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 10月末にNHKが放送したアーノンクール指揮ウィーン・フィルによる「フィガロ」を最近見終わった、ようやく。時間があまりなかったせいもあるが、それでも何回かに分けて鑑賞せざるを得なかったのは、簡単に言えば、面白くなかったからだ。
 つまらないなら見なければいいのだが、そこは一応2006年のザルツブルグ音楽祭において、「モーツァルト生誕250年における最大の成果」とまで言われた「フィガロ」だから、どこがどう良いのか、確認したくなるわけで。まぁ、時間の無駄だったけど。

 アーノンクールという指揮者は全然好きになれない。今回のウィーン・フィルより、96年のチューリッヒ歌劇場での演奏の方がまだ良かったと思う。そのチューリッヒ盤でも気になった、妙なところでフェルマータやポーズをするのが、ウィーンとではやたらと多くなったように思え、いちいち音楽が止まってしまう不快感を憶えた。歌手ものりづらかったのではないか。
 また、各曲のテンポも遅くもなく早くもなくの、何とも居心地の悪いあたりでキープされていたのが多くて、ちっともリラックスして聞いていられないのだ。
 だいたい、この人はこのオペラの何処を盛り上げて行けばいいのか、全然わかってないのではないか。メリハリのない表現で、ただただウィーンの美音が空しく響き渡っていた。
 
 そして、演出が最悪。こんなに重たるくて暗いフィガロなんか見たくない。そもそも、明るくドタバタやって、楽しく振る舞っているからこそ、その裏にある「モーツァルトの毒」「モーツァルトの涙」を発見した時の感動が深まるっていうのに、最初から「実はこのオペラの内容は、怖いんですよ」なんて提示するような描き方は、モーツァルト鑑賞には合わないし、そんな「演出家の野望」を押し付けられるのは、ご免被りたい。
 衣装や舞台、時代設定など、何でもかんでも、現代化するのもいただけない。それでいて、見ていてただウザったいだけの「天使」なんかを新たに登場させて、さも意味深な心理劇にしようというのが、腹立たしい。

 モーツァルトのオペラは、音楽が全てを表現しているのだ。だから、過度で余計な演出はかえってうるさくなるだけだし、必要ない。もし、何かをやりたいのならピーター・ブルックが「ドン・ジョバンニ」で魅せたような「抽象化」していく方法が正解だと思う。そうすることで、より音楽の雄弁さが際立っていくからだ。

 スザンナ役のアンナ・ネトレプコも最悪。「椿姫」も良くなかったが、スザンナに関しては、絶対に二度とやって欲しくない。
 「フィガロ」を見る喜びの一つに、「愛おしいスザンナ」に出会えるというのが大きいことなのに、彼女が歌った瞬間から、その希望は無惨にも消え去った。こんなに不愉快で不機嫌なスザンナなど見た事がない。
 彼女は一応、才色兼備で今や人気絶頂のソプラノ、ということになっているが、どこが素晴らしいのか、ちっとも理解できない。たぶん喜んでいるのは、鼻の下の長いオヤジ達だけだろう。

e0093608_19453328.jpg その他の歌手達はそれなりにレベルの高い人達だったとは思うが、取り立てて惹き付けられることもなかった。何とも優等生的な演技と歌唱に終始していた、とも言えるか。ただ、このような酷い演出と、指揮の元では致し方なかったと同情できる。

 こんな「フィガロ」が、これからの「フィガロ」なら、私は昔のCDを聞いて楽しむことにするし、高い金を払ってオペラ座に行くことはない。それと、アーノンクールの指揮するものは、よっぽどのことがない限り、聞くことはないだろう。
 この時のライブを収録したCDとDVDが発売されているが、購入する価値は全くないと私は強く思う。
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by harukko45 | 2007-11-13 19:48 | 聴いて書く

 昨夜はNHK-BSで、2005年のザルツブルグ音楽祭で話題となった公演、ヴェルディの椿姫がオン・エアされた。主役ヴィオレッタにアンナ・ネトレプコで、ウィーンを始め目下大人気の才色兼備のソプラノの登場により、かなりの評判だったらしい。なので、すごく期待して観ていたのだが、果たしてそれほど絶賛の内容だろうか?
 ネトレプコは翌年のザルツブルグ音楽祭でのモーツァルト・ガラにおける、イドメネオからのアリアを歌った時は、確かに評判通り素晴らしいと思ったが、このヴェルディにおいては、ワンパターンの歌唱で、あまり好きになれなかったな。力入っちゃってて、トキメキを覚えることはほとんどなかった。顔が綺麗でも音で伝えてくれなきゃ、恋する気になれないってわけ。

 演出もちっとも良くなかった。どうせ、現代風にするなら、もっととことん抽象的にしたらどうか? 中途半端な現代化がかえって貧弱で安上がりな印象を与えるし、歌手達がカッコ悪く見えてしかたがない。アルフレード役のロベルト・ヴィラゾンがパンツ姿で2幕目最初のアリアを歌うのはみっともなくて見るに耐えない。あんな映像を残された彼が気の毒だ。歌ってる最中にズボンをはくなんて笑うしかない。
 アルフレードの父親役のトーマス・ハンプソンは私としてはヴェルディのオペラに登場してほしくないタイプ。声も演技も全くイメージと違う。が、私はこの父親が大嫌いだし、ヴェルディが書いたこの役への音楽も大嫌いなので、嫌な感じがハッキリしてかえって良かった?

 ウィーン・フィルは相変わらずエレガントな音色を聞かせていたけど、指揮のリッツィは安全運転に終始していたし、この場合、ウィーンの音色は美しいといっても、何ともおまけのように思えてくる。それに、ザルツブルグ祝祭劇場のだだっ広さが、全体に無味乾燥としたヨソヨソしさを音楽に付け加えるんだ。外面は豪華だけど中味なし、みたいな。

 しかし、しかしである! ヴェルディの音楽、この「La Traviata」は本当はとっても素晴らしいのだ!(父親のところをのぞいてね)だからCDで最高の演奏を楽しもう!

 くそったれ!何て素晴らしいんだ、カルロス・クライバーという指揮者は!これはスタジオ録音だ、が、演奏はライブそのものだ。生きているんだ、音が。歌手もみんな素晴らしい。コトルバスのヴィオレッタ、ドミンゴのアルフレード、そして大嫌いな父親もこのディスクのミルンズなら聞いていられる。
 とにかく、繊細でいて刺激的、確かにテンポは早い。頭の固いイタリア・オペラ・ファンはこれではホンモノのイタリアじゃないって言う。そうだろうか? クライバーはテンポが早くてもノリが最高なのだ。これほどまでに、スイングしてグルーヴィなオペラが他にあるか。
 叙情的で本来は緩やかなパートにおいても、早いテンポでキリっとした姿勢を崩さずにいるが、絶妙なところで伸縮させるのがタマラないのだ。それはセンスの良さ、品の良さ、才能の凄さとしか言いようがない。
 それでいて、頭でっかちな理論派ではない。歌手の感情の上を行くようなクレッシェンドやアッチェルに込められた情熱に、聴き手が燃えない方がおかしい。

 序曲から一度聞き始めたら、もう最後まで一気に聞いてしまうだろう。筋なんか、適当に覚えていれば良い(ってわけにはいかないな、実際には。でも、それぐらい音楽が雄弁だということ)。音楽が切実に聴き手に語りかけてくるので、そのドラマに真実を感じさせるのだ。切なく悲しく楽しい。その豊かな表情と深い音楽性に敬服しながら、思わず熱いものがこみ上げてくるのだった。
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by harukko45 | 2007-02-24 20:15 | 聴いて書く

 ウィーンで聴いたテアター・アン・デア・ウィーンの「イドメネオ」(1/26)は本当に素晴らしかった。数日後にシュタッツオーパーでのプッチーニ「マノン・レスコー」も良かったのだが、全体としての完璧さはモーツァルトにはかなわなかった。
 指揮者のベルトラン・ドゥ・ビリーがとてもスリリングなさばきで、ウィーン・フィルを掌握しきっていたし、やはりオケ自体にウィーン独特のニュアンスがあり、これぞ本場のモーツァルトであることをあらためて実感させられた。

 歌手陣もイドメネオ王役のMichael Schadeが健闘していて、2幕目後半の長大なアリアを見事に決めて、「ブラボー!」の嵐だった。ウィーンの天井桟敷のお客はミラノとともに世界一厳しいと思われるが、この熱烈な大拍手は本物だった。
 女性陣ではイダマンテ王子役の地元ウィーン子のAngelika Kirchschlagerが相変わらずの大人気だったが、歌はかつて聴いた時の方が出来は良かった。が、ある意味、力強さや個性は弱くても、その歌声がオケによく溶け合って、モーツァルトの音楽の美しさがこちらに伝わるのを決して邪魔していないのはさすがだな、と思った。
 イリア役のGenia Kuhmeierも、1幕目しょっぱなのアリアにおいて、その声の良さで一気に聴き手の耳をステージにひきつけたし、エレットラ役のIano Tamarは最後の憎しみと絶望のアリアで、もう少し悪魔的にいき切って欲しい気もしたが、全体としては悪くなかった。

 とにかく、主要な役の4人のコンビネーションが実に良く、モーツァルトの重唱におけるメロディの美しさ、ハーモニーの巧みさを十二分に味合わせてくれたのだから、大満足だったのだ。

 そして、この日は合唱も素晴らしく、それはもともとの譜面の偉大さもあるだろうが、オケとともに最強音で歌われたいくつかのシーンは、どれも神懸かり的凄みを感じさせて、背筋がゾクッ、ゾクッとした。まさに畏怖の念を音楽に感じた瞬間だった。

 それと何と言っても、このウィーン劇場のちょうどいい大きさ(小ささ)がモーツァルトにぴったりだった。たとえ、もっと大きな会場でも、モーツァルトのオーケストレーションのうまさで、少ない人数のオケでもよく響くのではあるが、それでも、この程度のサイズのオペラ・ハウスがより良い音楽環境だと思った。
 私の座った3階の右でも、オケのバランスが最高であり、CDで聞けるようなウィーン・フィルの美音が、よりダイレクトに耳に届いてきたので、最強音での迫力もかなりのものだったし、それも無理して力づくで鳴らしている感じがなく、実に豊かだったのがうれしかった。特に2幕目以降は心がずっとワクワクドキドキ震えっぱなしだった。

 これからは、テアター・アン・デア・ウィーンでのモーツァルトは外せない。ここでフィガロを聴いたらどんなに楽しいだろうか。前にシュタッツオーパーで観た時は、全く感動しなかっただけに、是非聴いてみたい。

 さて、実は日本に帰ってから家にあるダニエル・ハーディング指揮スカラ座の「イドメネオ」を聴いてみた。DVDなのだが、映像はなしで音だけで鑑賞したのだ。すると、映像と一緒の時は、あまり感心しなかったはずなのに、音だけだとすごく良かったのには驚いた。
 まるで、小林秀雄が「モオツァルトのオペラは、上演されても目をつぶって聴いているだろう。」といった感じのことを書いていたのを思い出した。(彼の言いたい意味はこの場合と違うけど)

 つまりは、字幕を追いながらストーリーや台本の不備を感じつつ聴くよりも、モーツァルトの音楽に集中して身を委ねていれば、自然に感動するということを、私はやっと理解したのだった。ちょうど、生で聴く時は、ある程度のストーリー把握は必要であっても、まさにこの状態に近いわけで、ハーディングのスカラ座での演奏も決して悪いものではなかったのだ。そうでなければ、ミラノのお客が「ブラボー」と言うわけがない。

 いろいろな体験を経て、ようやく真実を見いだすものだと思う。と同時に1回観たり聴いたりしただけで、安易に良し悪しを判断するのは傲慢な態度だな、と反省もしている。
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by harukko45 | 2007-02-04 05:15 | 聴いて書く

年末年始クラシック三昧

 大晦日から元旦にかけては、毎年クラシック音楽のTV番組が多くあり、ちょうど酒飲みながらお祝い気分で聴くにはもってこいの感じ。

 まずは大晦日のNHK教育テレビでの「モーツァルト・イヤー2006 ハイライト」。ここでは昨年ヨーロッパと日本でいろいろとおこなわれたモーツァルト生誕250年の記念コンサートをダイジェストで見ることができ、その演奏の比較が出来て興味深かった。
 で、数々の大物有名指揮者、演奏家がどんどん登場する中、だんトツに惹き付けられたのはまたまたダニエル・ハーディングだった。前にも書いたザルツブルグ音楽祭での「モーツァルト・ガラ」での抜粋だったが、それまでホロ酔いもあって、「可もなく不可もなく」の印象で聞き流していたのが、彼のドン・ジョバンニ序曲が始まった途端、全神経が集中したのだった。やはり、彼は面白いし、情熱を感じるし、センスがいい。今年も引き続き要注目。

 次に年明け早々、現地はまだ大晦日だが、毎年恒例のベルリン・フィルのシルヴェスター・コンサート。今回はリヒャルト・シュトラウス、モーツァルト、ヨハン・シュトラウス、ドボルザークと比較的多彩(?)なメニュー。いつもは、何らかなテーマを持ってやっていたが、今回は何だったのだろう。実は、サー・ラトルとベルリン・フィルの組み合わせはこれまであまり感動したことがない。本当に合っているのだろうか。
 それと、いつも思うが、録音の関係か、残響が多いサウンドと過度なリミッターによるつぶれた感じがあまり心地よくないし、聴いてて疲れる。

 が、プログラムの2番目に登場した内田光子さんとのモーツァルト・ピアノ協奏曲20番は素晴らしかった。久々に、この曲を聴いて涙が出そうになった。内田さんのピアノが最高だったのだ。これほど深みのあるモーツァルトはなかなか聴けない。ほとんどのモーツァルト演奏は、もっと軽いパフォーマンスばかりに思える。
 まずは、オーケストラのみの序奏の部分で、それを聴き入る内田さんの表情からして凄い。完全に音楽の中に入り込み、自ら音楽の化身に姿を変えていた。
 そして、彼女のピアノの美音に心を奪われる。素晴らしいタッチ、強弱の表情の豊かさ、そして何より心のこもった、そして作品に共感しまくったフレージングにただただ引き込まれて、息も出来ない感じだった。
 2楽章の有名な主題で、これほどジーンと来て熱いものがこみ上げたのは、映画「アマデウス」のエンドロールでこの曲を初めて聞いた時以来だった。
 とにかく全楽章を通じ、悲しみをたたえた味わいのある音と心から歌う演奏に感動しまくった。ラトルの伴奏も素晴らしかったが、そのベルリン・フィルの重厚なサウンドにけっして負けない、内田さんのフォルテッシモを絶賛したい。また、あらためて20番の素晴らしさを再認識させられた。
 もう一度言う、こんなに深いモーツァルトはなかなか聴けない。
 なので、その後の「ばらの騎士」の抜粋などの演奏は、自分にはつまらなかった。それだけ内田さんが最高だった。

 さて、元旦になって今度はウィーンのニューイヤー・コンサート。指揮はズービン・メータ。私は彼の指揮をロサンゼルスとフィレンツェで見たことがある。私の印象では、ずいぶんオケに任せてしまう感じで、出たとこ勝負のような演奏に聞こえ、その時はあまり共感できなかった。ロスの時はオケも良くなくて、無難な演奏に終始していたし、フィレンツェでの「魔笛」は歌手の出来がすこぶる良かったので、それにかなり助けられていたと思った(オケだけによる序曲にはがっかりさせられた)。
 逆に言えば、いいオケと組めば、そのオケの良さをじゃませずに引出すということになるのだろう。それに、ウィーン音楽大学で学んでいたという経歴から、現在のウィーン・フィルにはその時の同級生が多くいるとのこと。そういう点では、実に新年らしい和気あいあいとしたムードで楽しい内容だったかな。

 でも、せっかくなんだから何かしら「こりゃ、たまらん」ってもんが聴きたかった。唯一「エルンストの思い出」での各楽団員のパフォーマンスをフィーチャアしたのは面白かったけど(ピッコロの超絶技巧に大喝采)。というわけで、去年のヤンソンスのようなワクワク感はなく、あっさりしたものだった。若きハーディングがここに登場するのは何年後か?意外に早いかな?
 
 そうそう、暮れに録画していた音楽歴史上に残る伝説のソプラノ、ビルギット・ニルソンの生涯を紹介した番組も面白かった。彼女は特にワーグナーで超有名だが、こうして聴くと、昔の音楽家には何とも言えない気品があるなぁ、と強く思った。それと、当たり前だが、歌が断然素晴らしい。これぞ、ディーヴァでしょう。今じゃ、ディーヴァって言葉、デビューしたてのJ-POPの新人歌手やら、何でもかんでも簡単に使ってるけど、少し控えましょうね。
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by harukko45 | 2007-01-03 15:23 | 聴いて書く

年末の第九

 昨夜、ついさっきまでN響の演奏によるベートーヴェンの9番を聴いていた。というか、最後まで聴いてしまった。実を言うと私は、ついつい日本人による演奏(クラシック、ジャズ、ポップス問わず)をTVなどで見たり聴いたりすることに拒否反応があったりするのです。悪い癖ですが、外国人のものは積極的に楽しむのに、日本人の演奏にはついつい余計なことを考えたり、思わず口を挟んだりして、心底楽しめない耳になってしまったようです。自分の心の狭さに、とことん呆れてもいますが、これも「欧米か」ってとこか、自虐的コンプレックス体質に成り下がっているのか。

 昨晩もいつものように、1楽章が始まったあたりでは、「ここはもうちょっとなぁ」とか「その出だしじゃタイムキーパーって言われちゃうよ」とか「ずいぶん軽いなぁ」なんてブツブツ言っておりました。なのに、何となく離れがたくて、ずるずると2,3楽章と聴き進むうちに、私の心もおだやかになり、ついに大スペクタクル・ショーである4楽章まできてしまい、最後の大運動会を思わす、大はしゃぎのマーチに大興奮してしまいました。アホか!

 まぁ、やっぱ何だかんだ言い尽くされてはいるけど、曲が素晴らしいから、ちゃんと演奏してくれれば何も文句ないです。本当にベートーヴェンは素晴らしいです。子供の頃、あまりにも「教育的」に聴かされたので、その反動で長いこと「嫌悪」の対象でありましたが、中年になってから再び大好きになりました。

 1楽章はとても音楽的には難しいし、深いです。なので、なかなか瞬時に感動するたぐいの音楽ではありません。とにかく、こちらを緊張させます。指揮するのも大変なんじゃないかな。評論家先生達や学者さん達はこの1楽章を絶賛しますが、どうも私は苦手です。ただ、その内容の深さには敬意を持っています。
 一転、2楽章はシンプルでわかりやすいスケルツォで、ベートーヴェンらしいシンコペーションやアタックを効かせて、ロック的なカッコよさがあります。スタンリー・キューブリックが大傑作「時計じかけのオレンジ」でこのスケルツォを実に効果的に使用していて、まさにベートーヴェンが「かっこ良かった!」
 3楽章は美しいアダージョではありますが、私はいつも、途中のいきなりの展開に笑ってしまう。それまで、まさに楽園の花畑の中で優雅にたたずんでいるのに、突然夢から叩き起こされて、そのまま絞首刑を言い渡されるような気分になるからです。それほど、彼の音楽は大仰なのです。「何でぇ?人がせっかく気持ちよくしてんのに、あんなおぞましいファンファーレを鳴らすのさ!」 まぁ、たぶんベートーヴェンの気持ちをあえて代弁すれば、「私の芸術を表現するのに、お前の都合など気にしてられるか!」ってとこでしょう。
 それと、美しい弦に比べ、木管やホルンの扱いがいまいち垢抜けてない印象がしてしまう。モーツァルトだったら、もっとうまく書くだろうなぁ。
 
 で、その大仰さで3楽章を数倍のスケールで上回るのが有名な「歓喜の歌」を含む4楽章。ただし、ここは最高に大好き。ここまで、やりきってくれる作曲家は人類の宝です。自分自身の魂の叫びをこれほどのスケールで表現してしまうのは、どう考えてもとんでもないこと。ほとんど傲慢なるエゴイスティックな音楽にもかかわらず、その音楽的効果が強力で美しいがゆえに、聴き手はすっかり巻き込まれてしまう。
 それでも、歓喜の歌が出てくるまでの部分は、3楽章よりも笑ってしまう。それまでの主題が演奏され、「ああ、もっと美しい調べを、もっと!」って悶え苦しむベートーヴェンの魂をあらわすチェロとコントラバスのユニゾンがそれらをいちいち否定する。で、歓喜の歌の旋律が流れると、「おおっ!それじゃ、それじゃ!」って喜ぶんだから勘弁してよ。

 だが、その後はベートーヴェンの天才にただ平伏すことになる。彼はいわゆる変奏の名人であり、基本的に第九の4楽章も「歓喜の歌」の変奏の繰り返しだ。で、そのバリエーションがどんどん展開し発展していくのがとんでもなく素晴らしくて感動する。こんなシンプルな主題が繰り返されるたびにどんどん美しさと偉大さを獲得していくのが凄いのです。
 最も好きなところは、テノールの勇壮なソロと大合唱があってからの弦の合奏だ。もうこれぞベートーヴェンの偉大さ極まれり、いやいやこんなの書くのチョロイチョロイって雰囲気も。それぐらい音符を書く彼はさぞやノリノリだったろうし、頭の中は炸裂しまくっていたことだろう。
 興奮の極致を体感した後、一転とても宗教的な合唱によるパートがくるが、こちらの体は地球を離れて、まさに宇宙を漂うような気分にさせられる。ここも大好き。その後も合唱が大活躍、その激烈な展開にクラっとしつつも、まったく飽きさせないのだった。

 ところが、ついに来てしまった、まるでトルコ風マーチか、はたまた大運動会か、とにかくそれまでの極上の美の競演をすっかり台無しにするかのごとくエンディングに駆け上っていく狂乱のブンチャブンチャを何と例えるか?! 「お前さんはそんなにしてでも、これがやりたいんだな!」
 「苦悩を経て歓喜へ」が彼のトレードマークだが、それもここまでくると手が付けられない。こちらは呆然とするのみだろう。完璧なる美しさをも、同じ曲の中で自ら無惨に破壊しつくす、その恐ろしい才能に畏敬の念を覚える私はほんとに小市民じゃわい。

 あー、面白かった。というわけで、CDでフルトヴェングラーのを続けて聴いている。この場合、指揮者も尋常じゃないから、ますます狂い方が凄い。パンクも軽くぶっ飛ぶ。
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by harukko45 | 2006-12-31 02:43 | 聴いて書く

マルタ・アルゲリッチ

 ここのところのマイ・ブームの一つにマルタ・アルゲリッチがいる。彼女は1941年生まれで、たぶん多くの音楽ファン、特にクラシックを少しかじった人なら誰でも知っているほどの有名なピアニスト。そして、誰もが認める天才。世の中に「天才的」才能の持ち主は多くいても、真の「天才」はわずか。そのまさに、正真正銘の天才ピアニストの一人だと、私は信じて疑わない。
 ただ、私は彼女の生演奏を聴いたことがないし、CDも持っていなかった。実は、何度かNHKのクラシック音楽番組で観たぐらいなのだが、それでも、現存するピアニストの中では絶対的な女王であると思っていた。

 で、先日やはりNHK-BSで「アルゲリッチの音楽夜話」というドキュメンタリーが放送され、今まで知ることのなかった彼女の生い立ち、成長、音楽観、演奏観がインタビューなどによって垣間見れて実に興味深く、ますますファンになってしまったのだ。
 いや、正直言えば、彼女のピアノ演奏とその心情、考えをあらためてこういう形で観ることによって、ほかの音楽が全く刺激的でなくなってしまったのだ。なぜなら、みんなアルゲリッチほど音楽してはいない、と感じてしまったからだ。

 おかげで、今の時点では彼女の演奏以外に興味がわかない。現在の自分には(死んでも)到底届かない領域に住む天才の仕事ぶりに、ただただ平伏すのみ。
 買って来たラベルのピアノ協奏曲ト長調に心底まいっています。

 番組のインタビューの中で特に強くの記憶に残ったものがある。少女時代から、コンサートの前に彼女はステージ袖で、「1回でもミスしたら、あなたは死ぬのよ。」と自分に言い聞かせたそうだ。そうやって(彼女の言葉によると)自分を抑えることが出来たと言う。そして、そうすることにより、本番では絶対にミスせずに演奏したのだった。
 
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by harukko45 | 2006-11-01 23:35 | 聴いて書く

 ジョン・レノン・スーパーライブのリハ最終日は、スキマスイッチのこだわりぶりが伺えるご機嫌な選曲(ほんとにセンスいいと思ったよ!)と大橋君の歌声にうなった私であり、その後のランスルーも無事に終わって、いい充実感を感じながら帰宅しました。

 そして、今日は一日オフで、ずっと観られずにハードディスクに溜まりっぱなしのTV番組を立て続けに鑑賞したのでありました。

 で、久々にオペラ、それもモーツァルトの「イドメネオ」。長いんだな、これが。ただ、指揮はハーディングで、それも彼がスカラ座の2005シーズンの開幕を飾った時のライブ。否応なく期待は高まっていたんだけど、正直退屈して、途中から辛くなってしまった。
 初めてこのオペラを生で聴いた97年のウィーンの公演(P・シュナイダー指揮、ドミンゴがイドメネオ)では、モーツァルトのオーケストレイションの素晴らしさとドミンゴの演技力(もちろん歌唱力もふくめ)の凄さに感動しまくって、一瞬たりとも飽きなかったのだが、今回聴いてみると、「この曲って、こんなもんだったかなぁ?」と思ってしまった。

 とにかく、出ている歌手の皆さんに魅力的な人がいなかった。特にイドメネオ王役のテノールはあまりにも無難すぎて面白くなかった。エレットラ役のソプラノは最後の"オレステスとアイアスの"をうまく決めて、とりあえず盛り上げたかな。

 でも、これもウィーンの時のエリアーネ・コエッリョのイメージが残っていて、どうも物足りなかった。実は97年の時のコエッリョさんはあまり歌が良かったとは言えず、"イドメネオ"の数日前にプッチーニの"ボエーム"のミミ役を観て、歌も容姿も全く好きになれず、個人的には登場するだけで嫌な感じだったのだが、それがかえってこの憎まれ役とでも言えるエレットラにおいては、こちらの感情移入にぴったりで、舞台では妖気をまき散らしての大熱演に興奮させられたのだった。
 また、イダマンテ王子役のアンジェリカ・キルヒシュラーガーが美しくってねぇ。彼女(ズボン役だから彼か?)が出てくるだけでうれしくなったもんでした。
 そして、何よりドミンゴがやっぱすごくって!文句のつけようないパフォーマンスだった。

 なので、比べるとこのスカラ座のキャストは薄かったという印象だ。それに演出があまりいいとは言えなかった。舞台のセットや背景に大きな変化がなく、そんな中、妙に現代風の衣装で登場する人物にも必然を感じられず、つまらなかった。

 さて、ハーディングの音はいかに。確かにピリオド・アプローチを効かせて彼の個性を打ち出してはいたが、どうもこちらが古楽器風のサウンドにあまり新鮮味を覚えなくなったのか、前ほど刺激的とも感じなかった。それどころか、いろんなところで貧相な響きに思えたし、"ドン・ジョバンニ"の時のほとばしるような情熱も感じられず、物足りなかった。さすがのハーディングもスカラ座デビューに慎重な演奏になったのだろうか。
 同じイドメネオでも今年のザルツブルグでのウィーンフィルと(モーツァルト・ガラでの抜粋)の方が、出来はずっと良かったと思う。

 それから、NHK音楽祭でのマーラー室内オケとのブラームス(2番)も聴いたが、かなり失望した。自分の大好きな曲だけに、こういう2番ならやってほしくなかった。響きだけが今風(古楽器奏法が現代風!)で、その中身は空っぽのように感じてしまった。ハーディングについては、少々期待しすぎたのかもしれない。
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by harukko45 | 2006-10-30 18:26 | 聴いて書く

 今年の7/30日におこなわれたザルツブルグ音楽祭での模様をNHKが放送した。全然情報を集めていなかったので、「モーツァルト・ガラ・コンサート」と題された内容に、あまり期待もせずに、「どうせ、ムーティあたりが振って、歌手がぞろぞろ登場してサラサラやるのだろう」と高を括っていたら、何と指揮にダニエル・ハーディング登場。放送時間を少し過ぎてからチャンネルをあわせたので、最初に演奏された"ドン・ジョバンニ序曲"の頭を聞き逃したものの、耳に飛び込んだ瞬間に、「おっ!これはハーディングの音」と気づき、にわかに真剣に聴き込むことになった。

 ダニエル・ハーディングは今年2月に同じくNHK-BSで観たエクサン・プロヴァンス音楽祭での"ドン・ジョバンニ"(2002)にすっかりノックアウトされて以来注目していたが、現在ではヨーロッパでも注目の大物若手指揮者として、将来の巨匠への道を着実に歩んでいる。
 今やほぼ主流のような古楽器風というのか、ピリオド・アプローチによる表現で古典を見事に蘇らせて各地で喝采を浴びているらしい。

 ただ、私としてはピリオド・アプローチに関してはどうのこうの言えない(ちゃんと理解はしていない)のだが、そういう表現を売りにする人が多い中、彼の表現はピンとくるものがあって好きだ。少なくともモーツァルトのオペラに関しては共感して楽しめるのだった。

 1曲目から最後までハーディングとウィーン・フィルの結集力は決して崩れず、何とも言えないピュアで深みのある音世界をキープしていた。まずはそれが素晴らしかった。どこにも軽薄さがなく、本場のウィーンでもよく出くわす「サラサラとしたBGM的なモーツァルト」な雰囲気は一切なかった。
 そして彼はテンポの選び方がとてもいい。序曲に続いた"カタログの歌"がまさにそう。また、3曲目の"彼女こそわたしの宝"での頭の美しい弱音の響きにはゾクっとした。

 6曲目の「ティトの慈悲」からの"わたしは行くが、きみは平和に"はメゾのマグダレーナ・コジェナーも素晴らしかったが、実はこの曲は歌手の裏で常に寄り添うように演奏されるクラリネットが大活躍して印象的なのだ。クラをこよなく愛したモーツァルトならではの美しい旋律をさすがヴィーナー・クラリネットで聴くと最高に素晴らしい。
 前半最後にはバリトンのトマス・ハンプソンが登場して堂々たるものだったが、私的にはあまり好きではない歌手。にもかかわらず、ハーディングのさばきが絶妙で、初めて聴いた曲"彼をふりかえりなさい"がとても新鮮だったし、盛り上がった。

 後半は「イドメネオ」からの抜粋だったが、まずは序曲の演奏が素晴らしかった。そのまま、オペラ本編に突入してほしかったよ!キメルところはキメル、歌うところは歌う。モーツァルトの刺激的なオーケストレイションの見事さがしっかりと伝わってきてご機嫌だった。
 そして、11曲目に今注目のソプラノ、アンナ・ネトレプコが登場で"オレステスとアイアスの"を。曲もかなり面白いし、今売れっ子の彼女の妖艶なステージングが楽しかった。
 私は97年にウィーン・シュタッツオーパーで、ドミンゴのテノールによる「イドメネオ」を観て大感激したのだが、今回の演奏を聴いて是非ハーディングによる全曲を聴いてみたくなった。

 さて、最後に交響曲38番"プラハ"。とかく聴き過ぎているこの曲が、これほど新鮮に思えるとは大変うれしい驚きだった。特に2楽章は素晴らしかった。古楽器派特有の早いテンポのアンダンテ楽章(へんな文章?)だが、これだけ歌い抜いてくれれば文句はない。そしてウィーンの音色の素晴らしさをこれほど堪能したのも久々だった。
 ただ、3楽章ではとっても貴族的な気品があったのは良かったが、少し優等生的でもあった。テンポも早い割にスピード感が持続せず、もっとワイルドにエンディングに向かって畳み込んでほしかった。ちょっと偉そうに言うと、ほんの少しだが今の彼の表現の限界のようなものが見えてしまったように思えた。
 とは言え、オール・モーツァルト・プロで最後まで飽きずに楽しめたのは、ハーディングの才能の大きさによるものだと思ったし、私の心配などいずれすぐに吹き飛ばすほどの成長をきっと見せてくれるに違いない。
 まだ、31才のイギリス人。今後も注目していきたいし、ますます楽しみになってきた。
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by harukko45 | 2006-08-26 03:46 | 聴いて書く

 今年はモーツァルト生誕250年ということで、いろんな場面でモーツァルトの作品が紹介されているのに出くわすが、最近、ロックチッパー・レコードから「ザ・モーツァルト・セラピー」というCDのサンプル盤をいただいた。
 これはいわゆる音楽療法という立場から、彼の音楽を長く研究なさっている和合治久教授のプロデュースによる、科学的根拠に基づいて選曲されたシリーズで、様々な効能向けにまとめられているようだ。

 正直、そのような感覚で音楽を今まで聴いていないので、最初はかなりうさんくさいような気持ちでいたが、私は元来モーツァルトが好きなので、結局は聴いて楽しんでしまった。それに、ちょうど疲れていた時だったので、良い気分転換にもなったし、確かに心身がリラックスしたように感じた。

 教授によると、モーツァルトの音楽には高周波音が豊富で、またその音同士がぶつかりあってより高い1万5千ヘルツ以上もの高周波を生み出す倍音があるとのこと。高周波音は脳神経に多くの刺激を与え、副交感神経が作用してくるのだそうだ。現代人は交感神経優位な状態だから、彼の音楽を聴く事が、自律神経のバランスをとるのに効果があるということらしい。

 モーツァルトが精神病治療に昔から使われていたのは知っていたし、自分でもリラックスしたい時にCDをかけていたが、高周波成分を多く含むということはなかなか興味深いね。

 実際、そういった療法的でなく、純粋に音楽的にみても、彼の作品はオケの編成が小さい割にライブで他の作曲家のものと聴き比べても、よく響くのだった。もちろんオーケストレーションの才能に他ならないが、結果として高周波の多さが聴き手に音量以上の豊かな音楽的刺激を感じさせていたとも言えるかもね。

 そういえば一時、バリのガムラン音楽も高周波音を多く含んでいて、脳にいい刺激を与えるって言われてたなぁ。

 さて、私がもらった「肩こり予防編」には、全曲チェコ・フィルを中心とした演奏の新録で親しみやすい曲が並んでいるが、特に名曲は「フルートとハープのための協奏曲」。で、私はこの曲が大好きなのだった。チェコ・フィルも良かったが、実は私の中ではお気に入りの盤がある。

 それはミュンヒンガー指揮ウィーン・フィルのもので、フルートはトリップ、ハープはイェリネックだ。録音はいつもながら古いもので1962年だが、演奏は最高なのだ。
 とにかくこの曲はパリの公爵(フルート)とその令嬢(ハープ)が演奏するために依頼されて作曲したもの、つまりは貴族のサロン用の音楽なのだが、彼は全く手を抜かずに美しい傑作を書き上げた。

 で、このミュンヒンガー盤は大抵の演奏より遅いテンポで始まるが、他の演奏にはない何とも言えない気品と豊潤さを私に感じさせる。音が出た瞬間、そこに貴族の邸宅の豪華な一室がパーっと現れるようだ。オケの美音はもちろんだが、独奏者もウィーン・フィルの楽員でそのニュアンスが繊細で上品で最高だ(多少ピッチが高めなのだが)。
 「ザ・モーツァルト・セラピー」では1楽章しか収録されていないが、実は2,3楽章がより素晴らしいのだ。特にモーツァルトの複雑で不健康な感情表現を楽しむには全曲聴かなくてはわからない。あれ、結局それじゃ音楽療法にならない?

 P.S それにカップリングに大傑作「クラリネット協奏曲」が入ってる。クラリネットは名手プリンツで、こちらも超名曲名演だろう。
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by harukko45 | 2006-05-05 03:38 | 聴いて書く

 先月末にNHK-BSが放送した「モーツァルト・オペラ・シリーズ」を見たおしたあげくにゴタゴタ言うブログの最終回です。

 "後宮"は彼が25歳の作品で、ウィーン時代最初のオペラ。そして記念すべきドイツ語による本格的に書かれた最初のオペラでもある。ただし、30歳以後のイタリア語による"ダ・ポンテ3部作"や、ドイツ語の"魔笛"と比べると深みの点で劣ることは確か。でも、そうは言っても天下のモーツァルト、音楽のみ取り出して聴くと実に愛すべき作品であることがわかるのだ。つまり、このオペラの場合、映像で観るよりもCDで聴いている方がずっと楽しい。

 物語としては何とも他愛のない話で、およそ現代の感覚ではじっくり最後まで付き合いきれるようなストーリーではない。それと、最近のヨーロッパの各歌劇場では主に若手の指揮者、歌手達のテストケースのような扱いになっているような気がする。だから、全体にまあまあな仕上がりでお茶を濁す感じがある。
 このチューリッヒでの公演もそんな感じ。数年前にウィーンで観た時も同様だった。
e0093608_3404382.jpg というわけで、チューリッヒの映像を観た後に、73年のカール・ベーム指揮ドレスデンによるCDを聴き直して「おお、やっぱ、エエなぁー」と思っているわけだ。
 だいたい歌手の格が違うわな。アーリーン・オジェー、レリ・グリスト、ペーターシュライアー、クルト・モルですから、文句ありません。それに何と言ってもベームのモーツァルトに対する愛情と共感度が深いのであります。
 少々私の趣味が古くさいのかもしれないけど、結局モーツァルトではワルター、ベームは外せないってこと。

 ただ、誰の演奏・歌唱においても聴き所となるのは2幕目のコンスタンチェのアリア「どんな責苦があろうとも」で、約10分近い長大な難曲なのだが、私にはモーツァルトのソプラノ歌手イジメのように思えてしかたがない。
 まあ実際には、そんな事はないだろうけど、役の名前が自分の妻と一緒だし、歌詞の内容は「どんな拷問で責められても恋人への貞節を守ります!」って感じで、かなりヒステリックに純潔を歌っているのだが、それを彼は「音のムチ」でビシビシと容赦なく叩いている(拷問している?)。そのように聴こえるのは私だけですかねぇ。
 で、そのムチで叩かれるたびに、歌に陶酔感が増すのが何とも楽しい(?)。おまけに最後は激しいアルペジオをオケとともに疾風のように上がって下がって上がって下がって、かなりの追い込みかけて終わるのだ。これがたまりません。

 もちろん、この拷問を見事に耐え抜いたソプラノ歌手は観客から熱烈なブラボーを浴びて、スターとなるのであります。
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by harukko45 | 2006-02-16 04:19 | 聴いて書く

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