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 さて、Tower Recordsでもう一つミッケ! 何とお懐かしい、キャスリーン・バトルだ。

 86年にウイスキーのCMでヘンデルの「Ombra Mai Fu」を歌う映像が流れて、一躍日本でも大ブレイクしたアフリカ系アメリカンのリリック・ソプラノであります。私もそのCMをきっかけにファンになってCDを買ったが、最近はあまり注目していなかった。
 彼女自身の容姿の美しさ、その「天使の歌声」はまさに「これぞ癒し系」と思わせたし、カラヤンが生きていたころはずいぶんヨーロッパでもオペラで活躍していたし、レコーディングも多かった。モーツァルトのオペラでのツェルリーナもデスピーナも最高にチャーミングでその姿、もちろん歌にうっとりしちゃってた。
 それが最近知ったことに、そのイメージとは裏腹な「ワガママな言動」でメトロポリタン・オペラから追放されていたなんてねぇ。あのジェームス・レヴァインも我慢の限界だったとは驚いた。どうりでこのところオペラに登場しないわけだ。大変、残念なことである。
 で、このアルバムは95年の録音で、いわゆる「天上」系の曲ばかりでバトルの声にピッタリ。録音もニューヨークの教会でされている。彼女の人間性はともかく、その豊かな才能・声の素晴らしさは紛れもないものだ。本当に聴いていて心がなごんでくる。全体のまとまりもすごく良い。

 さて、当初のメンバーとは違ったが、ボニー・レイット、ロレッタ・リン、キャスリーン・バトルでシンガポールCD購入「オバさまシリーズ」は完結。
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by harukko45 | 2005-11-03 23:57 | 聴いて書く

クライバーのオテロ

 ここのところ暇な時間は、過去に購入したり、TV放送から録画したオペラのVHSビデオをDVDにコピー(当然アナログ・コピー)しているのだが、久々に見直すといい演奏には思わず引き込まれてしまう。その中でも、もっともすごい内容なのがやはりカルロス・クライバーが指揮しているものだ。
 常に「天才!天才!」と呼ばれ続けたこの指揮者は、特にオペラが最高だったと思う。残念ながら私は実演を観る事はできずに、彼は去年他界してしまったわけだが、こうして映像で鑑賞するだけでも、その素晴らしさは他の指揮者とは圧倒的に違うと感じるのだ。

 そのクライバーのオペラの中でもピカイチなのが、1976年ミラノ・スカラ座での「オテロ」だろう。歌手陣が超豪華だ。ドミンゴ、フレーニ、カプッチッリ(特にカプッチッリが最高に好きだ。)に、最高の舞台演出はゼッフィレッリ。これだけでも文句はないが、その聴き手の期待度をクライバーは軽々と飛び越え、最高の演奏をオケから引き出して、別次元に私を連れ去ってしまうのだった。
 
 ただし、このビデオは自宅テレビから録画したらしい海賊版(?)もどきのものだ。だから、映像も音(モノラル)も大変悪い。にもかかわらず、本物の音楽が凄まじいパワーで押し寄せてくるのだ。
 
 演奏を始めるまえのクライバーはすごく緊張している面持ちだ。表情が引きつっているようだし、唇を何回かなめているし、手も震えているようにも見える。が、決意をもって振り下ろした瞬間、とてつもない音が飛び出してくる。1幕冒頭の嵐の場面は、まさに命がけの音がしているのだ。そして、合唱のパートを歌いながら指揮をするクライバーはもうすでに音楽の化身となっていて最高にかっこいい!!そしてドミンゴによるオテロの第一声における輝かしい歌声がしびれる。
 その後のカプッチッリが歌う「乾杯の歌」もご機嫌なノリで進んで興奮するし、1幕最後のドミンゴとフレーニの2重唱は甘くなりすぎず、それでいて陶酔感にもあふれている。この辺のセンスの良さが素晴らしい。

 2幕目でもカプッチッリのイアーゴは最高で、彼のふりまく毒はオテロだけでなく聴き手をも狂わせるのだ。そして、イアーゴの奸計にまんまとはまり始めたオテロが怒りを爆発させるあたりのドミンゴとオケの一体感は何だ!この後の壮絶なるカプッチッリ、ドミンゴの2重唱はとんでもないことになる。

 3幕目は恐ろしい。ヴェルディの深い人物描写、人間の裏の世界を見事に表現するその音楽自体もすごいのだが、完全に嫉妬と不信によって狂気の世界に踏み込んでいくドミンゴの名演技と、オケの力をつかって歌手達をアオリまくるクライバーには本当の悪魔が乗り移ったかのようだ。

 シェイクスピアの書いたこの悲劇の結末は、やはり死しかないのだが、この4幕目は普通のイタリアもののようにズルズルとお涙頂戴にせず、スキっとすすめて逆にリアリティのあるエンディングになったのだ。
 また、客の反応もおもしろい。クライバーが指揮を始めようとすると、反対派が口笛を吹いたり、ブーイングするとそれに抗議して猛烈な「ブラボー」の声と嵐のような拍手。それでもやめない妨害に対して叱りつけるお客の声。ステージの上も客席もすごい緊張感にあふれている。

 それから余談だが、終演後のカーテンコールでのゼッフィレッリの姿がかっこいい。さすがイタリアの名演出家、映画監督。いい仕事をする人は見た目もキマッテいた。

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右:オテロ 左:同じくスカラ座79年の「ラ・ボエーム」、パヴァロッティ、コトルバスも素晴らしいがやはりクライバーの音楽は常に新鮮で、音がわき上がってくるのだ。ただし、音質も映像もオテロ以上に悪い。DVDにもなっているが、まったく改善されていないらしい。この他ちゃんとした正規版、シュトラウスの「こうもり」も久々に観て感動した。こういうドタバタものでも最高のパフォーマンスを引き出す。もちろんR・シュトラウスの「ばらの騎士」も。結局すべて必聴必見となってしまう。
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by harukko45 | 2005-10-28 23:36 | 聴いて書く

 イタリアの有名な指揮者リッカルド・ムーティがウィーン・フィルと今月来日していたが、私は観に行ってはいない。とにかく、むっちゃ高いし(1〜3万1000)、それと何よりムーティ氏のシンフォニー演奏には今まで感動したことがないからだ。
 93年にミラノに行った時、彼が音楽監督をつとめるミラノ・スカラ座管弦楽団の公開プローベ(リハーサル、この時はオペラではなくオーケストラのみの演奏会用でシューマンやラベルなどをやっていた。)を見学できた時も、いまいちピンとこなかったし、その前の91年にウィーン・フィルとやったモーツァルトの40,41番もサラサラといってしまう淡白な演奏だった。それは、これまでに何回か登場したニューイヤーコンサートにも言えた。

 だからといってダメなのかというと、そんなことはなくオペラに関しては、私の中ではかなり信頼している指揮者の一人なのだ。要は、それぞれ得意不得意があるわけだ。逆にシンフォニーを振ると素晴らしいのにオペラはだめという人もいるわけで。(もちろん、ご本人はそう思っていないかも。これもコチラの勝手な解釈になるのだろうね。)
 で、何が言いたいのかというと、今回の来日を記念してNHK-BSが彼のオペラを4日間にわたって放送してくれたことがうれしかったのであります。それもイタリアものばかりを。
 なんだかんだ言ってもイタリアものはイタリア人が、ドイツものはドイツ人が仕切るのがよろしい。(例外としてカルロス・クライバーのような天才はどちらを振っても我が道を行くが)
 すべてスカラ座の公演だからオケも歌手も演出も高水準な内容だったし、やっぱりムーティはオペラがいい!とあらためて確認した次第。放送された4つの演目(プッチーニ「トスカ」、ヴェルディ「トロヴァトーレ」「仮面舞踏会」「ファルスタッフ」)の中では、「トロヴァトーレ」と「ファルスタッフ」が大変すばらしい出来で感動した。

 「トロヴァトーレ」は「リゴレット」「椿姫」と同時期のヴェルディがもっとも充実していたと言われる頃の傑作。だが、4人の重要登場人物の歌唱力が強力でなくてはならない難曲つづきだし、ストーリーもいっさいの緩みがなく、緊張感がずっと張りつめた内容だから、なかなか名演と巡り会うのはむずかしいと思っていた。(現にジェームス・レヴァインとメトロポリタンのDVDなどパヴァロッティがいてもイマイチな出来。とそこにとんでもない朗報!1978年のウィーンでのカラヤン、ウィーンフィル、ドミンゴ、カプッチッリの「トロヴァトーレ」のDVDが出るとのこと。きゃあ、大変!)
 しかし、ムーティはキリっとした辛口の指揮ぶりで全くナヨナヨしたところがなく、厳しく厳しく貫いて見事に集中した舞台だった。歌手もそれほど有名人がそろったわけではないが、大変うまかったし、何よりステージでの一体感があって素晴らしかった。

 そして「ファルスタッフ」。このオペラを聴くと、ヴェルディという作曲家はなんと素晴らしい人生を送ったのだろうと思ってしまう。この遺作は彼の作品の中でも異色作とも言える。それまでのドラマチックで悲劇的なものとは全く違う明るく楽しい音楽。モーツァルトやロッシーニをも思わせるようなドタバタ喜劇に最後はバッハ風のフーガで「人生は冗談ばかりだ」と笑いとばす。80歳の老ヴェルディは人生の全てを見通して「笑う」ことで締めくくった。それが、かっこいい。
 ムーティの管理のもと、歌手もオケも素晴らしかったが、それよりヴェルディそのものの素晴らしさに感動した。また、逆に言えばそのように感じさせるパフォーマンスをした彼らは大変素晴らしかったとも言えるだろう。

 
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by harukko45 | 2005-10-21 16:07 | 聴いて書く

 7月13日に、指揮者のカルロス・クライバーが亡くなった。その報は、今朝世界に伝えられた。先月亡くなったレイ・チャールズに続き、20世紀が生んだ音楽界の真の巨匠がまた一人いなくなってしまった。

 私のような中級程度のクラシック音楽ファンにとっても、クライバーの存在は大きかった。子供のころにさんざん聴かされた反動ですっかり大嫌いになってしまったクラシックに、私が再び興味を持ったのは2つのきっかけがあって、1つはミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」を観たこと、そしてもう一つは彼の指揮による‘あまりにもカッコイイ’ベートーベンの「第5」を聴いたからだ。

 私が小学生時代、「教育的」にクラシックを聴いていた頃、クラシック音楽鑑賞の定番である「第5」はカラヤン/ベルリン・フィル盤が一般には大ベストセラーだった。ご多分に漏れず私も最初それを聴いていたが、私自身の音楽的恩人である当時東大在学中の方にフルトヴェングラー/ウィーン・フィル盤を強く薦められ、聴き比べることにした。その時初めて、同じ曲であっても指揮者・演奏家によって、こんなにも違う表現になるのかということ知った。

 どちらが良かったか? 圧倒的にフルトヴェングラー盤であり、その後フルトヴェングラー/ベルリン・フィルによるライブ盤がそれをも大きく上回る演奏であるのを知ったが、とにかく子供心にフルトヴェングラーにすっかり参って、どんなに人気があったってカラヤンなんかペラペラ! などと偉そうに思っていたのだ。で、私の中で「ベートーベン=フルトヴェングラー」の方程式が出来上がり、それ以外は聴く価値なしだった。が、その極端な価値観は、結局ロックやジャズに興味が移っていくうちに、「フルトヴェングラー=ドイツ=重くてかったるい」「ベートーベン=ダサイ」よって、「クラシック=大っきらい」へと変わっていったのだった。

 ところが、その当時すでにカルロス・クライバーは40代の期待の星であり、若きカリスマとして注目されていたのだった。そして何枚かの名盤を早くも出していた。いやいや彼の場合、取り組む作品に対して深く深く掘り下げ、実に緻密に作り上げるために、発表されるレコード・CDは他の人気指揮者に比べて極端に少ない。が、それらは彼の高い音楽性に裏打ちされた個性的な解釈によって、どれもこれも傑作であり問題作であり、すべてが必聴盤なのである。

 そして、私は80年代後半になって、もう一度クラシックを聴くことに目覚め、遅ればせながらクライバーを知った。再び「第5」だった。私が指揮者の善し悪しを判断するのに、これほど打って付けの曲はない。なぜなら私の記憶には常にフルトヴェングラー盤があるからだ。

 クライバー/ウイーン・フィル盤を買ったその日、久々にそのベートーベンを聴いたときの感動を今でも忘れない。私にとってすっかりカビが生えて思い出すのもイヤになっていた「あの曲」が、とてつもなく鮮明に、それどころか全く生まれたての音楽、初めて聴く音楽のように鳴り響くのを感じた。そして蘇った子供の頃の思い出とともに、何度も何度も繰り返し聴いたのだった。

 1楽章のもともと息が詰まるように書かれている音符の一つ一つがイキイキと意味を持ち、それらが結びついていくのがスリリングでたまらない。それでいて、彼は全体をよく見渡していて、決して興奮しっぱなしの状態になっていない。実にクールでカッコイイのだ。2楽章では、一転して歌いまくっている。私は大好きで、一緒に口ずさむ。クラシックを一緒に歌って何が悪い。そのメロディのえぐり方が緻密で素晴らしい。だから、聴くたびに新たな発見があり、常に新鮮で美しい。3,4楽章はその精密なアンサンブル・ワークとキリっとしたリズム感・スピード感が素晴らしいが、これに関してはより劇的なフルトヴェングラーに軍配を上げる。が、現代においてフルトヴェングラーのようにすさまじくドラマティックに演奏することは、やはり抵抗があるだろう。よって、この極度に洗練しきった超モダンな演奏こそ、まさに今の表現だと感じるし、高く評価したいのだ(でももう30年前の演奏、結局これ以上の名盤は出ていないようだ)。

 その後、クライバーの演奏をいろいろと買い揃えることになった。特にオペラはどれも素晴らしい。ミラノ・スカラ座での「オテロ」と「ボエーム」、バイエルンとウィーンでの二つの「ばらの騎士」、スタジオ録音の「椿姫」「トリスタンとイゾルデ」、そのいずれも歴史に残る大傑作と思う。

 また、ウィーン・フィルとの89年と92年のニューイヤーコンサートの素晴らしさを何と例えたらいいのか。とにかく、その映像(92年)でみる、エレガントの極致である指揮姿! まずこれに魅了されない人はいないだろう。また、大事なところでの悪魔のような殺気を感じさせる集中力。それでいて、オーケストラの優秀さを認めて、まかせるところはまかせてしまう大きさ。まさに、彼そのものが音楽の化身となって、それまでのウィンナ・ワルツとは別次元の演奏を実現したのだった。それ以後、何人もの指揮者がニューイヤーコンサートを代わる代わる指揮したが、私にとってはどれも楽しめない、ありきたりの演奏でしかなかった。

 私は彼の演奏を生で観ることは残念ながら出来なかった。そして私のアイドルはまた一人この世から去った。この喪失感は91年のマイルス・デイビスの死以来だろうか。私ごときにアイドルなどと言われては、クライバー氏も心外だろう。また、多くの彼のファンにも失礼だった。とにかく、今はこの偉大なる音楽家に感謝するとともにそのご冥福を祈るのみだ。
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by harukko45 | 2004-07-20 00:00 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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