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 先週に引き続き、昨日(9日)の深夜、NHK-BSプレミアムでカルロス・クライバーの特集があり、最近DVDになって発売されている"Traces To Nowhere"というドキュメンタリーと、91年のウィーン・フィルの定期公演、92年のニューイヤー・コンサートのライブ映像が放送された。

 2週連続で、クライバーの生涯を知り、彼の演奏に接することで、あらためてその存在感の大きさに圧倒されてしまった。おかげで、昨晩は番組終了後も彼のCDやDVDを聴きまくり、観まくって、結局徹夜になってしまった。

e0093608_2505229.jpg ドキュメンタリーの"Traces To Nowhere"は先週の"I am lost to the world"に比べると、彼の歴史をたどると言うよりも、彼の近くにいた人々のインタビューに多くの時間が割かれ、より彼の内面に切り込んでいくような作り方だった。実姉のヴェロニカ・クライバーさんの発言は貴重だったし、プラシド・ドミンゴとブリギッテ・ファスベンダーというクライバーのオペラには欠かせない大歌手や演出家のオットー・シェンクらの言葉は、どれも興味深かった。
 また、彼の指揮の秘密についての同業指揮者や演奏家による分析もあって、これもなかなか面白かった。が、やはり、誰もが彼の早い死と、残した作品・仕事の少なさを悲しんでいたのだった。結局、それに尽きるんだよな。

 さて、その後にオンエアされたウィーン・フィルとの二つのライブ映像はすでにDVDとしても売られているもの(昔はLD)で、彼の代表的名演に上がるものだと思うが、91年の定期から92年のニューイヤーと続いたこの時期こそ、ウィーンとクライバーの関係が最も良い状態にあったわけで、このニューイヤーの後、来日公演が予定されていて、否応なく期待が高まったのを憶えている。
 残念ながら、来日はクライバーの急病によりキャンセルになってしまい、クライバー&ウィーン・フィルによる「モーツァルト、ブラームス、R・シュトラウス、ウィンナ・ワルツ」という、まさにウィーンづくしの夢のようなプログラムを日本で聴くことはかなわなかった。

 とは言え、この2つのコンサート映像はやはり何度観ても素晴らしい。91年版ではモーツァルト36番の1楽章が古典とは思えない広がりを持っていて好きだったし、ブラームスの2番も大好きな曲なので、共に楽しめたのだが、92年のニューイヤーの楽しさにはやっぱり圧倒的にかないませんでした。もう、ブラボーの嵐ですわ、個人的に。ワルツに体が揺れて、急速ポルカに盛り上がって、絶妙なレガートに溜め息し、喜びから悲哀に移り変わる繊細な色づけに涙がこぼれました。
 
 それにしても、前に観た時は気がつかなかったけど、会場に日本人がたくさんいたなぁ、バブルの後半期だから、さもありなんというところかな。
 
 というわけで、ここしばらくは私の「クライバー・ブーム再び」は続きそう。そういえば、YouTubeには、76年のミラノ・スカラ座での"Otello"とか、79年の"La Boheme"なんかもフルでアップされていたのに驚きました。かつて、海賊版もどきのVHSとCDを買って興奮してた頃が懐かしく思い出されましたが、未だに画質は悪いまんまですなぁ。

 おまけで、86年のバイエルン国立管弦楽団との人見記念講堂でのライブ映像をリンクしておきます。個人的にも楽しみたいので。

「こうもり」序曲


と、ポルカ「雷鳴と電光」




 
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by harukko45 | 2011-04-11 02:50

 2004年に亡くなった指揮者カルロス・クライバーのドキュメンタリー"I Am Lost To The World"をNHK-BSプレニアムが昨夜放送した。多くの関係者、楽団員らのインタビューとその当時の貴重な映像と音によって構成された内容は実に興味深く、謎に満ちたこの天才指揮者の一生を少しでも垣間みることが出来るのは、ファンとしてとてもうれしいことだ。(別制作のもう一つのドキュメンタリーである"Traces To Nowhere"も来週放送予定)

 特に、冒頭から随所に挿入される「トリスタン」の指揮ぶり(バイロイトのオケピットでの隠し撮り?)が、もう凄い。また、オーケストラとのリハーサルにおいて、巧みな比喩を使った表現で、楽団員に説明するシーンはすごく面白いし、それでいて実に繊細緻密なこだわりに感動してしまう。だからこそ、いざ本番になった時の、バレエのごとく踊るような華麗な指揮ぶりが、ますます魅力的に思えてくる。それは、彼がまさに音楽の化身となった瞬間であり、この美しさに私はメロメロになってしまう。
 もちろん、見た目の良さだけでない、その指揮から生み出される音が、他を圧倒的に引き離す素晴らしさだからこそ、彼の虜になってしまうのだった。

 その一方で、日頃の気難しい性格や、極度の神経過敏さ、父への大いなる敬意とコンプレックスについての話や、それが引き起こす数々のトラブルは、まさに天才ならではの伝説と思いつつも、やはり、それによって失った貴重な音楽的財産も大きかったことが悲しく感じられた。
 彼は、その才能の凄さに比べて、あまりにも残した作品が少なすぎた。

 さて、ドキュメンタリーの後に、1986年の来日時に収録されたバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの4番と7番、アンコールでのヨハン・シュトラウス「こうもり」序曲とポルカ「雷鳴と雷光」、1996年のミュンヘンでの同じバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェン「コリオラン序曲」、モーツァルトの33番、ブラームスの4番が続けて放送された。

 まずは、86年のは彼の「絶頂期」とも言える時期の演奏だけに、ずっと興奮しっぱなしだった。7番はロックなんか吹っ飛んでしまう。アンコールの2曲も最高。インタビューの中で「オペレッタが一番難しい」と語っていたのが印象的だったが、これほどまでに精微に練られていながら、強烈なインパクトと推進力を失っていない演奏というのはもの凄い。これで、興奮しないなんてあり得ない。人見記念講堂での観衆の熱狂ぶりは当然だった。

 そのちょうど10年後のミュンヘンはDVDで持っているのだが、クライバーの生前最後の正規映像であり、彼自身の老いぶりが著しく、その重苦しさから、一度見ただけでしまい込んでしまったもの。だが、昨日は引き続き見てしまった。正直、「コリオラン」と「33番」では、やはりクライバーの老け具合、体調の悪さが気になって、見ているのが辛くなるし、音楽自体にエネルギーが乏しい部分が随所に感じられて残念な気持ちになった。
 ところが、ブラームスの4番では、これまで感じた事のない「寂しさ」がひしひしと伝わってきて、彼自身の心とブラームスの音楽が見事に一体化していたことに気づかされた。もう、夢中になって聞き入って(見入って)しまったのだが、そのエンディングのあっけなさまでが、何とも切なく感じられるとは、本当にまいった。

e0093608_20381123.jpg 彼が死の直前、その1年前に亡くなった夫人の故郷にある別荘(そこが彼の臨終の場所)に向かう時、その車中では彼がウィーン・フィルと録音したブラームス4番が流されていたという。


 
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by harukko45 | 2011-04-03 19:01 | 聴いて書く

 今、現役で最も評価の高いピアニストの一人、ポーランド人のクリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマンとドイツ語風(?)表記もある)。
 その彼が、オール・ショパン・プログラムで世界ツアーを周り、日本にも来日。先月からほぼ1か月近く日本各地でコンサートをしていたのだが、その最終公演(失礼、12日の所沢が最後でした)が昨夜横浜みなとみらいホールであり、運よく生演奏を聴くことができた。

 1部/1.ノクターン 第5番 2.ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」 3.スケルツォ 第2番
 2部/1.バラード 第4番 2.ピアノ・ソナタ 第3番

 私はステージの裏手ともいえるパイプ・オルガンの脇に設置された席で、ちょうどピアニストを左斜め後ろ上から観る感じ。おかげで、彼の美しい指さばきや左右の足でのペダルの踏み分けのうまさがよく見えた。そのかわり、彼の表情は見えなかったが、それはたいしたことではない。

 ああ、何と言う素晴らしい音であろうか。ピアノという楽器はこんなにも多彩な音が出るものだったのか。彼は、ピアノをものすごい高いレベルでコントロールしているのだが、それは楽器本体だけでなく、会場全体をも楽器として鳴らしてしまうレベルであるということ。
 ツィメルマンは何事にも完璧主義らしいのだが、その代表的な例として特に有名なのは、自らのピアノを常に持ち込んで、調律師とともに各会場の特性と演奏する楽曲に合わせて調律すること。それは、レコーディング技術や音響学に造詣が深く、また、自らピアノの製作・修理を手がけることで、楽器の構造や素材の知識を持っているからなのだ。
 
 そのこだわりと情熱により生まれたピアノ・サウンドには、もはや溜め息しかなかった。1曲目のノクターンの一音が出ただけで、ゾクっとした。だが、この曲はまさにオープニングであり、コンサート全てのイントロダクションとして、お互い「慣らし」といった趣きだ。

 ソナタ2番の1楽章は凄かった。この時の左右の手のバランスが絶妙であり、テクニックも冴え渡り、感情と音量のコントロールが最高で、最後のフォルテッシモの決め方には息をのんだ。その凄みに圧倒されたか(単に曲を知らなかったのか、その可能性は低いと思うが)、1楽章だけで一部の観衆が拍手してしまった。正直、緊張感を維持したまま、2楽章になだれ込んで欲しかったが、思わず拍手したくなる気持ちも理解できた。
 ツィメルマンはその拍手に応えるように、軽く会場に向かって会釈してから、2楽章を弾き始めた。ここでの耽美的とも言える音色に涙が出そうになった。
 3楽章の前で、少し長めに時間をおき集中したあと、素晴らしい弱音で弾き始めた「葬送行進曲」は、私が想像していたのよりも、ずっと重いテンポで、内容もずっと深い表現だったのに驚いた。ここでも、音量のコントロールが完璧。そのダイナミクスの付け方には全く不自然さがなく、素晴らしくドラマティックだった。それでいて全体の表情は実にクールで洗練されているのだから凄い。
 4楽章はちょっと余裕がありすぎる気がして、最後のフォルテッシモでの結末も少し物足りなかった。彼は最強音の場面においても、全く力技になっておらず、パフォーマンスとしては力感あふれる仕草で鍵盤に向かっていくが、手が鍵盤に落ちる瞬間に絶妙の「抜き」をするので、けっして音が汚くならない。だが、有り余るテクニックが少し勝ちすぎて、もっと混沌とした表情から突然の爆発を期待した私はちょっと肩すかしを食らった感じだった。
 でも、それは私がアルゲリッチの豪腕演奏によるCDを聴きすぎているせいで、今思い返すとツィメルマンの表現はより「天国的」であったようにも思う。

 1部最後のスケルツォは曲自体が最高にカッコイイ。私はこれもアルゲリッチの奔放で強烈な演奏が耳にこびりついているので、彼の演奏は最初ものすごく繊細すぎるように思えた。でも、彼の音の素晴らしさにはやはり抗し難く、すぐに陶酔の世界に引き込まれてしまった。ただ、それゆえにここでも終結部に物足りなさが残った。美音の海での瞑想を突き破って、現実に引き戻すような強さが欲しい気がしたからだ。

 2部は1部を上回る完璧さだった。1部で右手の演奏にブレを感じるところが。わずかにあったのだが、2部ではそれも全く感じさせない素晴らしい内容だった。

 バラード4番、何と言う憂いに満ちた世界だろうか。曲自体が傑作なのだろうが、それにしてもこれほど豊かでうっとりさせられるとは思わなかった。
 だが、盛大な拍手にお辞儀すると、一息つくことなくすぐにソナタ3番を弾き始めるとは思わなかった。何とも言えぬ気迫を感じた瞬間だった。

 で、この3番には完全にノックアウトだった。1,2楽章では何度もハっとさせられる表情があり、初めて聴いた曲のように新鮮であり、3楽章は本当にこの世のものとは思えず、そのうち主題も何もあるわけでなく、ただただ和音が鳴っているだけのように感じ始め、その陶酔の響きだけに浸るようだった。ずっとこの状態に留まりたい、そんな気持ち。
 そして、圧巻の4楽章。ものすごい早弾きに釘付け。体は上から下へ、下から上へジェットコースターのようにブンブン振り回されるようだ。それが最高に気持ちいい。
 そして終盤、右手の早いパッセージを弾きこなす時に、彼は左手でピアノにつかまって、自らを支えるようなポーズになった。サイコーにカッコイイ瞬間だった。もちろん、すぐに左手は鍵盤に戻り、感動的なエンディングを見事に決めた。興奮してしまった。

 もちろん、ブラボーの大拍手。でも、さすがにアンコールはなかった。この3番の名演の後に、これ以上何を求めようと言うのか。もう本編だけで完全に満足させていただいた。彼もやり切っただろう、そして聴き手の私も感動しまくった。それで十分すぎるほどだった。ツィメルマンは確実に大巨匠への道を進んでいる。素晴らしい夜を体験できて幸せで一杯だ。


 
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by harukko45 | 2010-06-12 03:25 | 聴いて書く

ラフマニノフの「鐘」

 2010年も1月がもう過ぎようとは。とにかく、打ち込みの仕事をさっさとしあげなきゃ。
とは言え、気になる事が多くてなぁ。小沢問題とiPadが今のところの最重要案件か。どちらも、今後の世の中に大きく影響を与えることは間違いないです。

 さて、そんなことで夜も眠れない日々、昨日は浅田真央ちゃんが四大陸フィギュアで優勝しましたが、相変わらずショートプログラムで出遅れ、フリーでの逆転は、言ってみればマオちゃんらしいけど、やはりまだキム・ヨナ選手には届かない点数でした。トリプル・アクセルのこだわるのは良いけど、その分トリプル+トリプルのコンビネーションがないのが、ここに来て致命的か、などと思ったりして。

e0093608_811353.jpg だが、曲は良い。セルゲイ・ラフマニノフの「鐘」と紹介されているが、正確には「前奏曲嬰ハ短調/Prelude in C-Sharp Minor」で、クレムリンの鐘の音にインスピレーションを受けて書かれたことから、「鐘」「モスクワの鐘」と呼ばれるようになったらしい。
 作曲家自らのピアノでの初演では、当時大変なセンセーショナルを巻き起こし、その後「ラフマニノフの例のプレリュード」とか、「Cシャープ!」って呼ばれるほどの人気だったとのこと。
 このような暗く憂鬱な音楽が大受けするなんて、何と素晴らしい時代(?!)。

e0093608_816993.jpg ただし、マオちゃんが使っているのは、ストコフスキーがオーケストレイションしたもの。でもって、こちらがアレンジなさったレオポルド・ストコフスキー先生(ウーン、キマッテル!)。
 この人は指揮者の歴史上ではかなり有名人と言える人。主にアメリカで活躍し、アメリカにクラシック音楽を定着させるのに大いに貢献した一人でしょう。
 昔、白黒映画で彼が指揮する姿を見たことがあるなぁ。すっげぇー派手でしたよ。バレエのような華麗な指揮ぶりって言う人もいますし。

e0093608_8504616.jpg で、彼の功績の一つで特に際立つのが、とことんクラシック音楽を分かりやすく聴かせるために、原曲の長い部分をカットしたり、オーケストレイションをより効果的にアレンジしたりして演奏したこと。
 それにより、厳格な原理主義者には批判される対象だったらしいが、キラキラの音色と指揮棒を使わず指だけでオーケストラを操る姿は、大衆からは圧倒的に支持されたのでした。

 今じゃ、こんなに面白い指揮者はいません。

 ストコフスキー情報関連のサイトはオーケストラの芸人:レオポルド・ストコフスキー
よりディープに探求したい方はなんたってストコフスキー
で、ここのディスコグラフィーは強力ストコフスキー -その偉大なる遺産をたどる- by ストコフ好キ
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by harukko45 | 2010-01-30 08:56 | 聴いて書く

 ウィーンの元旦、午前11時からはテレビでウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを見ましたが、いつも日本では夜の7時ぐらいからで、ほろ酔い加減でゴロゴロしながら聴いていたのに、こちらでは午前中とは、正直調子が狂います。
 で、やっぱりゴロゴロしながら見ていましたが、途中で居眠りしたりしながらで、あまり記憶に残っていません。覚えている部分では、バレンボイムの指揮による演奏はちょっと鳴らしすぎじゃない?と思いながらも、盛大にブラボーの声が飛んでいましたね。個人的には、あまり好みではありませんでした。
 ピアノを弾くとあれほど繊細でロマンティックな表情を見せるのに、彼は指揮台に昇ると、何故か力技で量感過多な感じに聴こえるのでした。

 ただし、最後の方でやったハイドンは良かった、というか、だいたい音楽としてシュトラウスよりもハイドンの方が数段上ということです。今年はハイドン没後120年(?/失礼!没後200年でした。「旅人さん」ご指摘ありがとう!)だかで、ハイドン関係のイベントが多いようです。

 それと、アンコールの際に恒例の指揮者による新年の挨拶で、イスラエル国籍を持つ彼が、現在の中東紛争に対して、何かコメントするかが注目でしたが、これまでも中東和平への活動をしてきた人だけに、やはり「世界に平和と、中東に正義が訪れるように望みます」というようなことを訴えていました。このときばかりはとても緊張した表情になっていたのも印象的でありました。

 さてその夜は、コンツェルトハウスにて、マルク・ミンコフスキ指揮ウィーン交響楽団によるベートーヴェンの第九を聴きに行きました。今回の旅行では、あまり音楽イベントに行く予定は多くないのですが、その中でも注目のものでありました。
 年末年始の「第九」というのはかなりベタな内容ですが、私は初めて生で第九を聴いたので、とっても楽しかったです。
 指揮のミンコフスキは昨年見たモーツァルトのオペラ「ポントの王ミトリダーテ」での演奏ですっかり好きになった人だし、最近評価が鰻登りに上がっているウィーン響との競演には始まる前からワクワクでした。
 それと、チケットをネットで買ったので、席を指定できたのですが、今回はわざわざオケの真横のところにしました。多少バランスは悪くても、きっとナマナマしい音が聴けるでしょうし、何より指揮者の表情や動きを良く見たかったのでした。

e0093608_19234869.jpg で、予想通りの快速テンポで第1楽章からノリノリでした。彼のテンポはどれもこれも速いのですが、情感とノリをちゃんと両立できていたと思いました。それと、第九の1楽章は音楽的にも濃いので、のっけからドキドキしながら入り込んでしまいました。
 2楽章は完璧。実にかっこよかった。3楽章も速かったですが、弦から美しい響きを引き出していて感心しました。

 そして、4楽章。うーむ、わかっちゃいるけど、感動しちゃう。「喜びの歌」のメロディがどんどん膨らんでいくのが、何ともタマランでした。合唱の皆さんが、これまた素晴らしい出来でした。とにかく、バスのソロ(これも見事)が終わってから大合唱になった瞬間はゾクッとしました。最高にいいバランスだったからです。

 その後はめくるめくベートーヴェンの魔力に恍惚となっておりました。
最後の追い込みも急速でスリリング、大いに堪能しました。フランス生まれのミンコフスキは全体に明るい表情の音作りで、ドイツ的な重厚さは薄かったですが、とにかくノリの良さで、聴き手をグイグイと巻き込んでいくのが「今っぽい」し、好感が持てました。
 とにかく楽しかった。楽しい第九というのは、これまでの常識からすると違うかもしれないけど、ベートーヴェンの偉大さに変わりありません。
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by harukko45 | 2009-01-02 19:14 | 聴いて書く

魔笛

e0093608_3202353.jpg 昨日、久々にモーツァルト晩年のオペラ「魔笛」を見た。それも、2つ。1つは2006年のザルツブルグ音楽祭のライブ映像で、リッカルド・ムーティ指揮のもの。もう1つは、何と今どき珍しいオペラ映画として昨年公開されたケネス・ブラナー監督による英語版「魔笛/The Magic Flute」である。

 実を言うと、私が初めて買ったオペラのCDが「魔笛」であり、ライブ映像として見たのも「魔笛」が最初だったので、何かと思い入れがある。CDはいろいろ買って聴き比べたが、相変わらずの骨董好きとでも言うか、結局ワルターの56年のメトでのライブとベームの64年盤が残った。映像では82年のザルツブルグ音楽祭のライブで、レヴァイン指揮のものが好きだ。

 だが、ここ最近のライブ映像には失望の繰り返しだったし、2005年にウィーンのシュタッツオーパーで生を観た時も全く面白くなかった。どれもこれも演出が最悪であり、過激な現代化だったり、極端なお伽話風だったり、奇抜すぎる衣装や舞台美術にもいちいち抵抗を感じてしまっていた。
 それに、歌手も指揮者も十分に共感せずに仕事しているのではないかと思えるものばかりだったし、いかにも初心者向きな扱いにも腹立たしい気持ちを持った。

 というわけで、いくらモーツァルトの傑作ではあっても、もはや今の時代の「魔笛」には期待できないと感じていたのだが、結論から言うと、このムーティの演奏もブラナーの映画も、もの凄く感動してしまった。映像を見ながら、音楽を聞きながら、何度も涙がこみ上げてきた。
 これは全くもってうれしい驚きであり、「魔笛」はまだまだ新しい、現代に十分通用する素晴らしい作品であることを再認識した。

 ムーティはオペラの指揮においてかなり信頼しているのだが、正直、序曲から1幕途中まではあまりサエない感じだった。かつて83年に、同じザルツブルグ音楽祭で伝説的名演と絶賛された「コシ・ファン・トゥッテ」でのキビキビした演奏に比べて、ずいぶん年を取ったように思えたし、ステージも極彩色豊かな舞台と衣装で、何ともどっかの絵本のようで、最初の大蛇のシーンだけでガックリだった。
 だが、1幕目のフィナーレあたりから一気に一体感が高まり、突然として私を夢中にさせてしまった。演出も最初に危惧したほど行き過ぎたものではなく、あまり抵抗感をおぼえなくなっていた。それとたぶん、ザラストロ役のルネ・パーペが登場したことも大きい。それまではまぁまぁだった他の歌手達が、まるで一本筋が通ったように良くなったのは、彼の存在感あふれる歌唱と演技が刺激になったからだと思う。

 実は、これまでザラストロという役もその曲も、あまり好きではなかったのだが、彼によって今までの観点を180度改めなくてはならなくなった。年老いた権力者然として威張っていたザラストロが、堂々としていながら権威主義的でなく、理知的で若々しいリーダーとして生まれ変わったのである。こういうイメージで来られると、彼が歌う曲も実に美しく感じてしまうのだった。

 2幕目からはストーリーの荒唐無稽さ、あいまいさも何のその、ムーティが実に美しく、そして繊細にオケを鳴らしていたのが素晴らしくて、こちらも集中して音楽を聞く感覚になり、モーツァルトの遺言であるこのオペラの美しさを十分に堪能することができたのだった。特に、タミーノとパミーノの火と水の試練の場での音楽が美しかった。

e0093608_3211832.jpg さて、ムーティのいいライブを楽しんだ後に、ケネス・ブラナーのオペラ映画は果たして如何に、と思いきや、冒頭からそんな心配をすぐに吹っ飛ばす映像の連続に、さすがシェークスピアもので実績を上げてきた名優・監督だけのことはある、と深く感心させられる素晴らしい作品だった。

 まずは、台本をうまく書き換えて、設定を変更し、台詞の辻褄を合わせ、現代人にも理解しやすい展開にしていたのが良かった。私としては、オペラ演出家達の方にこれぐらいの発想が欲しいと思うぐらいである。
 また、CG使いが巧みでセンスが良かったし、音楽を尊重した演出に何より好感を持った。ここでのモーツァルトの曲はBGMではなく、主役なのだから。ある意味、ミュージックビデオ的な要素もあって楽しいし、ケン・ラッセルの音楽映画(「悲愴」「マーラー」「トミー」「リストマニア」等々)からの影響もちらちらと見えて、ラッセル・ファンとしてもうれしい。

 とにかく、序曲につけられた、まさに映画の序章とも言える映像だけで、かなりシビレル。そして、オペラを見ている時と同じように、最後の試練の場、パパゲーノの首つりの歌、パパパの二重唱のシーンではすっかりやられっ放しであった。

 それと、この映画でもザラストロ役をルネ・パーペが好演していた。先ほど書いた役に関するイメージはオペラよりも映画の方がより印象的だったと言えるかもしれない。また、オペラでは別人が演じる弁者も彼がやっていたのだが、つまり弁者の正体はザラストロだったという台本の変更はとても理にかなっているし、いいアイデアだったと思う。それに、ここでも彼の歌が聞けるのは大変喜ぶべきことだし、その効果も絶大だったと思う。

 もし、オペラでの「魔笛」を楽しめなかった人がいたら、是非、このブラナーによる映画を見てほしい。こちらの方が現代にも通じるものを持っているし、それでいてメルヘンの世界、魔法の世界のイメージも壊していない。
 そして、ジェームス・コンロンが指揮するオケの演奏も素晴らしく、歌手とのバランスの良さを始め、スタジオ録音による完璧さがあって、音楽的な満足度も高いと思う。

 もしももしも、それでも「魔笛」にピンと来なかったら、それはモーツァルトとは縁がなかったということかも。なぜなら、彼の終着点は「魔笛」であり、けっして「レクイエム」ではないからだ。
 というわけで、私はその後ワルターのCDを聞いている。しばらく「魔笛」が頭の中を駆け巡りそうだ。

e0093608_3223151.jpg ブルーノ・ワルター指揮メトロポリタン・オペラ(1956)、ワルター先生のエグリと作曲家への共感度は何度聞いても凄い。オケは間違えたり、ずれたり大変だが、何より指揮者が素晴らしければ、全体の音楽はこうも偉大になる。ただし、初めて聞く人には薦められない。
e0093608_323094.jpg ジェームス・レヴァイン指揮ザルツブルグ音楽祭(1982)、ジャン・ピエール・ポネルの演出に不満は全くない。ずっとこのままでもいいじゃない。レヴァインの若々しい指揮とチェレスタの演奏が素敵。ウィーン・フィルもこの頃の方がより美音!歌手陣も今よりレベルが全然上。
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by harukko45 | 2008-08-06 03:42 | 聴いて書く

 一昨日書いた「ミトリダーテ」と前後してしまったが、これもNHK-BSで放送されたものの録画を観ての感想だ。というか、「ミトリダーテ」のところでも少し触れているが、演出があまりにも酷くて、およそモーツァルト生誕250年をお祝いするどころか、彼の音楽に泥を塗るような最悪の上演であった。

e0093608_4381146.jpg 一応、出演する歌手もかなり有名人が集まっており、指揮も若手有望株のダニエル・ハーディング、オケはウィーン・フィル、場所もメイン会場といえる祝祭劇場であるにもかかわらず、これほどまでに酷い出来だと、ザルツブルグ音楽祭の権威やら信頼感など消え失せてしまうのではないだろうか。
 だいたい、クラウス・グート演出の「フィガロの結婚」も二度と観たくないが、それでも一応最後までつきあった。が、マルティン・クシェイ演出の「ドン・ジョバンニ」は、1幕目半ばでウンザリし始め、2幕目はもう途中でやめた。後は早送りして「地獄落ち」のところをちらっと見て、すぐにすっ飛ばし、ブーイングの嵐をちょっと期待して、カーテンコールの部分を見たものの、それなりの拍手喝采で、「ふん、つまらん、時間の無駄だったわい」ってところですな。
 まぁ、この演出の初演は2002年だそうで、その再演をやったわけだから、これはこれで地元では評価されたということなんだろう。だが、これが本当にいいのか?おおよそ美的センスが良いとは思えない。下着姿で何度も登場するたくさんの女性達は、ちっともセクシーでなく、それが舞台全体に妖しいムードを作り出すのでなく、ただただみっともなく、カッコ悪く、見苦しく、笑いさえ出てこない。
 
 それにしても、エクサン・プロヴァンスで同じ「ドン・ジョバンニ」の大名演をやってのけたハーディングは、序曲でその期待感をいだかせたものの、その後は全く心に響かず、これが同じハーディングなのか?と疑いたくなるような指揮、というか存在感全くなしで、大変失望した。 
 だが、これほど酷い演出を真ん前で見届けなければならない指揮者の位置にいては、音楽への情熱も意欲も薄れてしまうだろう、と同情する。ハーディングもこんな仕事を引き受けてひどく後悔したのではないだろうか。

 音楽が無惨にも破壊され、演奏家も歌手も共感も共鳴もせず、指揮者が全く求心力を持ちえない現場というのは、はなはだ不幸だ。なので、歌手それぞれの出来もひどい。だがこれも、全くキャストのことを考えていないひどい衣装を着せられて、ただただカッコ悪い姿で舞台に立たされては、かなりの部分致し方ないことだったろう。何とか我慢して歌いきるのが精一杯でしょう。
 また、ウィーン・フィルはオケピットで舞台を見ないですむので、ここは「我関せず」を決め込んだと思われる。それほどまでに覇気を感じない。とりあえず「お仕事、お仕事」で終始。逆に、この舞台に不要な美音を聞かされても、こちらとしては白々しく感じるだけであるから、それで良かったかもしれない。

 とにかく、私にとっては史上最悪の「ドン・ジョバンニ」。グートの「フィガロ」も見る価値なしだったが、これは即刻ゴミ箱行き。
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by harukko45 | 2008-05-07 04:34 | 聴いて書く

e0093608_5383215.jpg これまでにNHK-BSで放送された、2006年のザルツブルグ音楽祭のオペラの中で一番素晴らしいものだった。これは、2002年のダニエル・ハーディング指揮によるエクサン・プロヴァンスにおける「ドン・ジョバンニ」とともに、モーツァルトが生きてこれを観たら、大喜びして飛び上がったに違いない。

 そもそも、このオペラはモーツァルト14歳(!!)の時の作品で、イタリア・オペラへのデビュー曲とのこと、で、非常に形式的で題材も神話や古代の物語である「オペラ・セリア」という様式(現代人には少々退屈?)でもあるので、これまではほとんど上演されてこなかったと思われる。
 だが、2006年は彼の生誕250年の記念イベントであったために、このような作品に再び光が当てられ、なおかつ素晴らしいパフォーマンスと演出により見事に蘇り、モーツァルトを聴く喜びと、新しい感動を与えてくれたのだった。

 はっきり言って、この年のザルツブルグ音楽祭での「フィガロ」も「ドン・ジョバンニ」も最悪の演出にペースを乱されて、演奏も歌唱もパっとしない出来だった中で、飛び抜けて完成度の高い仕上がりだと感じた。

 まずは、たぶんモーツァルト自身も絶対に想像もつかなかったであろうし、期待もしてなかったであろう、斬新で過激な演出をして、観るものを全く飽きさせなかったギュンター・クレーマー氏を賞賛したい。巨大な鏡をうまく使うなど工夫を凝らしながらも、全体としては音楽をきちっと尊重していて、過多でうるさい部分が一切なかった見事な演出で、先の「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」とは雲泥の差であった。

 また、歌手が全員、「完璧」と言っていいほどの出来で、各アリアにはすっかり堪能させられた。それほど有名な人が集まったわけではなかったと思うが、全員が一致団結して素晴らしい歌唱を繰り広げていくうちに、観客もどんどん盛り上がって行くのがよく伝わってきた。

 また、ソプラノに加え、男性陣もテノールとカウンター・テナーという編成だったのが、非常に新鮮で、音楽全体が澄み切っていて、とても明るく響き渡るのが印象的だった。
 もちろん、これはモーツァルトの譜面の凄さ(14歳ですけどね!)ではあるが、この日の歌手達とともにオーケストラ、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊)の演奏が素晴らしかったからに他ならない。そして、全体を引っぱり見事にまとめあげた、指揮者のマルク・ミンコフスキ氏の力量の高さに驚かされた。
 彼が導き出した、インパクト十分で生々しいフォルテ、ビブラートの少ない純粋な響き、そして何と言ってもウキウキするようなノリの良さには何度も感動したし、いわゆる「ドラマ」としてのオペラを越えて、単純に「純音楽」として楽しめたことが、とてもうれしく、大きな満足感を得られたのだった。

 終演後の観客の熱狂ぶりもかなりのものだったが、私も大絶賛のブラボーを心から関係者全員に贈りたい。 

 1962年生まれのパリ人、ミンコフスキ氏はこの年に、同じモーツァルトの40、41番のCDも発売していた。遅ればせながら、これはチェックしなければ。今後も大いに期待したい指揮者であるのは間違いない。
 それにしても、昨年ウィーンでの「イドメネオ」の指揮で感動したベルトラン・ドゥ・ビリー氏、今年のニューイヤーコンサートが素晴らしかった83歳のプレートル氏、皆さんフランス人。
 このところポップスもクラシックもフランスに「くらっ」としている私でありました。
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by harukko45 | 2008-05-05 05:35 | 聴いて書く

 一週間ほどブログを更新してなかったですが、実は3月31日からウィーンに行っておりました。で、いつものようにブラブラ・ダラダラと休暇を楽しんできたのですが、滞在したホテルのネット環境が悪く、昨年のように旅の日記をつけると言ったことは不可能でありました。
 まぁ、毎回ウィーンに行っても私のやっていることは同じなので、新たに書き加えることもないのですが、それでも、今回は久々にウィーン・フィルのコンサートをテアター・アン・デア・ウィーンで聞けたのはとっても幸せな出来事でありました。

e0093608_5195919.jpg それは4月5日で、ピアノと指揮がダニエル・バレンボイム、曲目はベートーヴェンのピアノ・コンチェルト3番と4番、というベートーヴェン好きには願ってもない内容であります。ちょっと皮肉っぽく見れば、「あまりにもベタな」コンサートかもしれないですね。なにせ最近はベートーヴェンの人気がかつてに比べてがた落ちですから。
 しかし、好きなものは好きだし、文句のつけようのない大作曲家の傑作古典をバレンボイムが弾き振りするのですから、これは何としても見逃せなかったのでした。

e0093608_5431073.jpg というわけで、出発の数週間前からオンライン・チケットを購入し、家にあるCD(バレンボイム25歳での’67年EMI盤、指揮は巨匠クレンペラー、 スタジオはアビーロード。それにしてもポップスもクラシックも古い録音ばっかしか持ってないのぉ!)での予習も抜かりなく、当日をワクワクしながら待っていたのでありました。
 それと、たぶん日取りを合わせたのだと、勝手に思っているのですが、この3番の初演が1803年の4月5日、アン・デア・ウィーンで作曲家自らのピアノで行われたわけで、205年前(半端だ?!)と同日同場所での演奏に、何かしら物語性を感じてしまう私なのでありました。(ちなみに、4番も1806年12月22日、アン・デア・ウィーンで初演された/ベートーヴェンは自作の作品の演奏会場として、ここを大変に評価していたとのこと)

 バレンボイムは、現存する指揮者を代表する人気と高い評価を得ている人物であるが、私は指揮者としての彼はあまり好きではない。12年前にウィーン・フィルの定期演奏会でブラームス4番を聞く機会があったが、その時はちっとも感動しなかったのだ。「あぁ、ウィーン・フィルをムジーク・フェラインで聞いたっけ」って感じ。ベルリンのリンデン・オーパーにおけるオペラもTVで見たが、あまり感心しなかった、というか、つまらなかった。

 だが、ピアニストとしての彼は、特にモーツァルトのピアノ・コンチェルトのCDでの演奏が大好きで、かなり愛聴しているし、最近NHKが頻繁に放送しているベートーヴェンのソナタ全集のライブ映像も素晴らしいと思った。

 私は彼の音が好きだ。西欧人としては比較的小さい体と手から紡ぎ出される音は、全く剛腕な感じがなく、極めて繊細で緻密だと感じる。それと、よく歌っていて表情が豊かに変化していく。強烈な個性とテクニックで弾き倒してしまうタイプでなく、とにかく音楽に感じ入って、深く理解し尽くすピアニストだと思う。その音楽の読みの深さが、たぶん凡人のそれとは雲泥の差なのだろうと感じる。それはTVで見た、若手にベートーヴェンのソナタを教授する番組を見るだけでもわかるのだった。

 さて当日、それまで雨まじりの天気ばかりだったのに、この日は気持ちのよい晴れとなり、ポカポカとした昼下がりのコンサートとなったのでした。
 盛大な拍手に迎えられて登場したマエストロ・バレンボイムは指揮棒を持ち、ピアノは弾かず、まず前段としてフランツ・リストによるカンタータ「ベートーヴェン百年祭に寄す」(Introduction to the Cantate "Zur Säkularfeier Beethovens" , Adagio from op. 97)が演奏されました。これは、初めて聴いた曲で、全体にウォーミング・アップ的な印象でしたが、ウィーン・フィルのいつもながらの美音が心地よく、土曜の夕方(3時半)にはピッタリのリラックスした雰囲気でありました。

 しかし、やはり本編のピアノ・コンチェルトになると一気に緊張感が高まりました。まずは、再び登場したマエストロが慎重にピアノの椅子の位置を調整していたのが印象的でした。
 そしてピアノの前に立ち、いかにも「田舎くさーい」主題のオーケストラ部分を指揮し始めると、馴染みのあるベートーヴェンの世界に一気に引き込まれたのでした。ただ、CDにおけるクレンペラーの大きな広がりのある感じよりも、ウィーンらしい少し小粒で優雅な響きとなっていましたが、Cmの堂々とした雰囲気はちゃんと残されていました。

 さぁ、いよいよピアノ・パート。おもむろに座って鍵盤に向かったマエストロでしたが、最初のユニゾンのかけ上がりでちょっとミス・タッチがあり、ドキっとしました。とは言えすぐに、そんなことはたいして問題にならないほど、オケとピアノとのバランスの良さに心を奪われ、感嘆してしまいました。
 アン・デア・ウィーンはどちらかと言えばドライな音質で、規模もそれほど大きくないので、今回のような演目にはピッタリと思ってはいましたが、それでもそのバランスの完璧さ、聞きやすさはさすがでありました。私の席は3階の少し右側後ろでしたが、そのサウンドに全く不満を感じる事はなく、その美音に終始酔いしれることが出来ました。

 マエストロは、その後もところどころ些細なミス・タッチがあったり、オケとの合いがいま一つの部分もありましたが、それ以上にやはりCDで聞く20代の演奏よりも深みのあるニュアンスが素晴らしく、音楽が止まるような部分が全くなかったのは凄いと思いました。
 また、3楽章のロンドの主題の弾き方が、CDよりも「こぶし」が効いていて実に良かった。短調なのに、ウキウキする楽しさを感じさせてくれて、思わずニヤリとしてしまいました。

 前半の3番だけでもかなり高揚した気分になりましたが、それ以上に休憩後の4番はほんと素晴らしかった。というか、曲がそもそも素晴らしいのでありますが、とにかく演奏家にとって、とても大事だと思うのは、「あーいい曲だ、なんて素晴らしい曲なんだ」と聴き手にシンプルに感じさせることだと思うわけで、その場合は演奏家のエゴイスティックな主張や個性は邪魔になるのです。しかし、この日のバレンボイムのピアノにはそれが皆無でした。だから、素晴らしいのです。曲にそれだけ深く入りこみ、音符の全ての意味を完全に理解して共感していなくては絶対に出来ないことだと思います。

e0093608_5202382.jpg それにしても、この4番、いい曲です。深いし、渋いです。だから、年齢を重ねるとその素晴らしさがよく理解できます。だから、どんどん好きになります。1楽章最初の主題をオーケストラの前にピアノのソロで弾くところだけで、もうメロメロです。その静けさや内面的な表情がやがて激しい転調を経て、豊かな広がりに発展して行くのです。こちらはついて行くだけでクラクラでしょう。
 2楽章の幻想的な響きはベートーヴェンのもう1つの素晴らしさ。ただ「ボーっと」しているだけじゃない、実は激しい感情が渦巻いているのです。弦のアンサンブルとピアノとの対話を、じっと聞き入り、深く瞑想するのみです。
 3楽章のロンドでのマエストロのノリは最高でした。のっけから心が弾んでワクワクしっぱなし。でも、イケイケどんどんで賑やかに盛り上がっていくわけじゃないんだな。全体には渋いニュアンスが支配しているのが、良いのです。そしてそれが最後に速いテンポの力強いエンディングとなり、聴き手に大きな満足感を与えてくれるのでありました。

 ですから、うるさ方の多い3階席も「ブラボー」の嵐でしたし、私も感激して、とっても豊かな気持ちになりました。それに、バレンボイムのピアノはやっぱり好きだなぁとあらためて思ったのでした。

 さて、マエストロは、ここ30年ぐらいピアノよりも指揮の方に力を注いでいましたが、2005年にシカゴ交響楽団を退団して以後、ピアノにも再び重点を置くと明言しています。それこそが私の望むことでありますし、今後もこのような形でコンサートをやってくれれば、ファンとしてはこの上ない喜びとなるでしょう。

 でも、来年のニューイヤーはどうかな? 指揮だけだと、ちょっと不安だな。ピアノ弾いてほしいけど、シュトラウスでピアノはないもんな。
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by harukko45 | 2008-04-08 05:19 | 聴いて書く

 83歳のプレートル氏によるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート、去年のズービン・メータ指揮の箸にも棒にもひっかからないような演奏に比べて、圧倒的に良かったです。
 それにしても、これまでの最高齢、そして初のフランス人指揮者登場、この組み合わせを聞いて最初「何で?」って疑問に思った私でしたが、やっぱり80歳越えても現役でいらっしゃる方の技は違うということに深く感動いたしました。

 しょっぱなの"ナポレオン行進曲"の立派な響きで、まずはガツンときました。実にエネルギッシュでした。すぐに高齢者の演奏を「シブイ」ってことにしたがるもんですが、ぜんぜん「そんなの関係ない!」って勢いでした。それも、ただ力技でねじ倒したのでなく、十分豊かに音を響かせて広がりを持たせていたのは、素晴らしかった。
 また、"とんぼ"(長渕じゃないよ、ヨーゼフ・シュトラウスの美曲!)など、とっても映像的で詩情あふれる美しい表情を見せてくれたし、それでいて繊細さにこだわりすぎて、小さくなりすぎる最近の表現へのアンチテーゼとも言える堂々とした指揮ぶりにも魅了された。

 "皇帝円舞曲"や"美しく青きドナウ"といったおなじみの曲での「大きな歌い方」も素敵で、こういう風格とも言えるものはいわゆる「普通人」には出せないものだなぁと思ってしまうのでした。その大きさが全体に安心感を聴き手に与えて、何とも言えぬ楽しさにつながっていたように感じました。("美しき..."の出だし、明らかに次の"ラデツキー行進曲"と間違えて振り出したのはご愛嬌、ご本人も笑っていた。)
 
 クライバーやハーディングのようなキレの良さや洗練されたフォームは全くないけど、だからといってノリが野暮ったいかというとそんなことはない。逆に、腰の入ったグルーヴ感ってものがあるのでした。この辺は繰り返しになるけど、まさに「年齢なんか関係ない!」ってところです。

 だから、"トリッチ・トラッチ・ポルカ"のような「行ってシマエ!」的な曲でも、最近の多くの安全運転指揮者は優等生演奏で、アクセルとブレーキを同時に操作してしまうが、今回のプレートル氏は実に豪快な演奏で、久々に盛り上がったなぁ。
 そしてそれ以上に、一部の最後にやった"天国と地獄のカドリーユ"は圧巻だった。いわゆる「フレンチ・カンカン」のあれですが、もうかなりのハイテンションでオケにムチをいれ、ウィーン・フィルが弾きまくっていたのが面白かったし、それでいて音色が優雅なのがさすがでありましたし、見事にさばききったプレートルの技とウィーン・フィルの力が光ったのでした。

 とりあえず、私がこのコンサートを見始めた1991年からの中では、92年クライバー、2006年のヤンソンスとともに最高に楽しく、心から堪能させられた内容でありました。
 ところで、来年はダニエル・バレンボイムですか。もうすでに期待できないと考えております。(彼はものすごく素晴らしいピアニストですので、そちらに専念していただきたいのが、私のかねてからの希望です。)
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by harukko45 | 2008-01-03 16:34 | 聴いて書く

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