ボズ・スキャッグスとTOTO

 (水越けいこさんのツアー詳細(5)の中で、脱線として書いていた、ボズとTOTOについての部分をこちらに移しました。前のだと、少々バランスが悪くなってしまったので。)

 以前にBS-TBSで、ボズ・スキャッグスの"We Are All Alone"を取り上げて、掘り下げる番組(Song To Soul)が放送されたのですが、まさしく、この曲を含む「Silk Degrees」セッションこそがTOTO誕生のきっかけですし、また、水越けいこさんと私とで、一度だけこの曲をライブでカヴァーしたこともあったので、なかなか興味深く見入ってしまいました。

e0093608_16174091.jpg インタビューでは、ボズ本人を中心に、1976年の傑作アルバム「シルク・ディグリーズ/Silk Degrees」のアレンジャー&共同コンポーザーであったデイビット・ペイチも多くを語ってくれました。
 で、面白かったのは、アルバムのプリ・プロダクションとして、ボズがペイチの家に泊まり込んで、ずっと二人で曲作りをしていたことです。そこで、生まれたのが"Lowdown"や"We Are All Alone"というわけです。朝起きて、すぐにピアノに向かい、ボズのイメージを聞いて、ペイチがコードを刻んでリズム・パターンのアイデアを出す、そこにボズが歌いながらメロディを組み立てる。そんな作業を延々と繰り返していたようです。

 その後、レコーディングは快調に進んで、ご機嫌なトラックが完成していたのですが、"We Are All Alone"のみ、歌詞がどうしても出来ず、締め切りギリギリにまで追い込まれたとのこと。で、その期限が来ても書けなかったボズは、マイクの前に立ってようやく言葉が降りてきた、って言っておりました。ほんまかいな?まぁ、追いつめられないと浮かばないって感覚は、私にもあることですから、よーくわかります。

 だが、驚いちゃうのがそれからで、実は歌詞が出来ない事で頭が一杯だった彼は、リズム・トラックのレコーディングの時から、本気で歌っていなかったとのこと。だが、実際に本番の歌入れで合わせてみたら、キーが高かったことに気がついたって言うんだから。
 でも、もうキーを低くすることは出来ない。なので、数小節歌っては休み、歌っては休みでレコーディングを何とかやり終えたとのこと。これは、にわかに信じ難いのだが、もし本当なら、あれだけのミュージシャン達が揃っていても、そんなドジな話があるのねぇと、ちょっと安心するかも。

 ただ、キーが高くて苦しい状態で歌ったことで、あのたまらないほど切ないムードが出たのだったら、それこそ神様の贈り物だってことです。

 そして、ここでのセッションに結集していたのが、David Paich, Jeff Porcaro, Steve Porcaro, David Hungateで、そのままTOTOへと発展するのです。
 とにかく、デイビット・ペイチのアレンジャーとしての能力の高さも十分に示された傑作「Silk Degrees」は全米2位の大ヒットで5xプラチナ・アルバムとなり、グラミーも取った("Lowdown")のでした。私もかなり聴き込み、惚れ込みましたよ、当時。

e0093608_16135889.jpg そもそも、サンフランシスコのブルーズ・ロック系のミュージシャンだったボズ・スキャッグスが、バンドでの活動をやめて、LAのスタジオ・ミュージシャンを使ってのレコーディングを始めたのは、1974年の「Slow Dancer」からで、このプロデューサーがジョニー・ブリストル。モータウンで活躍した彼の見事なプロデュースのおかげで、ルックスも音楽も野暮ったかったボズはいきなりスタイリッシュに変身したのでした。

e0093608_17284425.jpg 正直、昔に聴きすぎて、ちょっと飽きちゃった「Silk Degrees」よりも今は「Slow Dancer」が好きです。こちらの方がソウルフルなんですね。ちなみに、私が初めてみたジャケットは右上なんだけど、別ジャケ(左)も存在する。個人的には水着スタイルの方が「っぽい」感じで好きだなぁ。
 それから、ペイチが先の番組で、"We Are All Alone"のストリングス・アレンジについて言及していて、これは彼の父であり、有名なアレンジャーであるマーティ・ペイチ氏にたのんだそうで、ここでは、マーティ氏がチャイコフスキー風の3オクターブのボイシングをしているのだそうだ。その効果は素晴らしく、息子デイビットは「このサウンドの素晴らしさは、前のアルバム(「Slow Dancer」)のストリングスと聴き比べれば、よくわかるはずだ」って自慢してました。
 なるほど、マーティ氏のアレンジの美しさはよくわかりますし、見事ですが、前作でのH.B. Barnumさんのアレンジは、まさにR&Bって感じで、これも好きですなぁ。

 さて、ボズはこの後、アダルト・コンテンポラリーの代表的存在として君臨。特に日本での人気は高く、日本特有の呼称であるAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のキングとなったわけです。私も、78年の初来日時に武道館に行きました。上下真っ白のファッションで、やったら姿勢が良かったのを覚えています。

e0093608_14405766.jpge0093608_14405159.jpg ペイチの代わりにマイケル・オマーティアンと組んだ、77年の「Down Two Then Left」、デイビット・フォスターと組んだ80年の「Middle Man」もプラチナ・アルバムとなり、リリース当時にはよく聴きましたなぁ。
 私は、デイビット・フォスターがプロデュースに関わっているものは、基本的に苦手、はっきり言って嫌いなのですが、例外として、アース・ウインド&ファイアーとの仕事(「I Am」「Faces」)と、ボズとの仕事(「Middle Man」)は文句無くカッコイイと思います。

 とは言え、やっぱり「Slow Dancer」に戻っちゃいますね、どうしても。

 さて、TOTOは「Silk Degrees」以後もスタジオ・ミュージシャンの仕事とバンド活動を両立させ、共に大成功を収めていきました。

e0093608_1863497.jpg 78年のファーストは日本でもかなりの衝撃を持って迎えられた記憶があります。日本の洋楽ファンは、ジャケットの裏にクレジットされたミュージシャンの名前を見て、そのアルバムの価値を計っていた時代ですから、LAの若手売れっ子スタジオ・ミュージシャンがバンドとしてデビューするというのは、もの凄いインパクトでした。2曲目"I'll Supply The Love"のAメロでのリズム・パターン(ダダッタッタダッタ)と3曲目"Georgy Porgy"のサビのコード進行にしびれまくりました。

e0093608_187264.jpg 翌79年のセカンド「Hydra」はすごく好きでしたね。今聴いても、かっこいいと思うし、アルバムとして一番充実していると思う。彼らはいったいAORなのか、ロックなのか、って批判はずっと言われ続け、「産業ロック」とまで揶揄されるのですが、ある意味、そんなのどっちでもいいじゃんって思わせるのが「Hydra」です。こういう路線ならネオ・プログレ・ハード・ポップ・ロックって感じで、ずっと支持できたのになぁ。今思えば、2ndまではデイビット・ペイチが音楽的な主導権を握っていたのが、この後じょじょに合議制になっていったのだろう。

 この直後、80年に彼らは初来日し、私も観に行きました。演奏は素晴らしかった。でも、ルックスが最低でした。ぜんぜんロック・バンドじゃなかった。一番カッコよかったのは、ベースのデイビット・ハンゲイトで、彼のクールさは素敵でした。

e0093608_1872038.jpg 81年の「Turn Back」は、よりロックなザックリ感を目指したのが明らか(ジャケットもなめてるし)。ライブっぽい音で、健康的なアメリカン・ロック・バンドという姿を示したかったのだろう。そういった意味では演奏うまいし、全く文句なしの好盤だけど、それだったら、ヴァン・ヘイレン聴いた方がもっと楽しいかな。やっぱり、彼らはちゃんと頭使って、作り込む方向で行って欲しい。でも、"Goodbye Elenore"は最高。これ1曲で、全て許す。あと"English Eyes"かな。

e0093608_7122898.jpg 82年の「TOTO IV」は、完全にAOR路線に変更。しかし、それが時代にはピタリあってたし、そろそろ大成功したいという意欲に満ちていた感じが伝わる。それほど、とことん制作にこだわったに違いない。
 で、どうのこうの言っても、"Rosanna"でしょう。ポーカロのドラムはつねにいいけど、この曲ではさらにカッコイイし、サビ前のキメでのブラスには、もうお手上げでしょう。
 その後も完成度の高い曲が続くけど、"Rosanna"が良すぎて、個人的にはそれほどピンとこないまま、ラストの"Africa"まで行ってしまう。でも、この曲は素晴らしいです。
 とにかく、「TOTO IV」は3曲のヒットを生み、グラミーを6部門受賞という快挙をなしとげた代表作となり、彼らはこの世の春を味わうのでした。

 しかし、この大成功が逆に彼らの分裂、低迷、悲劇への道に結びついてしまう。

e0093608_156739.jpg ボーカルのボビー・キンボールの脱退は、まぁ何とかなるかと(主要な曲はペイチとルカサーがリード取っていたから)思うけど、個人的にはベースのデイビット・ハンゲイトの脱退は、かなり魅力半減につながった。
 そして、84年の「Isolation」以降のアルバムはセールスが一気にガタ落ち。ところが、日本だけちゃんと売れてたんだな。日本のファンは偉いなぁ。ただ、私はTOTOへの興味はこの時点でかなり薄れてしまいました。それは、ボズ・スキャッグスについてもそう。だいたい、ボズなんか「Middle Man」後に活動休止して、レストラン経営に専念してたんだし。

e0093608_1562514.jpge0093608_1561649.jpg とは言え、80年代後半にかけてのTOTOのアルバムは、どれもそんなにひどくはない。結局、スタジオ・ワークのプロフェッショナルが集まったバンドだけに、それほど質は落ちなかった。また、日本のファンはきっちりとこの辺のアルバムを聴きこんで、高く評価している人も多いようだ。でも、好きかって言ったら、ノーです。ここ最近、あらためて聴き直しましたが、やっぱりダメでした。これなら、「Hydra」に「Turn Back」します。基本的に今の私には、この2枚がTOTOです。

 TOTOの最大の悲劇は1992年のジェフ・ポーカロの死です。この素晴らしいドラマーがいなくなってしまっては、もはやTOTOにはなりません。まして、デイビット・ペイチがかつてのような精彩を放たなくなってきていたので、もはや聴くことはなくなってしまいました。

e0093608_15413434.jpg ということで、私の知るTOTOは、92年の「Kingdom Of Desire」までです。ジェフ・ポーカロが参加した最後のアルバムであり、リードボーカルはすべてスティーブ・ルカサーになってしまいました。相変わらず、演奏はうまいですし、曲も悪くないです。だからこそ、かえって共感できない部分が残ります。音楽って不思議です。なんか、最後までいい演奏をし続けるジェフのプレイを聴いていると、この直後の突然の死を考えて、やけに痛々しく感じます。

 ボズ・スキャッグスとTOTOは2008年に来日してジョイント・ライブを行ったとのこと、知らなかった。ボズはこのところはジャズのアルバム出してたし。みんな、年取るとジャズやりたがるんだなぁ、彼は2枚も出してるけど、正直、私には微妙です。

e0093608_1954135.jpg e0093608_19554410.jpg やっぱ、「Slow Dancer」に戻ります。いやいや、どうせなら、60年代後期から70年代初期のサンフランシスコ時代まで遡った方が楽しいな、きっと。
 1969年の「Boz Scaggs」はマッスル・ショールズでの録音で、ブルーズに根ざした秀作。1971年の「Moments」も良いです。こっちの方が今っぽい。
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by harukko45 | 2011-10-21 00:00 | 聴いて書く

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