ウィーンにて、その8パルシファル

 1月12日、ワーグナーの「パルシファル」を観た。指揮がサー・サイモン・ラトルだ。ラトルは今やクラシック界一の人気を誇る実力者で、ベルリン・フィルの常任指揮者だ。ウィーンとも一昨年(だったかな?)ベートーベンのシンフォニーをレコーディングしてたりして縁も深いようだが、Staatsoperは今回が初登場ということで、要注目だった。

 正直、私はワーグナーの音楽が嫌いではないが、ワグネリアン(ワーグナー信奉者)の一人というほどでもない。よって、ラトルが振ってなければ「パルシファル」を観ることはなかった。とにかく、17時開演、中に20分程の休憩を2回はさんで、終演は22時30分。全曲4時間半以上もの大作だからね。やる方はかなりの重労働だろうが、聴く側にもそれなりの「覚悟」が必要なのだった。

 モーツァルトやヴェルディ、プッチーニらの作品と違って、ワーグナーには「唄」や「曲」、「アリア」だ「アンサンブル」だというものはない。延々と彼の傲慢極まりない、巨大で分厚くて陰湿で威圧的なオーケストラをバックに、歌手達が彼自身が書いた回りくどくて説明が多くて、よく言えば「文学」的なテキストをこれまた延々と歌いながら語り続けるのだった。よって、普通に音楽を聴くようにワーグナーを聴いたら、確実に拷問に感じてしまう。(と思う。)私は、彼の音楽を聴く時は、とにかく「ボケーっと」して聴くようにしている。大筋のストーリーと登場人物さえ把握していれば、細かい台詞を気にしないことにする。だいたい、ご挨拶とケーキや食事の注文ぐらいしか出来ないドイツ語能力では劇の内容を深く理解することなど不可能だもんね。

 イメージとしては大きな音の海に仰向けで浮いている感じで、あとはどこにでも流れて行けというところか。そうこうしているうちに、なんともはや妙な気分になってくる。それが、ワーグナーの毒にやられる瞬間だ。彼の毒が効き始めると、ボケーっとしてたのが、ますますボーっとして、フワフワしてヘロヘロになるのだ。これがはまるのである。かなりの中毒性があるので、一度病みつきになるとしばらく抜けなくなる。今日も明日もワーグナーが聴きたくなる。それ以外の音楽はぬるく感じてしまうのだ。

 さて「パルシファル」だ。ワーグナーはどれも管弦楽が大変素晴らしいし、音響効果もよく考えられてて、いつもCDより実演で聴くほうがその舞台効果の凄さに圧倒されるのだが、今回特に1幕目にはものすごく感動した。ラトルの指揮は文句のつけようもなく、立派だった。ゆったりとしたテンポをしっかりとキープしたまま堂々と進みながら、ピアノでの繊細な表情から、ここぞという時はオケを鳴らしまくるそのメリハリの良さのおかげで、1時間45分間まったく飽きることがなかった。

 それに、各パートのバランスの良さから、色々な楽器が明解に聴こえてきていろいろと気づかされた。例えばバスクラリネットがこんなに効果的に使われているのを初めて知ったし、それ以外の木管パートもこれほど魅力的な内容だったとは思いもよらなかった。そしてまた、ウィーンフィルのクラリネットやフルートはいい音だなぁとまたまた関心してうっとりしてしまったのだった。でも、ホルンはけっこうミスってたなぁ。ウィーンのホルンは独自の古い楽器を使っていて(他の楽器もみんなウィーンフィルだけの楽器)、奏法がむずかしいらしい(その分音色は独特で繊細だ)から、ある程度しかたがないか。これに関してはファンもよく知ってるから大目にみているのかも?

 そして、1幕後半の聖杯城での晩餐のシーンの音楽には、背筋がぞっとするような興奮を憶えた。オーケストラはオケピットだけでなく舞台裏にもいて、場面場面で効果的に使われるが、パルシファルとグルマネンツが城に向かって「時間を空間に変えて」進み、同時に騎士たちが勢揃いするときに鳴らされるベル(?)のとんでもなく幻想的なサウンドの凄さ(どうやったらあのように響くのだろう!)、男性・女性・子供による合唱もいろいろな所から聴こえてきて、生のサラウンドにもまいった。そして、それらに応えるストリングスのトレモロをかけた高音の美しいこと! すべてをかき消すかのような金管と打楽器の強音の刺激に心臓はバクバクしてしまった。さすがに現代最高のカリスマ、ラトルのオーラあふれる指揮に脱帽である。

 あまりにも素晴らしかったので、中央席のお客が拍手したのに思わずつられて拍手してしまった。そうしたら、となりの老婦人にきつく怒られてしまった。そうそう、この手の宗教色の濃い曲に拍手してはいけないのだった。例えば教会で音楽が演奏されて、それを聴いている時などはまさにそれにあたり、曲が終わっても拍手してはいけない。確かワーグナーがこの「パルシファル」はミサのような「聖なる」体験を実現するために、教会と同じようにお客に拍手をしないよう求めていたことをすっかり忘れていた。ご婦人にはちゃんと謝ったが、そうとうお怒りだった。でもなぁ、このオバアさんも音楽がピアニッシモの時もおかまいなしに、席を立って舞台をのぞこうとして、そのたびに椅子がギーギーいってたんだけどね。

 さて、そこまでこだわる第1幕は「聖杯」「聖槍」「聖杯守護の騎士団」「ともに悩み、悟りゆく清らかな愚か者」「予言」「キリストの血と肉(ワインとパン)」の「聖」なるものに溢れた荘厳な舞台だが、そのあとの2幕目は一転キャバレーか売春宿かと思うようなシーンになる。魔法使いグリングゾールは魔法によって城を築き、そこに魔性の花の女たちを集め、その色香によって聖なる騎士たちをたぶらかし堕落させていた。だいたい、聖杯城の王アモルフォタスもまんまとクンドリーの色香に負けて、(キリストの脇腹を貫いた)聖槍をクリングゾールに奪われて、おまけにそれで傷を負わされたのだ。その傷はどうしても閉じること無く、その苦しみに耐えかねて「死にたい死にたい」と言っているのだった。

 そして、その魔法の城にやってくる「清らかなる愚か者」パルシファルを、真っ赤な下着姿の総勢20人以上の魔性の花の女たちはあの手この手で誘惑するのだ。いやーぁ、なかなかいいものを見せてもらいました、と言いたいところだが、残念ながらそれほどでもなかったかな。それに、ここの場面の音楽はものすごく官能的で、これぞワーグナー、自分の性欲の赴くまま人様の奥方と不倫はする(ヴェーゼドンク夫人)は、弟子の女房を亭主の居ぬ間にはらませてしまう(コジマ)猥雑なワーグナーの真骨頂だと思って楽しみにしていたのだが、意外と普通だったのだ。ラトルは非常に明解に音楽を響かせるので、細部まで見通しのいいサウンドなのだが、それが逆に妖しげなムードをうすめてしまい、官能性や陶酔感といったものが少なくなってしまうようだ。だから、あんまりエッチな気分にならなかったのだ。(私は「聴いているうちにいつの間にか股間がモッコリ、というのがワーグナーの正しい聴き方である。」という玉木正之さんの意見に強く賛同します!)

 その後はパルシファルとクンドリーのものすごく長い問答がある。ここはついに拷問の目にあった。歌手がすごくうまくなくてはなかなかもたないよ。今回はテノールが力量不足で、ちっとも英雄ぽくないので、音楽に入り込むことができなかった。ここらへんはワーグナー先生、なんとかなりませんでしょうか。台本見ても、もうちょっと簡潔にしても十分じゃないかと思うのですが。といっても今更音楽を書き直すわけにもいかないしねぇ。耐えるしかありませんか。

 3幕目は聖槍を取り戻したパルシファルが聖杯城に戻り、アモルフォタスの傷を直し、聖杯を開張して万々歳となるわけだが、ここでの音楽は1幕目での感動再び、荘厳の極みとも言うべきオーケストラサウンドで締めくくられるというわけであった。しかし、あまり陶酔感を味わえなかった私は少々欲求不満のまま突入して、なんだか中途半端で果てたような気分だった。とにかく長い長い曲で、頭はウニになったよ。

 とは言え、全体的にはサイモン・ラトルの指揮ぶりはやはり素晴らしかったと思うし、彼こそ現存する数少ない巨匠であることは間違いない。特に1幕は本当に完璧だった。ただし、全体の陶酔感や音楽の中に沈み込んで行くような感覚は私の持っているCD(クナッパーツブッシュ指揮バイロイト響)の方があったというのが結論だ。私としてはこの1幕を聴けただけでも満足したし、マエストロ・ラトルに最大級の敬意を表したいと思う。
[PR]
by harukko45 | 2005-01-13 00:00 | 旅行

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30