Seemaのアルバム(3)「摩擦音」

e0093608_12545916.jpg 2001年のサード「摩擦音」は、前作が高い評価を受けたし、バンドとしてもライブ活動がコンスタントに続いていた時期でもあったので、レコーディングに向かう気持ちはかなり充実していたように思う。とにかく、シーマとナリさんはどんどん新曲を書いてきたし、毎回のリハやライブでその曲を試すようなことができる状態だった。だから、そういう好調時におけるバンドの一体感を強調したアルバムとも言える。ゲスト・プレイヤーを誰も呼んでいないことからも、それがわかる。

 でも、今聴くとそれがかえってシーマらしからぬ音になっていたのだろうか? 気分は充実していたのに、実際にはかなり混乱したサウンドになっている、というか飽和していて演奏者が興奮状態丸出しだ。M1からM4まで、それが続いていくが、ここで一番クールにしているのがシーマ自身だった。逆に言えば、彼女にはこのサウンドが本能的に自分には合わないと感じていたのかもしれない。
 だから、ボーカルをもっと上げてリ・ミックスしたらどのように聴こえてくるのかなどと、未練がましいことを考えたりしてしまう。

 全体に私のキーボードがずいぶんフューチャーされていたことに気づいて、今はちょっと困惑気味だ。このキーボード奏者はかなりうれしくなって演奏していて、あっちこっちで暴れまくっている。ナリさんはこの男のたずなをゆるめ過ぎたようだ。
 さすがに自分でアレンジしたM6では、全体のバランスを考えているが、このあたりは職業癖のようで何とも赤面してしまう。

 どうやら、この時の私はかなりのエネルギーを大放出していたことは確かだろう。ただ、それがこのプロジェクトに最適だったかは疑問となってきたというわけだ。
 そう思っていたら、パーカッションのトビーもかなりやりまくってやがる。要は一番年上の二人が子供のようにはしゃいでいたということか!

 とは言うものの、バカが本気出して噛み付いた時の面白みが随所に潜んでいて、それが「オッ!」と耳をそばだたせることも事実だし、ちゃんと聴いていくとやっぱりシーマはいい曲を書いていた。M7"キオク"はこのアルバムを代表するだろうし、個人的に大好きなM8"音楽"とM9"憂れた漆"は2曲で一つのストーリーで、曲どうしが恋の語らいをしているようにずっと感じている。

 残るM5,10,11はとってもポップなメロディを持つ良い曲なのだが、演奏者の噛み付いていきそうな姿勢はかわらない。例えばM11のエンディングに向かう時のナリさんのアコギのカッティングは異常にテンションが高くって壊れそうだ。
 でも、不思議と最後の曲が終わるともう一度最初から聴いてみたくなるのは自己満足なのだろうか。

 そんなこんなで、ミュージック・マガジンではあまり良い評価はもらえなかった。ライブに来た評論家さんも「自己満足だ」みたいなことを言ってた。それに、ワールドミュージック的なものは皆無だったしね。でも、それが何だ。ダメはダメなりの、バカはバカなりの感性というものは意外とシブトイ。 

 今思えば、シーマのつけた「摩擦音」とは言い得て妙なタイトルだな。
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by harukko45 | 2005-12-19 00:54 | 聴いて書く

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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