安倍なつみ/仙台&浜松

 25日は仙台darwin、26日は浜松space-Kで、安倍なつみさんのライブでした。いやぁ、スタッフ、メンバーの皆さん、もちろんご本人も当然ですが、ほんとにほんとにお疲れさまでした!
 と、心の底から出てしまうほどの過密スケジュールでしたが、無事にこなし切ったことを、まずは喜びたいと思います。

 それと、かなりのファンの方々がこの両日に来てくれていたので、きっと体力的には大変だったと思いますが、それでも、この2カ所はとてもステージと客席が身近に感じられる場所だったので、よりファンのみんなとの一体感が生まれて、すごく充実感のある内容だったと思いました。
 熱い熱いファンの皆さんには、あらためて心から感謝したいと思います。ありがとうございました!

 さすがに浜松の2回目は、バンド・メンバーにも疲労があったし、器材のトラブルもあったりしましたが、4回のステージ全体を通して見れば、かなり高いレベルで仕上がってきていると感じています。

 さて、これで残りは10/2の横浜Blitzのみ。このファイナルでも、大いに楽しんで、精一杯盛り上がったステージに出来るように頑張りたいと思います。
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by harukko45 | 2010-09-27 16:20 | 音楽の仕事

 イチロー選手、おめでとうございます。苦しい道のりではあっても、こうやって見事に成し遂げてしまうのだから、どんな言葉も彼を讃えるのには足らないでしょう。

 昨夜、仕事から帰って、深夜生放送されたトロントでの試合を半分眠りながら見ていましたが、何とか200本目のヒットが出た瞬間を見届けました。そして、そのまま深く眠りました。

 彼の凄さ、素晴らしさについてはすでに語り尽くされているし、今もなお伝説を生み続けていると言えるので、私のようなものが何かを語ることはないのだが、ただ2年前に巻き起こったイチロー批判(「チームが低迷しているのに、個人の記録にこだわっている」/「チームの勝利よりも記録を優先する自分勝手な選手だ」云々」)が、彼には大きなトラウマになっていたことにはとても驚いた。ゆえに、先日日米通算3500安打を達成した時も、セレモニーをすることを自ら断っているほどだったとは。

 昨年はグリフィーJr.のような「一流」選手が彼を守り、トラウマから解放していたが、今年はすでにいない。だから、イチローは再び2年前の記憶に苛まれたに違いない。
 だが今回、テレビの映像では記録達成直後に、一斉に立ち上がって拍手し、イチローを讃えるチームメイト達の姿が見られ、今年のシアトルは100敗しそうなほどのダメチームではあるが、それでも選手達のハートはくさってなかったことを感じさせてくれたことがうれしい。

 「チームメートがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいいんだなと思った。」というイチローのコメントは相変わらず率直で印象的だ。

 私はイチロー選手を尊敬しているし大好きだけど、所属チームであるシアトル・マリナーズも好きなのだ。だから、こういったやり取りにはかなりグッと来てしまう。

 そんなイチローとマリナーズゆえに、もっとチームが強くなって、ポストシーズンに進出するシーンを見せてほしいのだ。来年こそはGMが間抜けな補強をしないようにお願いしたい。弱いチームの中で、毎年イチローのヒットだけが楽しみ、っていうのじゃ、もういやだ。
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by harukko45 | 2010-09-24 17:19 | スポーツ

 安倍なつみさんの"Autumn Voice"ツアーも4カ所目、昨日は名古屋でのステージでした。でもって、個人的にはようやく合格点を出すことができましたし、なっちご本人と会場のみんなの盛り上がりと一体感はここまでで最高だったのではないかと思います。
 たぶん、会場自体がよりライブハウス的だったせいもあるでしょうが、ステージでのサウンドも熱気にあふれていて、演奏していても常にワクワクさせられていました。

 なので、終演後は全員が満足感にあふれた表情で、「やりきった!」という気分でした。

 バンドとしても、譜面ずらをなぞっていくような所が一切消え、十分に音楽が体の中に入って演奏できるようになったと思います。なので、その場その場での即興的なプレイもどんどん出てきて、ますます好ましい状況が生まれていたのでした。

 ダイヤモンドホールに集まってくれたたくさんのファン、本当にありがとうございました!そして、残り3カ所もこの調子で駆け上がっていきますので、どうぞよろしくです。

 p.s. 前回のアップでなっちの名前の漢字変換が間違ってました。お恥ずかしい。大変失礼しました。
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by harukko45 | 2010-09-24 09:55 | 音楽の仕事

安倍なつみ/東京、大阪

 安倍なつみさんの秋ツアーが一週間ぶりに再開。19日は東京の赤坂Blitz、翌20日は大阪の御堂会館にて4ステージを行いました。まずは会場にお越しくださったファンの皆さんに感謝感謝です。

 今回は久々の4人編成での生バンドなので、音楽的な充実感や広がりが大きくなったと思っているのですが、それがうまく伝わって、楽しんでいただけていればうれしいです。

 初日・札幌での緊張感から開放されて、ステージサイドではいろいろな部分でどんどん熟成度も高まっていると言えます。今回のメンバーの特色かもしれないですが、毎回のステージで演奏が変化して私も大いに楽しませてもらっています。

 個人的には、ほとんどの曲できっかけを出したり、流れをコントロールしていかなければならないで、まったく息を抜けない感じが続きますけど、それもまたやりがいがあると言えるでしょう。

 ただ、一部の機材の調子が悪く、2回ほど音が出なくなる時があったのが悔やまれます。演奏上での問題ではないだけに、これについてはすぐに解決しなくてはなりません。次の名古屋ではそういった点でもパーフェクトに行けるようにしなければと思います。


 
 
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by harukko45 | 2010-09-21 09:18 | 音楽の仕事

MAKI/代々木ブーガルー

 昨夜はMAKIさんとのライブが、代々木ブーガルーでありました。3組の女性アーティストのトリでしたので、演奏開始は9時近かったですが、たくさんのお客さんが残ってくれていたし、久々にアコギで、ブーガルーの店長でもある黒沢君を迎えて3曲やったりするなど、なかなか楽しいひと時となりました。

 個人的には、楽しくなりすぎてちょっとビールの飲み過ぎ?か、いやいや、単なるウッカリ・ミスがあり、肝を冷やす部分がありましたが、全体的にはMAKIさんとのコンビネーションが良かったみたいで、やはり今年春頃からコツコツとライブを重ねて来た意味はあったなぁと感じています。

 セットリストは
m1.想いのかけら 2.月色の光 3.Red Eye 4.消えない沁み 5.花ビラ 6.夢はあの場所に 7.rebirth 8.心つないで en.太陽の近いこの場所で

 m4と5以外はほぼ今年のレギュラーと言える曲で、半年間でずいぶん熟れた印象です。ピアノのみのバッキングでもかなり内容は濃くまとまってきたと思います。特に私はm1、3、8は好きですね。先に書いた凡ミスはm8であったので、それについては反省ですが、そこをのぞいては良かったのではないかと感じています。

 黒沢君を迎えてのm5、6、7はなかなか新鮮でした。特にm5は元々ギターが中心の曲なので、まさにピッタリでした。数年前のバンド・スタイルでやっていた頃を思い出すグルーヴ感があって楽しかった。m6は作曲者自らのアコギだったので、ムード満点でしたね。
 m7は、かなりセッション風だったので、ところどころギクシャクしましたが、そのルーズさがライブらしかったのでは。

 本当に久しぶりにやったm4はかなり抑えめにして空間のある世界をイメージしていたのですが、個人的には今一つだったかと。もっと弱音のコントロールをうまくやりたかったのですが、ついつい弾きすぎていた気もします。

 とは言え、40分ほどの本編が終わって、暖かいアンコールの拍手には心より感謝です。
 
 MAKIさんとのライブはたぶん今年はこれで最後で、再会は来年になるかもしれません。彼女はその間に新作のために一時山ごもり(?)するとのことですから、新曲とともに、いろいろなトライや刺激が生まれることを、私も大いに期待したいと思います。
 
 ところで、MAKIさんはUstreamにて、自宅からの一人ライブを毎週火曜の深夜に生放送しています。まさに生での双方向によるコミュニケーションができるライブ・イベントで、じょじょにアクセスも増えています。
 URLは http://www.ustream.tv/channel/maki-in-myroom ですので、是非一度のぞいてみてください。私のようなオジさんが言うのも何ですが、MAKIさんはホントよく頑張っているなぁと感心します。
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by harukko45 | 2010-09-18 07:16 | 音楽の仕事

日米関係

 前項前々項につづき、カレル・ウォルフレン氏の論文からの一部を掲載します。

日本政治再生を巡る権力闘争の謎(その3)=カレル・ヴァン・ウォルフレン
2010年3月19日 中央公論
より
 鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。

 しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には政治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。

 アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。
 かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、1989年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。
 
 筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。
 まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。
 
 そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。
 
 この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。

 アメリカがこの問題(普天間問題)について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が5月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。
 
 それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。
 
 日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。(了)

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by harukko45 | 2010-09-17 01:42 | 日々のあれこれ

小沢一郎の価値

 前項からの続きで、カレル・ウォルフレン氏の論文からの一部を掲載します。

日本政治再生を巡る権力闘争の謎(その2)=カレル・ヴァン・ウォルフレン
2010年3月19日 中央公論
より

 日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。
 このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。

 これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
 
 小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。

 彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。
 こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。
 
 このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。
 
 そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。小沢がいなかったら、1993年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年8月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。
 
 小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
 
 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?
 
 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。

 長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の12月から今年の2月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。
 小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。
 
 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。
 つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。

 いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。


次項に続く。
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by harukko45 | 2010-09-17 01:27 | 日々のあれこれ

 タイトルはオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の有名著作のもの。そしてそれは、そのまま現在も我が国にあてはまる。今更ながらに、彼の分析は鋭く、全てを言い当てていると感じる。

 今年の3月に中央口論に書かれた彼の新しい論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」を読み返し、現状の日本を見てみるとますます暗澹たる思いでいっぱいになる。だが、私はこれを読んで真実はどこにあるのか考えたい。特に小沢一郎氏への評価と、日本の検察・官僚・マスコミについての分析と問題提起は実に興味深い。

 一部抜粋してここに掲載してみたいと思うが、長文であるものの、どの部分もカットするに忍びない。なので、抜粋も長くなった。

日本政治再生を巡る権力闘争の謎(その1)=カレル・ヴァン・ウォルフレン
2010年3月19日 中央公論より

 いま日本はきわめて重要な時期にある。なぜなら、真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっているからだ。いや、それ以上の意味がある。もし民主党のリーダーたちが、理念として掲げる内閣中心政権を成功裏に確立することができるならば、それは日本に限らず地球上のあらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになるからである。それは我々の住む惑星の政治の流れに好ましい影響を与える数少ない事例となろう。
 
 各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。だが、民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。

 民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(1838〜1922年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。

 いま民主党が自ら背負う課題は、重いなどという程度の生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、何らかの、そして時に激しい抵抗に遭遇する。ただし彼らに抵抗するのは、有権者ではない。それは旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。まさにそれこそが民主党が克服せんと目指す標的なのである。

 明治以来、かくも長きにわたって存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。一年ほど日本を留守にしていた(1962年以来、こんなに長く日本から離れていたのは初めてだった)筆者が、昨年戻ってきた際、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。

 なぜか? それは日本の官僚機構に備わった長く古い歴史ある防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。

 いまから19年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるやたちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。
 
 さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。

 ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
 
 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。

 しかしある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。

 ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。
 
 これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。

 体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが煽り立てるスキャンダルに他ならないからだ。検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし本稿で指摘しているように、検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。


次項に続く。
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by harukko45 | 2010-09-17 00:54 | 日々のあれこれ

民主党代表選

 菅氏が圧勝して再選された。正直、かなりの虚脱感と拭いきれない失望感で一杯だ。自分はサポーターではないから投票参加できないわけだが、ここまで大差がついての結果は驚きをも通り越した。
 インターネットでの支持では小沢氏が圧倒していても、大手メディアでの「世論調査」ではずっと菅氏の優位が伝えられていた。それがやはり正しく、ネットでの意見はまだまだ少数派でしかないということか。そして、これまで2年近く「小沢バッシング」を繰り広げた大手マスコミの大勝利であり、ついに小沢一郎にとどめを刺したということ。おかげで、もうこれ以後しばらくはこの国には何も起きないだろう。
 何も変わらない日本、全くリスクを取らず、予定調和な安心のみをのぞみ(抑止なき宥和)、そしてじょじょに衰退の道を進む日本は、実につまらん。結局のところ我が国は、理性よりも感情やムード、イメージだけで判断し、物事を選択していくのだろう。私は昨年の夏に政権交代をのぞんで民主党に投票したことにさえ、後悔したくなっている。これだって、情緒的な選択だったのかもしれないからだ。

 今日の演説において、あまりにも貧弱で中味がない内容だった菅総理に、深い深い絶望感を抱いたのは私だけではあるまい。

 「政治とカネ」とは何と都合のいいキャッチフレーズか。この国の進路を決めてしまった全国の民主党員・サポーターは本当に小沢氏の「政治とカネ」の問題を理解しているのか。小沢氏は説明が足りないとの意見は、要するに「皆さんの思う通り(検察とマスコミに刷り込まれた通り)、私は賄賂をもらいました」と言うまで、絶対に静まるわけがない。結局は、「出る杭は打たれる」方式で、小沢氏が切腹するのが見たいだけ。それが日本だ。この点については、小沢氏の主張の方が全うだ。「プロである検察が強制捜査したにもかかわらず、2回も不起訴になっており、何もやましいことはない」。

 そもそも、自由主義国家、資本主義経済において「カネがかからない政治」なんてありえない。「クリーンな政治」なんて言っている方が、純情青年の理想論であって危なっかしい。そんな精神構造で、どうやってアメリカや中国と対等につきあうというのか。問題は実際に仕事ができるのかどうかでしかない。

 はっきり言って、日本人の異常なまでの「スキャンダル狂い」と「潔癖性」は自らによって自らの国を滅ぼす。誰がどう見たって実力のある政治家を潰して、「クリーンと言われている」だけの人物を担ぎ上げた民主党の党員達は、今後の日本を左右する重要な分岐点で、とてつもなく大きな決断に深く関わったという責任を肝に命じるべきだ。
 ある意味、これが明治維新での「西南戦争」であり、敗れた小沢氏は西郷隆盛だったというのであるなら、まだ望みがあるかもしれない。が、勝ち残った人が果たして大久保利通なのかははなはだ疑問であり、深い憂慮を禁じ得ない。
 彼らはきっと日本を良くすることはできないだろうが、少なくとも沈没するのを防がなくてはならない。それだけの大きな責任を強く感じて欲しい。そうでなくては、全く持ってやってられない。

 これが本当の政治不信であり、政治不安ではないのか。
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by harukko45 | 2010-09-14 16:53 | 日々のあれこれ

安倍なつみ/札幌Zepp

 安倍なつみさんの秋ツアー2010"Autumn Voice"がスタートしました。で昨夜、札幌にて無事に初日を終えて帰宅しました。終わってから、最終の飛行機で東京に舞い戻るというのも、ちと残念ですが、これも今風なのかも。
 そんなことよりも、とにかく初日というのは、どの仕事の場合でも緊張感が強くなりますけど、今回はそんな状態でもかなり良い感じでまとめられて、幸先のいいスタートとなったのではないでしょうか。
 ですので、残り6カ所12公演もこの調子でますますアゲて行きたいと思います。

 札幌公演にお越し下さったたくさんのファンの皆さんには、いつもいつも感謝です。ありがとうございました。
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by harukko45 | 2010-09-12 03:12 | 音楽の仕事

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる