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2005年のベスト3×2

 おまけってわけじゃないけど、今年は近年になくCDをよく聴いたほうなので、自分のベスト3×2をあげておきます。

1.最もよく聴いた、そして内容も最高だ!時間が経っても絶対に飽きないに違いない!2005年新譜Best3:

 "Bonnie Raitt/Souls Alike" 演奏よし、歌よし、曲よし、アレンジよし、そんでもって音が最高!さすがチャド・ブレイク。こういう音でアルバムを作れたら本当に最高でしょう。全体としてはミュージシャンうけ的な内容かな。でも、ずっと聴いていける傑作。

 "The White Stripes/Get Behind Me Satin" ロック、ポップスの世界で現在最高で唯一の天才、ジャック・ホワイトは何から何までかっこいい!前作も凄かったけど、これも凄かった。大好き、大好き、とにかく大好き。来春早々来日するけど、ワタシャ仕事で行けない!くやしーい!

 "Miles Davis/The Cellar Door Sessions1970" たとえ録音が1970年だろうと、新譜にはかわりない。で、これほどのジャズ演奏を現代では聴く事はできない。キース・ジャレットにしぼったって、こんなプレイはマイルスと一緒でなければ生まれなかった。キースのコメントがかっこいい。「それは生涯で一度か二度、見られるか見られないかといった彗星のようなもの。この彗星のような音楽を、人がなんと呼ぼうと僕にはどうでもいいことだ。」しびれるねぇ。


2.最もよく聴いた、そして内容も最高だ!時間が経ってもやっぱり飽きないじゃないか!旧譜Best3:

 "The Band/Music From Big Pink" ザ・バンドは中学生の時からずっと好き。でも、今の方がもっともっと好き。数あるロックバンドの中でも特別な存在。常にお手本となる何かがひそんでいる。今年はこのファーストに再びぞっこん。

 "Free/Fire And Water" 今年後半、最もトチ狂ったように聴きまくったフリー。フリーに関してはどれもよく聴いたんだけど、最後はやっぱりこのアルバムに軍配が。車で移動中に4,5回リピートしても毎回盛り上がっちゃったよ。ありがとう!ポール・ロジャース。そして、今はアンディが少しでも元気になることを切に祈るのみだ(彼はエイズと闘っている)。

e0093608_0431666.jpg "Bruno Walter/Mozart25,28,29,35" ブルーノ・ワルターとカルロス・クライバーが私にとって最も尊敬し共感できる指揮者。最近、ワルターの音楽で自分の心がものすごく満たされることをまた実感した。モーツァルトとマーラーと迷うが、やはり正月を迎えるならモーツァルトを聴きたい。今大好きなのは28番と29番。明るい曲調がかえって寂しさや悲しさを感じさせるのが、モーツァルトの奥深さ。大人になってやっとわかってくる味。彼は35歳で死んだが、人生のスピードは普通の人の倍、つまり70歳の生涯を半分の時間で過ぎ去ったのだろう。

 それでは、これでほんとに「よいお年を!」
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by harukko45 | 2005-12-31 19:32 | 聴いて書く

仕事納め

 昨日(30日)で、私は2005年の仕事納めとなりました。いやいや、最後は六本木のライブ・パブのR&Bイベントでした。生ピアノが調律してなくて、かなりのホンキートンクだったけど、とりあえず何とか弾き倒して無事に終えることができました。

 振り返ってみると、今年はいろんな仕事をしたもんだ。それと、いろんな人と再会した年でもあったな。それによって、新たに人との繋がりが広がったり、途絶えていたものが再び結びついたりして、そういう点ではここ近年では一番バラエティに富んだ年と言えました。
 内容も濃い仕事、というか今まで以上に、仕事そのもの音楽そのものに「濃く」関わる事を、出来るだけ心がけようと思っていたので、それが一応出来たかなって思っています。

 ここ10年近く、メインにバックをやらせてもらっている大橋純子さんに関しては、29日にオンエアされたTBSで収録した2曲が割と満足いく出来だったので、来年へのいい希望が持てる気がしている。先日の忘年会でも、ジュンコさんは「心機一転」を繰り返しておりましたし、新しいアイデアもふつふつと浮かんでいるようなので、こちらもバッチリ盛り上げていきたいと思っています。やはり、今の自分が充実していられるベースにはジュンコさんとの活動があるからで、今年一年への感謝の気持ちを改めて深く感じている。

 また、タケカワユキヒデさんとのユニットは来年も続くし、これに関してはますます内容を深くしていきたいし、常に私にチャレンジ精神を起こさせてくれるタケさんに感謝したいと思う。
 そして、水越けい子さんには「海潮音(みしおね)」というシングル曲でアレンジをやらせてもらい、これが来年夏公開の映画の主題歌になったということで、これも実に喜ばしい。とっても個性的で魅力的なキャラの持ち主である、けい子さんにはもっともっと活躍していただきたいので、少しでもそのきっかけになればと思うし、私にこういう機会を与えていただいたことに感謝したい。

 そして今年、私に生ピアノをたくさん弾く機会を与えてくれたリナンさんと林明日香ちゃんにも感謝したい。
 リナンさんとは、私にもある「暗い部分」で、何となく共感し合える間柄だと私は勝手に思っていて、それが自分にピアノを弾くことの喜びを再び気づかせてくれることにもつながった。だから彼女と音楽をやれるのはとてもうれしかった。
 アスカちゃんは彼女自身のすごいエネルギーで私を勇気づけてくれ、それが9月の万博ホールでの忘れがたいパフォーマンスに結びついたと思っている。今年一番の緊張と感動をくれた瞬間だった。

 シーマさんとはとってもうれしい再会となった。今年の再会の中では一番重要だった。彼女はやはりとても大事な音楽家だったことを再認識できた。だから彼女には、私にライブ参加を誘うメールをしてくれたことに感謝したい。来年はもっとバリバリやろうぜ。

 それと、10月の「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」で知り合えた多くの人々にも深く感謝したい。私にとっては身に余るような大仕事に巡り会えて、本当に光栄でした。私を始めトリビュート・バンドの面々の「ちょっとした自慢」は、あのオノ・ヨーコさんと競演したんだぜ!ってことだしね。

 その他にも感謝しなければいけない人々はたくさんいて、書ききれない。とにかく、自分の仕事がとても多く人のさまざまな尽力に助けられていたことを、最近特に強く感じるようになった。そういうことに気がつくとは、少しは私もましになって来たのかもしれないと思っている。

 そうそう、それからこうやってブログをやり始めて、いろいろな方と交流できて、全く新しい喜びを感じられているのでした。仕事のことだけでなく、旅やCDやアーティストについて語りあうことの楽しさを与えてくれたことに感謝しなくちゃね。このブログを覗いてくれた方に、ほんとにほんとに深く「ありがとう」と言います。そして、来年もよろしくです。

 では、どうぞ良いお年を!
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by harukko45 | 2005-12-31 04:23 | 音楽の仕事

 一昨日はジュンコさん宅でバンドの忘年会があり、久々にしこたま飲んで、昨日は大二日酔いだった。イヤー、やっちまいましたわ。よく帰って来れたもんだ。

 しかし、昨日はそれでも夕方には待ちに待ったCDを買いに出かけた。それは前にも書いたのだが、マイルス・デイビスの「The Cellar Door Sessions1970」6枚組であります。

 何度も発売延期になってやきもきさせられたけれど、ちゃんとこうして自分の手元にあると思うと、また感激新たに沸き起こるって感じだ。
 とりあえず、さっきまでDisc1(1970.12.16 1st set)の演奏を聴いていたのだが、中身がかなりの濃さなので、1日1枚でヘトヘトかもしれない。おまけに二日酔いだったしね。
 でも、おかげで年末年始はこれでずいぶんと充実した時間を送れそうだわーい!
マイルスとキース・ジャレット、ほんとにすごいわ。
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by harukko45 | 2005-12-29 00:17 | 聴いて書く

 ワルター先生の名演で、もう一つどうしてもここにアップしておきたいものがある。

 1938年のウィーン・フィルとのライブによるマーラー第9番だ。もちろんモノラルだし、SP盤から復刻だ。だから、音が悪いか、というとそんなに悪くないし、十分鑑賞できる。
 それどころか、ここまでアメリカのオケを聴いたあとにウィーン・フィルを聴くと、まずのその美音に驚く。こんなにも違うものか、と溜め息してしまう。しかし、聴き進めるうちに、このライブが尋常ではないことに気づく、というか真剣で真実の音世界に浸るうちに、気楽な「鑑賞する」などという次元を越える場所に連れて行かれてしまう。 

 マーラーの音楽のテーマはすべて「死」だそうだ。彼は死をものすごく恐れ、その反面、現世の幸福や美にとことん憧れ続けたという。他の大作曲家達(ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー)がみな「第9」まで書いて死んだことにこだわり、9番目の交響曲に番号をつけず「大地の歌」とし、「第10」を完成させたのだが、彼の死後「第10」が「第9」と呼ばれている。何と言う皮肉。

 ワルターはマーラーの直弟子で、初演も彼の指揮であることから、マーラーの曲を最も理解する人物の一人と言える。そして二人はともにユダヤ人であり、ウィーンをこよなく愛した。
 マーラー死後、ウィーンからミュンヘンなどドイツ各地で活躍し名声を高めたワルターは、59歳で再びウィーン・フィルに招かれ、大いなる人気と芸術的成果を上げたのだった。
 が、彼はすでに33年頃からドイツにてナチスの妨害や脅迫を受けていて、ウィーンに戻ってもナチスのいやがらせは続いた。オペラ指揮中に臭気爆弾が投げ込まれたり、コンサート直前に死の脅迫状が届いたりしたそうだ。
 そういった状況下での38年1月16日のコンサート、「ナチス党員による妨害の咳払いや足音と共に演奏が開始された」とワルター自身が語っている。
 そして、その2ヶ月後オーストリアはヒットラーに占領されドイツに併合された。ワルターはパリに演奏旅行中で暗殺を免れたが、全財産は没収、長女は逮捕、次女はナチス党員だった夫に殺害された。その後彼はアメリカに脱出することになる。

 ここでの演奏はそのような全ての要素が絡み合い、ものすごい何かを生み出してしまった。ずっとマーラーは死の恐怖にのたうちまわっている。音がすべて苦しんで悶えている。なのに、とてつもなく美しい。信じられない状況だ。のたうちまわっているのはマーラーだけではない、ウィーンがヨーロッパが、その後の運命に恐怖しているのだった。1楽章は特に恐ろしい、が、何でウィーン・フィルの音色はこんなにも美しいのか。
 結局、妨害していたナチス党員もそのうちすっかり静かになって聴き入っていたのか、CDではそのようなノイズはほとんど聞こえない。彼らも自分たちの運命をその瞬間に予見したのではないか。
 4楽章の生への憧れは「絶唱」と呼ばれているもので、わずかなヨーロッパの、人類の平和を願うかのようにも聞こえるが、それには切迫した真実味がこもっていて聴いていて身動きできなくなる。

 正直に言う。このような演奏を聴くと、60年代後半のヒッピー文化からくる「Love&Peace」が甘っちょろい運動に思えてくる。本物の音楽家は音楽のみで全てを表現するのだろう。
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by harukko45 | 2005-12-26 00:21 | 聴いて書く

 ディープ・インパクト負けちゃったなぁ。ちょっと、がっかり。有馬記念に勝って無敗の4冠達成はそんなに簡単じゃなかったか。
 だからってわけじゃないが、今日もワルター先生を聴くことに。

e0093608_17592015.jpg ブラームスの2番をニューヨーク・フィルとやった1953年のモノラル盤。ブラームスってドイツ的な重厚さや論理的で精微な構造をもっていて(いるらしく)、知性豊かな人(特に学者?ほんとかな)に多く好まれていると言う。また、ブラームス自身は「私の曲を聴く時は白い手袋をして、涙をふくためのハンカチを用意してほしい」みたいなことを言っているとのこと。あーヤダヤダ、辛気くさ!
 というわけで、ずっと敬遠していたのだが、これまたワルター盤を聴いて、すっかり虜に。今じゃ、まさに「ブラームスはお好き?」なんて言っちゃったりして。とにかく、ワルター先生のせいで私にとってのブラームスは「ヨヨヨヨヨヨ」と崩れ堕ちていく愛とロマンの世界、頽廃と爛熟の音楽として、しっかり成立するようになってしまった。

 それにしても、ドイツ人の「ロマン主義」ってすっごく妖しい世界で、だいたいの雰囲気はわかっても、現代人とくにこんな極東に住んでる人間にはなかなか溶け込めない領域だ。実際「ロマンティック」って何?って聞かれても、ビシっと答えることはできません、ハイ。

 ところが、音楽というのはありがたい。余計な理屈をどこかに追いやって、ただただ「これぞ、浪漫の世界!」というものにどっぷりと浸ることができるのだ。さすが、ワルター先生は1876年のベルリン生まれで、まだリストもワーグナーもブラームスも生きていた時代、まさにロマン主義全盛の時代を知っているわけで、少なからずその影響が彼の表現の根本にあっただろうと容易に推察できる。

 とにかく、1楽章の始まりから豊かな響きと歌にぐわんぐわんにされてしまう。そのまま、滅多に飲めない豊潤な高級ワインと脳天ぶち切れそうに甘いチョコレートと生クリームを同時にいただくような、又は、その崩れて崩れてトロトロの精神のまま、もうどうにでもして!と思わず口走ってしまうような、そんな感じ。
 ビデオによるリハーサル風景を見ると、この楽章の場合全てのフレーズ一つ一つにクレッシェンドとディミニエンドをかけていて、常に先生は「Sing! Sing!」と楽員に呼びかけていた。それと強弱の指示も細かい。オケのバランスに関しては細心の注意を払っていたのが印象的だった。でも、そうしていくと「この音」「あの音」が聴こえてくるので、「なるほどー。」と深く感心するのだった。
 3楽章までのまさに熟しきった音に私は陶酔するのみだが、4楽章では一転、それまで抑えていたものが一気に爆発して、大興奮のフィナーレとなる。
 濃厚な表現ゆえに、嫌う人も多いかもしれないが、私にとってはワルター以外は皆物足りなく思ってしまうほどの愛聴盤。
 モノラルで50年以上前なのに、大変ツヤのあるいい録音だ。
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by harukko45 | 2005-12-25 19:00 | 聴いて書く

 メリー・クリスマス! だからってわけじゃないが、今日もクラシック・ネタ、昨日に続いてワルターを聴くことに。

 前回はワルター先生のベートーヴェンはちょっと、みたいな書き方をしたが、それはいわゆる有名交響曲(中・後期の奇数番号)において言えることで、ベートーヴェンが全部ダメというわけではない。それどころか、先生のもの以外は聴く価値がないのではないか、と思えるものもある。それがこの2番で、世評ではこれに6番「田園」も加わるのだろうが、私は6番そのものがいまいち苦手で滅多に聴くことがないので、ちょっと語れない。しかし、2番に関してなら自信を持って宣言する。これ以外にベートーヴェン2番のCDは必要ない!

 世の中にある、ありとあらゆる音楽表現の中でも、稀に存在する「完璧」という称号をこの演奏に献上したいと思う。1959年のコロンビア交響楽団とのステレオ盤で、先生は82歳だった。最晩年でありながら、何と言う若々しさ! 曲中に力強い生気がみなぎっている。

 常に緊迫感を保ちながら、素晴らしいノリの良さで進んでいく1楽章は「完璧の中の完璧」で、ただただ唖然として聴き入るのみ。ノリだけでなく、各楽器のバランスの良さ、魔法のような強弱、そして何より気品があって美しい。そして、コーダでのトランペットが「ブワーッ」とクレッシェンドするところなど、「恐れ入りました!!」と最敬礼である。

 陶酔の極致である2楽章は、本当にすごい。ここまで感じ入って歌いきる指揮者、演奏家がいるだろうか。永遠に聴いていたい。
 3、4楽章も全く気を緩めることなく、それでいて懐の大きさも感じられて、強く貫かれた芸術家としての意志と卓越した名人芸の両方がちゃんと存在している。なのに聴き手にそれを押し付けることなく、最後まで音楽そのものを堪能させてくれるのだった。

 そして、演奏の良さに加えて、録音の良さも特筆すべき点だ。ステレオ録音の最初期であり、オール真空管式の機材、マイクはソニーのコンデンサー・マイクのよる3チャンネル1/2インチ・テープでのレコーディングとのことだが、本当にリアルな素晴らしい音質で、最近のものに決して負けない。この当時のディレクターのジョン・マックルーア氏のすごい仕事のおかげで、こうような宝物が残って、私は今日も幸せなひとときを過ごせるのだった。感謝である。
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by harukko45 | 2005-12-25 00:53 | 聴いて書く

 年の瀬も深まり、仕事の方も今年はほぼ終わりが近づいてきて、うれしい気持ちと寂しい気持ちがないまぜになったような気分だなぁ。だからってわけじゃないが、久々にクラシック・ミュージックに浸りたくなった。

 私はブルーノ・ワルターという指揮者が昔から好きだ。持っているCDの数もクラシックでは一番多い。ワルター先生のイメージは一般的に「あたたかい」「柔らかい」「女性的」「優雅」、批判としては「厳しさが足りない」「曖昧な表現」「甘ったるい」「中庸」といったところか。
 どちらも正解で、全て当てはまると思う。ワルター先生の場合、ベートーヴェンやブルックナーあたりを振った時には上記の欠点がもろに出て、ファンとしては悲しくなることも多いが、ことモーツァルトに関しては、誰よりも至福の時間を与えてくれるのだった。

e0093608_22114078.jpg 私がクラシックを聴き直すきっかけはモーツァルトの再認識で、彼の名曲を「名演」で聴きたいといろんなCDを巡っているうちに、ワルター先生に行き着いたわけで、最初は同じ曲でもいろんな指揮者のものを聴き比べて選別していったあげく、気がついたらワルター以外のモーツァルトCDはほとんど売り払ってしまっていた。結局、他の人の演奏を聴いても、だんだんイライラしてきて、ワルターを聴きたくなってしまうからで、それなら売ってお金にして、別のワルターCDを買おうと思ったからだ。

 さて、今日選んだのは交響曲25,28,29,35番をコロンビア交響楽団、ニューヨーク・フィルとやった1953〜54年のモノラル盤。あまりにも美しい演奏で名演の極みとも言うべきものなので、続けて3度も聴いても飽きなかった。
 まず、25番。だいたい17歳でこんな曲を書くモーツァルトが凄すぎるが、ワルター先生の演奏を聴くと、他の指揮者は「やる気あんのか?!」と言いたくなるほどダメなものばかりだ。というか、先生の棒が凄すぎてとんでもない。ここまで、曲をエグリ倒すというのもなかなか出来る事じゃない。大胆なテンポチェンジや強弱、思い切ったアクセントなどいろいろやりまくっていて実はかなり過激なのだが、常に歌うことを基本に感じ入って演奏しているので嘘がなく、こちらはワクワクしっぱなしなのだ。(25番はこの後、ライブでのさらに凄いものもある。)
 28番は天国にいるような音楽で、ひょっとすると現実逃避の幻想なのかもしれない。とにかく、気品満ちた豊かな響きに、ただじっとして聴き入るのみで、その楽しさの中に天才の孤独が時々現れて、寂しさも同時に味わう。

 29番はモーツァルトの圧倒的な才能に脱帽するし、これまた夢のような魔法のようなワルターの指揮が、もうたまらない。最近、モーツァルトを聴く事は現代人の心を癒す効果があるとか言われているが、私の場合は逆に、彼の天才ぶりに遭遇するたびに自分の存在価値に意味がないことを思い知らされる。だから、私にとっては自らの「死」に一番近い音楽なのだ。考えようによってはそれが「癒し」とも言えるのかも。

 35番の超名演にはただただ平伏すのみ。これほどまでに、オケを自由自在に操れるものなのか? 見事なものだ。そして、モーツァルトの書いたフレーズ一つ一つ、装飾音一つ一つまでが全て生き生きと歌われて、こちらに伝わってくる。
 この曲はもともと当時の大富豪一家の「パーティ用」に作った曲をアレンジしたもので、職業作曲家としての巧みな演出が音として随所に施されていて、それもまた天才のやる事だから半端じゃないし、とにかく聴き手はどんどん繰り出される、たくさんの音楽の贈り物と応対しなくてはならない。しかし最後にこちらはそれに追いつけないで「まいった、まいった。堪忍してくれ!」となってしまう。
 そうすると、あの天才の甲高い下品な笑い声が響き渡り、華やかな打ち上げ花火が何本も上がってフィナーレとなる。
 そして、常に完敗の私はステレオに向かって「ブラボー!」と拍手するのである。
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by harukko45 | 2005-12-23 23:36 | 聴いて書く

今日のFREE(7)"Free At Last"

 前からずいぶん経ってしまったけど、フリー特集のラスト。72年の"Free At Last"、これまた意味深なタイトルで、オリジナル・フリーの完全なる最終作。
 一度解散して、それぞれの道を行くはずが、やっぱり「若気の至り」に気づいた(?)アンディの呼びかけで復活したのだが(他にもいろいろ理由はあるんだろうが)、結局「やっぱ、ダメだ!」ってことに。
 こういうことは私達の身近にもよくある。だから、「あの時のマジックをもう一度!」って気持ちと、一度終わったものを立て直すことの難しさにうんざりする気持ちの両方は、それなりにわかる。
 結局、長くバンドをやっていけば、純粋な音楽性よりも「人間関係」の方に重点がいきやすくなり、忍耐が必要になる。「人間としては嫌いだけど、あいつのギターは好きなんだ」ってことで何とか維持されていくが、慣れきった環境はある種の「甘え」や「許し」の構造を生み、それぞれのエゴが共同作業への妨げになっていく。
 これが、ある程度歳をとってくると、些細な人間関係よりも大事なのは音楽だって(いや金儲けだったりして)理解できるようになるんだろうが、まだ20歳ごろの連中じゃ無理だっただろう。
 
 しかし、腐ってもさすが我らがフリー! 私はこのアルバムが大好きなのだ。確かに、もうちょっと煮詰めてほしかったところはあるのだが、それぞれの曲はけっして悪くないのだ。演奏だってかなり洗練されてきているし、それまでとは違う方向性(よりライトな印象を与えながら、実は内省的な感覚)へのアプローチもしていると思う。
 "Catch A Train""Soldier Boy"もかっこいいじゃないか。ただし、もうちょっと長いバージョンにしてほしかった。「オー、いいぞ!」ってとこで、チャンチャンと終わってしまう印象が。ほんとに残念。
 そうこうしているうちに"Magic Ship"、「エー、サビやない!」なのに、後半の長尺のインスト部分はずっとロジャースのピアノで、コズフは何しとんの!ずいぶん遠くにギターのチョーキングが。
 それにしてもポール・ロジャースの唄ってやっぱいいなぁ。"Sail On""Travellin' Man""Little Bit Of Love"と聴き惚れます。演奏もノリがいいんだ。フリーの面白さの一つに、こういうグルーヴィなところがあるのだ。皆簡単に「重いビート」って言い過ぎる。そんなに簡単に片付かない。とは言え、M7は途中で放ったらかしたようなエンディング。こういうところがガクっとさせるのよ。続く"Guardian Of The Universe"も明らかに未完成。アンディにもうちょっと忍耐力があれば、きっと堂々たる大作に仕上がっただろうに。
 しかし、そういう投げやりさは次の"Child""Good bye"では逆に内省的な表現効果(あー、終わりが近いんだって気分)を上げていて面白かったりする。
 このかっこいいのに、妙に物足りない感じが、私にこのアルバムをリピートさせるみたいだ。
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by harukko45 | 2005-12-20 14:51 | 聴いて書く

e0093608_12545916.jpg 2001年のサード「摩擦音」は、前作が高い評価を受けたし、バンドとしてもライブ活動がコンスタントに続いていた時期でもあったので、レコーディングに向かう気持ちはかなり充実していたように思う。とにかく、シーマとナリさんはどんどん新曲を書いてきたし、毎回のリハやライブでその曲を試すようなことができる状態だった。だから、そういう好調時におけるバンドの一体感を強調したアルバムとも言える。ゲスト・プレイヤーを誰も呼んでいないことからも、それがわかる。

 でも、今聴くとそれがかえってシーマらしからぬ音になっていたのだろうか? 気分は充実していたのに、実際にはかなり混乱したサウンドになっている、というか飽和していて演奏者が興奮状態丸出しだ。M1からM4まで、それが続いていくが、ここで一番クールにしているのがシーマ自身だった。逆に言えば、彼女にはこのサウンドが本能的に自分には合わないと感じていたのかもしれない。
 だから、ボーカルをもっと上げてリ・ミックスしたらどのように聴こえてくるのかなどと、未練がましいことを考えたりしてしまう。

 全体に私のキーボードがずいぶんフューチャーされていたことに気づいて、今はちょっと困惑気味だ。このキーボード奏者はかなりうれしくなって演奏していて、あっちこっちで暴れまくっている。ナリさんはこの男のたずなをゆるめ過ぎたようだ。
 さすがに自分でアレンジしたM6では、全体のバランスを考えているが、このあたりは職業癖のようで何とも赤面してしまう。

 どうやら、この時の私はかなりのエネルギーを大放出していたことは確かだろう。ただ、それがこのプロジェクトに最適だったかは疑問となってきたというわけだ。
 そう思っていたら、パーカッションのトビーもかなりやりまくってやがる。要は一番年上の二人が子供のようにはしゃいでいたということか!

 とは言うものの、バカが本気出して噛み付いた時の面白みが随所に潜んでいて、それが「オッ!」と耳をそばだたせることも事実だし、ちゃんと聴いていくとやっぱりシーマはいい曲を書いていた。M7"キオク"はこのアルバムを代表するだろうし、個人的に大好きなM8"音楽"とM9"憂れた漆"は2曲で一つのストーリーで、曲どうしが恋の語らいをしているようにずっと感じている。

 残るM5,10,11はとってもポップなメロディを持つ良い曲なのだが、演奏者の噛み付いていきそうな姿勢はかわらない。例えばM11のエンディングに向かう時のナリさんのアコギのカッティングは異常にテンションが高くって壊れそうだ。
 でも、不思議と最後の曲が終わるともう一度最初から聴いてみたくなるのは自己満足なのだろうか。

 そんなこんなで、ミュージック・マガジンではあまり良い評価はもらえなかった。ライブに来た評論家さんも「自己満足だ」みたいなことを言ってた。それに、ワールドミュージック的なものは皆無だったしね。でも、それが何だ。ダメはダメなりの、バカはバカなりの感性というものは意外とシブトイ。 

 今思えば、シーマのつけた「摩擦音」とは言い得て妙なタイトルだな。
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by harukko45 | 2005-12-19 00:54 | 聴いて書く

e0093608_23515711.jpg 2000年のセカンドである「流れるままに」はミュージック・マガジン等で大変高く評価していただいたし、ある評論家は「シーマは必ずブレイクする!」とまで言い切ってくれた。が、実際にはそういう感じにはならなかったわけだが、その後、元ちとせさんや一青窈さんが相次いでブレイクしていった流れをみると、少し悔しい気持ちもある。

 今聴くと、その後の「癒し系」歌手の皆さんとはずいぶん違うと思うが、アコースティックをベースに民族楽器を多様してワールドミュージック的なアプローチを展開していたことは確かだし、その辺がミュージック・マガジン誌で高評価を受けた所以かもしれない。
 ちょうど、元ちとせさんが話題になっている頃、ライブを初めて観た何人かのお客さんからのコメントに「元ちとせのようで、良かった。」と書かれていたのを思いだす。私としてはこちらの方が先にやっていたとの思いがあって、少し苦々しくも思ったものだ。

 このアルバムにかけるナリさんの熱意は今考えても本当に凄かった。ちょっと暴走気味とも言えたが、最終的には彼の情熱に全員が巻き込まれていった。このアルバム中、かつシーマのレパートリー全ての中でも代表曲と言えるM3"朽ちた果実"は、2回ぐらいすべてを録り直したのではなかったか? OKテイクはレコーディング最終日頃に「もう一度!」という彼の思いの結晶なのだった。

 全体には、前述のようにワールドミュージック的ではあるのだが、完全にそういうアレンジになっているのはM5とM9ぐらいで、実はもっと多彩な音楽性を持っている曲ばかりで、簡単に一括りにしたくない。逆にそういう民族音楽的色彩は全体の統一性を出すために使われただけで、それぞれの曲のベースにあるものはもっと骨太なものだった。
 "朽ちた果実"は大変いい出来だと思うが、それに負けずにM4のタイトル曲"流れるままに"も相当おもしろい。今聴くと両方とも70年代のニューソウル的なムードもあってかなりイケている。

 シーマのメロディ・メイクの能力はかなりの充実ぶりで、よくもこんな曲を立て続けに書いたものだと思う。相変わらず詞は意味不明だらけだが、それがかえってイメージを広げている。だから、そういう点から言うと、聴き手にはかなり緊張を強いるかもしれない。リラックスした暇(いとま)を与えずに、濃厚な音世界がどんどん繰り出されているからだ。
 特に私はM7"ピアス"にその後のライブでも、すっかりハマり込んだ。こんな曲を演奏している自分がすごく誇らしかったし、ライブハウスで対バンする他の連中を常に叩きのめすことが出来ると思っていた。

 そんな私が完全にすべてをまかされたのがM10の"堕ちた天使"だが、今ならもっとウマイ演奏が出来たろうとも思いつつ、アレンジャーとして、ここでの仕上がりには満足だ。

 やはり今のところ、シーマの代表作はこのアルバムだろう。参加したミュージシャン全員がナリさんの「ロマン的」な大きなオーラに導かれながら、みんな一つの目標に向かっていた。また、ほとんどの曲をレコーディングとミックスした当時伊豆スタジオの立川、濱野(彼はバンドのベーシストでもある)両エンジニアは強力に良い仕事をしていると思う。
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by harukko45 | 2005-12-18 01:12 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる