その時はちっとも感動しなかったのだ。「あぁ、ウィーン・フィルをムジーク・フェラインで聞いたっけ」って感じ。ベルリンのリンデン・オーパーにおけるオペラもTVで見たが、あまり感心しなかった、というか、つまらなかった。

 だが、ピアニストとしての彼は、特にモーツァルトのピアノ・コンチェルトのCDでの演奏が大好きで、かなり愛聴しているし、最近NHKが頻繁に放送しているベートーヴェンのソナタ全集のライブ映像も素晴らしいと思った。

 私は彼の音が好きだ。西欧人としては比較的小さい体と手から紡ぎ出される音は、全く剛腕な感じがなく、極めて繊細で緻密だと感じる。それと、よく歌っていて表情が豊かに変化していく。強烈な個性とテクニックで弾き倒してしまうタイプでなく、とにかく音楽に感じ入って、深く理解し尽くすピアニストだと思う。その音楽の読みの深さが、たぶん凡人のそれとは雲泥の差なのだろうと感じる。それはTVで見た、若手にベートーヴェンのソナタを教授する番組を見るだけでもわかるのだった。

 さて当日、それまで雨まじりの天気ばかりだったのに、この日は気持ちのよい晴れとなり、ポカポカとした昼下がりのコンサートとなったのでした。
 盛大な拍手に迎えられて登場したマエストロ・バレンボイムは指揮棒を持ち、ピアノは弾かず、まず前段としてフランツ・リストによるカンタータ「ベートーヴェン百年祭に寄す」(Introduction to the Cantate "Zur Säkularfeier Beethovens" , Adagio from op. 97)が演奏されました。これは、初めて聴いた曲で、全体にウォーミング・アップ的な印象でしたが、ウィーン・フィルのいつもながらの美音が心地よく、土曜の夕方(3時半)にはピッタリのリラックスした雰囲気でありました。

 しかし、やはり本編のピアノ・コンチェルトになると一気に緊張感が高まりました。まずは、再び登場したマエストロが慎重にピアノの椅子の位置を調整していたのが印象的でした。
 そしてピアノの前に立ち、いかにも「田舎くさーい」主題のオーケストラ部分を指揮し始めると、馴染みのあるベートーヴェンの世界に一気に引き込まれたのでした。ただ、CDにおけるクレンペラーの大きな広がりのある感じよりも、ウィーンらしい少し小粒で優雅な響きとなっていましたが、Cmの堂々とした雰囲気はちゃんと残されていました。

 さぁ、いよいよピアノ・パート。おもむろに座って鍵盤に向かったマエストロでしたが、最初のユニゾンのかけ上がりでちょっとミス・タッチがあり、ドキっとしました。とは言えすぐに、そんなことはたいして問題にならないほど、オケとピアノとのバランスの良さに心を奪われ、感嘆してしまいました。
 アン・デア・ウィーンはどちらかと言えばドライな音質で、規模もそれほど大きくないので、今回のような演目にはピッタリと思ってはいましたが、それでもそのバランスの完璧さ、聞きやすさはさすがでありました。私の席は3階の少し右側後ろでしたが、そのサウンドに全く不満を感じる事はなく、その美音に終始酔いしれることが出来ました。

 マエストロは、その後もところどころ些細なミス・タッチがあったり、オケとの合いがいま一つの部分もありましたが、それ以上にやはりCDで聞く20代の演奏よりも深みのあるニュアンスが素晴らしく、音楽が止まるような部分が全くなかったのは凄いと思いました。
 また、3楽章のロンドの主題の弾き方が、CDよりも「こぶし」が効いていて実に良かった。短調なのに、ウキウキする楽しさを感じさせてくれて、思わずニヤリとしてしまいました。

 前半の3番だけでもかなり高揚した気分になりましたが、それ以上に休憩後の4番はほんと素晴らしかった。というか、曲がそもそも素晴らしいのでありますが、とにかく演奏家にとって、とても大事だと思うのは、「あーいい曲だ、なんて素晴らしい曲なんだ」と聴き手にシンプルに感じさせることだと思うわけで、その場合は演奏家のエゴイスティックな主張や個性は邪魔になるのです。しかし、この日のバレンボイムのピアノにはそれが皆無でした。だから、素晴らしいのです。曲にそれだけ深く入りこみ、音符の全ての意味を完全に理解して共感していなくては絶対に出来ないことだと思います。

e0093608_5202382.jpg それにしても、この4番、いい曲です。深いし、渋いです。だから、年齢を重ねるとその素晴らしさがよく理解できます。だから、どんどん好きになります。1楽章最初の主題をオーケストラの前にピアノのソロで弾くところだけで、もうメロメロです。その静けさや内面的な表情がやがて激しい転調を経て、豊かな広がりに発展して行くのです。こちらはついて行くだけでクラクラでしょう。
 2楽章の幻想的な響きはベートーヴェンのもう1つの素晴らしさ。ただ「ボーっと」しているだけじゃない、実は激しい感情が渦巻いているのです。弦のアンサンブルとピアノとの対話を、じっと聞き入り、深く瞑想するのみです。
 3楽章のロンドでのマエストロのノリは最高でした。のっけから心が弾んでワクワクしっぱなし。でも、イケイケどんどんで賑やかに盛り上がっていくわけじゃないんだな。全体には渋いニュアンスが支配しているのが、良いのです。そしてそれが最後に速いテンポの力強いエンディングとなり、聴き手に大きな満足感を与えてくれるのでありました。

 ですから、うるさ方の多い3階席も「ブラボー」の嵐でしたし、私も感激して、とっても豊かな気持ちになりました。それに、バレンボイムのピアノはやっぱり好きだなぁとあらためて思ったのでした。

 さて、マエストロは、ここ30年ぐらいピアノよりも指揮の方に力を注いでいましたが、2005年にシカゴ交響楽団を退団して以後、ピアノにも再び重点を置くと明言しています。それこそが私の望むことでありますし、今後もこのような形でコンサートをやってくれれば、ファンとしてはこの上ない喜びとなるでしょう。

 でも、来年のニューイヤーはどうかな? 指揮だけだと、ちょっと不安だな。ピアノ弾いてほしいけど、シュトラウスでピアノはないもんな。
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by harukko45 | 2008-04-08 05:19 | 聴いて書く

年末年始クラシック三昧

 大晦日から元旦にかけては、毎年クラシック音楽のTV番組が多くあり、ちょうど酒飲みながらお祝い気分で聴くにはもってこいの感じ。

 まずは大晦日のNHK教育テレビでの「モーツァルト・イヤー2006 ハイライト」。ここでは昨年ヨーロッパと日本でいろいろとおこなわれたモーツァルト生誕250年の記念コンサートをダイジェストで見ることができ、その演奏の比較が出来て興味深かった。
 で、数々の大物有名指揮者、演奏家がどんどん登場する中、だんトツに惹き付けられたのはまたまたダニエル・ハーディングだった。前にも書いたザルツブルグ音楽祭での「モーツァルト・ガラ」での抜粋だったが、それまでホロ酔いもあって、「可もなく不可もなく」の印象で聞き流していたのが、彼のドン・ジョバンニ序曲が始まった途端、全神経が集中したのだった。やはり、彼は面白いし、情熱を感じるし、センスがいい。今年も引き続き要注目。

 次に年明け早々、現地はまだ大晦日だが、毎年恒例のベルリン・フィルのシルヴェスター・コンサート。今回はリヒャルト・シュトラウス、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、ドボルザークと比較的多彩(?)なメニュー。いつもは、何らかなテーマを持ってやっていたが、今回は何だったのだろう。実は、サー・ラトルとベルリン・フィルの組み合わせはこれまであまり感動したことがない。本当に合っているのだろうか。
 それと、いつも思うが、録音の関係か、残響が多いサウンドと過度なリミッターによるつぶれた感じがあまり心地よくないし、聴いてて疲れる。

 が、プログラムの2番目に登場した内田光子さんとのモーツァルト・ピアノ協奏曲20番は素晴らしかった。久々に、この曲を聴いて涙が出そうになった。内田さんのピアノが最高だったのだ。これほど深みのあるモーツァルトはなかなか聴けない。ほとんどのモーツァルト演奏は、もっと軽いパフォーマンスばかりに思える。
 まずは、オーケストラのみの序奏の部分で、それを聴き入る内田さんの表情からして凄い。完全に音楽の中に入り込み、自ら音楽の化身に姿を変えていた。
 そして、彼女のピアノの美音に心を奪われる。素晴らしいタッチ、強弱の表情の豊かさ、そして何より心のこもった、そして作品に共感しまくったフレージングにただただ引き込まれて、息も出来ない感じだった。
 2楽章の有名な主題で、これほどジーンと来て熱いものがこみ上げたのは、映画「アマデウス」のエンドロールでこの曲を初めて聞いた時以来だった。
 とにかく全楽章を通じ、悲しみをたたえた味わいのある音と心から歌う演奏に感動しまくった。ラトルの伴奏も素晴らしかったが、そのベルリン・フィルの重厚なサウンドにけっして負けない、内田さんのフォルテッシモを絶賛したい。また、あらためて20番の素晴らしさを再認識させられた。
 もう一度言う、こんなに深いモーツァルトはなかなか聴けない。
 なので、その後の「ばらの騎士」の抜粋などの演奏は、自分にはつまらなかった。それだけ内田さんが最高だった。

 さて、元旦になって今度はウィーンのニューイヤー・コンサート。指揮はズービン・メータ。私は彼の指揮をロサンゼルスとフィレンツェで見たことがある。私の印象では、ずいぶんオケに任せてしまう感じで、出たとこ勝負のような演奏に聞こえ、その時はあまり共感できなかった。ロスの時はオケも良くなくて、無難な演奏に終始していたし、フィレンツェでの「魔笛」は歌手の出来がすこぶる良かったので、それにかなり助けられていたと思った(オケだけによる序曲にはがっかりさせられた)。
 逆に言えば、いいオケと組めば、そのオケの良さをじゃませずに引出すということになるのだろう。それに、ウィーン音楽大学で学んでいたという経歴から、現在のウィーン・フィルにはその時の同級生が多くいるとのこと。そういう点では、実に新年らしい和気あいあいとしたムードで楽しい内容だったかな。

 でも、せっかくなんだから何かしら「こりゃ、たまらん」ってもんが聴きたかった。唯一「エルンストの思い出」での各楽団員のパフォーマンスをフィーチャアしたのは面白かったけど(ピッコロの超絶技巧に大喝采)。というわけで、去年のヤンソンスのようなワクワク感はなく、あっさりしたものだった。若きハーディングがここに登場するのは何年後か?意外に早いかな?
 
 そうそう、暮れに録画していた音楽歴史上に残る伝説のソプラノ、ビルギット・ニルソンの生涯を紹介した番組も面白かった。彼女は特にワーグナーで超有名だが、こうして聴くと、昔の音楽家には何とも言えない気品があるなぁ、と強く思った。それと、当たり前だが、歌が断然素晴らしい。これぞ、ディーヴァでしょう。今じゃ、ディーヴァって言葉、デビューしたてのJ-POPの新人歌手やら、何でもかんでも簡単に使ってるけど、少し控えましょうね。
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by harukko45 | 2007-01-03 15:23 | 聴いて書く

マルタ・アルゲリッチ

 ここのところのマイ・ブームの一つにマルタ・アルゲリッチがいる。彼女は1941年生まれで、たぶん多くの音楽ファン、特にクラシックを少しかじった人なら誰でも知っているほどの有名なピアニスト。そして、誰もが認める天才。世の中に「天才的」才能の持ち主は多くいても、真の「天才」はわずか。そのまさに、正真正銘の天才ピアニストの一人だと、私は信じて疑わない。
 ただ、私は彼女の生演奏を聴いたことがないし、CDも持っていなかった。実は、何度かNHKのクラシック音楽番組で観たぐらいなのだが、それでも、現存するピアニストの中では絶対的な女王であると思っていた。

 で、先日やはりNHK-BSで「アルゲリッチの音楽夜話」というドキュメンタリーが放送され、今まで知ることのなかった彼女の生い立ち、成長、音楽観、演奏観がインタビューなどによって垣間見れて実に興味深く、ますますファンになってしまったのだ。
 いや、正直言えば、彼女のピアノ演奏とその心情、考えをあらためてこういう形で観ることによって、ほかの音楽が全く刺激的でなくなってしまったのだ。なぜなら、みんなアルゲリッチほど音楽してはいない、と感じてしまったからだ。

 おかげで、今の時点では彼女の演奏以外に興味がわかない。現在の自分には(死んでも)到底届かない領域に住む天才の仕事ぶりに、ただただ平伏すのみ。
 買って来たラベルのピアノ協奏曲ト長調に心底まいっています。

 番組のインタビューの中で特に強くの記憶に残ったものがある。少女時代から、コンサートの前に彼女はステージ袖で、「1回でもミスしたら、あなたは死ぬのよ。」と自分に言い聞かせたそうだ。そうやって(彼女の言葉によると)自分を抑えることが出来たと言う。そして、そうすることにより、本番では絶対にミスせずに演奏したのだった。
 
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by harukko45 | 2006-11-01 23:35 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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