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大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)

 一昨日、9月11日は大橋純子さんの仕事で北海道・岩見沢に行き、NHKの番組収録をやってきました。ジュンコさん以外にも、細川たかしさん、吉幾三さん、藤澤ノリマサさん、Zone、と、北海道にゆかりの方々が集まってのコンサート形式による収録でした。もちろん、テレビ収録というものは、どんな形にしろ、普段の調子ではいかないことが多いし、時間もかかるのですが、まぁ、何とか3曲(シルエット・ロマンス、たそがれマイ・ラブ、時代)を演奏してきました。メンバーは、変則小編成で私のキーボード、アコギに土屋さん、ドラムスに植村くんでした。ベースレスっていうのが、変則なんだけど、何とかなるものです。
 放送は10月らしいのですが、残念ながら北海道のみの予定。番組の主旨は3.11の大震災から半年後にからめて、「歌の力」で被災地への支援したい、ということ。もちろん、募金活動もかねてのものでした。ひょっとしたら、全国放送が後日あるかもしれませんな。

 さてさて、いっこうに終わらない「クラブサーキット2011詳細」シリーズ、始めは意図せぬ脱線が、じょじょに幅を利かせ、そこに「悪のり」もあって、どんどん膨張化してしまい、ただの「オタク」丸出しになってしまいましたが、多少のひんしゅくは覚悟で、この際とことん行ってみることにします(?)。もう少しおつきあいを。

詳細(6)からの続き。

 m7.Disoco Medley_c.Fantasy_d.Boogie Wonderland

 アース・ウィンド&ファイアーの曲って、やっぱり派手で楽しいし、ライブでの演奏効果も上がる作品が多い。ブラックミュージック通で、うるさ方の人々からは「薄味」ファンク的な評価がされているけど、70年代から80年代のミュージックシーンで、最も成功したR&Bグループはアース(EW&F)であり、一般大衆からの支持は圧倒的であったことは事実。ただし、これは彼らの音楽が白人層の音楽ファンに受けたからだ、という皮肉な見方も同時に出来る。

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_1810858.jpg そして、日本でもすごく売れた。特に、77年にリリースされた「All 'N All」(太陽神)の反響はすごかった。当時、私は20歳で、横浜のレコード店でバイトしていた。この頃の主な売り上げとしては、まずはダントツにピンク・レディーのシングルであって、その次がベイ・シティ・ローラーズ。洋楽アルバムに絞るってことになると、クイーンだな。
 そんな状況化ではあっても、この「太陽神」は売れた。一応、現場で見ていたわけですから本当です。

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_1813026.jpg大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_18175857.jpg ちなみに、この77年は個人的にはとってもエポックメイキングな事件とも言える、傑作アルバム3枚がリリースされた年。それは、3月にウェザー・リポートの「Heavy Weather」、4月に美乃家セントラルステイションの「Rainbow」、そして11月にアースの「All 'N All」となるわけで、ミュージシャン志望のものとしては「何じゃ、こりゃ!」って刺激に満ちていたわけよ、まさに。

 今考えると、EW&Fのリーダーでプロデューサーであるモーリス・ホワイトは、ある意味「超やり手のビジネスマン」だったに違いないと思う。バンドに「アフリカ」「エジプト」「宇宙」「占星術」といったキャッチコピー的なキーを持ち込み(これが、すべてピタっとハマる)、と同時に、黒人層だけを意識したようなファンク指向ではなく、バンド以外でも有能な作家・アレンジャー、ミュージシャンを積極的に導入して、いち早くアダルト・コンテンポラリー的な音楽を目指したことも、大きな成功に結びついた。彼は、ちゃんと先を見据えて、予測する能力と実現のための戦略を持っていたと思うのだ。

 彼はドラマーであり、ボーカリストではあるが、こと音楽制作においては、完全なる「外注型」のプロデューサーだった。そこが、自らアレンジするクインシーやアリフ・マーディンとは違う。なので、重要なブレーン、具体的には優秀なアレンジャーを引き入れること、それが成功への最大の秘訣だった。そして、その見立てもバッチリだったわけだ。
 そこで、EW&Fの音楽を実質的に作り上げてきたアレンジャー達の中で、私が特に注目したいのが、チャールズ・ステップニー、トム・トム84、デイビット・フォスターの3人となる。

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_19175224.jpg大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_192118.jpg チャールズ・ステップニーは、モーリスがシカゴ時代の60年代、チェス・レコードの専属ドラマーとしてスタジオ・ワークをしている時の盟友。代表的には、シカゴ・ソウル系のアーティストやラムゼイ・ルイスのアルバムでの仕事となるのだろう。だが、ステップニーの仕事として、より強烈な印象を残すのは、彼が自ら主催していたロータリー・コネクションというユニットでのアルバムと、そのメンバーであったミニー・リパートンのファースト・アルバム「Come To My Garden」で、67年から71年ぐらいまでの作品だ。私は、かなり後になってから、このあたりを聴くようになったのだが、本当に素晴らしいので、是非とも多くの人に知ってもらいたい。
 左上・「Rotary Connection」(1967)、右上「Songs」(1969)、左下「Hey, Love」(1971)、右下「Minnie Riperton/Come To My Garden」(1970)

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_19213459.jpg大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_19215197.jpg 一応、一言でいえばサイケデリック・ソウルって感じだが、そんなに簡単にはいかず、とにかく、全曲のプロデュース、アレンジ、キーボードを担当するステップニーの奇才・鬼才ぶりが至る所に現れている。
 彼のオリジナルだけでなく、ストーンズやボブ・ディランらのカヴァーにおける、全くもって「ブっ飛んだ」アレンジにもヤラレル。いや、実に気持ちいい。ドリーミーでスペーシー、ロマンティックでもって、ビューティフルなのだ。時に、バート・バカラックやフィフス・ディメンション的な部分から、ブライアン・ウィルソンのような過激さまで含んでいると思う。一度ハマると、そうとう深い。
 ミニー・リパートンの"Les Fleur"をYouTubeから、どうぞ。



大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_004045.jpg 一方、モーリス率いるEW&Fはワーナーから2作リリースするが売れずに、一度バンドを解散、72年にLAに拠点移して、コロムビアに移籍。で、失敗を繰り返さない彼は、74年にチャールズ・ステップニーと再び組んで、5作目「Open Our Eyes」で一気にバンドの音楽性を確立することに成功する。はっきり言って、その前までは、サンタナ風のラテン・ロックとも、アフロ・ロックともつかない、いまいち垢抜けないスタイルだったのが、ステップニーがアレンジするようになって、圧倒的に洗練されたファンク・バンドに変身した。

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_0332941.jpg これ以後、EW&Fの大進撃が始まることになる。ステップニー得意のオーケストレイションにより、ブラスやストリングスが効果的に使われるようになり、実に中味の濃い作品が続いた。75年リリースの「That's The Way Of The World」はトリプル・プラチナを記録し、シングル・ヒットも連発して、一躍ナンバーワンR&Bバンドに躍り出たわけだ。"Shining Star""That's The Way Of The World""Happy Feelin'""Yearnin' Learnin'""Reason"と彼らのライブには欠かせない曲が並んでいる。

大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_033515.jpg そして、そのライブも大評判で、それを証明するかのようにリリースされた、「Gratitude」はLP2枚組の3面分がライブで、これまたトリプル・プラチナを記録した。これは、私が初めて買ったEW&Fアルバムでもあった。で、そうとう聴きまくったっけ。
 この時期、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツイン・リード・スタイルが確立し、演奏面ではヴァーディン・ホワイトのベースとともに、アル・マッケイのカッティングが大きく効いていることも外せない。
 ライブ・テイクもご機嫌なのだが、実はこのアルバムの4面目のスタジオ・テイクにかなりの名曲が並んでいる。"Sunshine""Sing A Song"からスキップ・スカボロー作の超名曲"Can't Hide Love"まで、圧巻にカッコイイ。ここに最高のアースがいる。


大橋純子/クラブサーキット2011詳細(7)_e0093608_0593916.jpg 前途洋々のモーリス&ステップニー・コンビだったが、次の「Spirit」の製作中に、ステップニーが急死してしまった。だが、一度中断された制作は再開され、完成したアルバムはチャールズ・ステップニーに捧げられた。そういう意味合いからも、タイトル通り「魂」のこもった傑作となった。
 ステップニーのアレンジは9曲中6曲だが、バンドとのコラボがまさに完璧に仕上がったことを見事に示していると思う。やっぱ、"Getaway""On Your Face""Imagination"と続く3曲がゴキゲン。
 ちなみに、チャカ・カーンの78年の傑作「Chaka」の2曲目"Love Has Fallen On Me"はステップニーの作編曲、だけど、すでに死後のリリースなのは、彼女が同じシカゴ出身の才人に敬意を表したのかも。
 
 この後、アース・ウインド&ファイアーはさらなる飛躍と成功を手にするので、ステップニー時代をあまり知らない人も多いように思うが、私はこの時期が音楽的には一番だと思っている。洗練されていて、なおかつ、ちゃんとブラックミュージックの根っこを持ったバンドとしての力作、傑作がずらっと並んでいて、大好きである。そして、ロータリー・コネクションも含め、チャールズ・ステップニー万歳だ。
 YouTubeでステップニー氏関連のビデオが二つあったので、埋め込みます。





 まだ、肝心の"Fantasy"に辿り着かない。よって次回も、アースで。続く。

 
Commented by ヤマケン at 2011-09-16 17:13 x
おおお! さらに脱線&深掘りの度を増しておりますね、ふふふ、いいぞいいぞ、どんどん行っちゃいましょう(^^ゞ
ディスコ、ソウル等をその当時迂回してしまった私にとっては、ホントにありがたい和田バンマス講座であります。
1977年はバンマスにとって重要な作品が相次いだ年だったのですね、そういう年って、音楽ファンにはかならずあるもので、私にとってもジュンコさんのレインボウ、PRISMのファーストが出た77年、それに数多くのロック名盤を輩出した1972年は外して語ることのできない重要な年であります。
Commented by Josh at 2011-09-18 05:06 x
ヤマケンさん経由で情報を頂き、ディスコメドレーのブログ興味深く読ませてもらっています。美乃家時代の純子さんと同じ位自分の原点になっているアース・ウィンド&ファイヤーなので勢い余って(?)コメントさせていただくことにしました。そうですね、薄味ファンクとかの評価ありましたね。私もそういうのを聞いて随分つまらない思いをしたのをおぼえていますが、そう言ってる人たちは結局彼らの音楽のグルーブがわからないだけと今は思います。
そしてロータリー・コネクション!有名なDJ/リミクサーが取り上げたことで「I am the black gold of the sun」は一部ではすっかり有名になっていましたが、まさかアースのプロデューサーが関わっていたとは。。。 私がすっかり読み落としていたかこれを指摘している文章に出会わなかったかだと思いますが(いくつか持っている曲のクレジットにはしっかり彼の名前はあります)、本当に驚きです。そしてまさか純子さんがらみでロータリー・コネクションの話題が出てくるとはまるで予想もつかなかったです。次回以降も楽しみにしています!
Commented by harukko45 at 2011-09-26 20:53
Joshさん、はじめまして。ようこそ、大歓迎です。私はロータリー・コネクションについては、かなり後づけです。でも、彼の過去の仕事を知る事で、アースへの思いもより増幅しました。ステップニーはようやく最近になって、4heroらの啓蒙もあり、かなり知られるようになりましたが、EW&FのメンバーもDVDの中で発言していますが、もっと評価されるべき天才だと思います。
ちなみに、小西康陽氏が前から、ステップニー周辺を高く評価していました。
Commented by harukko45 at 2011-09-26 20:57
ヤマケンさん、60、70年代のそれぞれの年を調べてみると、名盤が目白押しですね。結局、いろいろなジャンルでも、このあたりに集中しているように思います。レコード文化として最盛期だったということになるようです。
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by harukko45 | 2011-09-14 01:32 | 音楽の仕事 | Comments(4)

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる


by harukko45