ある人との対話

 1月某日

 ああ〜、何て事だ!きのうH氏から電話で、『ミーティングしたいから、3時に会いたい。くわしくはホームページで!』だって。いったい何を言ってるんだろう、あの人。去年の暮れに私が言ったこと、まだ根に持ってるのだろうか。もし、そうだったら大変だ。あの時はベロベロに酔っぱらってたけど、シラフのときに噛みつかれたら、私なんかひとたまりもない。あういうタイプは会う前から、喋ること考えておいて、こっちの弱みをついてくるにきまってるんだから、たちが悪いのだ。『深刻な話はやだからね!』って、一応釘をさしておいたら、ちょっとアワアワしてたからな〜。てことは図星だったわけで、まさに深刻な話題で私を叩きのめすつもりなんだ!まったく心臓に良くないよ、ほんとに。

 都内某所午後3時/ でもって、ミーティング?マジ?

「で、お話って何ですか?昨日も言いましたけど、深刻な話題は願い下げですよ。」
「そんなことにはならないと思っていますけど、どうかな?ま、とにかく今日は、去年あなたが書いていた『情緒的うすらばか』、そうです、『情緒的うすらばか』について、是非あなたからご教授願いたく思い、お呼び立てした次第です。」
「はあ、そんなことについて、あなたに話して、どこがおもろいのですか?」
「それは、僕が判断することで、あなたは語ってくれればよろしい。」

 むちゃ感じ悪いこと甚だしい。一瞬ムッとするも、
「え、何の話だと思ったの?」の問いに、
「お説教されるのかと思ってた。」と、つい答えてしまうとは情けない。

「何について?」
「去年の暮れの件で、怒ってるのかな?って。」と言うと、彼はちょっと、ドギマギした様子で、さも言葉を選んで 慎重に語ろうとしていて、
「ははあ〜、そのことね。それについては後日じっくりとやりあいたいですな。でも、今日はなごやかにいきましょう。」

 やっぱ、根に持ってるんだ。やなヤツ。でも、それが相手にばればれになってしまうあたりは、まだ正直者というべきか?でも何かたくらんでる疑いは拭えないからな。ここは慎重かつ大胆にふるまって、クールな私を見事に演じなければ!そうそう、内面の安定、内面の安定。

「あの、何を考えてるんですか?」
「いや、別に。気にしない、気にしない。大体、あなたは何でも気にしすぎるのです!でも、何故『情緒的うすらばか』を私が語るのですか?これは‘ブリジット・ジョーンズ’を書いたイギリス人作家、ヘレン・フィールディングの作ったものですよ。だから、本を読めばその意味は簡単に解読できると思うけど。」と、少々ぶっきらぼうに喋ったから、すかさず彼は、
「それ言ったら、もうこのインタビューは終わってしまうじゃないですか!だから、君流の解釈と、男どもの実体を語って欲しいわけです。どうか、そんなにご機嫌悪くしないで下さい。ケーキでも頼んだらいいんじゃないですか?だいじょうぶ、経費で落としておきますから。」

 で、チョコレート・ケーキなどパクつくことに。おおっ、適度な糖分が私の脳を刺激したのか、だんだんとガーミッシュでフェミニンな自分、そして何より脳細胞の活性化により、明晰でクールな自分を取り戻しつつあるのがわかる。だから、ついついペラペラと舌もなめらかになっていくのであった。

「まず、言っておきたいことがあります。」
「はい、何でしょうか。」
「つまりですね、こういう事について私のような者が声高に話し始めると、世の男性諸氏はですね、その人のことをコテコテのフェミニストではないかと勘違いするのですけど、私はまったくそうではない、ということをまずお断りしておきます。」
「はいはい、その点は承知してますよ。あなたは、普段からキツイとこ全くありませんし、男性陣の繰り返されるセクハラに対しても寛容であらせられますもの。あ、失礼。ちと余計でしたね。ケーキもうひとついかがでしょう?」
「けっこうです!だいたい、そう言う風な言いぐさがそもそも・・ま、よしましょう。」、私は一呼吸おいてコーヒーでカフェイン補給。これにより、私の神経は益々鋭敏になっていくのだ。

「何故、あなたは『情緒的うすらばか』について聞きたいのですか?それをまず語ってもらわないと訳が分かりません。」
「そうですか。」と言って、彼もコーヒーをすすった。落ち着いて真っ当な事を言おうとしているわけで、こうなるともう私のペースになってきたのでは。

「去年、私の心をつかんだ新鮮な言葉、それが『情緒的うすらばか』なのです。およそ私の発想からは皆無な言葉でした。しかし、その意味や実体について、十分に理解したとは言えないのです。ただ言葉の響きのおもしろさに心引かれたというか。もちろん、フィールディングの小説も読みましたが、私の実生活とは乖離していて、その中身については、どうにも納得できないのです。

 そこへ、あなたがこの言葉を突然使われているのを読んで、是非私にもわかるように説明してくれないかと、考えたわけです。なぜなら、男にとって女の気持ちほど不可思議で神秘なものはありません。いや、時に非常識で非合理的、非科学的で非生産的、それでいてやけに現実的で浪漫のかけらもなく、計算高いくせに自分勝手で傲慢、ああ言えばこう言う的日和見主義で、感情にまかせているかと思いきや、人の弱みに土足でズカズカと入ってくる。全くもって信じがたい存在なのです、女性とは。」

「あなたは、自分がつれあいとうまくいっていないのを、私にグチりたいのですか?それで、女の気持ちを理解する方法をさぐりとって、何とか挽回したいとでも言いたいのではありませんか?私がお見受けするに、もうあなたは『情緒的うすらばか』症候群のまっただ中にいらっしゃいます。フィールディングを読んだのに理解できないのは重症だと感じます。ま、あなたのご事情はうすうす知ってますから。ふ〜、いいでしょう、お話しします。

 そもそも『情緒的うすらばか』についてのフィールディング女史の定義はこうです。女が20代から30代に入るにつれて、男女間の力のバランスが微妙に変化し、女はどれほどひどいアバズレでも、30代になると、それまでの奔放さをなくし、初めて感じた生存不安(誰にも看取られずに死に、三週間後になかば腐乱した状態で発見されるのでは、という不安)の痛みと格闘するようになる。売れ残り、回転をやめない運命の糸車、性的魅力の減退という、あのステロタイプな考え方に翻弄され、自分が愚か者と思えて仕方なくなる。

 ところが、この時期30過ぎの男は、ちょいと女にせっつかれただけで、たちまち縮み上がって、人間としての責任、成熟、名誉、男女関係の自然な深まりから、逃げ出そうとする。『情緒的うすらばか』にてこずらされてる女性、例えば、

ケースその1
もう13年もつきあってるのに、ボーイフレンドに同居の相談さえ拒絶されている。
ケースその2
ある男と4回つきあっただけで、二人のあいだが真剣なものになりすぎたという理由で、捨てられた。
ケースその3
三ヶ月ものあいだ、ある男に結婚しようと猛烈に追い回されて、いざその気になったら三週間後にするりと逃げられ、その男が親友に自分にしたのと同じ猛烈なプロポーズをしているのを知ってしまった。
(以上、「ブリジット・ジョーンズの日記」より引用)
 どう、言ってる意味わかります?」
「はあ、そこそこ。」、そんなことはあるわけがない。『情緒的うすらばか』まっただ中の男に、そもそも理解出来るわけがないのだ。自信を深めた私は、

「続けさせていただきます。こういったシングルトン女性の弱点は二つだけ、愛に妥協しないことと、自分の経済力を信じていること。だけど、二十年もしたら、情緒的うすらばか男なんて生きていけなくなり、女のほうが、男なんてくそ食らえ!っていうようになるのだ、ということを書いているわけです。」

「よ、ようするに、今の男どもは女性の扱いが真っ当でないと仰りたいわけですかね?やっぱりただのフェミニズム丸出しじゃないですか。中年にさしかかる男性の心情などまるで無視した一方的な主張に思えます。」

「まあ、今はそう感じるのなら、それでもいいです。ただ20代のころの女性は、男性の不当で自分勝手な誘いや扱いに対してもノリで許してきたり、女の側もある程度イケイケになって応えてきたのです。これが若さの特権でもあり、不幸でもあるのです。この時期に勢いだけで結婚したカップルがなんと多いことでしょうか。そのうち何組の夫婦が実際、幸福であると感じているかなどわかったもんじゃありません。運良く(悪く?)子供を得て、夫婦から家族へとその実体が変わった男女間だって、出会った頃からの愛情は続いているのでしょうか。

 一方、不幸(幸運?)にも結婚しなかった女性達シングルトンは、じょじょに年齢を重ねていくうちに、慎重さや思慮深さ、それ以上に人間としての尊厳ということを気にし始めるのです。なのに、そんなことに無頓着な男は、相変わらず突然電話をかけてきて、『今何してるの?』『今はつきあってる人はいないの?』もどきのつまらない会話や、 『酒飲んだイキオイ』で強引にからんでくるような手口で、シングルトンとお近づきになれると思ってる。さらに、たとえそれが成功したとしても、その後、池のコイにエサやらずがごときに、普段は関わりを持っていないふりを平気でしながら、自分の欲望の基準のみで女性を扱ってはいないか?と言いたいわけです。
 どうです?思い当たることはありませんか?」

 思い当たることばかりの彼は、だいぶ深刻な表情になっていた。ザマーミロ、私の圧勝であることは明白だった。私は続けた。彼にとどめを刺すために。

「あなたのような人は、まず自分が考えてきた人間生活に対する基準を壊さなくてはなりません。そして、もっと堕落すべきです。堕落すべきなのです。
 だいたい、人間など愚かで弱く、本来どうしようもないものではありませんか。だから、ほっておけば地獄に堕ちていくのに、それを恐れる我々はいろいろな基準やら道徳やら哲学やら政治やら義理やら人情やらのカラクリを考え出して、何とか堕落しないように自分や他人を制しようとするのです。ところが、それらはただの荒い網のようなもので、完全にすべての人をすくい取ることなどできないのです。その網の目からあなたはもうすでに落ちそうなのに、まだ、カラクリにこだわって生きているのです。

 でも、それから落ちてしまうもの、それこそが本来の姿ではありませんか?そんなカラクリにまとわりつかれていては、ほんとうの個は見えないのです。でも、堕落する人間はとことん堕落して地獄をさまようことにも恐怖を感じていて、そのうちまた新たなカラクリを生み出すのです。つまり、人間の歴史とは堕落とカラクリの創造、そしてその破壊、それによる堕落、再びカラクリの創造の繰り返しなのです。そして、それこそが文化と言えないでしょうか。堕落し、堕落していくことで人々の個が赤裸となって現れ、それぞれの個と個が真に対立し、共感しあうことが文化の成熟なのです。

 『情緒的うすらばか』の話も、本を読み進めれば、女性の側にも当てはまる問題だということがわかってきます。ようは男性に対するグチのように表現しながら、自分達の愚かさも笑い飛ばしているフシがあるじゃないですか。だからお互い個と個として、成熟したつき合いを望んでいるのです。だから、お互い堕落しましょう。好きなら好きといい、愛してるなら愛してると言えばいいのです。それによって、相手にどんなに傷つけられても、全てを肯定肯定肯定する勇気を持ちましょうということです。」

 ずっと、私の話を聞いていた彼は、この時おもむろにタバコに火をつけ、喋り始めた。

「なるほど、大変興味深い話で、おもしろかったです。ありがとうございます。でも、あなたのお説の最後のくだりは坂口安吾の‘堕落論’の引用じゃないですか!そんなものに私は引っかかりませんよ、おあいにく様。」

 チキショウ!ばれてたか。うかつだったぜ、くそ!お後がよろしいようで。
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by harukko45 | 2002-01-22 00:00 | 日々のあれこれ

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