再びモーツァルトのイドメネオ

 ウィーンで聴いたテアター・アン・デア・ウィーンの「イドメネオ」(1/26)は本当に素晴らしかった。数日後にシュタッツオーパーでのプッチーニ「マノン・レスコー」も良かったのだが、全体としての完璧さはモーツァルトにはかなわなかった。
 指揮者のベルトラン・ドゥ・ビリーがとてもスリリングなさばきで、ウィーン・フィルを掌握しきっていたし、やはりオケ自体にウィーン独特のニュアンスがあり、これぞ本場のモーツァルトであることをあらためて実感させられた。

 歌手陣もイドメネオ王役のMichael Schadeが健闘していて、2幕目後半の長大なアリアを見事に決めて、「ブラボー!」の嵐だった。ウィーンの天井桟敷のお客はミラノとともに世界一厳しいと思われるが、この熱烈な大拍手は本物だった。
 女性陣ではイダマンテ王子役の地元ウィーン子のAngelika Kirchschlagerが相変わらずの大人気だったが、歌はかつて聴いた時の方が出来は良かった。が、ある意味、力強さや個性は弱くても、その歌声がオケによく溶け合って、モーツァルトの音楽の美しさがこちらに伝わるのを決して邪魔していないのはさすがだな、と思った。
 イリア役のGenia Kuhmeierも、1幕目しょっぱなのアリアにおいて、その声の良さで一気に聴き手の耳をステージにひきつけたし、エレットラ役のIano Tamarは最後の憎しみと絶望のアリアで、もう少し悪魔的にいき切って欲しい気もしたが、全体としては悪くなかった。

 とにかく、主要な役の4人のコンビネーションが実に良く、モーツァルトの重唱におけるメロディの美しさ、ハーモニーの巧みさを十二分に味合わせてくれたのだから、大満足だったのだ。

 そして、この日は合唱も素晴らしく、それはもともとの譜面の偉大さもあるだろうが、オケとともに最強音で歌われたいくつかのシーンは、どれも神懸かり的凄みを感じさせて、背筋がゾクッ、ゾクッとした。まさに畏怖の念を音楽に感じた瞬間だった。

 それと何と言っても、このウィーン劇場のちょうどいい大きさ(小ささ)がモーツァルトにぴったりだった。たとえ、もっと大きな会場でも、モーツァルトのオーケストレーションのうまさで、少ない人数のオケでもよく響くのではあるが、それでも、この程度のサイズのオペラ・ハウスがより良い音楽環境だと思った。
 私の座った3階の右でも、オケのバランスが最高であり、CDで聞けるようなウィーン・フィルの美音が、よりダイレクトに耳に届いてきたので、最強音での迫力もかなりのものだったし、それも無理して力づくで鳴らしている感じがなく、実に豊かだったのがうれしかった。特に2幕目以降は心がずっとワクワクドキドキ震えっぱなしだった。

 これからは、テアター・アン・デア・ウィーンでのモーツァルトは外せない。ここでフィガロを聴いたらどんなに楽しいだろうか。前にシュタッツオーパーで観た時は、全く感動しなかっただけに、是非聴いてみたい。

 さて、実は日本に帰ってから家にあるダニエル・ハーディング指揮スカラ座の「イドメネオ」を聴いてみた。DVDなのだが、映像はなしで音だけで鑑賞したのだ。すると、映像と一緒の時は、あまり感心しなかったはずなのに、音だけだとすごく良かったのには驚いた。
 まるで、小林秀雄が「モオツァルトのオペラは、上演されても目をつぶって聴いているだろう。」といった感じのことを書いていたのを思い出した。(彼の言いたい意味はこの場合と違うけど)

 つまりは、字幕を追いながらストーリーや台本の不備を感じつつ聴くよりも、モーツァルトの音楽に集中して身を委ねていれば、自然に感動するということを、私はやっと理解したのだった。ちょうど、生で聴く時は、ある程度のストーリー把握は必要であっても、まさにこの状態に近いわけで、ハーディングのスカラ座での演奏も決して悪いものではなかったのだ。そうでなければ、ミラノのお客が「ブラボー」と言うわけがない。

 いろいろな体験を経て、ようやく真実を見いだすものだと思う。と同時に1回観たり聴いたりしただけで、安易に良し悪しを判断するのは傲慢な態度だな、と反省もしている。
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by harukko45 | 2007-02-04 05:15 | 聴いて書く

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