フィガロの結婚/2006年ザルツブルク音楽祭

 10月末にNHKが放送したアーノンクール指揮ウィーン・フィルによる「フィガロ」を最近見終わった、ようやく。時間があまりなかったせいもあるが、それでも何回かに分けて鑑賞せざるを得なかったのは、簡単に言えば、面白くなかったからだ。
 つまらないなら見なければいいのだが、そこは一応2006年のザルツブルグ音楽祭において、「モーツァルト生誕250年における最大の成果」とまで言われた「フィガロ」だから、どこがどう良いのか、確認したくなるわけで。まぁ、時間の無駄だったけど。

 アーノンクールという指揮者は全然好きになれない。今回のウィーン・フィルより、96年のチューリッヒ歌劇場での演奏の方がまだ良かったと思う。そのチューリッヒ盤でも気になった、妙なところでフェルマータやポーズをするのが、ウィーンとではやたらと多くなったように思え、いちいち音楽が止まってしまう不快感を憶えた。歌手ものりづらかったのではないか。
 また、各曲のテンポも遅くもなく早くもなくの、何とも居心地の悪いあたりでキープされていたのが多くて、ちっともリラックスして聞いていられないのだ。
 だいたい、この人はこのオペラの何処を盛り上げて行けばいいのか、全然わかってないのではないか。メリハリのない表現で、ただただウィーンの美音が空しく響き渡っていた。
 
 そして、演出が最悪。こんなに重たるくて暗いフィガロなんか見たくない。そもそも、明るくドタバタやって、楽しく振る舞っているからこそ、その裏にある「モーツァルトの毒」「モーツァルトの涙」を発見した時の感動が深まるっていうのに、最初から「実はこのオペラの内容は、怖いんですよ」なんて提示するような描き方は、モーツァルト鑑賞には合わないし、そんな「演出家の野望」を押し付けられるのは、ご免被りたい。
 衣装や舞台、時代設定など、何でもかんでも、現代化するのもいただけない。それでいて、見ていてただウザったいだけの「天使」なんかを新たに登場させて、さも意味深な心理劇にしようというのが、腹立たしい。

 モーツァルトのオペラは、音楽が全てを表現しているのだ。だから、過度で余計な演出はかえってうるさくなるだけだし、必要ない。もし、何かをやりたいのならピーター・ブルックが「ドン・ジョバンニ」で魅せたような「抽象化」していく方法が正解だと思う。そうすることで、より音楽の雄弁さが際立っていくからだ。

 スザンナ役のアンナ・ネトレプコも最悪。「椿姫」も良くなかったが、スザンナに関しては、絶対に二度とやって欲しくない。
 「フィガロ」を見る喜びの一つに、「愛おしいスザンナ」に出会えるというのが大きいことなのに、彼女が歌った瞬間から、その希望は無惨にも消え去った。こんなに不愉快で不機嫌なスザンナなど見た事がない。
 彼女は一応、才色兼備で今や人気絶頂のソプラノ、ということになっているが、どこが素晴らしいのか、ちっとも理解できない。たぶん喜んでいるのは、鼻の下の長いオヤジ達だけだろう。

e0093608_19453328.jpg その他の歌手達はそれなりにレベルの高い人達だったとは思うが、取り立てて惹き付けられることもなかった。何とも優等生的な演技と歌唱に終始していた、とも言えるか。ただ、このような酷い演出と、指揮の元では致し方なかったと同情できる。

 こんな「フィガロ」が、これからの「フィガロ」なら、私は昔のCDを聞いて楽しむことにするし、高い金を払ってオペラ座に行くことはない。それと、アーノンクールの指揮するものは、よっぽどのことがない限り、聞くことはないだろう。
 この時のライブを収録したCDとDVDが発売されているが、購入する価値は全くないと私は強く思う。
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by harukko45 | 2007-11-13 19:48 | 聴いて書く

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