聖火リレー

 4月はウィーンから帰国後、ずっと仕事に追われるような感じで、何とも落ち着かない日々が続いた。特に、ここ1,2週間は正直バタバタだった。
 なので、今月は大好きなスポーツ観戦もなかなかままならず、せっかく開幕したMLBも、シーズン終盤のヨーロッパ・サッカーもあまりチェックすることができなかった。

 が、とりあえずそのようなことよりも、結局、今月最も話題をさらったスポーツ・イベントは何と言っても「北京オリンピック聖火リレー」だった!

 ロンドン(6日)、パリ(7日)に始まった聖火リレーにおける混乱は、何よりも中国政府の対応の酷さ(ダライ・ラマへの強い批難、外国メディアの規制、特殊部隊によるあからさまなリレーの警備と主導、そして各国在留中国人の動員による大キャンペーン)、その奥にある中国共産党の高慢さが見えて、やはり、このような独裁政権による国家が「1つの世界、1つの夢」というテーマを掲げて、「自由、平等、博愛、そして平和」の象徴のようなオリンピックを開催していく矛盾を、完全に世界にさらけ出してしまったのだった。

 だいたい、世界中を回る聖火リレーは前回のアテネが近代オリンピック開催100周年の記念大会だったから意味があったものの、今回はそれが全く別の意味合い、それどころか、「何のため、誰のため」のリレーなのか、と強く違和感と疑念を抱く結果となってしまった。
 私にはチベットを支援する人々の抗議行動よりも、明らかに当局から動員されたような留学生を始めとする中国人達が、五星紅旗を振りながら「中国、ガンバレ」とシュプレヒコールする姿の方に、異様さを強く感じたし、はっきり言って不愉快であった。
 それは、長野の後行われた韓国においての、日本以上の大混乱の中、たぶん脱北者支援者だと思うが、その人が中国人に向かって、「国に帰りなさい、ここは韓国よ!」と叫んだことに通じることだ。

 中国側の「聖火を守れ」的なキャンペーンは、明らかに世界中に同様の不快感をまき散らしたし、まして各国に留学し仕事をし、西側メディアの報道にも十分に触れているであろう中国人が、突然としてナショナリズムを声高に主張(それも他国で)するのが、実に理解に苦しむのだ。彼らはかつてあった自分達の同胞の悲劇、天安門事件の情報を知らないはずはあるまい。
 それに、そもそもこの「聖火リレー」とはナチス・ドイツが始めたことであり、それがヒットラーによるナショナリズム昂揚のためのイベントであったことを理解するべきだ。だからこそ、フランスにおいて特に強く反発を持たれるわけだし、まして今の中国の「一党独裁による市場経済」という政治体制は、まさにナチスの「国家社会主義」と同じではないか、と疑問に思うべきだ。

 韓国での大混乱のあと、独裁国家・北朝鮮では整然と問題なくリレーが終わったとは、何とも皮肉な結果ではないか。

 とにかく、今の中国政府には問題が多すぎる。今回のチベットだけでなく、同じ少数民族であるウイグル族との問題の方が実は深刻であると言う人もいる。また、スーダンのダルフール紛争への対応をめぐり、かねてよりヨーロッパ諸国から批難とオリンピック・ボイコットへの示唆が出ているし、アメリカでも有名文化人達の中国批判は続いていた。
 日本においても、北朝鮮を援護し続ける態度、毒ギョーザを始めとする食品安全の問題、また東シナ海におけるガス田問題、そしてアメリカ軍との太平洋分割統治提案など、1つでも間違えば紛争に発展しかねないものばかりだ。

 私は中国人個々に対して、批難をする気持ちは毛頭ない。逆に、長い歴史の中で、深い文化・教養・知恵を生み出した彼らには大いに敬意を持っているし、その影響と恩恵は計り知れないと思っている。
 しかしながら、政府、国家権力に対してはあくまでそれをチェックし、批判していくことを忘れたくない。それは、日本政府に対しても同様だ。そうでなければ、自分達の自由や人権はいつの間にかなくなってしまうかもしれない。
 国、民族、故郷を愛すれば故、国家権力への監視を国民は怠ってはならないと思う。

 であるから、中国本土における「反フランス」的なカルフール不買運動など、全く見当違いで時代錯誤の行動であると言いたい。そのようなナショナリズムの表明は、逆に世界からの反発を招くだけに他ならない。そういった意味で、中国人民には真の民主化を目指し、ちゃんとめざめて欲しい。

 とは言え、それが早急に起こるとも思えず、私は2004年のサッカー・アジア・カップ中国大会における「反日」キャンペーンを思い起こしてしまうし、それが本番の北京オリンピックにおいて「反フランス」「反ヨーロッパ」に拡大しかねないと危惧する。最悪の場合、まともな競技大会になるのか、どうか。
 例えば、マラソンなんかで起きたらどうする?

 また、整然と無事に競技が行われても、それは裏での強力な警備と弾圧・締め付けがあってのことだろう、と予想できるわけだ。

 何とも、実に政治色の強い、平和の祭典になりそうだ。そして、これ以後、常に政治紛争を絡めたオリンピックという図式が定着してしまう気がする。もはや、政治とスポーツの分離は不可能であることを、しっかり自覚しなければならない。そして、国家による国際スポーツの終焉の始まりかもしれない。

 参考までに朝日新聞HPに掲載された記事をリンクしておきたい。「聖火リレー燃え広がる愛国心、冷める世界」
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by harukko45 | 2008-04-29 18:31 | 日々のあれこれ

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