詳細(3)からの続き。

 m6.シルエット・ロマンス

e0093608_20313352.jpg "シルエット・ロマンス"にはレコーディングされているものだけで、3つのバージョンがあり、ライブでもいろいろな形でこれまで演奏されてきた。①鈴木宏昌さんのアレンジによる81年のオリジナル・バージョン、②井上鑑さんによる93年の「NEO HISTORY」でのストリングス・バージョン、そして、③2007年の泰輝さんによる「Terra」のピアノ・バージョンが、その3種類。

 私がジュンコさんのバックを初めてつとめた時は82年で、この前年にリリースされていたこの曲がじわじわと売れ始めて、大ヒットとなりつつあった頃。そのせいも大きかったのだろうが、とにかくライブの本数は多かった。ミュージシャンとしてまだまだ若造だった私には、毎日が心躍る時間ばかりでしたなぁ。
 当時のバンドは、美乃家セントラル・ステイション解散後に、紹介やオーディションなどで集まったメンバー。ただし、ギターの土屋潔さんのみ美乃家から引き続き参加していた。で、当然、①のオリジナル・バージョンを数多く演奏しておるわけです。
 ただ、それはテレビ用にイントロが短くなっていたバージョンだった。オリジナル通りにやるとイントロだけで50秒近くなるので、テレビ局からはチェックが入ること必至(まぁ、現在でも同じと言えば同じ状況)。で、ライブでもそのようにやっていた。

 また、バンドにはキーボードが二人いて、私は主にシンセやオルガンなどを演奏し、何曲かでサックスを吹いていた。なので"シルエット・ロマンス"では、もう一人のプレイヤーがピアノでベーシックな役割、私はオーボエやストリングスなどのパートを受け持っていた。
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 で、このイントロのオーボエをミニ・モーグでやっていたっけ。いやぁ、名機だったなぁ。ただ、すぐにチューニングが狂うので、1曲終わるたびにチェックしないと。そういうところが逆に楽器っぽいところかも。

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 ストリングスなどはコルグTRIDENTを使ってた。これは私が初めて買ったシンセ。これも素晴らしいシンセで、ものすごく重宝した。

e0093608_18275895.jpg あともう一つ、絶対欠かせないシンセがヤマハのDX7(初めて登場したのは翌83年だ)。DX7はエレピを始め、キラキラしたベル系の音、マリンバ系の音などなど個性的なサウンドを持っていて、まさにこの時代(80年代)は、キーボード・プレイヤーが必ず持っていなきゃいけないものだった。仕事したけりゃ、DX7とアナログ・ポリフォニック・シンセを借金してでも、持っていること。これが必須条件だった。


e0093608_1850458.jpg それから、ローランドのディメンジョンD(SDD320)とデジタル・ディレイも必ず常備してないとね。これらのエフェクターは地方ではレンタルできなかったりしたので、重いラックを手持ちで持って行くことも多かった。

e0093608_18513564.jpg この当時、私の回りのキーボード仲間で、はやっていた使い方は、例えばDX7のエレピ音にデジタル・ディレイ(ローランドSDE3000など)で30msぐらいのショート・ディレイとモジュレーションでコーラスっぽいエフェクトをダイレクトで通し、それをミキサーのプリ・フェーダーからディメンジョンに送る。それの帰りをミキサーでバランス取るってやり方。この時のディメンジョンのスイッチは3あたり。4だとかかり過ぎって感じ。これで、気持ちよくステレオに広がる。
 ストリングスなんかも実にゴージャスになって、大きな壁を形成するのでありました。
 他にも、この頃はエフェクターもいろいろ面白かった。

 また、DX7はバックアップ用に携帯できるメモリー・ロムがあったが、アナログ・シンセにはそのような便利で安全なものはなく、かろうじてカセットテープにデータを録音しておくしかなかった。が、これがまたよくトラブルを引き起こした。
 とにかくよくメモリーが飛んで(特に外国製のもの)、バックアップのテープも100%の信頼はなく、本番前に音色を作り直すってことにもなった。ただ、アナログ・シンセを取り扱うのは比較的簡単だし、直感的にいじくり回してサウンドを作れたので、面白かったことも確か。
 また、私がもっていたコルグTRIDENTがレンタル会社になく、場所によってはプロフェット5、オーバーハイムOB-8、ジュピター8、ポリ6などなど、日によってちがうシンセを使うこともあった。それでも、ちゃんと対応できていたのだった。

e0093608_20343516.gif 私もその後、いろいろなシンセに手を出し、その最後の大物はドイツのPPG wave2.2だった。ケースも入れて250万以上のものを、「頭金なし、男の60回ローン」で即決買いしたっけ。この無茶ぶりで、20代はローン地獄でした。

 おおっと、またまた大脱線ですが、とにかくですね、"シルエット・ロマンス"がはやった頃っていうのは、そういう時代だったという、一つの思い出話。
 いい意味でも悪い意味でも「派手な時代」だった。


 "シルエット・ロマンス"も、①が一番派手。あたりまえだけど。私には、この時の日本全体に漂う「豊かさ」が感じられる。

e0093608_2032013.jpg ちなみに、この頃のジュンコさんのコンサート・ツアーでは"たそがれマイ・ラブ"はメニューにはなく、中心になったのはアルバム「黄昏」(82年)や「POINT ZERO」(83年)の楽曲で、確か収録されていた曲のほとんどをライブでやったと記憶している。それと、洋楽カヴァーのメドレー。82年はビートルズ、83年はドゥービー・ブラザーズのメドレーだったと思う。

e0093608_2033668.jpg 特に、「POINT ZERO」のツアーは印象深い。ニューヨーク録音によるこのアルバムは、いろんな意味で刺激的だった。ニューヨークでのトレンドは、この時すでにHip-Hop的ニュアンスだったということ。ローランドのリズム・マシンTR-808(通称・ヤオヤ)のビート、エレクトロ・ファンク(もしくはエレクトロ)、ヨーロッパのテクノとアメリカのファンクの融合、そのきっかけはアフリカン・バンバータとアーサー・ベイカー、ラップ、サンプリング....。
 そういった新しい空気感を身近に感じながらも、ごくごく自然に楽曲に取り入れているのが良かった。そこに無理やわざとらしさがないので、それまでのAOR的なサウンドとうまく両立しているのだった。
 デイビット・サンボーンらフュージョン界のスター達も参加している「POINT ZERO」は、今でも私には新鮮だ。

 でもって、この時のツアーでは、もう一人のキーボードであった大浜和史(オーハマ・センセイ)さんが生ピアノ、フェンダー・ローズ以外にもヤマハDX10を使い、TR-808のプログラミングもした。私は、上記のシンセ群(ミニ・モーグ、DX7、トライデント)にオルガン、それに加えて、オーハマ・センセイから借りうけたアープ・オデッセイでシンセ・ベースを弾いた。で、時々サックスね。今じゃ、考えもつかないセッティングじゃわい。

 コンサートの1曲目は、オッサン(土屋さん)のカッティングから始まる"In Your Lovin'"、中盤でドゥービーズ・メドレーと"Dancin'""Sensual Night"という最先端のダンス・チューンを続けたのが、ハイライトだった。

 もちろん、"シルエット・ロマンス"もこの時から重要なレパートリーとして欠かせない曲となった。でも、確か3曲目か4曲目にやったと思ったな。それぐらい、ジュンコさんだけでなく、我々バンドにとってもアルバムの曲の方が大事だったのだ。

 さてさて、今年のクラブサーキットでやった"シルエット"は、私とオッサンのみのバックでのバージョン。これは、私がチーム大橋に復帰した90年代後半にすでにこのアレンジだった。私は前のバンドからの流れを引き継いだ。ただし、イントロはまだ「テレビ・サイズ」だった。だが、その後何かのきっかけで、オリジナル通りに戻した。そして、オッサンが加わって、より叙情性豊かな世界が付け加えられた。私は、この形での"シルエット・ロマンス"が一番美しいと思う。


 
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by harukko45 | 2011-08-29 20:52 | 音楽の仕事

詳細(2)からの続き。

 3回目で、いまだに4曲目とは何と言うスローペース。ま、いいか。

 m4.大人の恋をしましょう

e0093608_17202884.jpg 昨年の11月にリリースされた新曲は、バンドでのライブ演奏はあまり多くなかったが、去年の暮れにやった時よりも、ずいぶん良くなったと思っている。この曲って、テンポが早くても遅くても駄目で、基本的に「ここしかない」ってポイントがあるんですな。ただ、そればっかり意識していると、固くなってつまらんわけで。その辺のさじ加減がだいぶうまくなってきた、って感じ。
 ドラムのウエちゃん風に言うと、「3連ロッカ・バラード」と「ジャズ」の中間のグルーヴ感、となるのでした。
 
 アレンジした萩田光雄さんのマスター譜には、各楽器への指定が意外と細かく書かれていて、やはり大編成での「せーの」一発録りを意識した丁寧な作りになっていた。なので、当然ながら大編成でやるのが一番良いにきまっているわけで、バンドでやる場合は、ある程度全員で他のパートの音を補いあうわけです。
 ただ、当初は久々にオーケストレイションの豪華さを生かしたいと思ったのだが、最近ではあまり意識しないことにした。それよりも、バンドならではのノリやサウンド、それとともに自分自身の感覚でもっとトライしたいと思った。

 閑話休題、実は、最近よく思う事があって、例えば今回みたいに70年代、80年代のジュンコさんの旧作を聴き直したりすると、曲に対する作家や演奏家の思い入れが音となって強く表現されていたり、ミックスにもかなり大胆なデフォルメやメリハリが刻まれていることに感動してしまうのだが、最近の音楽制作では、そういう感覚が希薄になり、いろいろなアーティストのどの作品でも、だいたい「予定調和」で「整理整頓」された世界が重んじられているような気がするのだ。たぶん、アーティスト側には強いこだわりがあるとは思うが、それが実際にはさしたる大きな要素とならず、結果として「出る杭は打たれる」ような音になっている気がしてならない。

 それがCDというものだ、と言ってしまえばおしまいだが、「後に残るものだから、出来るだけ完璧にしたい」という思いが常識化してしまい、それが予定調和な世界から突き抜ける音になっていない、と思う。
 もちろん、現代の方が音質やテクニカルな部分では圧倒的に良くなっているのだが、かつての名盤の方が、仕上がりにデコボコ感があっても、音に立体感があり、そこら辺に作り手の意志や魂みたいなものを感じてしまう。
 あえて言えば、現代の音は全て「平板」だ。さらに、誤解を恐れずに言えば、少なくともアートを意識するなら、もっと作り手が破綻していてもいい、ということ。
 60年代70年代のポップ・ミュージックは、無意識に「完成」していない状態で、作品化されていると言い換えてもいい。そこに、聴き手の思い入れや感動が加わって、最終的な完成へと作品が成長していく余裕が残されているのだった。

 今の音楽は、CD化された段階でテンパイ。サウンド的にも、感情的にもコンプレッサーによって制御されている。

 そういえば、クラブサーキットの打ち上げの時、幸運にもその会場で、SP盤をとっても素敵な蓄音機で聴くことができた。それは、チャーリー・パーカーやルイ・アームストロングらの巨匠達の名演だったが、SP盤自体の状態も良かったせいもあり、実に素晴らしいサウンドにすっかり圧倒され、特に大好きだったパーカーのアルト・サックスが今までのイメージよりも全然太い音だったことに感動してしまった。私は本当のバードの音を知らなかったということだ。そして、バードの1フレーズ1フレーズが心にガツガツと入り込んでくるのだった。CDの、コンプで上から抑え付けられた音では、けっして味わえない感覚に違いない。科学的には悪い音であるのに、人の感動は別物なのだ。

 私は、音楽や音楽家の裏に潜む妖しい物語が大好きなので、そういう目に見えない事、耳に聞こえない事柄を意識しすぎるのかもしれない。現代の流行は完全なる即物主義であって、私のような考えは古くさいのだろう。

 さて、まったく"大人の恋をしましょう"とは関係ない話で、再び大脱線から戻れなくなりそうなので、いい加減やめる。それでもって、実際のライブでの演奏はどうだったかというと、CDよりも我々の方が「ジャズ」色が強いかもしれない。CDの方が3連のビート感がより顕著だ。
 全体的には、ゴトウさんのフルートや土屋さんのギターのおかげもあって、ずいぶん良くなっていると思うが、随所にまだまだ「大人」になってない部分、まだまだ「青い」部分が見受けられた。それは特に私なんだけど。(カッコイイ)大人になるって本当にむずかしいよ。

 m5.地上の星

e0093608_17355030.jpg 「予定調和」ってキーワードで、しつこく話をつなげると、その対局にある部分が、この曲にはあるような気がする。それは「Terra」収録のスパニッシュ・バージョンが、かなりスリリングで惹き込まれる出色の仕上がりだからに違いない。
 中島みゆきさんのオリジナル版は、何と言うか「軍歌」みたいじゃない?ただ、曲と歌のインパクトは、好き嫌いを越えて凄いことは確かだけど。

 ジュンコさんは、歌のうまさだけでなく、元々、超絶な高音を使うことで、ある種の「スリル」を聴き手に与える歌手だ。それは、オペラのテノール歌手達のスリルさに近い感覚だ。みんなワクワクドキドキしながら、ピンポイントでキメル高音に快感を感じて酔うのだ。
 だから、このアルバムの中で、そのセッション自体が、最も緊迫感あふれていたと言う"地上の星"が、ジュンコさんのキャラに見事にはまる。この曲では、別段、高音を駆使して圧倒しているわけではなく、逆に力を抜いて繊細な表現に終始しているが、そのセンスが良いわけで、演奏のダイナミクスをより強調するような効果にもなっているのだった。

 で、我々ですが。

 この曲は、かれこれ4年近く、ライブ・レパートリーとして取り組んできたが、ようやくここに来て、曲の核心に近づいたって気分。元々、普通のバンド・スタイルのアレンジではないので、いろいろ試行錯誤してのライブだったが、土屋さんのアコギが、かなりスパニッシュな美味しい色合いを出してくれ、ウエちゃんのアプローチがより大胆不敵になってきたことにより(?、何と言っても、今回のティンバレスは大正解!)、今までよりも一皮むけた内容になったと思う。

 私は、結構どこのテイクを聴いても、大暴れで実に大人げない所もあるのだが、個人的にはこれぐらいのバカさ加減が面白い。今の日本には特に必要だ!なんてね。

 だって、名古屋や大阪ではものすごくウケてたしなぁ。たぶん、ライブ録音を聞き返して、自分の無邪気さに気づいても、それを全て反省して、クールダウンさせちゃいけない部分も音楽にはあるんだと思う。だから、この程度の興奮は許すし、評価するのでした。じゃんじゃん。

 続く、と。
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by harukko45 | 2011-08-25 18:18 | 音楽の仕事

詳細(1)の続き。

 m3.たそがれマイ・ラブ

e0093608_22271372.jpg 現在、我々がやっているこの曲のアレンジは、2002年のマキシ・シングル"微笑むための勇気"にカップリングされた「モカ・ジャバ・バージョン」。レコーディングも現在のメンバーでやったものなので、その演奏内容は、今では完全にこなれ尽くした感じになっているものの、毎回同じように演奏しながらもその共感度はどんどん深まっている。
e0093608_053067.jpg この形は、もともと1993年のセルフカバー・アルバム「NEO HISTORY」のボサノヴァ・アレンジが基礎になっていて、そのライブ・バージョンが今のようにまとまったものだが、やはり、オリジナルの筒美先生アレンジ版を、何年か前にもう一度チェックしなおしたことで、この曲の魅力を再発見できたのが、個人的には大きかった。

e0093608_134890.jpg とにもかくにも、78年の"たそがれマイ・ラブ"はジュンコさんの歴史上で、一番大きな波紋を残した曲であるものの、そのオリジナル・バージョンは筒美京平さんの曲の良さとジュンコさんの歌の素晴らしさで、ちゃんとした高い評価が定着していると思う。
 初めてこの曲をテレビで聴いた時は、「美乃家」の大橋純子を歌謡曲歌手にしてしまった、と落胆した私でさえ、今では「うーむ、さすが筒美京平先生」と唸る次第。

 現在、日本ポップス界で最高の作曲家とも讃えられる筒美さんではあるが、ただし、筒美作品の個性が最も現れるのは京平先生が自らアレンジも担当した時なのだ。"たそがれマイ・ラブ”はまさにこれに入る。
 そもそも、洋楽の大ネタを使って、そこに独特な毒気を仕込んでいく筒美さんの作風をとことん生かすには、先生自身のアレンジとともに、歌が圧倒的にうまい人がメインである必要がある。尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」で始まる筒美京平黄金時代は、南沙織さんの「17才」らを経て、岩崎宏美さんの「ロマンス」「ファンタジー」「未来」などのソウル・ディスコ歌謡と太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」にて絶頂期を迎え、大橋純子さんの「たそがれマイ・ラブ」で完結すると言って良いのでは。

e0093608_0243759.jpg この曲以外にもジュンコさんと京平先生との相性はよく、「たそがれマイ・ラブ」以前からもすでに大きな成果を上げていた。それは、ジュンコさん渾身のセカンドで、日本女性歌手のソロ・アルバム史上の大傑作として永久に語り継ぐべき「ペイパー・ムーン」に収められた2曲である。
 この「ペイパー・ムーン」は収録された曲全てが傑作ばかり、と言ってもよいが、その中でもひときわ強烈な個性が光るのが、アルバム・タイトル曲の"ペイパー・ムーン"とその前に配置された"やさしい人"である。

 "ペイパー・ムーン"は"シンプル・ラブ"や"サファリ・ナイト"とともに、ジュンコさんのカッコよさを示す必殺キラーチューンの代表。"やさしい人"は、今のJ-POP界なんかでは絶対に生まれない、「とんでもない」楽曲で、 詞・曲ともに書いた方も書いた方だが、これを歌いこなしてしまう方もとんでもない。この2曲の場合、アレンジは別の人なのだが、ジュンコさんというとんでもない逸材を得て、楽曲制作に皆がすごく燃えて競っているように感じるのだ。だから、出来が良い。
 京平さんの2曲以外でもそれは言えて、だからこそ、この「ペイパー・ムーン」が大傑作となり得た。本当にすべてが素晴らしいものばかり。おまけにリマスター盤では、これまで未収録だった3曲が加わり、ますます充実した内容になっている。この時代の日本の音楽界がいかに凄かったか、いかに燃えていたかを、見事に示している。

e0093608_0454063.jpg さて、筒美京平さんに話を戻すと、"たそがれマイ・ラブ"直後に「FLUSH」というアルバムで、より大胆にジュンコさんとのコラボが実現した。これはA面を美乃家プロデュース、B面を筒美京平プロデュースという変則バージョンのアルバム。なのだが、今聴くと、美乃家サイドの方がある意味「手堅い」サウンドでまとまっており、一方の筒美サイドは、かなり「やんちゃ」で、先生けっこう暴れている。特に"揺れながらミッドナイト"がそうで、個人的には大好きだ。

 とは言え、このアルバム最大の聞き物はA面1曲目の"サファリ・ナイト"で、これは佐藤健さんが筒美先生をTKOに追い込むべく、気合いの入った強烈なカウンターを決めた瞬間だったのではないかと勝手に想像する。
 その後も"傷心飛行""マイ・ソング"とケンさんが素晴らしい仕上がりぶりなので、もはや美乃家サイドの勝利は決定的となった。

e0093608_1152712.jpg 1980年に映画「将軍」のイメージソングとしてシングルで、再び阿久悠・筒美京平コンビが登場するが、その"燃えつきて"はなかなか良い曲と思うし、ジュンコさんのボーカルも素晴らしいし、曲を良さを引き出しているが、アレンジから来る印象は"たそがれマイ・ラブ"以上に歌謡曲色が強い。カップリングの"ドロップ"もそうで、ジュンコさんにしてはかなり異色の仕上がりだった。

 大いに脱線したまま、まったく戻れずに、長文になってしまったので、続く、と。
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by harukko45 | 2011-08-23 00:57 | 音楽の仕事

 7月15日の名古屋ブルーノートを皮切りに、大阪、東京で全12ステージをまわってきた今年のクラブサーキットは、ここ数年では最も「体力」勝負な内容でした!でも、これはコンサート自体の「熱さ」にも結びついて、我々ステージ上のものだけでなく、会場での反応がどこも熱かった。みんな、盛り上がりたいんだ、楽しみたいんだ、って思いがこちらにも伝わりましたし、そういった意図を持って、ステージにのぞんだ我々も間違っていなかったと強く感じたのでした。

 もちろん、今年は、大震災による悲劇ということを、心のどこかに強く刻んでの演奏になります。演出的に何かしら結びつきを持たせなくても、歌詞の一言一言や、フレーズの一つ一つに自然と「鎮魂」への思いがふくまれてくるのでした。

 さて、いつものようにセット・メニューにそって振り返って行きたいと思います。

 m1.シンプル・ラブ〜2.Smile Again

e0093608_1042357.jpg m1によるオープニングというのは、何回かライブに来てくださっている方には定番な感じでしょう。昨年は違う形でのオープニングにトライしましたが、今年は再び"シンプル・ラブ"が復帰したのでした。
 言わずと知れた1977年の大傑作で、美乃家セントラル・ステイションとしての第一作である「Rainbow」の1曲目。やっぱり、この曲には「1」が似合うのかな。

 ただし、最終的には続けてやったm2は、かなり久々の曲で、かく言う私でさえ、ライブでやるのは初めてでありました。

e0093608_10561998.jpg 現在のバンド・メンバーである、土屋潔さん、六川正彦さん、後藤輝夫さんの3人はこの曲のレコーディング・メンバーですから、録音当時のことはよくよく記憶しておられるようです。何と言っても、ゴトウさんによるイントロのサックス・メロが印象的なんだけど、これがレコーディングではかなり苦労したとのこと。なかなかうまくいかなかったので、しばし休憩をとったところ、ゴトウさんは何処かに消えてしまったらしい。
 ところが、スタジオに帰ってきた彼は、すぐにレコーディングを再開。何と一発で決めてしまったのだそうだ。一体、ゴトウさんに何が起きたのか。そこの部分は未だにトップ・シークレットなんすよね。

 さて、今回の我々の演奏は、スタジオ・テイクに比べるとずいぶんテンポが遅い。逆に、CDを聴くとずいぶん速く感じますなぁ。今の気分はよりしっとり、じっくりとやってみたかったということなのかも。ただし、これは何度かリハしていくうちに、自然とそういうムードが強くなっていったように思います。
 とにかく、テンポがどうであろうと、曲として成り立ってしまうということが大事。それだけ曲に力があるという証明でもあるわけです。

 実際の演奏では、ゴトウさん以外のメンバーは、終始いたって気持ちよく、実にリラックスしてプレイできましたね。ベースの六川さんはこの曲がお気に入りなので、念願のライブ演奏にご満悦でした。
 名古屋の1回目を終わってから、よりメリハリをつけたい、というケンさんの指摘から、この2曲をMCなしでつなげることになりました。また、ドラムのカウントなしで、サックスのピックアップで始めるために、ゴトウさんは否応無くプレッシャーがかかったようです、デヘヘ。
 それと、この部分のアレンジはサックスのメロディに合わせてシンコペーションのアクセントを付けて行く(業界的に言うと、「クっていく」)ので、何気なく油断した状態で始めると(「クッたところを小節の頭に感じると)、一瞬どこがどこだか、わからなくなる危険があるのでした。で、グルーヴの指針は実はサックスのメロディに委ねられているので、ゴトウさんのプレイが全て、ってなるわけです。

 ですから、このイントロ部分ではいろいろな状況のゴトウさんが垣間みられて面白かったですね。自信に満ちて堂々たる彼、繊細さで一杯の彼、愛情に満ちた彼、軽口をたたいている彼...。曲のタイトルが"Smile Again"っていうのも象徴的でした。なぜなら、どんな場面でも、こちらを「ニコリ」とさせてくれるのがゴトウさんですから。

 さて、この隠れた名曲が入った79年の「FULL HOUSE」には、それまでの美乃家サウンドからガラっと変わった内容で、派手さはないけど、興味深い曲が並んでいます。当時のキーボードで、アレンジャーでもある小田健二郎(オダケン)さんのキャラがなかなか絶妙ですよ。個人的には"夢をみようよ"とか"9月になったらGOOD-BYE"も、今やったら面白い気もします。

 そうそう、だいたいここには私の超お気に入りである"ビューティフル・ミー"のオリジナル・テイクが収められているのでした。個人的にはそれだけでも名盤の価値となります。
 
 えらく長くなったので、続く。

 
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by harukko45 | 2011-08-20 12:20 | 音楽の仕事

ご無沙汰でした

 残暑どこじゃない、猛暑お見舞い申し上げます。

 昨日で、ここ2ヶ月ほど関わってきたレコーディング作業のメドがついたので、ようやく私も夏休みっぽい感じになりました。このところ、ネットを見るような余裕もなかったので、ブログも放ったらかし状態でした。いろいろと書きたい事や、お伝えしたいこともあったのに、全く出来ませんでしたし、コメントへのお礼もせずでした。
 今日からボチボチと、ネット復帰しますので、またよろしくお願いします。

 世の中的に一番の大事は、やっと菅首相が辞める(であろう)ことになったことですが、大震災から「裸の王様」とともに過ごしたこの約半年間は、現代に生きる日本人にとって「最も大きな空虚な時間」として、今後も記憶されることでしょう。ただ、ある意味、自分自身をも見直すきっかけにもなった気もします。それはつまり、3.11以降、日本人の意識・認識・価値観は大きく変わらざるを得なかったのに、実際には何も変わらなかった、変えられなかった、という現実。これが、今の日本人、今の私である、と。

 さて、などなど、相変わらずのボヤキで失礼しました。大橋純子さんのクラブサーキット2011のご報告等、早々にアップしていきたいと思います。
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by harukko45 | 2011-08-18 13:30 | 日々のあれこれ

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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