ブルーノ・ワルターが聴きたくなった(4)マーラー

 ワルター先生の名演で、もう一つどうしてもここにアップしておきたいものがある。

 1938年のウィーン・フィルとのライブによるマーラー第9番だ。もちろんモノラルだし、SP盤から復刻だ。だから、音が悪いか、というとそんなに悪くないし、十分鑑賞できる。
 それどころか、ここまでアメリカのオケを聴いたあとにウィーン・フィルを聴くと、まずのその美音に驚く。こんなにも違うものか、と溜め息してしまう。しかし、聴き進めるうちに、このライブが尋常ではないことに気づく、というか真剣で真実の音世界に浸るうちに、気楽な「鑑賞する」などという次元を越える場所に連れて行かれてしまう。 

 マーラーの音楽のテーマはすべて「死」だそうだ。彼は死をものすごく恐れ、その反面、現世の幸福や美にとことん憧れ続けたという。他の大作曲家達(ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー)がみな「第9」まで書いて死んだことにこだわり、9番目の交響曲に番号をつけず「大地の歌」とし、「第10」を完成させたのだが、彼の死後「第10」が「第9」と呼ばれている。何と言う皮肉。

 ワルターはマーラーの直弟子で、初演も彼の指揮であることから、マーラーの曲を最も理解する人物の一人と言える。そして二人はともにユダヤ人であり、ウィーンをこよなく愛した。
 マーラー死後、ウィーンからミュンヘンなどドイツ各地で活躍し名声を高めたワルターは、59歳で再びウィーン・フィルに招かれ、大いなる人気と芸術的成果を上げたのだった。
 が、彼はすでに33年頃からドイツにてナチスの妨害や脅迫を受けていて、ウィーンに戻ってもナチスのいやがらせは続いた。オペラ指揮中に臭気爆弾が投げ込まれたり、コンサート直前に死の脅迫状が届いたりしたそうだ。
 そういった状況下での38年1月16日のコンサート、「ナチス党員による妨害の咳払いや足音と共に演奏が開始された」とワルター自身が語っている。
 そして、その2ヶ月後オーストリアはヒットラーに占領されドイツに併合された。ワルターはパリに演奏旅行中で暗殺を免れたが、全財産は没収、長女は逮捕、次女はナチス党員だった夫に殺害された。その後彼はアメリカに脱出することになる。

 ここでの演奏はそのような全ての要素が絡み合い、ものすごい何かを生み出してしまった。ずっとマーラーは死の恐怖にのたうちまわっている。音がすべて苦しんで悶えている。なのに、とてつもなく美しい。信じられない状況だ。のたうちまわっているのはマーラーだけではない、ウィーンがヨーロッパが、その後の運命に恐怖しているのだった。1楽章は特に恐ろしい、が、何でウィーン・フィルの音色はこんなにも美しいのか。
 結局、妨害していたナチス党員もそのうちすっかり静かになって聴き入っていたのか、CDではそのようなノイズはほとんど聞こえない。彼らも自分たちの運命をその瞬間に予見したのではないか。
 4楽章の生への憧れは「絶唱」と呼ばれているもので、わずかなヨーロッパの、人類の平和を願うかのようにも聞こえるが、それには切迫した真実味がこもっていて聴いていて身動きできなくなる。

 正直に言う。このような演奏を聴くと、60年代後半のヒッピー文化からくる「Love&Peace」が甘っちょろい運動に思えてくる。本物の音楽家は音楽のみで全てを表現するのだろう。
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by harukko45 | 2005-12-26 00:21 | 聴いて書く

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