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ニーベルングの指環

e0093608_23495050.jpg 今月観た映画の中で、一番面白かったのが「ニーベルングの指環」でした。主演が、「戦場のアリア」でドイツのテノール歌手役だったベンノ・フユルマン。戦地には似合わない芸術家と、不死身の英雄ジークフリートが同じ役者とは驚いた。だが、どちらの映画でもピタっと映像にフィットした演技をみせてくれており、今後も注目の男優さんだ。

 相手となるブリュンヒルデを演じたクリスタナ・ローケン(ターミネーター3)も良く、これほど美しく力強くカッコいい女性をテレビで観たのは久しぶりだ。
 それに、脇を固める役者陣もうまい人ばかりで、深みのある映像を作り出すことに貢献していたと思う。

 また、VFXのテクニックとセンスがよく、神話と騎士の世界を壊すことなく、迫力ある素晴らしい効果を出していて、この前に観た「スター・ウォーズ」旧3部作のリメイクがますますショボく感じられる。
 そして、何より大元の北欧神話が持つ壮大(だろう、読んでないのでわからないが)な世界を、現代人にも理解しやすくし、それでいてスピーディな展開とファンタジックで極めて人間的なストーリーにまとめあげた脚本が素晴らしいと思った。なんと、脚本は「24/Twenty-Four」のロバート・コクランである。さすがだ。

 こういった良いキャスト、スタッフを仕切った監督のウーリー・エデルを初めて知ったが、映像美にもかなりのこだわりを見せる実力派だと思う。全体にザックリした力強い表現の中、役者のアップをうまく使って、微妙な心理も的確にわかりやすく映し出していたのだった。

 さて、私のような音楽好きには「指環」という題名だとすぐに浮かぶのはワーグナーのオペラだ(今時の人は「ロード・オブ・ザ・リング」でしょうが)。上演に4夜かかる大作楽劇である。で、その下敷きとなっているドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の映画化なのだが、ワーグナーのを知っていて、こちらを読んでいない私は、そのストーリーや登場人物の設定に微妙な違いがあり、最初少々とまどった。(ワーグナーの方が改変しているのだけど/追記:「ニーベルンゲンの歌」を読んだところ、この映画もかなり改変脚色されていた。ただ、本で読むこの物語はもっと面白い!)

 にもかかわらず、役者・脚本・演出の巧みさのおかげで、すぐにストーリーの面白さにぐっと引き込まれてしまい、ジークフリートとブリュンヒルデにどんどん感情移入してしまうのだった。それは、だいたいの筋と結末を知っていればこそで、物語が進むほどに2人の悲劇がどんどん心に迫ってくるのだった。

 はっきり言って、ワーグナーの書いたものよりも面白い!この映画のエンディングでの切なさ、悲しさはワーグナーお得意の「女性の愛による救済」風のエンディングよりも心に響いた。もちろん、ワーグナーの音楽は凄いけどね。ただし、この作品を持ってワーグナーの楽劇のストーリーだと誤解しては困る。あえて言えば、ワーグナーの「指環」の後半、3夜「ジークフリート」と4夜「神々の黄昏」に近いが、その全てではない。
 また、「ニーベルンゲンの歌」ではその後の壮絶な復讐劇が語られているらしい。実はこの映画で語られているのは物語の前半のみなのだった。

 というわけで、私は早速図書館で「ニーベルンゲンの歌」を借りてまいりました。より深く、探求して行きたいと思います。
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by harukko45 | 2007-06-15 23:06 | 映画・TV

 最近になってずいぶん暇になったので、録り貯めておいた映画を観ていたのだが、たまたま残ったのが、実話に基づく物語だった。

e0093608_23430100.jpg そのうちの1本「シリアナ」は、アメリカでは2004年に公開されて、78回アカデミーでジョージ・クルーニーが助演男優賞に輝いた作品。
 で、その内容は、元CIA工作員が書いた「CIAは何をしていた?」をヒントに、石油利権を中心にしたアラブの王族とアメリカ企業、CIA、司法省、そしてイスラム原理主義のテロリスト達へとつながる、複雑で陰謀にまみれた闇の関係を描いたもの、ってところかな。

 「トラフィック」のスタッフが作ったので、これもドキュメンタリー的な作り(実話が元だし)で、なかなかリアルなのだが、テンポが早く、始めに油断しながら観ていると、何が何だか、誰が誰だったか訳が分からなくなってしまうだろう。ただ、そのうちそれぞれの関係性がじょじょにわかってきて、それが結末における「大きな失望感」とも言える空しさに集約されていくのだった。
 この映画はアメリカという国家がいかに世界に不幸の原因を撒いているのか、という具体的な一例を映していると思う。ある意味「9.11」への道にも通じる何かは、このような形でアメリカ自身が作っていたということかもしれない。

 だいたい、タイトルの「シリアナ」というのはアメリカが考えるアラブ再編構想において、シリア、イラク、イランが一つの民族国家になった時を想定した名前なのだ。私はその事をここで初めて知ったわけだが、それだけでも見たかいがあった。
 そして再び知ることになる真実、アメリカとは、「自分達の都合や利益のためなら、他の国も民族も思い通りにし、何でも出来ると思っている図々しさ、おぞましさ、そして、それを自由と民主主義の伝授として正当化してしまう単純さ」そのものなのだ、ということ。

 これを見終わって感じる事は、アメリカへの幻滅と怒りであり、この世の不条理さだろう。だが、このような映画を作って自らの国家や権力者達の陰謀を世界中に知らしめようとするのもアメリカ人なのだった。そこが、彼らの良き一面とも言えるのだろうが、ハリウッド特有のリベラル指向がこのような形で表れているとも思えて、やっぱり政治的な臭いを感じてしまうのだった。

 だから、この映画を絶賛などしないし、オスカーをあげるほどのものでもないと思った。まぁ、いつもアカデミー賞は驚かされることが多いし、特に最近は可笑しいから(ここ2回の作品賞が「クラッシュ」と「ディパーテッド」だなんてマジ?!)、何か裏があるんだろう。

e0093608_23441733.jpg さて、それに比べるともう一つの実話を元にした戦争映画「戦場のアリア」は、およそ本当にあったこととは思えないような奇跡的な話で、観ていて少し心が慰められた。
 それは第一次世界大戦下フランス北部の前線各地で起こった、スコットランド、フランス、ドイツ3軍による自然発生的なクリスマス休戦の話。

 スコットランド軍のバグパイプの伴奏で、ドイツ軍に所属していたオペラ歌手がクリスマス・キャロルを歌い、フランス軍のシャンパンで乾杯した。そして、多くのものが一つのミサに参加したと言う。当然、公式の戦史には残ってはいないが、ヨーロッパでずっと語り継がれてきたという、実に感動的な話である。

 特に音楽がきっかけで、敵同士が一瞬ではあるが、戦争を忘れて友となっていく流れには熱いものがこみ上げてくる。
 だが、これも最後には国家の力によって無情にも踏みにじられていくのだった。そして、何ともやりきれないのが、ともに同じ宗教の名の元に兵士達は「相手を皆殺しにせよ」と命じられることだった。

 と同時に、ここで描かれる奇跡の物語は、共に同じキリスト教を信じる者同士だから、成立したことだとも言える。もしも、異教徒同士の戦争であったなら、絶対に起きることがなかった物語であり、現代人にとってはファンタジー的に美化された世界に見えてしまうのだった。
 それを考えると、また「シリアナ」の世界にどうしても引き戻されてしまう自分がいた。ただただ世の中は不条理だ。
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by harukko45 | 2007-06-15 04:13 | 映画・TV

 スター・ウォーズ・シリーズのエピソード4から6は、そのストーリーの曖昧さ、強引さや人物描写の薄さを補ってあまりある、素晴らしく魅力的なキャラクターが多数登場したために、観るものの想像力や夢を膨らませることに成功し、空前の大ヒットを巻き起こした。
 まずは、これほどまでに多彩で豊富な登場人物を作り出しただけで、賞賛に値するし、ジョージ・ルーカスの才能の凄さを感じるのだった。

 それと、まるで古代神話的なストーリー展開で、どちらかというと心理劇的な深みのある人物描写よりも、骨太な英雄物語として貫いたことで、かえってより神秘性をこちらが抱くことになったとも言える。

e0093608_15154226.jpg 特にシリーズ処女作のエピソード4は、細かいことは一切抜きで、文句なく楽しい映画だった。私は、初めて見た時にその戦闘シーンにおいてTVゲーム的スリルを感じて、自分が一緒に戦いに加わっているように思えたほど堪能させられた。
 そして、私が大好きだった黒澤明作品へのオマージュ的映像やストーリー展開が随所に見受けられたり(特に"隠し砦の三悪人"あたりのサムライもの)、これまた50〜60年代の黒澤映画でもよく使われたスライドのようにシーン・チェンジする編集(何て言うのか忘れたよ)を見るだけでも、思わずニヤっとさせられた。

 また、冒頭の宇宙戦艦が画面に登場するシーンは、そのあまりの巨大さゆえに、まさに衝撃の映像で、キューブリックの"2001年"への敬意をも思わせる感動的なものだった。この冒頭のシーン一つだけでも、いかにスター・ウォーズが観るものを虜にする力を持っているかを示すものだった。

e0093608_15185023.jpg また2作目の"帝国の逆襲"は、あえて言うなら「007シリーズ」の"ロシアより愛をこめて"と同じような充実感をもった傑作だった。とにかく、ストーリー展開の面白さと、ルーカスの師匠であったアーヴィン・カーシュナー監督の見事な演出力が光り、各キャラが前作よりも格段に深みを持ったし、微妙な感情表現もきちっと映像化していた。

 また、ヨーダという強力なキャラの登場やハン・ソロとレイアの恋、そして何よりダース・ヴェイダーがルークの(そしてレイアの)父であることが知らされ、観るものにますますの興味を持たせたのだった。

e0093608_1521821.jpg だが、旧シリーズの最終作"ジェダイの帰還"は、かなりパワーダウンしてしまう。ハン・ソロは前作でカーボン凍結されたせいか、ずいぶんとお行儀がいいし、ルークは急にマスター気取りでエラそう(それに暗い)、レイアは序盤のシーンで露出度の高い衣装を着ることへの心痛からか、ずいぶんと痩せてしまい、おまけに元気がない。ヨーダも900歳で死んでしまうしね。

 相変わらず元気に盛り上げてくれるのは2人のドロイド、彼らは一応機械だから疲れをしらないわけね。

 何より不満なのは、ヴェイダーとルークによる「父と子」としての、それぞれの心の葛藤が今イチ深く描かれなかったことだった。確かにSFファンタジーとして、気楽に楽しめばよいのだが、あまりにも魅力的で観るものが思わず感情移入してしまうようなところまで、それぞれのキャラが成長してしまったがため、どうしても「もっとこうだろう」とか「俺はこう感じる」的な思いが高まってしまうのだ。だから、それを越えるような脚本と演出、演技を期待してしまうのは仕方ないのだった。

 なので、最後の戦いで反乱軍が勝利するものの、それと皇帝、ヴェイダー、ルークによるどちらかというと「高貴」な戦いが無関係のようにも思えてしまう。つまり、ルークがたとえ暗黒面に堕ちたとしても、結局ハン・ソロがシールドを破壊して、デス・スターは壊滅するんだから、同じじゃん、って言いたくなるのだった。
 そのあたりに、こだわりを持ってしまうのは、新3部作を観たからで、前はそれほどでもなかった。だが、今はダース・ヴェイダー誕生の時、アナキンが抱いた悲しみや苦しみ、暗黒面に堕ちて行く弱さを私は感じてしまったのだから、その結末としてはひどく物足りなく思えるのだった。(SWフリークの精神科医による「ダース・ヴェイダーは境界性人格障害」という研究論文も出たし、ある意味、エピソード1から3におけるアナキン・スカイウォーカーは神経障害に苦しんでいたわけだが、暗黒面に入ることで、4から6における安定感を得たと言える。)

 それと、この旧3部作の抱える最大の欠点は、新シリーズのハイテク映像を見せられたことで、その後旧作を観るとかなり古さを感じてしまうということだった。だが、例えばキューブリックの"2001年"がスター・ウォーズよりも前の作品にもかかわらず、今観ても全く古さを感じさせず、今なお観るものの感性を刺激し続けることを考えると、このスター・ウォーズ・シリーズは映画として本当に傑作なのか?という疑問も浮かんでくるのだった。
 これに関しては、ルーカスも覚悟の上だろう、そのような流れと時間差で作り上げてしまったのだから。また、旧作に対してCGなどで変更や追加シーンを入れて自分の思いを満足させたようだが、正直、観るものには違和感のあるカットに見えるし、彼の姿勢はあまり潔いとは言えないと思う。「これまで撮ったシーンの全てをやり直したい」と生前語っていた超完全主義者のスタンリー・キューブリックでさえ、結局は一切過去の作品に手を加えていないのだ。

 ルーカスの才能の高さに私は敬意を払うし、何だかんだ言ったってこのスター・ウォーズ・シリーズは大好きだが、97年に施したリメイクは決して良いとは思えないし、昔からの支持者の思いを安易に無視した、制作者の傲慢とも言える行き過ぎた変更ではなかったか、とも思う。
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by harukko45 | 2007-06-11 00:00 | 映画・TV

 って呼べば良いのでしょうか、いわゆるスター・ウォーズ6作。私は超熱狂的なSWフリークではないが、それでも、77年に公開された第一作(エピソード4/のちに"新たなる希望")には興奮した1人だし、今でもテレビで放送されればついつい見てしまうわけで。

 ということで、先日WOWOWが全6作品を一挙に放送して、それを録画した私はエピソード順(つまり公開順でなく物語の時系列順)に、数日かけて見倒したのだった。
 見終わって、それなりの充足感を得たし、非常に楽しめたのだが、あらためて見ることで公開当時の印象とはいくつか自分の感想も変わって来たな、とも思った。

 一番強く思ったのは、新3部作に含まれるエピソード1,2の評価を上げようかってこと。前は旧3部作に比べて、あまりにもCGに頼った映像にゲンナリしたし、ストーリーもその後の展開を知っているわけだから、だいたい見当つくわけで、その気分を上回るような刺激がなかった。
 だが昨年、全く期待しないままシリーズ最終作の"シスの復讐"をDVDで見たところ、アナキンの悲劇を中心としたそのストーリー展開が面白く、再びこのシリーズへの興味が湧いて来た。なので、そのせいもあるのと、CGに対する「免疫」みたいなものが出来たのか、数年前に感じた「どうでもいいや」的印象が薄れ、逆に「ふむふむ、なるほど」的好感度が増した。

e0093608_15264741.jpg それでも、"ファントム・メナス"はやはり「まぁまぁ」程度、全体に神話的な重厚さに欠けるし、役者達にあまり熱意が感じられない、というか、ジョージ・ルーカスの監督としての力量不足が明らか。そして一番の問題は、まるでキリストの誕生に似せたように語られるアナキン・スカイウォーカー出生の話。これが、ただ母の台詞のみでほんの少しだけ示されて、全く神秘性がないのだ。せめて、映画の冒頭か前半部分のどこかで、この悲劇の主人公生誕とそれにまつわる謎についてのシーンを描くべきだったのでは。

 とにかく、スター・ウォーズにおける最も重要な人物はアナキン(のちのダース・ヴェイダー)なのだから、その人生の後半を知っている観客に対して、彼の持って生まれた悲劇性と神秘性を表すのにいくら時間をかけても良かったのだ。
 まぁ、何とも意味不明で曖昧な言葉やセリフ回しで物語を進めるのがスター・ウォーズ的なのだろうが、特に序章とも言えるこの作品では、長ったらしいCGの戦闘シーンよりも、アナキンの生い立ちをきっちりと描いて欲しかった(でも、ポッド・レースのシーンはベン・ハーのそれを意識していて、結構好き)。そうすれば、アナキンという人物造形に深みや奥行きを感じられ、その後の展開への共感もより深まったことだろう。

e0093608_1527093.jpg だが、"クローンの攻撃"は内容としてはかなり健闘してくれた。特にアナキンの理性で抑えようのない感情(パドメへのよく言えば純粋、翻って実に子供っぽい恋愛の情と、死んだ母の復讐へ向かわせる激烈な憎しみと怒り)が、ルーカスにしてはかなり細やかに描かれていたと思う。なので、前作での不満を少し解消してくれた。

 だが、演じた若い2人の役者(ヘイデン・クリステンセンとナタリー・ポートマン)は、恋愛シーンに深く感情移入できるほどの演技になっておらず、公開年度のラジー賞で最悪スクリーンカップルに選ばれてしまうのだから、これまたさんざんな事だった。私は今回見たら、そんなに酷くはないかな、って思えたけどね。

 なので、この映画ではユアン・マクレガーのオビ=ワンでの好演と、圧倒的な存在感でさすがだったクリストファー・リーによるドゥークー伯爵と、誰もが驚き感動したCGによるヨーダとの対決シーンに尽きる。

e0093608_15271017.jpg と、批判的に見えるだろうが、私は次の最終作"シスの復讐"がかなり好きなのだ。まず、ヘイデン・クリステンセンはこの映画で主役であるにもかかわらず、前作に続いて最悪助演男優に選ばれてしまったが、私はかなり好感をもって見たし、アナキンの悲劇的な人生にすっかりのめり込んでしまった。

 彼の精神構造は全く持って単純明解であり、そんな男がふさわしくないほどに強いフォース(最初は理力って訳されてましたっけ!)を、他のジェダイの誰よりも持ってしまったことが悲劇の要因であり、かつての偉大な悲劇物語の台本に通じる「何でこんなチッポケで、個人的な感情問題が、これほどまで悲惨な結末を引き起こすのか!」と同じなのだ。ハムレットもオセロもクレオパトラも、ひょっとしたら、ヒトラーもスターリンも、中国の文化大革命もベトナム戦争もカンボジアのクメール・ルージュも、ルワンダも9.11もイラク戦争も....。
 ちょっと大袈裟に考え過ぎか?まぁ、いいや。

 とにかく、私はここでクリステンセンは頑張っていたと思うし、このイメージが残ってしまい、旧3部作でのダース・ヴェイダーに少し不満を感じ始めてもいるのだった。
 他にもユアン・マクレガーはずっと好演を続けて、オビ=ワンという人物の魅力を十二分に見せてくれたし、全体の品位を保つのに大いに貢献している。それと、この新3部作で共通するのがヨーダを始めとするジェダイ達が決して完全無欠な存在ではなく、かなり「間抜け」で判断ミスも多く、実際に戦闘でも簡単に負けるというのが、とてもリアリティがあった。この事で、逆に旧作でのジェダイの完全性と神秘性はごく一部の超マスターのみ(ヨーダ、オビ=ワン)が持ち得るのだということも理解できたわけだ。

 さて、ファンの間では続くエピソード4以降のストーリーへのこじつけだ、との批判も多いようだが、私としてはこの作品は高く評価したい。これにより、前の2作の内容が高められたとも言える。ルーカスもこの作品をうまく仕上げたことで、何とか面目を保ったとも言えるだろう。
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by harukko45 | 2007-06-10 19:40 | 映画・TV

 ルワンダ紛争と虐殺について、その中味・事実はほとんど理解していなかった。フツとツチ、どちらがどちらでどのような経緯で憎しみ合い戦い、そして100万人もの大虐殺に至ったのか。

 2004年のアカデミーでノミネートされていた映画「ホテル・ルワンダ」は日本ではあまり話題にされず2006年に公開、興味の薄かった私など、つい最近WOWOWで放送されたのを録画し、それを先ほど観たのである。そして、続けて放送された「ルワンダ流血の4月」も観ることによって、ようやくルワンダ紛争と大虐殺について大まかではあるが知る事ができたのだった。

 正直、これらの映像作品に対して感想などは浮かばない。ただただ、そのあまりにも恐ろしい悲劇の一部を垣間見て、真実として受け入れるだけだ。そして何より、今までここに描かれている事実を知らなかったことを大いに恥じている。無知であるということはとんでもない罪なのだということをまた思い知る。
 だから、まだルワンダについてよく知らない人は是非一度は見ておくべきだろう。ただし、「ホテル・ルワンダ」は映画として若干弱い。役者達はよく奮闘していると思うが、そこで起きていた事実の方があまりにも重いので、全てをカバーできなかった。なので、別の角度から見たTV作品である「ルワンダ流血の4月」などの他の作品で補って、より理解を深めなくてはいけないと思う。

 「流血の4月」は、「ホテル..」に比べるとドラマ性は乏しいものの、よりリアルに描かれていて歴史や背景、その時の世界の状況もよく理解できる。ただし、その分悲惨さも増す。正直「つらい」内容であり、言葉もなくなる。だが、見るべきものであると強く感じる。

 カンボジアにおけるポル・ポトによる大虐殺も、「キリング・フィールド」だけでなく補完する映像や情報が必要なように、ルワンダについてもこの両作品を見る事で、無知であった自分から少しは脱却できるだろう。

 ヨーロッパによる植民地支配がまずは発端であり、二つの民族を敵対させることはイギリスが考えだした植民地経営の常套手段で(ルワンダではドイツ、ベルギーそしてフランス)、それがフツとツチ。その長年煽られ続けた憎しみの戦いが最悪の事態を引き起こした時、見てみぬふりをして介入しなかった(ソマリア介入失敗で躊躇した)当時の国連とアメリカにも大きな責任がある。そして、それが起きていた94年に私は何も知らなかった。もちろん日本は、そのような部分には積極的に関わらないことが「平和」だと考えていたわけだし。

 もはや個人としてのみならず、国としても世界の事象に無関心でいることは許されない。自分達だけが謳歌している「平和」など、いくら遠いアフリカでの出来事であっても、このようなたくさんの人々の犠牲の上にあることを自覚したいと思う。

 国連平和維持軍の大佐が主人公ポールに、外国人のみ国外に救助し撤退することを告げる時のセリフがあまりにも酷いが、逆にそれが全てを語っていた。
 「君たちに助けは来ない、それはブラックだから、それもニガーにもなれない、アフリカンだから。」

 「ホテル・ルワンダ」をただの「感動ヒューマニズム映画」ととらえることはできない。
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by harukko45 | 2007-05-14 05:21 | 映画・TV

サイドウェイ

 いい映画でした。これは面白かった。なるほど、監督は「アバウト・シュミット」のアレクサンダー・ペインでした。この人は才能豊かですね。本当に傑作です。数々の賞を獲得したのもうなずけます。

 まず、映像が美しい。こだわりのある自然で柔らかい絵がハリウッド映画であることを忘れさせます。「アバウト・シュミット」もそうでしたが、抵抗感なくスーっと観ているものを導いてくれるのです。そうしているうちに、サンタバーバラの綺麗な景色の中を二人のダメ男の小さな旅が始まるのでした。そして、魅惑的なワイン・ツアー。そのウンチクも極めて面白いし、実在するワイナリー、レストランでの撮影がとても素敵なのです。実際、どれも旨そうだし、よく飲むし。うらやましい!

 しかし、本題はワインではない。このあまりにも豊かな小道具を使いながらも、何よりリアルに語られるのは、ごくありふれたダメ中年男達の心情です。それを、コミカルに見せながら、いや、実際には本人達はシリアスでも、他人からみれば滑稽な姿である、それが中年という時期。コメディ的なのは、リアリティがあるからなのです。その視点と表現の仕方が鋭いし、共感するのです。おかしく、そして切ない。

 いつしか、対称的な二人の男(繊細でオタク的なワイン通で小説家志望の英語教師と、こだわりがなく女好きだがついに結婚を決めた落ち目の俳優)の内面は自分の内面とピタっとリンクしていくのだった。だから、どのシーンにおいても納得するし、彼らが抱える悩みとやり切れない思い、それは、夢をまだ追い続けているが、もはや決断もしなければならない(あきらめなきゃならない)という現実とともに、とても切実に胸に迫ってくるのだ。

 だが、そういう内容でも極めて優しい表情の映画だ。そこにペイン監督の素晴らしさを感じる。

 監督、原作/脚色、カメラ、ロケーション、すべて良いが、俳優達も素晴らしかった。中心となる男女4人の俳優はすべてこれまでほとんど無名だった人が起用されたが、実に自然な演技で普段の生活そのもののようだった。まさに、今そこに実在する人々だ。

 音楽もいい。何と「60年代のイタリアン・ジャズ風に」という監督のこだわりにしびれるし、最高にシャレている。モノラル録音にしたかったという要求は台詞とのミックス上かなわなかったらしいが、ステレオ録音後に加工して監督の希望に近いサウンドを実現したという。なるほど、確かにいい感じなんだな、これが。

 で、ラストは少し希望があるけど、はっきりはさせない。ありきたりの万事OKにしないところが、いい。何で、これがアカデミー作品賞取れなかったんでしょう? あー、「ミリオン・ダラー・ベイビー」だったのか、うーん、惜しいね。
 すいぶん遅れて観たけど、とっても満足しました。アレクサンダー・ペイン監督の作品はこれからも要チェックです。
 それと、サンタバーバラを訪れる機会があったら、是非レストラン「ヒッチング・ポスト」に行ってみたい!
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by harukko45 | 2007-03-05 02:10 | 映画・TV

 「マサイ」に続いて、スティーブン・スピルバーグ監督2005年の「宇宙戦争」を観た。ずいぶん極端だが、ハードディスクの録画順だからしかたない(?)

 さて、スピルバーグ、この監督に関しては不思議な感慨を持つ。なぜなら、私は大嫌いだし、彼が高い評価を受ける事にさえ不満を感じている。にもかかわらず、結局彼の作品を観るのは、「やっぱり、俺はこいつが嫌いだ」というのを確認したいがためなのか。
 昔のアンチ巨人ファンが一番熱心に巨人を観ていたことと同じか?(今の私はアンチ巨人ではない。もうすでに巨人に興味を持っていない。)

 スピルバーグが素晴らしいと思ったのは、デビュー作の「激突」と初の大ヒットとなった「ジョーズ」だ。この2作は今でも傑作パニック映画として、高く評価したい。が、その後の一連のヒット作については、二度と観る事はないだろうし、どうでもよい。彼がどんなに卓越した理論と技術を駆使して豪華な(意外に制作費かかってないんだよね、だからこの場合は効率性の高い)娯楽作を作っても、私は東宝のゴジラ映画の方を絶対に選ぶのだ。

 娯楽作なら、まだいい。なぜなら、この「宇宙戦争」もそうだが、パニック・シーンの映像の作り方見せ方は、世界最高であることは事実だからだ。だが、彼はそれだけだ。人間が出てきて自己を主張しはじめると、映像に勢いが突然なくなる。なので、私は早回ししてしまう。これを映画館で観たらイライラしていただろう。だが、その最高のパニック映像も延々何十分も見せられ続けたら、いい加減こちらも免疫が出来てビックリしなくなるのだ。そこいくと、日本の怪獣映画にはバランス感覚があった。日本の特撮はショボイ?冗談じゃない、CGだろうとキグルミだろうと、偽物に違いない。後は見ている方の想像力(創造力)の問題だ。そういう刺激を沸き起こすかどうか、スピルバーグの映画には圧倒されても、何もこちらの想像力は沸き上がってこない。ただただ凄まじい映像を押し付けられてしまうので、見ている方は思考停止に陥る(精度の高い特撮はリアルではあるが具体的すぎて、私が考えて膨らませる必要がない)。

 話がそれた。そう、娯楽作ならまだいい。時々、彼が急にマジに「オスカー」を取りに感動大作を作るのが、最悪に不愉快なのだ。

 「カラーパープル」、これは彼の文芸大作の中ではかなりいい。でも、何か人物達が薄い感じがしてしまい、心に迫ってこない。で、だんだんお涙頂戴的なストーリー展開になってしまう。子供時代の描写は好きだ。だが、ウーピー・ゴールドバーグが登場してきてから、だんだんつまらなくなってしまう。それは、彼にはちゃんとした役者を仕切れるオーラがないからではないかと思う。彼の映画のキーになるのが、子供が多いのもそのためだ。

 「シンドラーのリスト」、実話なので内容は重いし深い。でも、彼は結局メロドラマにしか仕上げられなかった。歴史的事実としてナチス・ドイツのやったことは許されないものの、単なるステレオ・タイプで膨張的に善悪を描くやり方は、こういう内容でも娯楽を意識してしまう彼の体質だ。私としては、78年にアメリカでオンエアされたTVドラマ・シリーズ『ホロコースト−戦争と家族−』に感動していたし、結局今に至るまで、「ナチによるユダヤ人虐殺」をテーマにした作品は映画もTVもこれを越えていないと思う。

 「プライベート・ライアン」、この映画はつまるところノルマンディ上陸の戦闘シーンの凄まじさのみだ。つまり、彼にとっては戦争も恐竜やUFOと同じような扱いになっていくのだ。そして、先にも書いたが、超迫力のシーンを延々とこれでもかと見せて行く手法により、いつしか脳が麻痺していき、だんだんどうでもよくなるのだった。例えば、キューブリックの「フルメタル・ジャケット」には物量かけて戦いを見せるシーンはほとんどない。だが、異常な緊張感が映像にみなぎっていて、ただ兵士が廃墟と化した街を走っているシーンでも、観ていてドキドキしてしまう。まさに戦場にいるかのようにだ。
 「プライベート・ライアン」は、冒頭の戦闘シーンの後はありきたりなヒューマン・ドラマとなって、「あー、やっぱり彼には無理だ」と強く感じた。エンディングでは再び凄い映像で戦場を再現するが、なぜか空虚感が漂う。それが、狙いとも言えるが、彼の場合、ドイツ軍の戦車が恐竜に見えてくる。そして、人と人の戦いがだんだん消えていく。
 何と、この後、彼がトム・ハンクスと製作したTVシリーズ「バンド・オブ・ブラザーズ」の方が断然に素晴らしい出来。ここまで真実をきちんと語ることで、ドンパチの派手さなどなくても、圧倒的に感動する。

 「A.I.」、キューブリックが生きているうちに彼がこれを撮っていたら、もっとすごいことになっていたか?今さらわからないが、とにかくキューブリックは「アイズ・ワイド・シャット」なんかに時間を費やさずに自分で「A.I.」を作るべきだった。ひょっとしたら、「2001年」の続編はこの「A.I.」になっていたかもしれない。だが、実際にはそうはいかず、最悪の結果となった。
 製作を持ちかけたキューブリックも悪いが、引き受けたスピルバーグも節操がなさすぎだろう。これは、キューブリックでも、スピルバーグでもない、それこそどうでもいい仕上がりだ。それにしても、何でスピルバーグは結論を急ぐのか?彼は観るものに優しいとも言える。こちらが観たいと思うものを作れる。そして、すべてにオチをつけてくれる。だが、観た後に何も残さない。それが特技でもあり、最大の欠点なのだ。
 金を払った2時間、楽しければ十分。それも正しい。ならば、それに徹してくれ。私はジョージ・ルーカスは大好きだし、ぜんぜんスピルバーグよりも偉大だと思っている。私には、この映画のラストよりも、ダース・ベイダーの恋と人生の悲劇に涙してしまう。

 そうだ、「宇宙戦争」ね。宇宙人の攻撃、相当凄いです。トム・クルーズは毒にも薬にもならないので、こちらの注意をひかず、ここでは成功しています。かえって、子供二人の方が主張が強くて、逆にこの映画ではウザイです。宇宙人が破壊しつくすシーンを観るのに集中したいのでね。
 それと、地下室で隠れているのを、エイリアンが蛇のようなマシーンで捜索するシーンは大笑いです。何で、こんなに凄い科学技術持ってんのに、カメラで探してんの? 「24」だって衛星から熱反応とかで、敵を見つけてんのにさぁ。
 ラストで、家族全員生きてるってのも、さすがスピルバーグです。冗談でしょ?何でこの家だけ無事なのよ!
 それにしても、エイリアンの姿がダサイ。こういうところが徹せられない弱さじゃないか。

 
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by harukko45 | 2007-03-03 16:12 | 映画・TV

マサイ

 どうも、最近映画ばっかり観てるみたい。ってほどじゃないけど、こういうものって、一度見始めると次から次へって見てしまう。しばらくすると、静まるでしょう。

 さて、珍しい映画「マサイ」。てっきりアフリカ・ドキュメンタリーもの、それも最近流行の「癒し系」「ディスカヴァリー・チャンネル系」かと思いきや、何と、ちゃんとストーリーになっていた。それを、本物のマサイ族の人々が演じるのだから、驚き。この事自体は画期的な事だと思った。が、ストーリーはごくごく単純なもので、それを素人さんにやらせるから、起伏もなくたんたんと進むのみ。よって、物語の展開や感動を期待しても意味がない。「ふーん」で終わる。

 だが、絵としてはとても綺麗だった。何が綺麗かというと、マサイの戦士達が美しい!体脂肪0%のような無駄のない引き締まって体と、彼らがまとう民族衣装やアクセサリー。また、独自の染料によるボディ・ペインティングと、褐色でキラキラ光る肌との対称がとっても魅力的だった。そして、広々としたサバンナを進む姿はホレボレする。物語的には苦難の行軍なのだが、映像としてはそれを写していれば良いって感じ。

 ただ、最後の最後でCG使っちゃうのがガックリ。ここで、今までの苦労も水の泡って気分になる。それほど、オーガニックとデジタルの併用は難しい? ストーリーを変えてでも、自然にこだわって欲しかった。
 とは言え、前日に「リバティーン」で汚いロンドンを見たから、余計にアフリカの美しさが際立った。
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by harukko45 | 2007-03-03 16:10 | 映画・TV

リバティーン

 昨年公開(製作は2004年)のジョニー・デップ主演「リバティーン」を観た。話は17世紀イギリス、ピューリタン後の王政復古時代の詩人ジョン・ウィルモット・ロチェスター伯爵の放蕩人生がモデル。

 で、結構刺激的な部分もあり、映画を観ている時間は楽しかった。が、後にはあまり印象には残らない感じになっている。うーん、やはりこの主人公ジョン・ウィルモットにあまり共感できなかったってことなのかな。ジョニー・デップはさすがに「らしい」演技で、良かったと思うし、たぶん彼がいなかったら成立しない映画だったろう。それぐらい、最初から最後までジョニー・デップのための映像だった。
 他には、この時代のロンドンは泥だらけで汚くって絶対に住みたくない場所ってことと、にもかかわらず、魅力的な芝居小屋・舞台の様子、そして、当時の再現にこだわった、全体に暗く、豪華でない、たぶんロウソクの火だけで撮った映像の工夫が面白かった。とにかく、ジョニー・デップの主人公をはじめとする貴族達も、みんな薄汚れていて不潔な雰囲気がするのが結構リアリティがあったよ。

 実際のロチェスターは相当な放蕩ぶりで33歳の若さで梅毒と酒で死んでいるらしいが、映画では史実にそった流れ通りにいくけど、そこに描かれたものは、それほど凄まじい放蕩ぶりでもない。それより、反権力的なヒーロー風であり、どちらかと言えば、誰からも愛された男、っていうのが結論か、とも思う。

 私の好みからすると、女優のエリザベスに肩入れして演技指導していき、結果二人が結ばれていくあたりが一番面白く、それはチャールズ2世への風刺的な猥雑ポルノ劇の上演中止のシーンでピークとなるが、その後の死に向かう没落ぶりは逆によくある話風で、こちらもじょじょに終息ムードに。

 正直、ロチェスター伯爵の人生より、演じるジョニー・デップの方に思い入りを込めて観て行った感じ。やはり彼は綺麗だしカッコイイし、とことん演じるから最後はショッキングなほど汚い。というわけで、最近ファミリー向け映画で当たっている彼がガス抜きするかのように、楽しんで演じまくっていた映画でありました。
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by harukko45 | 2007-03-02 18:42 | 映画・TV

 ジョン・マッデン監督の「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」をDVDで観た。マッデンの作品を観たのは4作目で、私の中ではかなり信頼している監督の一人かもしれない。何しろ、「クイーン・ヴィクトリア/至上の恋」「恋におちたシェイクスピア」という傑作を生み出した人だ。その後の「コレリ大尉のマンドリン」で、少々期待を裏切ったが、2005年公開のこの映画はなかなかの佳作だと思うし、やはりマッデン監督の仕事は手堅いと感じた。

 ただ、前記の2作の時のような手放しの感動はない。が、さすがマッデンとも言える美しい映像美と丁寧な演出が貫かれているし、役者達の演技も皆素晴らしく、観ていて久々に映画らしい映画につきあっているな、と思ったのだった。
 正直、最近の話題の映画より、TVシリーズの方がずっと大掛かりで内容が良く、感動することが多い中、登場人物も少なく、設定も父と娘の住む家に凝縮し、逆に映画の「らしさ」を感じさせたことで、監督の腕の良さを証明したと言えるのだ。(この映画の原題も「証明」ね。)

 それと、主役のグウィネス・パルトロウの能力を一番良く引出せるのはマッデンなんだな、ということ。「恋におちたシェイクスピア」でのスンバラシーイ美しさで見事にオスカーを取った彼女は、それ以来これといった活躍がなかったように思うが、再びマッデン監督と組むことで、その魅力と才能をしっかりと示してくれたし、それを導きだす監督との相性の良さを感じてしまう。だから、もし今後も何作かコンビが続けば、原節子と小津安二郎の関係のようになるかも。

 それと、アンソニー・ホプキンスの重厚な存在感はさすがとしか言いようがない。前記の傑作2本ではジュディ・デンチがそういう位置にあったが、今回のホプキンスも出てくるだけで映像が決まるって感じで非の打ち所がなかった。

 恋人ハル役のジェイク・ギレンホールは、顔も演技も濃いが、それでいて嫌みがなく、なかなか味があって好感を持ったし、かなりイカれた登場人物の中で、一番の難役だったかもしれない唯一の凡人である姉役をすんなり演じきったホープ・デイヴィス(そういえば「アバウト・シュミット」でも好演していた)もとても良かった。

 ただし、ストーリー全体はどちらかというと舞台劇として観るもの(マッデンとパルトロウはまずは舞台でこの戯曲を成功させてから、今回の映画化)で、映画の物語としては弱い。つまり今時の人々には、こういうジンワリした物語につきあいきれず、「何を言いたいのかわからん」ってことになるだろう。
 例えば、せっかく大きな題材としてある「数学」を、もう少し深くえぐって欲しかった気もする。それが、結末において物足りなさを感じさせるところだ。ただ、ここに安易に入っていくと、人間の心理劇の方が薄まってしまうだろうし、難しいところ。ある意味、セリフのところどころに数学的なヒネリを効かせることで、深入りせず「真理はミステリー」にとどめたのがうまかったとも言える。

 でも、マッデン作品を初めて観る人は、まず前記の2作を観るべき。「恋におちたシェイクスピア」は本物の「ロミオとジュリエット」よりもシェイクスピアの素晴らしさを感じられるロマンティックで楽しい傑作。「オセロ」が映画よりもヴェルディのオペラ「オテロ」の方が面白いことに近い。
 「至上の恋」は深く繊細で切ない大人の純愛物語、それは絶品の美しい内容だ。ジュディ・デンチの演技が凄いし、従僕ジョン・ブラウンの生き様に心から感動する。
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by harukko45 | 2007-03-01 16:16 | 映画・TV

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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