ウィーンで考えたこと

 初めてウィーンに来てから14年も経っていたことに驚いた。その時は、「モーツァルト没後200年」という記念年で、そのキャンペーンにひかれて訪れたようなもの。行けば何でも素晴らしいクラシックが聴ける、ウィーン・フィルだってすぐに聴けるものだと思っていたし、過去の偉大なる楽聖達ゆかりの場所できっと感動しまくるのだろうと考えていたものだ。

 だが、旅はそんなに簡単じゃなかった。手当たり次第いろんなコンサートを聴いたが、さしてロクなものはない。18世紀の衣装を着て、モーツァルトやシュトラウスの抜粋を演奏しているまさに観光客向けのコンサートやザルツブルグの飲み屋での「サウンド・オブ・ミュージック」ショウなどは最悪の筆頭だろう。

 もちろん中には、Musikverein(楽友協会ホール)でのウィーン交響楽団のブルックナーや(これだって、ウィーン・フィルWiener Philharmonikerとウィーン交響楽団Wiener Symphonikerをごっちゃにしていた。)やVolksoper(国民劇場、こちらはシュトラウスなどのオペレッタ中心で庶民派)での「こうもり」は良かったものの、肝心のStaatsoperは旅行社にプラシド・ドミンゴが出るヴェルディの「オテロ」を頼んでいたが超人気で手配がつかず、自力でチケットを買うこともわからず、当日オペラ座の前で呆然と開演を見送ったし、ましてやウィーン・フィルの定期演奏会など地元でも簡単には手に入らないのだということを思い知らされた。

 この時の自分らの不勉強と安易さから来る屈辱を克服するため、帰国後私達は夫婦で猛勉強した。私はコンサートやクラシック界の諸事情、オペラやシンフォニーなどの内容やそのチケットの取り方を、妻は飛行機からホテル、市内の交通、カフェやレストランの場所やメニューの中身などを、徹底的に調べ上げた。その猛勉強の成果は93年に再度ウィーンとイタリアに行った時にすぐに実を結んだ。その後も勉強を怠らず、それをすればするほどウィーンは私達にとって深くなっていき、初回にかなわなかったスーパースター/プラシド・ドミンゴを観ることもできたし、バレンボイムのピアノと指揮でウィーン・フィルの定期演奏会も観られたし、地図なしでたいていの所にいけるようになった。最近ではインターネットの活用でほとんどのことは自力でやって、前よりもより安く賢く旅が出来るようになっていった。

 しかしそうやって、だんだん気がつかないうちに、ウィーンを甘く見始めていたのではないか。もちろん、そこで留学や仕事をしているわけでもなく、ただの観光なのだから、当然その実体の上辺だけに触れて良しとしているだけなのだが、それでもこの10年ですっかりウィーン通を気取り、生意気な態度で街を闊歩している自分が見えるようだ。

 そしてその結果、おごれる私に神様は冷水を浴びせるように、今回の旅は些細なミスやトラブルに見回れた。いや一つ一つは別段大した問題ではなく何処でも何時でも起こりうることだ、が、「俺はよくわかっている。」と傲慢にも自負していたため、小さなドジが許せなかった。例えば、「パルシファル」の一幕終了後は禁物であることも知っていたのにウッカリ拍手して叱責された。「ドン・ジョバンニ」の一幕ではベラベラ喋ったりクスクス笑っている中国人観光客を不愉快に思って彼らをにらんだ直後、自分の持っていたデジタル時計のアラーム音が鳴り始めるという信じられない醜態で回りの人々の顰蹙をかった。もちろん、ホテルのダブル・ブッキングの件もがっくりだし、ずっともめるのに嫌気がさして妥協したのも悔しく思うし情けなく感じた。

 が、どこかのカフェにいる時にふと思いついた。「考えてみればこの旅だけでなく、ここ何年か日本での普段の生活からそうではなかったか?」「もう自分はそれなりにわかっていて、取り立てて新たに学ぶことをしなくても良いって思ってはいなかったか?」「危機感のない安穏とした状況にぬくぬくしながら、過去の経験値だけでいろんな物事をやり過ごして来てはいなかったか?」「それでいて、うまくいかない状況になると、回りの環境や人間関係のせいにしていなかったか?」

 実際、一生懸命ウィーンやクラシックのことを勉強しているときは、旅をしていてもミスが少なかったし、たとえトラブっても「次回のための良い経験」として感じることが出来ていたはず。ところが、そうやって得た自信は、やがて過信になり学ばなくなった。学ぼうとしていないと、嫌なことはそのままストレスや悩みとなってグズグズと頭から離れなくなる。悩むということはものすごくエネルギーを使う。それでいて、何の成果もないことが多いのだ。

 最初から結論は明解だった。「悩む暇があるなら勉強しろ」。よく街を見渡すと、14年前「古くて頑固で何も変わらない」ように感じたウィーンが、実はずいぶん変わっていってることに気がつく。土日もお店のドアは開いているようになったし、現代風のカフェもずいぶん増えたし(スターバックスだって成功している)、携帯電話も氾濫している。活気は前よりずっとあるし、Staatsoperに登場するオペラ歌手も世代交代が激しい。今や小澤征爾氏が国立歌劇場の音楽監督であり、「ドン・ジョバンニ」には東洋人の歌手が二人登場していた。

 それらの善し悪しはともかく、新しい流れはちゃんと受け入れられていて、なおかつ古き良き伝統はしっかりと存在している。実に象徴的なのが、シュテファンス・プラッツの向かい合ってそびえる二つの大きな建物、まるで幽霊屋敷のように外見がボロボロで修復中だが、そのオーラが圧倒的な「シュテファン寺院」と超近代的なデザインのHaasビルの好対照。新しいものと古いものの対立と共存。それはすなわち「伝統を守るためには変わらなければならない」という意識の現れではないのか。

 結局、数年前から変わっていない自分より、ウィーンの方がずっと先に行っているのだった(当たり前だ! 何百年の歴史を生きていると思っているんだ!)。今回の旅は、まだまだヒヨッコであることを露呈した私に、自分が関わること全てについて、もっともっと学んでいく必要があるということを教えてくれた。それと、多分「わかった」などということは人生ではあり得ないのだろう。それが出来たのはお釈迦様だけだ。常に学ぼうとしていなければ、何をやっても「ちゃんとした」意味など見いだせないに違いない。
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by harukko45 | 2005-01-17 00:00 | 旅行

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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