タグ:オペラ ( 21 ) タグの人気記事

魔笛

e0093608_3202353.jpg 昨日、久々にモーツァルト晩年のオペラ「魔笛」を見た。それも、2つ。1つは2006年のザルツブルグ音楽祭のライブ映像で、リッカルド・ムーティ指揮のもの。もう1つは、何と今どき珍しいオペラ映画として昨年公開されたケネス・ブラナー監督による英語版「魔笛/The Magic Flute」である。

 実を言うと、私が初めて買ったオペラのCDが「魔笛」であり、ライブ映像として見たのも「魔笛」が最初だったので、何かと思い入れがある。CDはいろいろ買って聴き比べたが、相変わらずの骨董好きとでも言うか、結局ワルターの56年のメトでのライブとベームの64年盤が残った。映像では82年のザルツブルグ音楽祭のライブで、レヴァイン指揮のものが好きだ。

 だが、ここ最近のライブ映像には失望の繰り返しだったし、2005年にウィーンのシュタッツオーパーで生を観た時も全く面白くなかった。どれもこれも演出が最悪であり、過激な現代化だったり、極端なお伽話風だったり、奇抜すぎる衣装や舞台美術にもいちいち抵抗を感じてしまっていた。
 それに、歌手も指揮者も十分に共感せずに仕事しているのではないかと思えるものばかりだったし、いかにも初心者向きな扱いにも腹立たしい気持ちを持った。

 というわけで、いくらモーツァルトの傑作ではあっても、もはや今の時代の「魔笛」には期待できないと感じていたのだが、結論から言うと、このムーティの演奏もブラナーの映画も、もの凄く感動してしまった。映像を見ながら、音楽を聞きながら、何度も涙がこみ上げてきた。
 これは全くもってうれしい驚きであり、「魔笛」はまだまだ新しい、現代に十分通用する素晴らしい作品であることを再認識した。

 ムーティはオペラの指揮においてかなり信頼しているのだが、正直、序曲から1幕途中まではあまりサエない感じだった。かつて83年に、同じザルツブルグ音楽祭で伝説的名演と絶賛された「コシ・ファン・トゥッテ」でのキビキビした演奏に比べて、ずいぶん年を取ったように思えたし、ステージも極彩色豊かな舞台と衣装で、何ともどっかの絵本のようで、最初の大蛇のシーンだけでガックリだった。
 だが、1幕目のフィナーレあたりから一気に一体感が高まり、突然として私を夢中にさせてしまった。演出も最初に危惧したほど行き過ぎたものではなく、あまり抵抗感をおぼえなくなっていた。それとたぶん、ザラストロ役のルネ・パーペが登場したことも大きい。それまではまぁまぁだった他の歌手達が、まるで一本筋が通ったように良くなったのは、彼の存在感あふれる歌唱と演技が刺激になったからだと思う。

 実は、これまでザラストロという役もその曲も、あまり好きではなかったのだが、彼によって今までの観点を180度改めなくてはならなくなった。年老いた権力者然として威張っていたザラストロが、堂々としていながら権威主義的でなく、理知的で若々しいリーダーとして生まれ変わったのである。こういうイメージで来られると、彼が歌う曲も実に美しく感じてしまうのだった。

 2幕目からはストーリーの荒唐無稽さ、あいまいさも何のその、ムーティが実に美しく、そして繊細にオケを鳴らしていたのが素晴らしくて、こちらも集中して音楽を聞く感覚になり、モーツァルトの遺言であるこのオペラの美しさを十分に堪能することができたのだった。特に、タミーノとパミーノの火と水の試練の場での音楽が美しかった。

e0093608_3211832.jpg さて、ムーティのいいライブを楽しんだ後に、ケネス・ブラナーのオペラ映画は果たして如何に、と思いきや、冒頭からそんな心配をすぐに吹っ飛ばす映像の連続に、さすがシェークスピアもので実績を上げてきた名優・監督だけのことはある、と深く感心させられる素晴らしい作品だった。

 まずは、台本をうまく書き換えて、設定を変更し、台詞の辻褄を合わせ、現代人にも理解しやすい展開にしていたのが良かった。私としては、オペラ演出家達の方にこれぐらいの発想が欲しいと思うぐらいである。
 また、CG使いが巧みでセンスが良かったし、音楽を尊重した演出に何より好感を持った。ここでのモーツァルトの曲はBGMではなく、主役なのだから。ある意味、ミュージックビデオ的な要素もあって楽しいし、ケン・ラッセルの音楽映画(「悲愴」「マーラー」「トミー」「リストマニア」等々)からの影響もちらちらと見えて、ラッセル・ファンとしてもうれしい。

 とにかく、序曲につけられた、まさに映画の序章とも言える映像だけで、かなりシビレル。そして、オペラを見ている時と同じように、最後の試練の場、パパゲーノの首つりの歌、パパパの二重唱のシーンではすっかりやられっ放しであった。

 それと、この映画でもザラストロ役をルネ・パーペが好演していた。先ほど書いた役に関するイメージはオペラよりも映画の方がより印象的だったと言えるかもしれない。また、オペラでは別人が演じる弁者も彼がやっていたのだが、つまり弁者の正体はザラストロだったという台本の変更はとても理にかなっているし、いいアイデアだったと思う。それに、ここでも彼の歌が聞けるのは大変喜ぶべきことだし、その効果も絶大だったと思う。

 もし、オペラでの「魔笛」を楽しめなかった人がいたら、是非、このブラナーによる映画を見てほしい。こちらの方が現代にも通じるものを持っているし、それでいてメルヘンの世界、魔法の世界のイメージも壊していない。
 そして、ジェームス・コンロンが指揮するオケの演奏も素晴らしく、歌手とのバランスの良さを始め、スタジオ録音による完璧さがあって、音楽的な満足度も高いと思う。

 もしももしも、それでも「魔笛」にピンと来なかったら、それはモーツァルトとは縁がなかったということかも。なぜなら、彼の終着点は「魔笛」であり、けっして「レクイエム」ではないからだ。
 というわけで、私はその後ワルターのCDを聞いている。しばらく「魔笛」が頭の中を駆け巡りそうだ。

e0093608_3223151.jpg ブルーノ・ワルター指揮メトロポリタン・オペラ(1956)、ワルター先生のエグリと作曲家への共感度は何度聞いても凄い。オケは間違えたり、ずれたり大変だが、何より指揮者が素晴らしければ、全体の音楽はこうも偉大になる。ただし、初めて聞く人には薦められない。
e0093608_323094.jpg ジェームス・レヴァイン指揮ザルツブルグ音楽祭(1982)、ジャン・ピエール・ポネルの演出に不満は全くない。ずっとこのままでもいいじゃない。レヴァインの若々しい指揮とチェレスタの演奏が素敵。ウィーン・フィルもこの頃の方がより美音!歌手陣も今よりレベルが全然上。
[PR]
by harukko45 | 2008-08-06 03:42 | 聴いて書く

 一昨日書いた「ミトリダーテ」と前後してしまったが、これもNHK-BSで放送されたものの録画を観ての感想だ。というか、「ミトリダーテ」のところでも少し触れているが、演出があまりにも酷くて、およそモーツァルト生誕250年をお祝いするどころか、彼の音楽に泥を塗るような最悪の上演であった。

e0093608_4381146.jpg 一応、出演する歌手もかなり有名人が集まっており、指揮も若手有望株のダニエル・ハーディング、オケはウィーン・フィル、場所もメイン会場といえる祝祭劇場であるにもかかわらず、これほどまでに酷い出来だと、ザルツブルグ音楽祭の権威やら信頼感など消え失せてしまうのではないだろうか。
 だいたい、クラウス・グート演出の「フィガロの結婚」も二度と観たくないが、それでも一応最後までつきあった。が、マルティン・クシェイ演出の「ドン・ジョバンニ」は、1幕目半ばでウンザリし始め、2幕目はもう途中でやめた。後は早送りして「地獄落ち」のところをちらっと見て、すぐにすっ飛ばし、ブーイングの嵐をちょっと期待して、カーテンコールの部分を見たものの、それなりの拍手喝采で、「ふん、つまらん、時間の無駄だったわい」ってところですな。
 まぁ、この演出の初演は2002年だそうで、その再演をやったわけだから、これはこれで地元では評価されたということなんだろう。だが、これが本当にいいのか?おおよそ美的センスが良いとは思えない。下着姿で何度も登場するたくさんの女性達は、ちっともセクシーでなく、それが舞台全体に妖しいムードを作り出すのでなく、ただただみっともなく、カッコ悪く、見苦しく、笑いさえ出てこない。
 
 それにしても、エクサン・プロヴァンスで同じ「ドン・ジョバンニ」の大名演をやってのけたハーディングは、序曲でその期待感をいだかせたものの、その後は全く心に響かず、これが同じハーディングなのか?と疑いたくなるような指揮、というか存在感全くなしで、大変失望した。 
 だが、これほど酷い演出を真ん前で見届けなければならない指揮者の位置にいては、音楽への情熱も意欲も薄れてしまうだろう、と同情する。ハーディングもこんな仕事を引き受けてひどく後悔したのではないだろうか。

 音楽が無惨にも破壊され、演奏家も歌手も共感も共鳴もせず、指揮者が全く求心力を持ちえない現場というのは、はなはだ不幸だ。なので、歌手それぞれの出来もひどい。だがこれも、全くキャストのことを考えていないひどい衣装を着せられて、ただただカッコ悪い姿で舞台に立たされては、かなりの部分致し方ないことだったろう。何とか我慢して歌いきるのが精一杯でしょう。
 また、ウィーン・フィルはオケピットで舞台を見ないですむので、ここは「我関せず」を決め込んだと思われる。それほどまでに覇気を感じない。とりあえず「お仕事、お仕事」で終始。逆に、この舞台に不要な美音を聞かされても、こちらとしては白々しく感じるだけであるから、それで良かったかもしれない。

 とにかく、私にとっては史上最悪の「ドン・ジョバンニ」。グートの「フィガロ」も見る価値なしだったが、これは即刻ゴミ箱行き。
[PR]
by harukko45 | 2008-05-07 04:34 | 聴いて書く

e0093608_5383215.jpg これまでにNHK-BSで放送された、2006年のザルツブルグ音楽祭のオペラの中で一番素晴らしいものだった。これは、2002年のダニエル・ハーディング指揮によるエクサン・プロヴァンスにおける「ドン・ジョバンニ」とともに、モーツァルトが生きてこれを観たら、大喜びして飛び上がったに違いない。

 そもそも、このオペラはモーツァルト14歳(!!)の時の作品で、イタリア・オペラへのデビュー曲とのこと、で、非常に形式的で題材も神話や古代の物語である「オペラ・セリア」という様式(現代人には少々退屈?)でもあるので、これまではほとんど上演されてこなかったと思われる。
 だが、2006年は彼の生誕250年の記念イベントであったために、このような作品に再び光が当てられ、なおかつ素晴らしいパフォーマンスと演出により見事に蘇り、モーツァルトを聴く喜びと、新しい感動を与えてくれたのだった。

 はっきり言って、この年のザルツブルグ音楽祭での「フィガロ」も「ドン・ジョバンニ」も最悪の演出にペースを乱されて、演奏も歌唱もパっとしない出来だった中で、飛び抜けて完成度の高い仕上がりだと感じた。

 まずは、たぶんモーツァルト自身も絶対に想像もつかなかったであろうし、期待もしてなかったであろう、斬新で過激な演出をして、観るものを全く飽きさせなかったギュンター・クレーマー氏を賞賛したい。巨大な鏡をうまく使うなど工夫を凝らしながらも、全体としては音楽をきちっと尊重していて、過多でうるさい部分が一切なかった見事な演出で、先の「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」とは雲泥の差であった。

 また、歌手が全員、「完璧」と言っていいほどの出来で、各アリアにはすっかり堪能させられた。それほど有名な人が集まったわけではなかったと思うが、全員が一致団結して素晴らしい歌唱を繰り広げていくうちに、観客もどんどん盛り上がって行くのがよく伝わってきた。

 また、ソプラノに加え、男性陣もテノールとカウンター・テナーという編成だったのが、非常に新鮮で、音楽全体が澄み切っていて、とても明るく響き渡るのが印象的だった。
 もちろん、これはモーツァルトの譜面の凄さ(14歳ですけどね!)ではあるが、この日の歌手達とともにオーケストラ、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊)の演奏が素晴らしかったからに他ならない。そして、全体を引っぱり見事にまとめあげた、指揮者のマルク・ミンコフスキ氏の力量の高さに驚かされた。
 彼が導き出した、インパクト十分で生々しいフォルテ、ビブラートの少ない純粋な響き、そして何と言ってもウキウキするようなノリの良さには何度も感動したし、いわゆる「ドラマ」としてのオペラを越えて、単純に「純音楽」として楽しめたことが、とてもうれしく、大きな満足感を得られたのだった。

 終演後の観客の熱狂ぶりもかなりのものだったが、私も大絶賛のブラボーを心から関係者全員に贈りたい。 

 1962年生まれのパリ人、ミンコフスキ氏はこの年に、同じモーツァルトの40、41番のCDも発売していた。遅ればせながら、これはチェックしなければ。今後も大いに期待したい指揮者であるのは間違いない。
 それにしても、昨年ウィーンでの「イドメネオ」の指揮で感動したベルトラン・ドゥ・ビリー氏、今年のニューイヤーコンサートが素晴らしかった83歳のプレートル氏、皆さんフランス人。
 このところポップスもクラシックもフランスに「くらっ」としている私でありました。
[PR]
by harukko45 | 2008-05-05 05:35 | 聴いて書く

 10月末にNHKが放送したアーノンクール指揮ウィーン・フィルによる「フィガロ」を最近見終わった、ようやく。時間があまりなかったせいもあるが、それでも何回かに分けて鑑賞せざるを得なかったのは、簡単に言えば、面白くなかったからだ。
 つまらないなら見なければいいのだが、そこは一応2006年のザルツブルグ音楽祭において、「モーツァルト生誕250年における最大の成果」とまで言われた「フィガロ」だから、どこがどう良いのか、確認したくなるわけで。まぁ、時間の無駄だったけど。

 アーノンクールという指揮者は全然好きになれない。今回のウィーン・フィルより、96年のチューリッヒ歌劇場での演奏の方がまだ良かったと思う。そのチューリッヒ盤でも気になった、妙なところでフェルマータやポーズをするのが、ウィーンとではやたらと多くなったように思え、いちいち音楽が止まってしまう不快感を憶えた。歌手ものりづらかったのではないか。
 また、各曲のテンポも遅くもなく早くもなくの、何とも居心地の悪いあたりでキープされていたのが多くて、ちっともリラックスして聞いていられないのだ。
 だいたい、この人はこのオペラの何処を盛り上げて行けばいいのか、全然わかってないのではないか。メリハリのない表現で、ただただウィーンの美音が空しく響き渡っていた。
 
 そして、演出が最悪。こんなに重たるくて暗いフィガロなんか見たくない。そもそも、明るくドタバタやって、楽しく振る舞っているからこそ、その裏にある「モーツァルトの毒」「モーツァルトの涙」を発見した時の感動が深まるっていうのに、最初から「実はこのオペラの内容は、怖いんですよ」なんて提示するような描き方は、モーツァルト鑑賞には合わないし、そんな「演出家の野望」を押し付けられるのは、ご免被りたい。
 衣装や舞台、時代設定など、何でもかんでも、現代化するのもいただけない。それでいて、見ていてただウザったいだけの「天使」なんかを新たに登場させて、さも意味深な心理劇にしようというのが、腹立たしい。

 モーツァルトのオペラは、音楽が全てを表現しているのだ。だから、過度で余計な演出はかえってうるさくなるだけだし、必要ない。もし、何かをやりたいのならピーター・ブルックが「ドン・ジョバンニ」で魅せたような「抽象化」していく方法が正解だと思う。そうすることで、より音楽の雄弁さが際立っていくからだ。

 スザンナ役のアンナ・ネトレプコも最悪。「椿姫」も良くなかったが、スザンナに関しては、絶対に二度とやって欲しくない。
 「フィガロ」を見る喜びの一つに、「愛おしいスザンナ」に出会えるというのが大きいことなのに、彼女が歌った瞬間から、その希望は無惨にも消え去った。こんなに不愉快で不機嫌なスザンナなど見た事がない。
 彼女は一応、才色兼備で今や人気絶頂のソプラノ、ということになっているが、どこが素晴らしいのか、ちっとも理解できない。たぶん喜んでいるのは、鼻の下の長いオヤジ達だけだろう。

e0093608_19453328.jpg その他の歌手達はそれなりにレベルの高い人達だったとは思うが、取り立てて惹き付けられることもなかった。何とも優等生的な演技と歌唱に終始していた、とも言えるか。ただ、このような酷い演出と、指揮の元では致し方なかったと同情できる。

 こんな「フィガロ」が、これからの「フィガロ」なら、私は昔のCDを聞いて楽しむことにするし、高い金を払ってオペラ座に行くことはない。それと、アーノンクールの指揮するものは、よっぽどのことがない限り、聞くことはないだろう。
 この時のライブを収録したCDとDVDが発売されているが、購入する価値は全くないと私は強く思う。
[PR]
by harukko45 | 2007-11-13 19:48 | 聴いて書く

 昨夜はNHK-BSで、2005年のザルツブルグ音楽祭で話題となった公演、ヴェルディの椿姫がオン・エアされた。主役ヴィオレッタにアンナ・ネトレプコで、ウィーンを始め目下大人気の才色兼備のソプラノの登場により、かなりの評判だったらしい。なので、すごく期待して観ていたのだが、果たしてそれほど絶賛の内容だろうか?
 ネトレプコは翌年のザルツブルグ音楽祭でのモーツァルト・ガラにおける、イドメネオからのアリアを歌った時は、確かに評判通り素晴らしいと思ったが、このヴェルディにおいては、ワンパターンの歌唱で、あまり好きになれなかったな。力入っちゃってて、トキメキを覚えることはほとんどなかった。顔が綺麗でも音で伝えてくれなきゃ、恋する気になれないってわけ。

 演出もちっとも良くなかった。どうせ、現代風にするなら、もっととことん抽象的にしたらどうか? 中途半端な現代化がかえって貧弱で安上がりな印象を与えるし、歌手達がカッコ悪く見えてしかたがない。アルフレード役のロベルト・ヴィラゾンがパンツ姿で2幕目最初のアリアを歌うのはみっともなくて見るに耐えない。あんな映像を残された彼が気の毒だ。歌ってる最中にズボンをはくなんて笑うしかない。
 アルフレードの父親役のトーマス・ハンプソンは私としてはヴェルディのオペラに登場してほしくないタイプ。声も演技も全くイメージと違う。が、私はこの父親が大嫌いだし、ヴェルディが書いたこの役への音楽も大嫌いなので、嫌な感じがハッキリしてかえって良かった?

 ウィーン・フィルは相変わらずエレガントな音色を聞かせていたけど、指揮のリッツィは安全運転に終始していたし、この場合、ウィーンの音色は美しいといっても、何ともおまけのように思えてくる。それに、ザルツブルグ祝祭劇場のだだっ広さが、全体に無味乾燥としたヨソヨソしさを音楽に付け加えるんだ。外面は豪華だけど中味なし、みたいな。

 しかし、しかしである! ヴェルディの音楽、この「La Traviata」は本当はとっても素晴らしいのだ!(父親のところをのぞいてね)だからCDで最高の演奏を楽しもう!

 くそったれ!何て素晴らしいんだ、カルロス・クライバーという指揮者は!これはスタジオ録音だ、が、演奏はライブそのものだ。生きているんだ、音が。歌手もみんな素晴らしい。コトルバスのヴィオレッタ、ドミンゴのアルフレード、そして大嫌いな父親もこのディスクのミルンズなら聞いていられる。
 とにかく、繊細でいて刺激的、確かにテンポは早い。頭の固いイタリア・オペラ・ファンはこれではホンモノのイタリアじゃないって言う。そうだろうか? クライバーはテンポが早くてもノリが最高なのだ。これほどまでに、スイングしてグルーヴィなオペラが他にあるか。
 叙情的で本来は緩やかなパートにおいても、早いテンポでキリっとした姿勢を崩さずにいるが、絶妙なところで伸縮させるのがタマラないのだ。それはセンスの良さ、品の良さ、才能の凄さとしか言いようがない。
 それでいて、頭でっかちな理論派ではない。歌手の感情の上を行くようなクレッシェンドやアッチェルに込められた情熱に、聴き手が燃えない方がおかしい。

 序曲から一度聞き始めたら、もう最後まで一気に聞いてしまうだろう。筋なんか、適当に覚えていれば良い(ってわけにはいかないな、実際には。でも、それぐらい音楽が雄弁だということ)。音楽が切実に聴き手に語りかけてくるので、そのドラマに真実を感じさせるのだ。切なく悲しく楽しい。その豊かな表情と深い音楽性に敬服しながら、思わず熱いものがこみ上げてくるのだった。
[PR]
by harukko45 | 2007-02-24 20:15 | 聴いて書く

 ウィーンで聴いたテアター・アン・デア・ウィーンの「イドメネオ」(1/26)は本当に素晴らしかった。数日後にシュタッツオーパーでのプッチーニ「マノン・レスコー」も良かったのだが、全体としての完璧さはモーツァルトにはかなわなかった。
 指揮者のベルトラン・ドゥ・ビリーがとてもスリリングなさばきで、ウィーン・フィルを掌握しきっていたし、やはりオケ自体にウィーン独特のニュアンスがあり、これぞ本場のモーツァルトであることをあらためて実感させられた。

 歌手陣もイドメネオ王役のMichael Schadeが健闘していて、2幕目後半の長大なアリアを見事に決めて、「ブラボー!」の嵐だった。ウィーンの天井桟敷のお客はミラノとともに世界一厳しいと思われるが、この熱烈な大拍手は本物だった。
 女性陣ではイダマンテ王子役の地元ウィーン子のAngelika Kirchschlagerが相変わらずの大人気だったが、歌はかつて聴いた時の方が出来は良かった。が、ある意味、力強さや個性は弱くても、その歌声がオケによく溶け合って、モーツァルトの音楽の美しさがこちらに伝わるのを決して邪魔していないのはさすがだな、と思った。
 イリア役のGenia Kuhmeierも、1幕目しょっぱなのアリアにおいて、その声の良さで一気に聴き手の耳をステージにひきつけたし、エレットラ役のIano Tamarは最後の憎しみと絶望のアリアで、もう少し悪魔的にいき切って欲しい気もしたが、全体としては悪くなかった。

 とにかく、主要な役の4人のコンビネーションが実に良く、モーツァルトの重唱におけるメロディの美しさ、ハーモニーの巧みさを十二分に味合わせてくれたのだから、大満足だったのだ。

 そして、この日は合唱も素晴らしく、それはもともとの譜面の偉大さもあるだろうが、オケとともに最強音で歌われたいくつかのシーンは、どれも神懸かり的凄みを感じさせて、背筋がゾクッ、ゾクッとした。まさに畏怖の念を音楽に感じた瞬間だった。

 それと何と言っても、このウィーン劇場のちょうどいい大きさ(小ささ)がモーツァルトにぴったりだった。たとえ、もっと大きな会場でも、モーツァルトのオーケストレーションのうまさで、少ない人数のオケでもよく響くのではあるが、それでも、この程度のサイズのオペラ・ハウスがより良い音楽環境だと思った。
 私の座った3階の右でも、オケのバランスが最高であり、CDで聞けるようなウィーン・フィルの美音が、よりダイレクトに耳に届いてきたので、最強音での迫力もかなりのものだったし、それも無理して力づくで鳴らしている感じがなく、実に豊かだったのがうれしかった。特に2幕目以降は心がずっとワクワクドキドキ震えっぱなしだった。

 これからは、テアター・アン・デア・ウィーンでのモーツァルトは外せない。ここでフィガロを聴いたらどんなに楽しいだろうか。前にシュタッツオーパーで観た時は、全く感動しなかっただけに、是非聴いてみたい。

 さて、実は日本に帰ってから家にあるダニエル・ハーディング指揮スカラ座の「イドメネオ」を聴いてみた。DVDなのだが、映像はなしで音だけで鑑賞したのだ。すると、映像と一緒の時は、あまり感心しなかったはずなのに、音だけだとすごく良かったのには驚いた。
 まるで、小林秀雄が「モオツァルトのオペラは、上演されても目をつぶって聴いているだろう。」といった感じのことを書いていたのを思い出した。(彼の言いたい意味はこの場合と違うけど)

 つまりは、字幕を追いながらストーリーや台本の不備を感じつつ聴くよりも、モーツァルトの音楽に集中して身を委ねていれば、自然に感動するということを、私はやっと理解したのだった。ちょうど、生で聴く時は、ある程度のストーリー把握は必要であっても、まさにこの状態に近いわけで、ハーディングのスカラ座での演奏も決して悪いものではなかったのだ。そうでなければ、ミラノのお客が「ブラボー」と言うわけがない。

 いろいろな体験を経て、ようやく真実を見いだすものだと思う。と同時に1回観たり聴いたりしただけで、安易に良し悪しを判断するのは傲慢な態度だな、と反省もしている。
[PR]
by harukko45 | 2007-02-04 05:15 | 聴いて書く

e0093608_18513250.jpg 今回のウィーン滞在での最後の文化活動は、プッチーニの「マノン・レスコー」でした。これが、良かった。盛り上がった。イタリア・オペラの醍醐味を満喫して、大変充足した気持ちになりました。モーツァルトの時にも書いたけど、いろんなイヤなことがあったとしても、たった一晩の最高の音楽があれば万事OKになってしまうものです。今回の旅のクライマックスを飾るにふさわしい、実にゴージャスで濃い内容に、またしてもStaatsoperの高い実力を思い知りました。

 まずはデ・グリュー役のテノール、ファビオ・A(名前は後日調べます/Fabio Armiliatoさんでした)が良かった。初めて聴きましたが、そもそもこの役をやるからにはかなりの実力者でなくてはできないのですが、なかなかルックスもよく、この純粋に愛を貫く悲劇の男を見事に演じていました。特に3幕目の終わりのアリアは、罪人となってアメリカに追放される恋人マノンとともに自分も一緒に連れてってくれと移民船の船長に懇願する歌なのだが、声の抜けも高音の決め方も良く、何より切迫した必死の思いが歌によく込められていて、イタリア語の「Pieta! Pieta!」に思わず熱いものがこみ上げたのでした。

 それだけでなく、この3幕目は傑作だと思うが、とにかくプッチーニの才能がすごい。追放される娼婦たちが一人一人呼ばれて船に乗り込む間を流れるたまらなく哀愁のある音楽に、民衆の嘲笑(合唱)が重なり、それにデ・グリューとマノンの悲しい別れの歌声が加わっていくのだが、ここのじょじょに、じょじょに感情が高まっていく音楽が実にすばらしいのだ。その音が生む緊迫感が頂点に極まって前述のアリアにつながっていくのだ。
 そして、デ・グリューの必死の懇願を船長が聞き入れ、マノンとともにアメリカ行きを許される。ここで、それまでずっと苦しく悲しい音楽が希望を感じさせる明るさを取り戻すのだが、罪人となって流刑される二人に待っているのは死だけなのだから、この一瞬の明るさがいっそうの悲しみを感じさせるのだった。
 ちなみに、この3幕目に流れるモチーフの一つが「スター・ウォーズのテーマ」にそっくりなのだ。というか、当然ジョン・ウィリアムスの方がパクったのですが。

 2幕目の後半も好きだ。デ・グリューから引き離されジェロンテの愛人になっているマノンのもとに、デ・グリューがあらわれ、それに驚いたマノンが彼に謝りすがりつくうちに、デ・グリューの怒りは消え、再び二人は激しく抱擁するのだが、このあたりの音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のプッチーニ版とも言うべきもので、音によるセックス表現が聞き手を否応無く陶酔に導くのだった。だが、「トリスタン」の2幕目同様、その絶頂に上り詰めた瞬間に無情な現実が待っているというわけだ。

 こういう音楽をやるとウィーン・フィルは実にうまい。だいたい音がエッチなのだ。弦から木管から何から何まで。2幕目のマノンのアリアのバックでのフルートの美しい音色に、耳は歌よりもそちらに釘付けだった。3幕目前に演奏される間奏曲では弦の美しさが際立ったし、プッチーニのオーケストレイションの良さなのだろうが、それにしても木管の見事なアンサンブルは随所で素晴らしい効果を上げていた。

 そして、演出は大胆にも18世紀後半のフランスをすっかり現代に置き換えており、最初1幕目ではまるでウエストサイド・ストーリーの出来損ないに見える衣装、舞台、振り付けが明らかに失敗していてガックリだったものの、一転2幕目ではフェリーニの「甘い生活」を意識したような見せ方が的を得ていて、セレブ達の虚飾さをうまく表現していたし、3幕目の娼婦の移送のシーンをファッション・ショーに仕立てていたのは面白いアイデアであり、見守る民衆がそのショーのお客で、これまたセレブのいかがわしさを臭わせて、それが音楽にうまくあっていたのが驚きでありドキドキさせられた。4幕目のヒロインの死も原作にある「ニューオーリンズの荒野」でなく、どこかの都会の片隅でホームレスのように死んでいくのが、これまたイタリア映画のネオ・レアリズモ的で、とても共感できたのだった。
e0093608_1852034.jpg
 プッチーニは家でCDやDVDを鑑賞するより、こうして生を体験するのが数倍良いと思う。彼は舞台での効果を良く理解していると思うからだ。それに、生だと時に歌よりもオケが音量的に上回るところがある。普通、録音では歌中心にミックスしてしまうだろうが、実際ライブの音楽効果としてはバックが強くもの言う必要も絶対にあるのだ。それが聞こえてくるおかげで、プッチーニがいかにいろんなマジックを施しているかがよくわかって、感動がより深くなるのだった。

 それと、彼の音楽はいい意味で大変分かりやすく、お客に親切だ。実は凝った作りになっていても、小難しく聴かせないで、場面場面のポイントへこちらを音でちゃんと導いてくれるし、感情移入しやすいように盛り上げ方も絶妙だ。そういうサービス精神やプロの職人技がある意味、昔のうるさ方に「芸術的でない」と軽く見られていたところなのか?私が子供の頃はプッチーニは大作曲家扱いされていなかったものなぁ。かく言う私も、生でプッチーニを体験してこの作曲家の偉大さを知ったのだから。

 とにかく、素晴らしい一夜を与えてくれたことを深く感謝したいと思います。あー面白かった。
[PR]
by harukko45 | 2007-01-31 18:53 | 旅行

e0093608_19103458.jpg 夜は国立歌劇場"Staatsoper"にヴェルディの「ファルスタッフ」を観に行った。指揮はファビオ・ルイージ氏。このところ彼は日本でも評価が高く、特にウィーン交響楽団を率いた来日公演が好評だったようだ。私はそれをNHKの放送で見たが、とてもオーソドックスな職人的な演奏だと感じた。逆に言えば、最近の「個性尊重主義」に毒されている耳には新鮮に響いた。ある意味、これって昔に聴いた雰囲気じゃない?っていうのが面白かった。
 生の演奏では、7年ぐらい前にやはりStaatsoperにて、プッチーニの「ボエーム」を聴いた。その時はテノールにロベルト・アラーニャがいて、とても盛り上がったいい出来だった。ルイージは実にバランスよくまとめていて、その指揮ぶりに好感を持ったのだった。

 というわけで、ヴェルディの遺作にして唯一のブッファ、「ファルスタッフ」をルイージが振るなら、裏切られる事はなかろう。

 で、確かに悪くはなかった、が、「ボエーム」の時のような感動はなかった。ウィーンの観客も冷ややかだ。おとといの「イドメネオ」の時の大絶賛のブラボーのような興奮した拍手は一切なく、おきまりのカーテンコールがあったのみ、ブーイングまではいたらなかったが、全体的には明らかに物足りないなぁという印象だった。
 実をいうとこの「良くもなく悪くもなく」というのが一番記憶に残らなくなって、こうやって書くのも困るといったところ。
 ルイージ率いるウィーン・フィルは確かな音響効果と美音を随所に聴かせてくれたし、さすがにうまいと思うが、どこか音楽に入り込んでいけないヨソヨソしさを感じてしまった。それはこちらの精神状態の影響もあるのだが、何しろ朝にとても心に響いたモーツァルトのミサ曲を聴いたせいもあるかもしれない。

 そんな状況は、これまでもStaatsoperでオペラ前半によくあることだったが、時に後半になって全員が火の玉のように突然燃え上がって、それまでの平易さをぶち破り、万事OKにしてしまうのだった。が、それには何かキッカケが必要なのだが、今回はステージの歌手達も平均点の人ばかりで、飛び抜けたインパクトを与えるほどの力はなかったようだ。なので、最後までとてもよくまとまったまま、優等生的なパフォーマンスに終始していた。

 私としてはルイージの職人的なしっかりした仕事ぶりには敬意を表したい気持ちがあるが、どうやらそういう渋さに完全に共感できるほど、私の精神は落ち着いていないようだ。だから、オケからはとてもいい音を引き出していたと感心しつつも、音楽としては少々退屈だったと言うしかない。
 うーむ、それとヴェルディを聴く場合、今の自分にはまだ悲劇の方がいいのかもしれない。「ファルスタッフ」はかなり作者が「自分の最後は喜劇で」と目論んだ感じがあるし、意識的に過去の作品をパロディ化しているようなところがある。なので、これをいろいろと理解しきるにはもうちょっと上級のオペラ者になってからかもしれない。フェリーニの「8 1/2」的難解さがあり、それはフェリーニ同様、いつか理解した時にとんでもなく感動するような気もする。
[PR]
by harukko45 | 2007-01-29 19:11 | 旅行

e0093608_18413225.jpg 夜、テアター・アン・デア・ウィーンにモーツァルトのイドメネオを観に行きました。3階の右側でしたが舞台もちゃんと見えたし、何より音響が非常に良く、内容も大変いい出来でした。これまで生で観たオペラの中でもベスト3に入るものでしょう。旅の間に、何だかんだいろいろなことがあっても、こういう素晴らしいステージを見せつけられてしまうからウィーンはたまらないのです。

 作曲家の素晴らしさ、オケの素晴らしさは言うまでもありませんが、今日は、歌手もスターがいるわけではないけど、全員のレベルが高かったし、合唱も大変素晴らしかった。オケと合唱による部分で、何度背筋がゾクっとしたことか。演出も題材がギリシャものなので、まさに遺跡の円形劇場を模した舞台に、それぞれのシーンでの象徴的な小道具を置くと言うものでしたが、そのシンプルさが逆にテーマを明解にしていて、何かしら「暗示」を示しているようでもあり、実に効果的だった。
 そして、指揮者のデ・ビリー氏(Bertrand de Billyベルトラン・ドゥ・ビリーが正しいらしい)がすごく良かった。よく全員を統率して、とっても音のバランスがよく、いざと言う時の劇的効果も満点で、本当に感動させられました。特に、1幕目と続けて演奏された2幕目の内容の濃さにはすっかり心を奪われてしまったのでした。終演後にも「ブラボー!」の拍手が続いて何度もカーテンコールがあったのも納得です。いろいろ細かいところも書きたいとも思いますが、後日ゆっくりとまとめることにします。今は素晴らしいオペラを書いたモーツァルトに感謝して、余韻を楽しみたいと思います。
 
[PR]
by harukko45 | 2007-01-27 18:42 | 旅行

 ジョン・レノン・スーパーライブのリハ最終日は、スキマスイッチのこだわりぶりが伺えるご機嫌な選曲(ほんとにセンスいいと思ったよ!)と大橋君の歌声にうなった私であり、その後のランスルーも無事に終わって、いい充実感を感じながら帰宅しました。

 そして、今日は一日オフで、ずっと観られずにハードディスクに溜まりっぱなしのTV番組を立て続けに鑑賞したのでありました。

 で、久々にオペラ、それもモーツァルトの「イドメネオ」。長いんだな、これが。ただ、指揮はハーディングで、それも彼がスカラ座の2005シーズンの開幕を飾った時のライブ。否応なく期待は高まっていたんだけど、正直退屈して、途中から辛くなってしまった。
 初めてこのオペラを生で聴いた97年のウィーンの公演(P・シュナイダー指揮、ドミンゴがイドメネオ)では、モーツァルトのオーケストレイションの素晴らしさとドミンゴの演技力(もちろん歌唱力もふくめ)の凄さに感動しまくって、一瞬たりとも飽きなかったのだが、今回聴いてみると、「この曲って、こんなもんだったかなぁ?」と思ってしまった。

 とにかく、出ている歌手の皆さんに魅力的な人がいなかった。特にイドメネオ王役のテノールはあまりにも無難すぎて面白くなかった。エレットラ役のソプラノは最後の"オレステスとアイアスの"をうまく決めて、とりあえず盛り上げたかな。

 でも、これもウィーンの時のエリアーネ・コエッリョのイメージが残っていて、どうも物足りなかった。実は97年の時のコエッリョさんはあまり歌が良かったとは言えず、"イドメネオ"の数日前にプッチーニの"ボエーム"のミミ役を観て、歌も容姿も全く好きになれず、個人的には登場するだけで嫌な感じだったのだが、それがかえってこの憎まれ役とでも言えるエレットラにおいては、こちらの感情移入にぴったりで、舞台では妖気をまき散らしての大熱演に興奮させられたのだった。
 また、イダマンテ王子役のアンジェリカ・キルヒシュラーガーが美しくってねぇ。彼女(ズボン役だから彼か?)が出てくるだけでうれしくなったもんでした。
 そして、何よりドミンゴがやっぱすごくって!文句のつけようないパフォーマンスだった。

 なので、比べるとこのスカラ座のキャストは薄かったという印象だ。それに演出があまりいいとは言えなかった。舞台のセットや背景に大きな変化がなく、そんな中、妙に現代風の衣装で登場する人物にも必然を感じられず、つまらなかった。

 さて、ハーディングの音はいかに。確かにピリオド・アプローチを効かせて彼の個性を打ち出してはいたが、どうもこちらが古楽器風のサウンドにあまり新鮮味を覚えなくなったのか、前ほど刺激的とも感じなかった。それどころか、いろんなところで貧相な響きに思えたし、"ドン・ジョバンニ"の時のほとばしるような情熱も感じられず、物足りなかった。さすがのハーディングもスカラ座デビューに慎重な演奏になったのだろうか。
 同じイドメネオでも今年のザルツブルグでのウィーンフィルと(モーツァルト・ガラでの抜粋)の方が、出来はずっと良かったと思う。

 それから、NHK音楽祭でのマーラー室内オケとのブラームス(2番)も聴いたが、かなり失望した。自分の大好きな曲だけに、こういう2番ならやってほしくなかった。響きだけが今風(古楽器奏法が現代風!)で、その中身は空っぽのように感じてしまった。ハーディングについては、少々期待しすぎたのかもしれない。
[PR]
by harukko45 | 2006-10-30 18:26 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31