クリスティアン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル2010

 今、現役で最も評価の高いピアニストの一人、ポーランド人のクリスティアン・ツィメルマン(ツィマーマンとドイツ語風(?)表記もある)。
 その彼が、オール・ショパン・プログラムで世界ツアーを周り、日本にも来日。先月からほぼ1か月近く日本各地でコンサートをしていたのだが、その最終公演(失礼、12日の所沢が最後でした)が昨夜横浜みなとみらいホールであり、運よく生演奏を聴くことができた。

 1部/1.ノクターン 第5番 2.ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」 3.スケルツォ 第2番
 2部/1.バラード 第4番 2.ピアノ・ソナタ 第3番

 私はステージの裏手ともいえるパイプ・オルガンの脇に設置された席で、ちょうどピアニストを左斜め後ろ上から観る感じ。おかげで、彼の美しい指さばきや左右の足でのペダルの踏み分けのうまさがよく見えた。そのかわり、彼の表情は見えなかったが、それはたいしたことではない。

 ああ、何と言う素晴らしい音であろうか。ピアノという楽器はこんなにも多彩な音が出るものだったのか。彼は、ピアノをものすごい高いレベルでコントロールしているのだが、それは楽器本体だけでなく、会場全体をも楽器として鳴らしてしまうレベルであるということ。
 ツィメルマンは何事にも完璧主義らしいのだが、その代表的な例として特に有名なのは、自らのピアノを常に持ち込んで、調律師とともに各会場の特性と演奏する楽曲に合わせて調律すること。それは、レコーディング技術や音響学に造詣が深く、また、自らピアノの製作・修理を手がけることで、楽器の構造や素材の知識を持っているからなのだ。
 
 そのこだわりと情熱により生まれたピアノ・サウンドには、もはや溜め息しかなかった。1曲目のノクターンの一音が出ただけで、ゾクっとした。だが、この曲はまさにオープニングであり、コンサート全てのイントロダクションとして、お互い「慣らし」といった趣きだ。

 ソナタ2番の1楽章は凄かった。この時の左右の手のバランスが絶妙であり、テクニックも冴え渡り、感情と音量のコントロールが最高で、最後のフォルテッシモの決め方には息をのんだ。その凄みに圧倒されたか(単に曲を知らなかったのか、その可能性は低いと思うが)、1楽章だけで一部の観衆が拍手してしまった。正直、緊張感を維持したまま、2楽章になだれ込んで欲しかったが、思わず拍手したくなる気持ちも理解できた。
 ツィメルマンはその拍手に応えるように、軽く会場に向かって会釈してから、2楽章を弾き始めた。ここでの耽美的とも言える音色に涙が出そうになった。
 3楽章の前で、少し長めに時間をおき集中したあと、素晴らしい弱音で弾き始めた「葬送行進曲」は、私が想像していたのよりも、ずっと重いテンポで、内容もずっと深い表現だったのに驚いた。ここでも、音量のコントロールが完璧。そのダイナミクスの付け方には全く不自然さがなく、素晴らしくドラマティックだった。それでいて全体の表情は実にクールで洗練されているのだから凄い。
 4楽章はちょっと余裕がありすぎる気がして、最後のフォルテッシモでの結末も少し物足りなかった。彼は最強音の場面においても、全く力技になっておらず、パフォーマンスとしては力感あふれる仕草で鍵盤に向かっていくが、手が鍵盤に落ちる瞬間に絶妙の「抜き」をするので、けっして音が汚くならない。だが、有り余るテクニックが少し勝ちすぎて、もっと混沌とした表情から突然の爆発を期待した私はちょっと肩すかしを食らった感じだった。
 でも、それは私がアルゲリッチの豪腕演奏によるCDを聴きすぎているせいで、今思い返すとツィメルマンの表現はより「天国的」であったようにも思う。

 1部最後のスケルツォは曲自体が最高にカッコイイ。私はこれもアルゲリッチの奔放で強烈な演奏が耳にこびりついているので、彼の演奏は最初ものすごく繊細すぎるように思えた。でも、彼の音の素晴らしさにはやはり抗し難く、すぐに陶酔の世界に引き込まれてしまった。ただ、それゆえにここでも終結部に物足りなさが残った。美音の海での瞑想を突き破って、現実に引き戻すような強さが欲しい気がしたからだ。

 2部は1部を上回る完璧さだった。1部で右手の演奏にブレを感じるところが。わずかにあったのだが、2部ではそれも全く感じさせない素晴らしい内容だった。

 バラード4番、何と言う憂いに満ちた世界だろうか。曲自体が傑作なのだろうが、それにしてもこれほど豊かでうっとりさせられるとは思わなかった。
 だが、盛大な拍手にお辞儀すると、一息つくことなくすぐにソナタ3番を弾き始めるとは思わなかった。何とも言えぬ気迫を感じた瞬間だった。

 で、この3番には完全にノックアウトだった。1,2楽章では何度もハっとさせられる表情があり、初めて聴いた曲のように新鮮であり、3楽章は本当にこの世のものとは思えず、そのうち主題も何もあるわけでなく、ただただ和音が鳴っているだけのように感じ始め、その陶酔の響きだけに浸るようだった。ずっとこの状態に留まりたい、そんな気持ち。
 そして、圧巻の4楽章。ものすごい早弾きに釘付け。体は上から下へ、下から上へジェットコースターのようにブンブン振り回されるようだ。それが最高に気持ちいい。
 そして終盤、右手の早いパッセージを弾きこなす時に、彼は左手でピアノにつかまって、自らを支えるようなポーズになった。サイコーにカッコイイ瞬間だった。もちろん、すぐに左手は鍵盤に戻り、感動的なエンディングを見事に決めた。興奮してしまった。

 もちろん、ブラボーの大拍手。でも、さすがにアンコールはなかった。この3番の名演の後に、これ以上何を求めようと言うのか。もう本編だけで完全に満足させていただいた。彼もやり切っただろう、そして聴き手の私も感動しまくった。それで十分すぎるほどだった。ツィメルマンは確実に大巨匠への道を進んでいる。素晴らしい夜を体験できて幸せで一杯だ。


 
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by harukko45 | 2010-06-12 03:25 | 聴いて書く

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