ジュンコさん30周年おめでとう!

 ファンの皆さんご存じのとおり、7月10日恵比寿ガーデンホールで、大橋純子30周年記念コンサートがあった。満員のお客さん達にまずは感謝したいし、ここまで導いた事務所、特に土田・小澤両マネージャーのこつこつと積み上げてきた努力も讃えるべきでしょう。しかしそれ以上に、何と言っても30年間ずっと歌い続けてきたジュンコさんがいなくては、何も成立しなかったのであって、この偉業に対して、私もファン代表として、ここに祝福させていただくと同時に、彼女が素晴らしい歌を歌い続けていることに感謝しなければいけないと思うのだった。

 考えてみれば、大橋純子さんという人は、日本のポピュラー音楽界にあって変わった経歴で30周年を迎えた。1974年、その頃のニューミュージック・ムーブメントの興隆の中で唯一、パワーとスピード兼ね備えた美声を持つ本格化ボーカルでデビューしながら、すぐに本来やりたかったバンドを結成し、「美乃家セントラルステイション」として活動した。そこには、佐藤健さん、土屋昌巳さんをはじめ、有能な若手ミュージシャンが集結して、実に新鮮で「カッコイイ」サウンドを作り上げた。その核となったのはもちろん、ジュンコさんのボーカルだ。いくら有能な頭脳があっても、彼女の歌がもしなければ「美乃家」の評価は現在のように高くはなかっただろう。

 この頃の代表作として、私は「クリスタル・シティ」をあげたい。セルメン好きのジュンコさん、バート・バカラック好きのケンさん、ともにその音楽嗜好はA&M系が原点。そこにその当時のスイートなソウル感覚を見事に取り入れたサウンド・プロジェクトとジュンコさんのあまりにも美しくキュンとくる歌声が素晴らしい。これもまた傑作である「シンプル・ラブ」と「ビューティフル・ミー」の両方の良さを併せ持った超一級品だと思う。

 しかし、「美乃家」はその当時の日本ではカッコよすぎたし、早すぎた。まさにアイドル全盛であり、昔からの演歌もまだまだ強かった時代。よって、彼らの偉業はクロウト向け、洋楽指向の音楽ファンの間で高く評価されたが、一般にはなかなか浸透しなかったのだ。

 そしてジュンコさんがその歴史において、大きなパラドクスを抱えることとなる「たそがれマイラブ」が大ヒットする。筒美京平さんはジュンコさんの初期に代表作でもある「ペイパームーン」を書いている。だから、大橋純子という歌手の特徴を十分承知されていたと思う。とはいえ、あの頃あの曲がテレビから流れてきた瞬間、私でさえ「ああ、美乃家は終わったんだ。」と感じたものだ。その急激な歌謡曲(その当時はそう思った)へのシフト変更は外から聴く者にも違和感があったわけで、ましてや当事者のジュンコさん自身の動揺ははかりしれなかっただろう。そして、それを克服できなかった「美乃家」は解散に向かうしかなかった。ただ、思い返せばバンドの解散は、その後のYMOの登場や土屋昌巳さんの一風堂での成功などを考えると、残念なことかもしれない。じょじょに聴き手の感性も変わり始めたころだったからである。

 「美乃家」解散後、私は新しいバンドに加わったのだが、この頃は「シルエット・ロマンス」の時代と言える。この大ヒットで、当時随分コンサートやライブをおこなったからだ。が、その頃のレパートリーは、その「シルエット・ロマンス」以外はアルバム「黄昏」と「ポイント・ゼロ」からの新曲が中心で、ビートルズやドゥービー・ブラザーズなど洋楽のカバーも積極的にやっていた。つまり、ここでも「シルエット・ロマンス」の世界と「ジュンコさんのやりたい世界」とのギャップが存在したのだった。ただ、私にとっては無我夢中の数年間、大橋純子バンドに在籍するという幸運を満喫するのみで、ジュンコさんが抱える深い悩みなど知る由もなかった。

 その後の休業、アメリカ生活、そして4年降りの復活では、私は再びバンドに参加することになった。この時は斎藤ノブさんも加わってくれた。おかげで、その当時私を始め若かったミュージシャン達をうまく支えていただいた。一応この時は私が初めてジュンコさんのバンマスになったとき、だからいろいろと気合いが入ったことを覚えている。その頃の代表作「眠れないダイアモンド」は傑作だ。私は打ち合わせで、この曲が新曲だと聴かされて、本当にうれしかったのを記憶している。「シンプル・ラブ」や「クリスタル・シティ」を愛するものに「眠れないダイアモンド」は「本当の大橋純子」を思い出させるに十分な作品だと思う。

 が、私自身は他の仕事との兼ね合いで、この「DEF」バンドからは短い期間で抜けることになった。その後は、「愛は時を越えて」のヒットがあったものの、ジュンコさん的にはむずかしい時代だったはずだが、信念を曲げずに歌い続けたことが感動的なのだ。

 そして10年前に共通の知人の結婚式で再会し、翌年バンドに再々復帰した。この頃からのノスタルジー・ブーム、特に70年代の再評価気運の盛り上がりがあって、私も積極的に「美乃家」時代の名曲を演奏することを提案したのだった。今だからわかる「美乃家」の良さ、大橋純子の良き伝統を「ちゃんと」継承する、といったある種の使命感に燃えたのだった。それは、バンドのメンバー構成にも波及し、現在のメンバーは「美乃家」組が3人復帰しているのだった。でも、それは自然な流れでじょじょにそうなった。それぞれがミュージシャンとして成長し、ジュンコさんが歌い続けたように、彼らもより良い演奏をし続けているからこそ、再会が可能になったわけであり、私は彼らにも最大限の敬意を表したいのだ。

 そして迎えた昨日のコンサート、構成を考えた土田氏曰く「集大成」だ。そして、斎藤ノブ・バンドによる「クラブ・サーキット・ツアー」からの流れも引き継ぎ、ここ数年の充実したジュンコさんの全てを出し尽くしたのだった。やはり、讃えられるべきは大橋純子さんであり、我々バンド・スタッフはその偉業の達成を少しでも手伝えた幸運に感謝しなくてはならない。

 さて、今後のジュンコさんにはファンの一人として要望したいことがある。それは、ジュンコさん自身が本当にやりたいこと、歌いたい曲をより全面に押し出していってほしいということだ。ある意味、昨日で過去を集大成し、新たな次元に突入しようとしている。つまり、「美乃家」を越え、「たそがれマイラブ」「シルエット・ロマンス」を越えた大橋純子がここに登場したのだ。全く新たな曲、サウンド、レコーディング、ライブへの挑戦を大胆におこなっていただきたいし、その才能と気概も十分にお持ちだと思っている。

 私自身もここ9年間のジュンコ・バンドのバンマスとしての仕事の集大成をすることが出来た。自分の未熟さから来る、いろいろな後悔はあるものの、とりあえずある種の「けじめ」ができたと思っている。今後は私も新たな自分に挑戦し、もっと成長しなくてはいけないと考えている。個人的に応援していただいた方々には、この場を借りてお礼したいと思います。どうも、ありがとう。
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by harukko45 | 2004-07-11 00:00 | 音楽の仕事

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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