ウィーンにて、その4魔笛

 1月6日は、オーストリアでは三聖王の日で祝日だ。シュテファン寺院では朝の10時からミサがおこなわれ、ハイドンのミサ曲が演奏されるので、聴きに出かけた。私たちはキリスト教徒ではないので、信者の人たちの邪魔にならないようにパイプ・オルガンの横で立っていたのだが、オーケストラや合唱団も間近に見学できたし、何よりオルガン奏者の演奏ぶりをそばで見れたのが楽しかった。
 
 昔はハイドンには興味がなかったのだが、今では渋みがあって、無駄を排した純古典ともいうべき音楽が、とても魅力的に感じた。教会での独特の響きの効果も相まって、余計な理屈抜きで「いい曲だなぁ。」と思ったのだった。とは言え、2時間にわたるミサでずっと立っているのは少々疲れた。それに、教会はとても冷えるのだ(夏は暑さをのがれて涼むのに最高なのだが)。

 オーケストラの楽員たちも、司教さんの長いお説教のときは、そうとう退屈そうであり、セカンド・バイオリンのひとりは椅子から転げ落ちそうなくらいの居眠り状態だった。しかし、指揮者が振り下ろせば、すぐにシャンとするのは当然とはいえ、さすがだった。やはり、ミュージシャンは演奏する以外は役に立たないのはどこの国でも一緒か。

 これで、クリスマスからの祝賀は終わりで、街の飾り付けなどは取り除かれて、通常にもどるのだった。

 夜には国立歌劇場に「魔笛」を見に行った。もちろん、モーツァルトの傑作の一つであり、ウィーンで見るのは初めてだったので大いに期待していたのだが、残念ながら大きく裏切られる結果となった。こんなにつまらないモーツァルトを観るのは私としてはショックであり、ウィーンにとっては「オラがマチのモーツァルト」で十八番中の十八番であるものが、この程度の出来では「魔笛」の将来が心配にもなってしまった。

 確かに、このオペラはストーリー的にもともと矛盾があって、現代の感覚からすると共感できない部分が少なくないのだが、それに目をつぶってもあまりある魅力をモーツァルトの音楽がつくっていたのである。しかし、今回の演出では初心者にもわかりやすくするためか、余計な仕掛けが多すぎるし、衣装や美術もわざとらしい。肝心の歌手たちも若手ばかりで力量不足であり、すべてのアリアが全滅といってもいいぐらいの不出来さ加減だった。

 そして、一番納得いかないのが指揮のジュリア・ジョーンズ女史で、彼女はウィーン・フィルに古楽器風の奏法をとことんやらせようとしているのだろうか。その辺はさだかでないが、弦のヴィブラートはすごくおさえられ、サスティーンもないように弾くので、音がとぎれとぎれに聴こえてくる。おかげで、いつもは夢みるように豊かに響く弦のパートが、霞がかかったように抜けてこない。また、「魔笛」のタイトルどおり、このオペラで大活躍するフルートにも、ソロの部分のニュアンスは私が今まで知っているものとは全然違っていて、ポツポツ切れるように吹かせていた。これにはとても違和感を感じたし、本来なら感動的なタミーノとパミーナが二人で試練の場を乗り切る音楽を、まったく楽しむことができなかった。

 そしてその曲のあとに来る、パパゲーノの首つりの歌とパパパの二重唱は、まさにオペラ全体のハイライトであって、いい演奏で聴くと最高に感動するところなのだ。首つりの歌は人間の愚かさや悲しさや、それでいて愛らしさが込められた深い内容の曲であり、そこのえぐり方次第で、それに続くパパゲーノとパパゲーナの二重唱が泣けるか泣けないか決まるのである。それをただ軽やかにサラサラやられては、同じパッピーエンドであっても、大事な何かを置き忘れていて満足できない。ここには晩年のモーツァルト特有のどこか達観した視点が絶対に必要であり、そこが描けてなければ彼の音楽はただ綺麗なだけになってしまう。

 いやいや、もともとちゃんとそのように書かれている作品に対して、ちゃんと共感せずに仕事してしまったとしか言いようがない。話せば長くなるが、だいたい序曲からして変だった。この序曲だって、壮麗で気品に満ちた導入部から入って、第一主題を弦の各パートが順番に追いかけていくのだが、ここなど核分裂を繰り返しながら、一気にビッグバンするような素晴らしい展開なのに、ぜんぜんワクワクしないのである。1幕目の3人の侍女とタミーノとパパゲーノの5重唱だって味気ない感じだった。本来なら美しいメロディとアンサンブルが溢れるように次から次に流れ出て、こちらが応対するのに余裕がないぐらいで、最後に「Auf Wiedersehen」と繰り返すだけで涙してしまうところなのに!

 牧師とタミーノの問答はもっともシリアスで緊張感が漂う音楽であり、もっときびしい感じで出来るはず。だからこそ落胆するタミーノが浮き彫りになるのだし、それを慰めるフルートの旋律が神々しく美しく響くのに。パミーナとパパゲーノを救うグロッケンシュピールの音色も幻想的ではなかった。これこそ、夢の世界に行ってほしい。それには、他の楽器をもう少し鳴らした方が良かったのではないか。これだけでなく全曲にわたって、オケはもっと豊かに響かせてほしかった。

 ただし、モーツァルト先生にも一言。台本の不備の影響でやむを得ないところが大きいが、「魔笛」全曲が傑作というわけではない。いくら天才といえども、中には出来の悪いものもある。モーツァルトだからって、何でもかんでも最高と言っていては、贔屓の引き倒しになってしまう。私が思うに、2幕目に入ってしばらく今イチの音楽が続くし、場面も試練だなんだと宗教臭くなって盛り上がらない。ここらあたりが現代人にはピンとこない題材で、どうしてもお伽話風を強調した演出になってしまうのではないか。

 とにかく、これなら家でビデオを観た方が感動する。かつてジェームス・レヴァインがウィーン・フィルとザルツブルグ音楽祭でやったビデオは大好きな演奏だ。演出はジャン・ピエール・ポネルでセンスがとってもいいし、歌手もそろっているし、若きレヴァインが最高だった。とにかく、CDで聴くブルーノ・ワルターやベームのような演奏は無理としても、せめてもっと音楽中心のパフォーマンスで「魔笛」をあつかってもらいたい。そうでないと、近い将来この曲はオペラの上演レパートリーからはずれてしまうような危機感さえ感じたのである。
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by harukko45 | 2005-01-07 00:00 | 旅行

おやじミュージシャン和田春彦の日記でごじゃる
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