先週に引き続き、昨日(9日)の深夜、NHK-BSプレミアムでカルロス・クライバーの特集があり、最近DVDになって発売されている"Traces To Nowhere"というドキュメンタリーと、91年のウィーン・フィルの定期公演、92年のニューイヤー・コンサートのライブ映像が放送された。

 2週連続で、クライバーの生涯を知り、彼の演奏に接することで、あらためてその存在感の大きさに圧倒されてしまった。おかげで、昨晩は番組終了後も彼のCDやDVDを聴きまくり、観まくって、結局徹夜になってしまった。

e0093608_2505229.jpg ドキュメンタリーの"Traces To Nowhere"は先週の"I am lost to the world"に比べると、彼の歴史をたどると言うよりも、彼の近くにいた人々のインタビューに多くの時間が割かれ、より彼の内面に切り込んでいくような作り方だった。実姉のヴェロニカ・クライバーさんの発言は貴重だったし、プラシド・ドミンゴとブリギッテ・ファスベンダーというクライバーのオペラには欠かせない大歌手や演出家のオットー・シェンクらの言葉は、どれも興味深かった。
 また、彼の指揮の秘密についての同業指揮者や演奏家による分析もあって、これもなかなか面白かった。が、やはり、誰もが彼の早い死と、残した作品・仕事の少なさを悲しんでいたのだった。結局、それに尽きるんだよな。

 さて、その後にオンエアされたウィーン・フィルとの二つのライブ映像はすでにDVDとしても売られているもの(昔はLD)で、彼の代表的名演に上がるものだと思うが、91年の定期から92年のニューイヤーと続いたこの時期こそ、ウィーンとクライバーの関係が最も良い状態にあったわけで、このニューイヤーの後、来日公演が予定されていて、否応なく期待が高まったのを憶えている。
 残念ながら、来日はクライバーの急病によりキャンセルになってしまい、クライバー&ウィーン・フィルによる「モーツァルト、ブラームス、R・シュトラウス、ウィンナ・ワルツ」という、まさにウィーンづくしの夢のようなプログラムを日本で聴くことはかなわなかった。

 とは言え、この2つのコンサート映像はやはり何度観ても素晴らしい。91年版ではモーツァルト36番の1楽章が古典とは思えない広がりを持っていて好きだったし、ブラームスの2番も大好きな曲なので、共に楽しめたのだが、92年のニューイヤーの楽しさにはやっぱり圧倒的にかないませんでした。もう、ブラボーの嵐ですわ、個人的に。ワルツに体が揺れて、急速ポルカに盛り上がって、絶妙なレガートに溜め息し、喜びから悲哀に移り変わる繊細な色づけに涙がこぼれました。
 
 それにしても、前に観た時は気がつかなかったけど、会場に日本人がたくさんいたなぁ、バブルの後半期だから、さもありなんというところかな。
 
 というわけで、ここしばらくは私の「クライバー・ブーム再び」は続きそう。そういえば、YouTubeには、76年のミラノ・スカラ座での"Otello"とか、79年の"La Boheme"なんかもフルでアップされていたのに驚きました。かつて、海賊版もどきのVHSとCDを買って興奮してた頃が懐かしく思い出されましたが、未だに画質は悪いまんまですなぁ。

 おまけで、86年のバイエルン国立管弦楽団との人見記念講堂でのライブ映像をリンクしておきます。個人的にも楽しみたいので。

「こうもり」序曲


と、ポルカ「雷鳴と電光」




 
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by harukko45 | 2011-04-11 02:50

 2004年に亡くなった指揮者カルロス・クライバーのドキュメンタリー"I Am Lost To The World"をNHK-BSプレニアムが昨夜放送した。多くの関係者、楽団員らのインタビューとその当時の貴重な映像と音によって構成された内容は実に興味深く、謎に満ちたこの天才指揮者の一生を少しでも垣間みることが出来るのは、ファンとしてとてもうれしいことだ。(別制作のもう一つのドキュメンタリーである"Traces To Nowhere"も来週放送予定)

 特に、冒頭から随所に挿入される「トリスタン」の指揮ぶり(バイロイトのオケピットでの隠し撮り?)が、もう凄い。また、オーケストラとのリハーサルにおいて、巧みな比喩を使った表現で、楽団員に説明するシーンはすごく面白いし、それでいて実に繊細緻密なこだわりに感動してしまう。だからこそ、いざ本番になった時の、バレエのごとく踊るような華麗な指揮ぶりが、ますます魅力的に思えてくる。それは、彼がまさに音楽の化身となった瞬間であり、この美しさに私はメロメロになってしまう。
 もちろん、見た目の良さだけでない、その指揮から生み出される音が、他を圧倒的に引き離す素晴らしさだからこそ、彼の虜になってしまうのだった。

 その一方で、日頃の気難しい性格や、極度の神経過敏さ、父への大いなる敬意とコンプレックスについての話や、それが引き起こす数々のトラブルは、まさに天才ならではの伝説と思いつつも、やはり、それによって失った貴重な音楽的財産も大きかったことが悲しく感じられた。
 彼は、その才能の凄さに比べて、あまりにも残した作品が少なすぎた。

 さて、ドキュメンタリーの後に、1986年の来日時に収録されたバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェンの4番と7番、アンコールでのヨハン・シュトラウス「こうもり」序曲とポルカ「雷鳴と雷光」、1996年のミュンヘンでの同じバイエルン国立管弦楽団とのベートーヴェン「コリオラン序曲」、モーツァルトの33番、ブラームスの4番が続けて放送された。

 まずは、86年のは彼の「絶頂期」とも言える時期の演奏だけに、ずっと興奮しっぱなしだった。7番はロックなんか吹っ飛んでしまう。アンコールの2曲も最高。インタビューの中で「オペレッタが一番難しい」と語っていたのが印象的だったが、これほどまでに精微に練られていながら、強烈なインパクトと推進力を失っていない演奏というのはもの凄い。これで、興奮しないなんてあり得ない。人見記念講堂での観衆の熱狂ぶりは当然だった。

 そのちょうど10年後のミュンヘンはDVDで持っているのだが、クライバーの生前最後の正規映像であり、彼自身の老いぶりが著しく、その重苦しさから、一度見ただけでしまい込んでしまったもの。だが、昨日は引き続き見てしまった。正直、「コリオラン」と「33番」では、やはりクライバーの老け具合、体調の悪さが気になって、見ているのが辛くなるし、音楽自体にエネルギーが乏しい部分が随所に感じられて残念な気持ちになった。
 ところが、ブラームスの4番では、これまで感じた事のない「寂しさ」がひしひしと伝わってきて、彼自身の心とブラームスの音楽が見事に一体化していたことに気づかされた。もう、夢中になって聞き入って(見入って)しまったのだが、そのエンディングのあっけなさまでが、何とも切なく感じられるとは、本当にまいった。

e0093608_20381123.jpg 彼が死の直前、その1年前に亡くなった夫人の故郷にある別荘(そこが彼の臨終の場所)に向かう時、その車中では彼がウィーン・フィルと録音したブラームス4番が流されていたという。


 
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by harukko45 | 2011-04-03 19:01 | 聴いて書く

 昨夜はNHK-BSで、2005年のザルツブルグ音楽祭で話題となった公演、ヴェルディの椿姫がオン・エアされた。主役ヴィオレッタにアンナ・ネトレプコで、ウィーンを始め目下大人気の才色兼備のソプラノの登場により、かなりの評判だったらしい。なので、すごく期待して観ていたのだが、果たしてそれほど絶賛の内容だろうか?
 ネトレプコは翌年のザルツブルグ音楽祭でのモーツァルト・ガラにおける、イドメネオからのアリアを歌った時は、確かに評判通り素晴らしいと思ったが、このヴェルディにおいては、ワンパターンの歌唱で、あまり好きになれなかったな。力入っちゃってて、トキメキを覚えることはほとんどなかった。顔が綺麗でも音で伝えてくれなきゃ、恋する気になれないってわけ。

 演出もちっとも良くなかった。どうせ、現代風にするなら、もっととことん抽象的にしたらどうか? 中途半端な現代化がかえって貧弱で安上がりな印象を与えるし、歌手達がカッコ悪く見えてしかたがない。アルフレード役のロベルト・ヴィラゾンがパンツ姿で2幕目最初のアリアを歌うのはみっともなくて見るに耐えない。あんな映像を残された彼が気の毒だ。歌ってる最中にズボンをはくなんて笑うしかない。
 アルフレードの父親役のトーマス・ハンプソンは私としてはヴェルディのオペラに登場してほしくないタイプ。声も演技も全くイメージと違う。が、私はこの父親が大嫌いだし、ヴェルディが書いたこの役への音楽も大嫌いなので、嫌な感じがハッキリしてかえって良かった?

 ウィーン・フィルは相変わらずエレガントな音色を聞かせていたけど、指揮のリッツィは安全運転に終始していたし、この場合、ウィーンの音色は美しいといっても、何ともおまけのように思えてくる。それに、ザルツブルグ祝祭劇場のだだっ広さが、全体に無味乾燥としたヨソヨソしさを音楽に付け加えるんだ。外面は豪華だけど中味なし、みたいな。

 しかし、しかしである! ヴェルディの音楽、この「La Traviata」は本当はとっても素晴らしいのだ!(父親のところをのぞいてね)だからCDで最高の演奏を楽しもう!

 くそったれ!何て素晴らしいんだ、カルロス・クライバーという指揮者は!これはスタジオ録音だ、が、演奏はライブそのものだ。生きているんだ、音が。歌手もみんな素晴らしい。コトルバスのヴィオレッタ、ドミンゴのアルフレード、そして大嫌いな父親もこのディスクのミルンズなら聞いていられる。
 とにかく、繊細でいて刺激的、確かにテンポは早い。頭の固いイタリア・オペラ・ファンはこれではホンモノのイタリアじゃないって言う。そうだろうか? クライバーはテンポが早くてもノリが最高なのだ。これほどまでに、スイングしてグルーヴィなオペラが他にあるか。
 叙情的で本来は緩やかなパートにおいても、早いテンポでキリっとした姿勢を崩さずにいるが、絶妙なところで伸縮させるのがタマラないのだ。それはセンスの良さ、品の良さ、才能の凄さとしか言いようがない。
 それでいて、頭でっかちな理論派ではない。歌手の感情の上を行くようなクレッシェンドやアッチェルに込められた情熱に、聴き手が燃えない方がおかしい。

 序曲から一度聞き始めたら、もう最後まで一気に聞いてしまうだろう。筋なんか、適当に覚えていれば良い(ってわけにはいかないな、実際には。でも、それぐらい音楽が雄弁だということ)。音楽が切実に聴き手に語りかけてくるので、そのドラマに真実を感じさせるのだ。切なく悲しく楽しい。その豊かな表情と深い音楽性に敬服しながら、思わず熱いものがこみ上げてくるのだった。
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by harukko45 | 2007-02-24 20:15 | 聴いて書く

クライバーのオテロ

 ここのところ暇な時間は、過去に購入したり、TV放送から録画したオペラのVHSビデオをDVDにコピー(当然アナログ・コピー)しているのだが、久々に見直すといい演奏には思わず引き込まれてしまう。その中でも、もっともすごい内容なのがやはりカルロス・クライバーが指揮しているものだ。
 常に「天才!天才!」と呼ばれ続けたこの指揮者は、特にオペラが最高だったと思う。残念ながら私は実演を観る事はできずに、彼は去年他界してしまったわけだが、こうして映像で鑑賞するだけでも、その素晴らしさは他の指揮者とは圧倒的に違うと感じるのだ。

 そのクライバーのオペラの中でもピカイチなのが、1976年ミラノ・スカラ座での「オテロ」だろう。歌手陣が超豪華だ。ドミンゴ、フレーニ、カプッチッリ(特にカプッチッリが最高に好きだ。)に、最高の舞台演出はゼッフィレッリ。これだけでも文句はないが、その聴き手の期待度をクライバーは軽々と飛び越え、最高の演奏をオケから引き出して、別次元に私を連れ去ってしまうのだった。
 
 ただし、このビデオは自宅テレビから録画したらしい海賊版(?)もどきのものだ。だから、映像も音(モノラル)も大変悪い。にもかかわらず、本物の音楽が凄まじいパワーで押し寄せてくるのだ。
 
 演奏を始めるまえのクライバーはすごく緊張している面持ちだ。表情が引きつっているようだし、唇を何回かなめているし、手も震えているようにも見える。が、決意をもって振り下ろした瞬間、とてつもない音が飛び出してくる。1幕冒頭の嵐の場面は、まさに命がけの音がしているのだ。そして、合唱のパートを歌いながら指揮をするクライバーはもうすでに音楽の化身となっていて最高にかっこいい!!そしてドミンゴによるオテロの第一声における輝かしい歌声がしびれる。
 その後のカプッチッリが歌う「乾杯の歌」もご機嫌なノリで進んで興奮するし、1幕最後のドミンゴとフレーニの2重唱は甘くなりすぎず、それでいて陶酔感にもあふれている。この辺のセンスの良さが素晴らしい。

 2幕目でもカプッチッリのイアーゴは最高で、彼のふりまく毒はオテロだけでなく聴き手をも狂わせるのだ。そして、イアーゴの奸計にまんまとはまり始めたオテロが怒りを爆発させるあたりのドミンゴとオケの一体感は何だ!この後の壮絶なるカプッチッリ、ドミンゴの2重唱はとんでもないことになる。

 3幕目は恐ろしい。ヴェルディの深い人物描写、人間の裏の世界を見事に表現するその音楽自体もすごいのだが、完全に嫉妬と不信によって狂気の世界に踏み込んでいくドミンゴの名演技と、オケの力をつかって歌手達をアオリまくるクライバーには本当の悪魔が乗り移ったかのようだ。

 シェイクスピアの書いたこの悲劇の結末は、やはり死しかないのだが、この4幕目は普通のイタリアもののようにズルズルとお涙頂戴にせず、スキっとすすめて逆にリアリティのあるエンディングになったのだ。
 また、客の反応もおもしろい。クライバーが指揮を始めようとすると、反対派が口笛を吹いたり、ブーイングするとそれに抗議して猛烈な「ブラボー」の声と嵐のような拍手。それでもやめない妨害に対して叱りつけるお客の声。ステージの上も客席もすごい緊張感にあふれている。

 それから余談だが、終演後のカーテンコールでのゼッフィレッリの姿がかっこいい。さすがイタリアの名演出家、映画監督。いい仕事をする人は見た目もキマッテいた。

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右:オテロ 左:同じくスカラ座79年の「ラ・ボエーム」、パヴァロッティ、コトルバスも素晴らしいがやはりクライバーの音楽は常に新鮮で、音がわき上がってくるのだ。ただし、音質も映像もオテロ以上に悪い。DVDにもなっているが、まったく改善されていないらしい。この他ちゃんとした正規版、シュトラウスの「こうもり」も久々に観て感動した。こういうドタバタものでも最高のパフォーマンスを引き出す。もちろんR・シュトラウスの「ばらの騎士」も。結局すべて必聴必見となってしまう。
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by harukko45 | 2005-10-28 23:36 | 聴いて書く

 7月13日に、指揮者のカルロス・クライバーが亡くなった。その報は、今朝世界に伝えられた。先月亡くなったレイ・チャールズに続き、20世紀が生んだ音楽界の真の巨匠がまた一人いなくなってしまった。

 私のような中級程度のクラシック音楽ファンにとっても、クライバーの存在は大きかった。子供のころにさんざん聴かされた反動ですっかり大嫌いになってしまったクラシックに、私が再び興味を持ったのは2つのきっかけがあって、1つはミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」を観たこと、そしてもう一つは彼の指揮による‘あまりにもカッコイイ’ベートーベンの「第5」を聴いたからだ。

 私が小学生時代、「教育的」にクラシックを聴いていた頃、クラシック音楽鑑賞の定番である「第5」はカラヤン/ベルリン・フィル盤が一般には大ベストセラーだった。ご多分に漏れず私も最初それを聴いていたが、私自身の音楽的恩人である当時東大在学中の方にフルトヴェングラー/ウィーン・フィル盤を強く薦められ、聴き比べることにした。その時初めて、同じ曲であっても指揮者・演奏家によって、こんなにも違う表現になるのかということ知った。

 どちらが良かったか? 圧倒的にフルトヴェングラー盤であり、その後フルトヴェングラー/ベルリン・フィルによるライブ盤がそれをも大きく上回る演奏であるのを知ったが、とにかく子供心にフルトヴェングラーにすっかり参って、どんなに人気があったってカラヤンなんかペラペラ! などと偉そうに思っていたのだ。で、私の中で「ベートーベン=フルトヴェングラー」の方程式が出来上がり、それ以外は聴く価値なしだった。が、その極端な価値観は、結局ロックやジャズに興味が移っていくうちに、「フルトヴェングラー=ドイツ=重くてかったるい」「ベートーベン=ダサイ」よって、「クラシック=大っきらい」へと変わっていったのだった。

 ところが、その当時すでにカルロス・クライバーは40代の期待の星であり、若きカリスマとして注目されていたのだった。そして何枚かの名盤を早くも出していた。いやいや彼の場合、取り組む作品に対して深く深く掘り下げ、実に緻密に作り上げるために、発表されるレコード・CDは他の人気指揮者に比べて極端に少ない。が、それらは彼の高い音楽性に裏打ちされた個性的な解釈によって、どれもこれも傑作であり問題作であり、すべてが必聴盤なのである。

 そして、私は80年代後半になって、もう一度クラシックを聴くことに目覚め、遅ればせながらクライバーを知った。再び「第5」だった。私が指揮者の善し悪しを判断するのに、これほど打って付けの曲はない。なぜなら私の記憶には常にフルトヴェングラー盤があるからだ。

 クライバー/ウイーン・フィル盤を買ったその日、久々にそのベートーベンを聴いたときの感動を今でも忘れない。私にとってすっかりカビが生えて思い出すのもイヤになっていた「あの曲」が、とてつもなく鮮明に、それどころか全く生まれたての音楽、初めて聴く音楽のように鳴り響くのを感じた。そして蘇った子供の頃の思い出とともに、何度も何度も繰り返し聴いたのだった。

 1楽章のもともと息が詰まるように書かれている音符の一つ一つがイキイキと意味を持ち、それらが結びついていくのがスリリングでたまらない。それでいて、彼は全体をよく見渡していて、決して興奮しっぱなしの状態になっていない。実にクールでカッコイイのだ。2楽章では、一転して歌いまくっている。私は大好きで、一緒に口ずさむ。クラシックを一緒に歌って何が悪い。そのメロディのえぐり方が緻密で素晴らしい。だから、聴くたびに新たな発見があり、常に新鮮で美しい。3,4楽章はその精密なアンサンブル・ワークとキリっとしたリズム感・スピード感が素晴らしいが、これに関してはより劇的なフルトヴェングラーに軍配を上げる。が、現代においてフルトヴェングラーのようにすさまじくドラマティックに演奏することは、やはり抵抗があるだろう。よって、この極度に洗練しきった超モダンな演奏こそ、まさに今の表現だと感じるし、高く評価したいのだ(でももう30年前の演奏、結局これ以上の名盤は出ていないようだ)。

 その後、クライバーの演奏をいろいろと買い揃えることになった。特にオペラはどれも素晴らしい。ミラノ・スカラ座での「オテロ」と「ボエーム」、バイエルンとウィーンでの二つの「ばらの騎士」、スタジオ録音の「椿姫」「トリスタンとイゾルデ」、そのいずれも歴史に残る大傑作と思う。

 また、ウィーン・フィルとの89年と92年のニューイヤーコンサートの素晴らしさを何と例えたらいいのか。とにかく、その映像(92年)でみる、エレガントの極致である指揮姿! まずこれに魅了されない人はいないだろう。また、大事なところでの悪魔のような殺気を感じさせる集中力。それでいて、オーケストラの優秀さを認めて、まかせるところはまかせてしまう大きさ。まさに、彼そのものが音楽の化身となって、それまでのウィンナ・ワルツとは別次元の演奏を実現したのだった。それ以後、何人もの指揮者がニューイヤーコンサートを代わる代わる指揮したが、私にとってはどれも楽しめない、ありきたりの演奏でしかなかった。

 私は彼の演奏を生で観ることは残念ながら出来なかった。そして私のアイドルはまた一人この世から去った。この喪失感は91年のマイルス・デイビスの死以来だろうか。私ごときにアイドルなどと言われては、クライバー氏も心外だろう。また、多くの彼のファンにも失礼だった。とにかく、今はこの偉大なる音楽家に感謝するとともにそのご冥福を祈るのみだ。
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by harukko45 | 2004-07-20 00:00 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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