徒然にぼやきしこと
2001年 04月 05日
愛らしい物というと、みなさんそれぞれ色々あるでしょう。私にとっては、現在こうして向き合っているコンピューターがまずあがってきます。私はマッキントッシュG4・400を一年半程前から使っていますが、やはり音楽制作での使用がメインとなります。最近では、デスクトップそのものをスタジオに持ち込んで、シンセとして使うこともよくあります。私のシステムは「Cubase」ですが、ドラムのウエちゃんとプロデューサーのケンさんは「Performer」を使ってますね。会うとお互い、あ〜だこ〜だ情報交換するのが常となっているわけです。
さて、こういうコンピューターによって創られる音楽は、ポップ・ミュージックにおいても60年代からあるわけで別にめずらしいわけじゃないですが、ここ最近、パソコンの浸透とその機能の飛躍的な進歩によって、よりパーソナルな世界に入っていく傾向にあります。つまり、【創った私と聴き手のあなた】だけの世界とでもいいますか。別に作り手がそれを意識しようがしまいが、ひとりで作業することが多いから、ある意味しかたがないのですが、時に「聴き手のあなた」もいない「身勝手な私」を押しつけられる不愉快さも多々感じてしまうことも事実です。
しかし、このことは何もコンピューターのせいだとはいえません。当然、それを創るアーティストの才能のあるなしであることは間違いありません。例えば、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンや80年代のプリンスなどは、コンピューターを使おうが使うまいが、「only me and you」を表現し、聴き手はその閉ざされた世界に魅了されてきたわけで、まさに天才のみができるものだったのです。私はその何に感動するのかと言えば、閉ざされた世界に分け入って、彼らの深いダークサイドに触れ、そこにある豊かな情緒を感じられることなのです。
最近は情緒面より、「こうしたいからこうする。そして、こうなった。」というようなアーティスト、プロデューサー側の「意志」の方が強く、それがどうにも、うざったく思えて、音楽を素直に楽しめなくなってしまうのです。コンピューターの発展は「こうしたいからこうする。」をより簡単に実現させ、ならば、「もっとこうしたいからこうする。」を強く我々に思わせることになり、その結果、人工的・頭脳的表現が幅を利かせていて、「こう感じたから、こうなってしまった。」というような自然発生的・偶然の産物・あ〜音楽の神様が微笑んだ的表現が失われつつあると思うのです。それに、「こうしたい」ことが聴き手にとっては、「ふ〜ん、あ〜したかったのね。」程度のバレバレ状態がほとんどですから、益々むなしさも募るということです。
もちろん、この意見は作り手でもある私にとっては、両刃の剣であって「じゃあ、お前はどうなんだ?」と問われても、その回答に窮するのも事実です。ただ、アップルのCEOであり、コンピューター業界の予言者と名高い、スティーブ・ジョブズ氏が今回来日したおりに、TV番組でキャスターの「これからのパソコンの方向性」についての質問への答えがヒントになるかもしれません。
ジョブズ氏によると、パソコンは現在、第三の革命期に入りつつあるとのことです。第一期はパソコンの誕生でその革命はおもにオフィスを中心に起き、第二期はインターネットによって各家庭に入り、そして第三期、これからのコンピューターは人々の「感情」を表現することに使われる、と言っておられました。グラフィックと音楽分野が強いアップルの経営戦略としては至極当然にも思える反面、その発言には共感できます。
ハードウェア側から「感情」というキーワードが出された以上、こちら側も「感情・情緒の復活」が大きな命題となるのではないでしょうか。いや、ちとおおげさな。でも、その命題に取り組むことで音楽における肉体性を取り戻し、「身勝手な私の意志」を聴くことから、「豊かな情緒の泉」に浸る音楽への脱却へと繋がっていくのではと思うのです。