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 "フィガロの結婚"は登場人物も多いし、演劇的にも凝っているので、オペラ上演において全てが完璧だったというのは、まず有り得ないと思う。常に完璧なのはモーツァルトの音楽のみ。
 しかし、その音楽の完璧さのおかげで、たいていの場合「こりゃ、ひどい」という舞台にはならないことが多いと思う。とにかく、序曲もアリアもアンサンブルも、最初から最後まで「いい曲」ばかり。伯爵から小間使いの女性にいたるまで、出演者すべてに名曲が提供されている希有なオペラなのである。

e0093608_14555382.jpg 1月25日に放送されたのは1996年チューリッヒ歌劇場での公演で、指揮はニコラス・アーノンクール。アーノンクールは古楽器風の奏法を早くから導入し、なおかつその表現は「前衛的」「過激」と言われてきた好き嫌いの別れる指揮者で、私はどちらかと言えば敬遠するタイプ。
 この公演でも序曲の遅いテンポから(でも、私の持っているクレンペラー盤よりは早いから、さほど驚かないけど)、金管の強いアタック、今まで聴いた事のない場所でのフェルマータやレガートなどなど、いろいろやり放題でありました。
 1幕あたりではその奇抜さにいちいち反応してしまうので、少しイライラさせられたが、2幕目以降は彼のやり方にも慣れて、あまり気にならなくなった。
 歌手陣がそろっていて安定感があり、演技も良かったので、なかなか楽しめる環境になっていったのだった。

 しかしまぁ、何度聴いても2幕目のフィナーレは凄いな。伯爵と伯爵夫人の夫婦喧嘩の二重唱に始まり、小間使いのスザンナが加わり夫人が優勢の三重唱、ところがフィガロが加わり大混乱の四重唱、そこへ庭師が御注進して五重唱で事態はフィガロ派の不利、そこを機転を効かせて乗り切り、フーこれで何とか丸く収まるかと思いきや、3人の伯爵派が乱入して4対3で再びフィガロ派は劣勢に!
 約20分にわたる目も耳もクラクラになる音楽の流れにこちらはただただ圧倒されるのみ。この作曲家の才能はどこまであるのか、と茫然自失になりながら幸せを感じる次第。

 3幕目の綿密に組まれたドラマと音楽には常に唸りっ放し。笑いも悲しみも恋する気持ちも嫉妬も疑念も悪だくみも、すべてが重層的に絡み合っているのに、音楽によって一度に表現されてしまっている。まさに、神の視点で人間達を俯瞰している音楽。
 4幕目には何も言葉はいらない。フィガロとスザンナの魅惑のアリアに続く再び長大なフィナーレは、あまりにも素晴らしくて自分の存在意義さえも見失うほどだろう。もはや、この音の前に何もいらなくなってしまい、このまま死んでもかまわない気持ちにさせられる。
 最後に伯爵が夫人に謝罪し、夫人が「私はあなたより寛容なので許します。」とこたえる辺りになると、近頃すっかり涙もろい私はボロボロになっているのだった。

 ところが、聴き手が至福の嗚咽に浸っているというのに、「ハイ終わり終わり!」とばかりにこの作曲家は快速のエンディングで一気に幕にしてしまう。再びこちらは呆然としたまま、あの天才は悪魔のような甲高い笑い声をたてて何処かに消えていってしまうのだった。
 ミロス・フォアマンの傑作映画「アマデウス」の中のサリエリの心境が痛いほどわかる瞬間だ。
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by harukko45 | 2006-02-14 13:50 | 聴いて書く

 まいった!最高にイカシたピーター・ブルックの演出、若き(この当時27歳)のダニエル・ハーディングの素晴らしい指揮、歌手達もオケも非常によくコントロールされて、一丸となった水準の高いパフォーマンス。最初の序曲から最後の地獄落ちとエピローグにいたるまで、まったく飽きる事のない、最高の舞台だった。
 2002年7月フランス、エクサン・プロヴァンス音楽祭。オケはマーラー室内管弦楽団。(1月26日NHK-BSで放送)
 
 これまで観た全ての"ドン・ジョバンニ"の中で最高の映像作品と言っていい。いろんな手あかのついた18世紀の古典が、見事にシェイプアップして、現代の最先端作品として瑞々しく生まれ変わったようだ。今まさに書き立てのような新しい音と、巧みな演出の妙にしびれまくりである。
 モーツァルトが生きていて、これを観たら大喜びだったろう。

 まずはダニエル・ハーディング!こいつは強力なイギリス人だ。凄い若者がいたもんだ。今年でまだ31歳なのか。これからのヨーロッパ音楽界の主役になっていくこと間違いない。(今シーズンからミラノ・スカラ座のシェフですか、すごい。)
 しかし、この若さでよくここまでオペラの隅から隅まで神経の行き届いた指揮ができるものだ。マーラー室内管弦楽団はモダン楽器のオケだが、聴けばすぐわかるように徹底的に古楽器風に演奏している。それが、ちっとも嫌みでない、それどころか極めて新鮮な響きであり、ワクワクドキドキさせられるのだ。
 テンポは全体に快速だが、無味乾燥なことなど一切ない、情緒的な歌心の面も十分満足させてくれる。ノリの良さが抜群で、歌手を含めたアンサンブルもキリっときまっていて、まさに「現代」のかっこよさを感じさせる。こういうキメどころをビシっとやってくれないと、今のポップスを聴き慣れている耳には不満になるのだが、彼は実にキビシく仕上げているではないか!クールだ。
 古楽器風の演奏だと過去の巨匠のようなロマンティックなものを排して、淡々と進めているように思うが、どっこい彼にはデーモニッシュな感覚もしっかりあって、最初の強姦から殺人のシーンといい、最後の地獄落ちのシーンといい、スリリングでドラマティックな表現と作曲家の内面に迫ろうとする深いエグリ方には久々に大満足の気分を味わうことが出来た。

 そして、イギリス演劇の重鎮ピーター・ブルックのさすがと思わせる演出には敬服した。舞台には椅子と棒ぐらいの道具しかないシンプルなもの。だが、この使い方、見せ方ひとつひとつがすべて示唆にとんでいて、オペラの流れの中でたいへん綿密に練られていた。観ている方はいつの間にか、まったく自然に舞台にひきつけられ、音楽もじっくり堪能できるのだった。
 具体的な背景のない抽象的な世界に、出演者もカジュアルな衣装で登場することで、どのような素性で、どの時代の話なのかも見えない。だが、そのことによって、モーツァルトの"ドン・ジョバンニ"の核心部分を「絵」としてシッカと見せてくれたように思う。
 それも押し付けられるような「頭でっかち」ではない。なぜなら、音楽としっかり共鳴しあって舞台に血の通った演出がなされているからだ。これはまさに驚異の名演出だと言えると思う。

 そして、"ドン・ジョバンニ"は紛れもないモーツァルトの大傑作であり、現代においても人類の宝であることを見事に証明してくれた。大絶賛!!
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by harukko45 | 2006-02-13 00:00 | 聴いて書く

 先月27日にNHK-BSで放送されたベルリン国立歌劇場(リンデン・オーパー)による"コシ・ファン・トゥッテ"を観た。指揮はダニエル・バレンボイム。演出はドイツを代表する(らしい/観たことないので)女流映画監督のドリス・デーリエで、18世紀のオペラ・ブッファを60年代後半の感覚でラブ・コメディとして表現していた。(2002年9月の収録でDVDにもなっている)

 が、私にはこの演出は最悪であったとしか言えないな。やたら仕掛けや小道具が多くて大変ウザったく、また歌手がアリアを歌っている最中でもコマコマした動きがついていたりして、ちっとも音楽に集中できなかった。
 また、それ以前に姉妹役の歌手がかなり太めで、けっしてスタイルがいいとは言えないのに、わざわざ似合わない60年代風のミニスカートをはかせたり、恋人役の男性二人は軍人で戦場に行くという設定なのに、スーツ姿で長期海外赴任のように見せ、その後アラビアの貴族に化けて現れるのをヒッピーとして登場させるのも無理があって少々シラケてしまった。

 とにかく、演出過多でたいへんうるさい舞台で、こういうことがやりたいなら音楽はロッシーニさんに書いてもらった方がいい。モーツァルト君では音楽の陰影が深すぎるのだ。そもそも、単調で退屈になりやすいストーリーを音楽でいろいろと展開して持たせていたオペラだから、元々かなり雄弁な音楽なのだ。だから、そこにやたら付属物を加えられるとあっちこっちに気が散って困る。お願いだから、じっとして歌っててくれー!俺は聴きたいのだ!
 最後には、舞台とモーツァルトは完全に遊離したような感覚になり、非常に虚しく音楽が鳴り響いておりました。それも、バレンボイムがやけにご立派にオケを鳴らそうとするので、ますます虚しさが深まった感じだった。
 バレンボイムはピアニストとしては大変素晴らしくて大好きなんだけど、指揮したときの音楽には今まで感動したことがない。この人は本当に指揮が合ってるのかなぁ?ものすごい才能の持ち主で尊敬に値する音楽家だとは思うのだが。

 "コシ"のストーリーを簡単にまとめますと、姉妹の恋人である二人の男が、友人の老哲学者(?)の口車にのって、それぞれの相手の貞節を試すために、変装して別人となりお互いの相手を口説いたら、なんと二人とも1日で心変わりしてしまった。なんてこった!いやいや「女はみなこうしたもの」(コシ・ファン・トゥッテ)、最後は女性陣が許しをこうてハッピーエンドに?いやいやなかなかそうはいかないよ、ジャンジャン!

 正直この筋は荒唐無稽で、「んなわけないやろ!チッチキチー」の典型のような内容だから、とりあえず終始ドタバタやっていくしかないのだが、昔は単にハッピーエンドだったのを、最近は「もし当事者だったら結構キツイくない?」的な含みを持たせて、裏を返すと「かなり怖い」感じに仕上げるようになっている。でも、それはダ・ポンテの台本に書いてあったのではなく、モーツァルトの音楽がそう聴こえるからに他ならない。
 このオペラを作っていた頃、彼は知人に借金の申し入れの手紙を何度も書いているし、また妻の不倫疑惑に苦しんでいたらしい(彼は旅先から妻にもたくさんの手紙を書いている)。それに、そもそも彼はアロイジアとコンスタンチェの姉妹に恋をし、姉にふられ妹と結婚しているわけだし、そういうことを音楽に全部盛り込んで一気に浄化してしまおう(お互い許し合おう)ということだったのだろうか。それは少し深読みすぎるかな?

 現実の生活が極めて苦しい状況でも、音楽制作においてはとことん「美」を極めてしまうのが、モーツァルトという人の興味深いところであり、そして彼の音楽は私に、「美」というものは実は一般に考えられているよりも「遥かに美しくも愉快でもないもの」(小林秀雄)ということをまさに教えてくれるのであります。
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by harukko45 | 2006-02-12 01:30 | 聴いて書く

 先月の27日がモーツァルトの250歳の誕生日で、それにちなんでNHKが24日から5夜にわたって彼のオペラを放送していたのだが、私はツアー中だったのでHDに録画していた。で、ボチボチ見始めた次第。
 さて、人類史上最高の天才音楽家モーツァルトの偉大な作品群にあって、まず1番手に上げられるのは「オペラ」だろう。2番手は「ピアノ協奏曲」となるかな。それぞれ聴く人によって好みが別れるだろうが、オペラが最も優れているということは間違いないと思っている。特に3大オペラ"フィガロの結婚""ドン・ジョバンニ""魔笛"は最重要だろう。

e0093608_1323672.jpg で、まずは28日に放送されたコヴェント・ガーデンでの"魔笛"から。指揮はコリン・デイヴィス。よくありがちな傾向なのだが、オペラ先進国のドイツ、オーストリアあたりでは演出でかなり挑戦的な試みがなされて、現代劇風に無理矢理見せようとしてかえって大失敗するのだが、オペラ後進国のイギリス、アメリカの公演は逆にとても保守的で、観客が普通に望むような舞台を作ってくれる。おかげで大変安心して観ていられるとも言えるのだ。
 この2003年2月ロンドンの舞台もまさにそのような内容。だから、演出に大きな不満はない。唯一パパゲーナだけ、何であんなに場違いなアバズレ女のような描き方(衣装が最悪)なのかが疑問だった。おかげでパパゲーノとパパゲーナの二重唱のシーンがドッチラケてしまった。
 
 音楽的にはコリン・デイヴィスは全体にゆったりしたテンポで淡々と進め、強く深いエグリも一切なく、よく言えば極めて「純音楽的」であった。逆にいえば優等生的で面白みに欠けるとも言えるかな。でも、とかく独りよがりの解釈で、聴き手の夢をぶちこわす傲慢な指揮者に比べれば純粋にモーツァルトを楽しみたい者には有り難い演奏だったかもしれない。
 が、歌手はことごとく期待はずれだった。このオペラは全体に神秘的宗教的(それもちょっとカルト的)な色彩の濃いメルヘンの世界を描いているのだから、登場人物は皆「非人間」的な存在で、神や悪魔の領域に近いのだ。だから、その神秘性を消し飛ばしてしまうような深いビブラートや不必要なポルタメントや余計な感情移入による大げさなニュアンスをつけて歌われてはガックリしてしまう。そういう歌い方は歌手本人は気分が良いだろうが、こちらにはイメージぶちこわしで、夢の世界から普通の人間界に戻って来てしまうのだ。
 それと、歌手側のノリが悪いのか、指揮の統率力不足なのか、どうもアンサンブルがピシっとこない。原因は両方だと思うが、歌手側が勝手にニュアンス過多で歌っているとテンポが遅くなる。ポップスの世界でもとかく技量と経験が足りないボーカリストほど、バラードもののテンポを遅くしたがる。本人は感情移入しているつもりでも、全体の様式が崩れてしまっては実はよろしくない。演奏も歌もシンプルにやることほどむずかしいものはない。

 魔笛の場合は、ある一つの統一されたムード(モーツァルト最晩年の諦観、寂寥感、透き通った感性/ピアノ協奏曲27番、クラリネット協奏曲、アヴェ・ヴェルム・コルプスなどにも通じるもの)が全体を貫いていて、それを壊すようなものは出来るだけ取り除いてほしい。だからこそ指揮者の音楽性と現場での統率力がものすごく大事になってしまうのだ。
 しかし、ただ一人パパゲーノだけは感情的で無節操、ある意味「過剰に」演劇的であってかまわない。彼だけが普通の人間であり、我々凡人の、あるいは俗世界の代表だからだ。
 きちんと整えられた美しい世界に紛れ込んだ「薄汚い」俗物、それがパパゲーノであり、彼がこのオペラの真の主役なのだ。そして、私たち観客が一番思い入れする対象であり、きっとモーツァルトが最も愛したものに違いない。
 だからパパゲーノ役が魅力的でなくてはどうにもならない。そういう点でも、この公演のパパゲーノは地味だったし、抑え過ぎていた。パパゲーノだけはもっとヤンチャでいいのだ。

 というわけで、これだけ書いていると全く良くなかった感じに思えるだろう。が、それでも感動してしまい、涙がこみあげてしまう瞬間があった。
 何でそんなことになるのか? 不思議でしょうがない。
 結局、それは紛れもなく曲自体の持つ力が凄いからとしか言いようがない。演奏家や歌手の実力の優劣も数々の演出の効果も全く飛び越えてしまう圧倒的な「音楽力」とは存在するのか?
 どうやら存在する。
 何回も同じ曲を鑑賞していると、自分の中に理想の演奏が作られてくる。「ここはこうあってほしい!」「こうあるべきだ!」といったもの。もちろん素晴らしい表現に出会うだびに、それは上書きされて情報量も増える。そうやって新しい演奏に関しては何かと文句が多くなるものの、逆に元の楽曲への思い入れは増幅の一途をたどるのだろう。なかなか満足できなくなる。だが愛はより深まっている。
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by harukko45 | 2006-02-10 01:37 | 聴いて書く

 アルバン・ベルク弦楽四重奏団は現在最高の「弦カル」の一つとして有名だ。だが、私はいかんせんこの手の「室内楽」が苦手だった。
 私のクラシック音楽での好みは、一にオペラ、二にシンフォニー、三に協奏曲かピアノ曲、となって、その他はなかなか聴くことは少ない。それに、前にこの団体の演奏をちょっと聴きかじった印象では、「メチャウマ」だが、何か「冷たい」ような気分になり、それに室内楽特有の音味がオーケストラのような豊かさに欠けるのと、指揮者という何とも「妖しい」存在の魅力がないのが物足りなく思い、ずっと敬遠していたのだった。

 が、何を思ったか、一昨日のNHK-BSの放送で、やっと「ちゃんと」彼らの演奏を聴くことにした。そしてその結果、今までのこれらの音楽への誤解をあらためさせられ、その素晴らしさにすっかりノックアウトされたのだった。

 演奏は去年の5月で、曲はシューベルト2曲と現代曲だが、最初のシューベルトの10番の始まりだけで、すぐに自分の今までの愚かさに気がついた。その意外とも言える音色の明るさにまずは惹き付けられ、そのまま夢中になってしまった。そして、その演奏の完璧さに当然まいったものの、けっして理屈とテクニックだけで音楽しているのでないことは明らかで、情感の豊かさや何とも言えない「懐かしさ」も感じさせてくれたのだ。
 それは2曲目の現代ものでも言えて、不協和音とノイズの応酬の中に「暖かい」音色の美しさをちゃんと同居させていた。

 そして、もう一人のチェリストを加えたシューベルトの五重奏曲は圧巻だった。曲も素晴らしいのだが、この演奏には興奮させられた。ゲスト・チェリストのハインリヒ・シフさんは大変パワフルな音の持ち主で、他の4人の完璧さを打ち負かすほどのエネルギーで、やんちゃの限りをつくして「歌い」まくっていたが、対するバイオリンのギュンター・ピヒラーさんもこれを受けて立ったり、さらっとかわしたりと見応え(聴きごたえ)のあるスリリングさで一気に突き進んでいくのだった。
 それでいて、全体としての完全無比さが全く失われないのは驚異としか言いようがなかった。最後には轟音のシフさんのチェロも見事に一体となって、室内楽とは思えない迫力を実現した。

 とにかく、現代的な精微さと見識の深さとともに、七変化のような音色の変化と伝統から受け継いだ豊かなニュアンスをすべて兼ね備えた凄い人達だった。恐れ入りました。
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by harukko45 | 2006-01-21 23:59 | 聴いて書く

 今年最初に音楽を聴いたのは深夜のベルリン・フィルのジルヴェスターコンサートだったんだけど、これは厳密には2005年ってことになるわけね。サー・ラトルのベルリン・フィルは2002,2003年と一応ガーシュインなどを中心にはしていたものの、妙ちくりんなジャズもどきな年越しコンサートで大変がっかりさせていたのだが、2004年に少し持ち直してオルフの「カルミナ・ブラーナ」を、そして2005は今年の生誕250年を記念してのモーツァルト特集で、やっとこちらが期待するようなベルリン・フィルを聴けるようになった。

 ただ、昨日の夜に生放送されたウィーンのニューイヤーコンサートの出来の良さに、すっかり消し飛んでしまった感がある。

 マリス・ヤンソンス氏の指揮によるウィーンはここ何年間で一番のパフォーマンスを披露してくれた。最初の行進曲では少々堅苦しい感じがあった(再度聴いてみると堅さよりも、やってやろうモードがちょっと強かったような)のだが、続く「春の声」では優雅さだけでなく、大きさも感じさせるようなワルツを聴かせてくれて、「オッ、コレはいけるかも!」と私はかなり上機嫌になった。ウィーン・フィルの方々も例年になく真剣な表情と同時に楽しそうに見えるではないか。

 第2部は圧巻だった。モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲から始まって(実際には2曲目でした)、素晴らしく充実した内容であり、後半に行くにしたがって、音の豊かさがどんどんまし、ウィーンのノリの良さも際立っていき、そして、あのとろけるような弦の響き(特にチェロのアンサンブルは何て綺麗なのでしょう。)には完全にやられた。
 正直、「美しき青きドナウ」にこれほど感動したのは初めてだった。あのクライバーでさえ、これほどではなかった。

 ここ数年、お決まりの演奏でお茶を濁すようなウィーンのニューイヤーコンサートにはほとほとがっかりさせられてきたが、やはり質の高い指揮者が登場すれば、素晴らしいコンサートになることを実証してくれた。ヤンソンス氏は無類の完璧主義者だというが、実際の指揮ぶりは大らかでたいへん人間的だった。とにかくこの人の音楽は「大きい」と思う。それに、緻密ではあっても決して「頭でっかち」になっていない。
 新春早々、すっごくいいものを聴かせてもらった。ありがとう、ウィーン! 
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by harukko45 | 2006-01-02 15:58 | 聴いて書く

 ワルター先生の名演で、もう一つどうしてもここにアップしておきたいものがある。

 1938年のウィーン・フィルとのライブによるマーラー第9番だ。もちろんモノラルだし、SP盤から復刻だ。だから、音が悪いか、というとそんなに悪くないし、十分鑑賞できる。
 それどころか、ここまでアメリカのオケを聴いたあとにウィーン・フィルを聴くと、まずのその美音に驚く。こんなにも違うものか、と溜め息してしまう。しかし、聴き進めるうちに、このライブが尋常ではないことに気づく、というか真剣で真実の音世界に浸るうちに、気楽な「鑑賞する」などという次元を越える場所に連れて行かれてしまう。 

 マーラーの音楽のテーマはすべて「死」だそうだ。彼は死をものすごく恐れ、その反面、現世の幸福や美にとことん憧れ続けたという。他の大作曲家達(ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー)がみな「第9」まで書いて死んだことにこだわり、9番目の交響曲に番号をつけず「大地の歌」とし、「第10」を完成させたのだが、彼の死後「第10」が「第9」と呼ばれている。何と言う皮肉。

 ワルターはマーラーの直弟子で、初演も彼の指揮であることから、マーラーの曲を最も理解する人物の一人と言える。そして二人はともにユダヤ人であり、ウィーンをこよなく愛した。
 マーラー死後、ウィーンからミュンヘンなどドイツ各地で活躍し名声を高めたワルターは、59歳で再びウィーン・フィルに招かれ、大いなる人気と芸術的成果を上げたのだった。
 が、彼はすでに33年頃からドイツにてナチスの妨害や脅迫を受けていて、ウィーンに戻ってもナチスのいやがらせは続いた。オペラ指揮中に臭気爆弾が投げ込まれたり、コンサート直前に死の脅迫状が届いたりしたそうだ。
 そういった状況下での38年1月16日のコンサート、「ナチス党員による妨害の咳払いや足音と共に演奏が開始された」とワルター自身が語っている。
 そして、その2ヶ月後オーストリアはヒットラーに占領されドイツに併合された。ワルターはパリに演奏旅行中で暗殺を免れたが、全財産は没収、長女は逮捕、次女はナチス党員だった夫に殺害された。その後彼はアメリカに脱出することになる。

 ここでの演奏はそのような全ての要素が絡み合い、ものすごい何かを生み出してしまった。ずっとマーラーは死の恐怖にのたうちまわっている。音がすべて苦しんで悶えている。なのに、とてつもなく美しい。信じられない状況だ。のたうちまわっているのはマーラーだけではない、ウィーンがヨーロッパが、その後の運命に恐怖しているのだった。1楽章は特に恐ろしい、が、何でウィーン・フィルの音色はこんなにも美しいのか。
 結局、妨害していたナチス党員もそのうちすっかり静かになって聴き入っていたのか、CDではそのようなノイズはほとんど聞こえない。彼らも自分たちの運命をその瞬間に予見したのではないか。
 4楽章の生への憧れは「絶唱」と呼ばれているもので、わずかなヨーロッパの、人類の平和を願うかのようにも聞こえるが、それには切迫した真実味がこもっていて聴いていて身動きできなくなる。

 正直に言う。このような演奏を聴くと、60年代後半のヒッピー文化からくる「Love&Peace」が甘っちょろい運動に思えてくる。本物の音楽家は音楽のみで全てを表現するのだろう。
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by harukko45 | 2005-12-26 00:21 | 聴いて書く

 ディープ・インパクト負けちゃったなぁ。ちょっと、がっかり。有馬記念に勝って無敗の4冠達成はそんなに簡単じゃなかったか。
 だからってわけじゃないが、今日もワルター先生を聴くことに。

e0093608_17592015.jpg ブラームスの2番をニューヨーク・フィルとやった1953年のモノラル盤。ブラームスってドイツ的な重厚さや論理的で精微な構造をもっていて(いるらしく)、知性豊かな人(特に学者?ほんとかな)に多く好まれていると言う。また、ブラームス自身は「私の曲を聴く時は白い手袋をして、涙をふくためのハンカチを用意してほしい」みたいなことを言っているとのこと。あーヤダヤダ、辛気くさ!
 というわけで、ずっと敬遠していたのだが、これまたワルター盤を聴いて、すっかり虜に。今じゃ、まさに「ブラームスはお好き?」なんて言っちゃったりして。とにかく、ワルター先生のせいで私にとってのブラームスは「ヨヨヨヨヨヨ」と崩れ堕ちていく愛とロマンの世界、頽廃と爛熟の音楽として、しっかり成立するようになってしまった。

 それにしても、ドイツ人の「ロマン主義」ってすっごく妖しい世界で、だいたいの雰囲気はわかっても、現代人とくにこんな極東に住んでる人間にはなかなか溶け込めない領域だ。実際「ロマンティック」って何?って聞かれても、ビシっと答えることはできません、ハイ。

 ところが、音楽というのはありがたい。余計な理屈をどこかに追いやって、ただただ「これぞ、浪漫の世界!」というものにどっぷりと浸ることができるのだ。さすが、ワルター先生は1876年のベルリン生まれで、まだリストもワーグナーもブラームスも生きていた時代、まさにロマン主義全盛の時代を知っているわけで、少なからずその影響が彼の表現の根本にあっただろうと容易に推察できる。

 とにかく、1楽章の始まりから豊かな響きと歌にぐわんぐわんにされてしまう。そのまま、滅多に飲めない豊潤な高級ワインと脳天ぶち切れそうに甘いチョコレートと生クリームを同時にいただくような、又は、その崩れて崩れてトロトロの精神のまま、もうどうにでもして!と思わず口走ってしまうような、そんな感じ。
 ビデオによるリハーサル風景を見ると、この楽章の場合全てのフレーズ一つ一つにクレッシェンドとディミニエンドをかけていて、常に先生は「Sing! Sing!」と楽員に呼びかけていた。それと強弱の指示も細かい。オケのバランスに関しては細心の注意を払っていたのが印象的だった。でも、そうしていくと「この音」「あの音」が聴こえてくるので、「なるほどー。」と深く感心するのだった。
 3楽章までのまさに熟しきった音に私は陶酔するのみだが、4楽章では一転、それまで抑えていたものが一気に爆発して、大興奮のフィナーレとなる。
 濃厚な表現ゆえに、嫌う人も多いかもしれないが、私にとってはワルター以外は皆物足りなく思ってしまうほどの愛聴盤。
 モノラルで50年以上前なのに、大変ツヤのあるいい録音だ。
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by harukko45 | 2005-12-25 19:00 | 聴いて書く

 メリー・クリスマス! だからってわけじゃないが、今日もクラシック・ネタ、昨日に続いてワルターを聴くことに。

 前回はワルター先生のベートーヴェンはちょっと、みたいな書き方をしたが、それはいわゆる有名交響曲(中・後期の奇数番号)において言えることで、ベートーヴェンが全部ダメというわけではない。それどころか、先生のもの以外は聴く価値がないのではないか、と思えるものもある。それがこの2番で、世評ではこれに6番「田園」も加わるのだろうが、私は6番そのものがいまいち苦手で滅多に聴くことがないので、ちょっと語れない。しかし、2番に関してなら自信を持って宣言する。これ以外にベートーヴェン2番のCDは必要ない!

 世の中にある、ありとあらゆる音楽表現の中でも、稀に存在する「完璧」という称号をこの演奏に献上したいと思う。1959年のコロンビア交響楽団とのステレオ盤で、先生は82歳だった。最晩年でありながら、何と言う若々しさ! 曲中に力強い生気がみなぎっている。

 常に緊迫感を保ちながら、素晴らしいノリの良さで進んでいく1楽章は「完璧の中の完璧」で、ただただ唖然として聴き入るのみ。ノリだけでなく、各楽器のバランスの良さ、魔法のような強弱、そして何より気品があって美しい。そして、コーダでのトランペットが「ブワーッ」とクレッシェンドするところなど、「恐れ入りました!!」と最敬礼である。

 陶酔の極致である2楽章は、本当にすごい。ここまで感じ入って歌いきる指揮者、演奏家がいるだろうか。永遠に聴いていたい。
 3、4楽章も全く気を緩めることなく、それでいて懐の大きさも感じられて、強く貫かれた芸術家としての意志と卓越した名人芸の両方がちゃんと存在している。なのに聴き手にそれを押し付けることなく、最後まで音楽そのものを堪能させてくれるのだった。

 そして、演奏の良さに加えて、録音の良さも特筆すべき点だ。ステレオ録音の最初期であり、オール真空管式の機材、マイクはソニーのコンデンサー・マイクのよる3チャンネル1/2インチ・テープでのレコーディングとのことだが、本当にリアルな素晴らしい音質で、最近のものに決して負けない。この当時のディレクターのジョン・マックルーア氏のすごい仕事のおかげで、こうような宝物が残って、私は今日も幸せなひとときを過ごせるのだった。感謝である。
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by harukko45 | 2005-12-25 00:53 | 聴いて書く

 年の瀬も深まり、仕事の方も今年はほぼ終わりが近づいてきて、うれしい気持ちと寂しい気持ちがないまぜになったような気分だなぁ。だからってわけじゃないが、久々にクラシック・ミュージックに浸りたくなった。

 私はブルーノ・ワルターという指揮者が昔から好きだ。持っているCDの数もクラシックでは一番多い。ワルター先生のイメージは一般的に「あたたかい」「柔らかい」「女性的」「優雅」、批判としては「厳しさが足りない」「曖昧な表現」「甘ったるい」「中庸」といったところか。
 どちらも正解で、全て当てはまると思う。ワルター先生の場合、ベートーヴェンやブルックナーあたりを振った時には上記の欠点がもろに出て、ファンとしては悲しくなることも多いが、ことモーツァルトに関しては、誰よりも至福の時間を与えてくれるのだった。

e0093608_22114078.jpg 私がクラシックを聴き直すきっかけはモーツァルトの再認識で、彼の名曲を「名演」で聴きたいといろんなCDを巡っているうちに、ワルター先生に行き着いたわけで、最初は同じ曲でもいろんな指揮者のものを聴き比べて選別していったあげく、気がついたらワルター以外のモーツァルトCDはほとんど売り払ってしまっていた。結局、他の人の演奏を聴いても、だんだんイライラしてきて、ワルターを聴きたくなってしまうからで、それなら売ってお金にして、別のワルターCDを買おうと思ったからだ。

 さて、今日選んだのは交響曲25,28,29,35番をコロンビア交響楽団、ニューヨーク・フィルとやった1953〜54年のモノラル盤。あまりにも美しい演奏で名演の極みとも言うべきものなので、続けて3度も聴いても飽きなかった。
 まず、25番。だいたい17歳でこんな曲を書くモーツァルトが凄すぎるが、ワルター先生の演奏を聴くと、他の指揮者は「やる気あんのか?!」と言いたくなるほどダメなものばかりだ。というか、先生の棒が凄すぎてとんでもない。ここまで、曲をエグリ倒すというのもなかなか出来る事じゃない。大胆なテンポチェンジや強弱、思い切ったアクセントなどいろいろやりまくっていて実はかなり過激なのだが、常に歌うことを基本に感じ入って演奏しているので嘘がなく、こちらはワクワクしっぱなしなのだ。(25番はこの後、ライブでのさらに凄いものもある。)
 28番は天国にいるような音楽で、ひょっとすると現実逃避の幻想なのかもしれない。とにかく、気品満ちた豊かな響きに、ただじっとして聴き入るのみで、その楽しさの中に天才の孤独が時々現れて、寂しさも同時に味わう。

 29番はモーツァルトの圧倒的な才能に脱帽するし、これまた夢のような魔法のようなワルターの指揮が、もうたまらない。最近、モーツァルトを聴く事は現代人の心を癒す効果があるとか言われているが、私の場合は逆に、彼の天才ぶりに遭遇するたびに自分の存在価値に意味がないことを思い知らされる。だから、私にとっては自らの「死」に一番近い音楽なのだ。考えようによってはそれが「癒し」とも言えるのかも。

 35番の超名演にはただただ平伏すのみ。これほどまでに、オケを自由自在に操れるものなのか? 見事なものだ。そして、モーツァルトの書いたフレーズ一つ一つ、装飾音一つ一つまでが全て生き生きと歌われて、こちらに伝わってくる。
 この曲はもともと当時の大富豪一家の「パーティ用」に作った曲をアレンジしたもので、職業作曲家としての巧みな演出が音として随所に施されていて、それもまた天才のやる事だから半端じゃないし、とにかく聴き手はどんどん繰り出される、たくさんの音楽の贈り物と応対しなくてはならない。しかし最後にこちらはそれに追いつけないで「まいった、まいった。堪忍してくれ!」となってしまう。
 そうすると、あの天才の甲高い下品な笑い声が響き渡り、華やかな打ち上げ花火が何本も上がってフィナーレとなる。
 そして、常に完敗の私はステレオに向かって「ブラボー!」と拍手するのである。
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by harukko45 | 2005-12-23 23:36 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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