鳩山首相辞任

 昨夜の続きを楽しく書こうと思っていたら、突然の首相辞任発表で、少なからずショックを受け、やはり自分なりの考えを記しておきたい気になった。

 正直、私は怒っている。こんな形で一国の首相がわずか8ヶ月で辞めるなんて、その国に住む民として、実に情けない。
 テレビのワイドショウでの街頭インタビューでは「当然だ。」「これでスッキリする。」「辞めても何も変わらない」との声。スタジオや新聞では、評論家や政治記者達は自らの仕事が注目を浴びる事で何ともウキウキしているように見え、憶測や作り話ででっちあげた政局談義を恥ずかしげもなく語る。かくも、この国の知識人と言われる人々は「政局」とその「混乱」が大好きなだけで、「政策」や「国家観」、「理想」と「現実」を語ることはない。

 このような事態を招くことは、政治家だけの責任ではない。結局のところ、このような政治家達や政治体制を選び続け、彼らに任せきってきた国民の責任が一番重いことを知るべきだ。現民主党政権だけでなく、そもそも自民党政権時に政権交代を起こす動きも遅すぎた。私たち日本人は、戦後まだ一度も真っ当な「民主主義」を経験することなく、常に評論家気取りで外から勝手なことを言ってきただけであり、それでいて肝心の場面においては「政治不信」という決め言葉で逃げ、まるでニヒリスト気取りで「何も変わらない」「誰がやっても同じ」と言ってきたのだ。
 
 民主党にも腹が立つ。「鳩山では選挙に勝てない」とは何事か。自らが与党であるにもかかわらず、ここまでの政治に自分達には責任がないかのように、トップをすげ替えれば「クリーン」になるという発想が情けない。ならば、もっと前から活発な政策論議や政府批判、党幹部批判をし、自助努力するアピールを各議員がすれば良かったではないか。結局、早くも「与党ボケ」していた民主党議員は、選挙についても小沢氏におんぶにだっこ状態だったにちがいない。

 そして、昨年の衆院選前から大手マスコミ・検察を中心に繰り広げられた鳩山・小沢潰しの大キャンペーンは、本日ついに結実し、最大限の成果を生んだ。見事なものであり、日本のマスコミの異様なまでの執念にもおそれいった。だが、それが日本の将来にとってどう有意義なのかは全く理解できないし、それらを動かしてきた人々も説明することはないだろう。だいたい、マスコミが自ら責任を取ったり、説明検証を果たしたのをほとんど見たことがない。「小沢憎し」のみが全てか。

 私は小沢氏にまつわる「カネ」の問題はすでに無罪であり、かなり譲っても推定無罪状態なのだから、執拗に説明責任を求めるマスコミの姿勢は理解できない。にもかかわらず、常に刑事犯罪人的イメージを国民に植え付け続けたのは、どんな手段であろうとも「切腹」させたいだけとしか思えない。要はいくら説明しようが、辞任するまで延々と続くのだ。
 それはライブドア事件での堀江氏、もっと遡ればリクルート事件での江副氏らと同じ、出る杭は打ち、見せしめにし、血祭りにあげるという、この国の極めて情緒的な行動指向と判断。異常なまでの潔癖主義は、平等という美名に隠れた嫉妬心が根底にあるとしか言いようがない。
 
 民主主義というのは、そもそも実に不合理で時間のかかるシステムだ。いろいろな人々の主義主張を全てオープンで議論し、それぞれが妥協して一つの政策を作り上げて行く。我々はその過程をじっくりと見守って行かなくてはならない。それには忍耐が求められるのだ。改革はそんなに急速には進まない。自分達がその対象になることを想像すれば良い。誰でも自分に不利になる事には抵抗するだろう。では、反対派を追放し抹殺すればすむのか。それがいいなら、独裁者に任せればよい。
 民主主義はそうではない。最後は全てが満足ではないが、何とか納得できる形で妥協せねばならない。だからこその公共だ。

 アメリカではケネディ大統領が1961年の就任演説で「国があなたのために何をしてくれるか、ではなく、あなたが国のために何ができるか」と語ったが、それこそが民主主義の根本であり、民主主義こそ最も厳しい自己責任を求めるものに違いない。それをしっかり自覚しているアメリカ国民に比べ、我々日本人は2010年現在でも、まだまだ何もわかっていないヒヨっ子だ。ずっと、国がお上がどうにかしてくれると甘えてきたのだから。

 ここで、鳩山首相にはお礼を言いたい。彼が普天間基地移設問題で迷走してくれたおかげで、我々は日本人がいかに国防に関して無知で、それはアメリカ軍にお任せであり、そして沖縄差別ともいうべき状態であったことをまざまざと思い知らされたからだ。それにより、我々日本人は世界に稀に見るほど「おめでたい」平和ボケだったことも知る。恥ずかしくて、「平和憲法を持つ日本」などと世界に向けて言えない。

 私は今日、首相が語った「私は、つまるところ、日本の平和、日本人自身で作り上げていくときをいつかは求めなければならないと思っている。アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続けて良いとは思いません。そこのところも是非、みなさん、ご理解いただいて、だから鳩山がなんとしても少しでも県外にと思ってきた、その思い。ご理解を願えればと思っています。その中に私は、今回の普天間の本質が宿っている、そのように思っています。」ということをなぜ、就任当初から発言してくれなかったのかが悔やまれる。

 普天間問題は、基地をどこに移すかどうかという各論に終始するのでなく、そもそも日米安保は何か、今必要か、必要ならどのくらいの時期までなのか、日本は自らの力で防衛すべきではないのか、という根本議論を国民レベルで巻き起こして欲しかった。本当ならマスコミも、「政治とカネ」問題をスキャンダラスに報じるのを少し控え、この国の安全保障はどうあるべきか、という大問題を果敢に論じるべきだった。そうやって、国民、マスコミ、政治家が強い問題意識を持っていれば、現在のような事態にまでこじれるようなことはなかったのではないか。

 いや、あえて言えば、沖縄以外の日本の各地域が皆基地受け入れ反対であるのが民意であるなら、それはゆくゆくは、アメリカ軍の全面撤退を求めることにつながり、そのかわり自衛隊を重武装化した軍隊として位置づけることにつながっていくと思う。
 そういった部分まで、我々は見えているのか?米軍基地を産廃処理場と同じようにしか考えられていないのではないか。だから、ただただ反対反対しか言わない。

 私は社民党にも腹が立つ。福島党首は「私を切ることは沖縄を切る事と同じ」などと発言して、今日の首相辞任が「それ見た事か」のように語るが、この党には与党、内閣で共に政権を担う意識が全くなかったことが明白になった。まるで沖縄の代弁者のごとき言い回しは、自らの生き残りのために沖縄を利用している。彼らこそ無責任極まりない。
 小沢一郎は細川政権後と同じく、再び社民党(当時は社会党)の大人げない理性を欠くやり口に、すっかりやられてしまった。絶対にこの人たちと組んでは駄目なのだ。そもそも、アメリカ軍基地の国外移設と非武装中立が両立する主張を持つ人々に、国を任せるような力を与えてはならなかったのだ。
 ヨーロッパの社民主義を前提とするならば、増税と自主防衛は当たり前の政策だろう。そのどちらも否定する日本の社民党は、もっとも危険であり、早々に退場してもらいたい。

 さて、とは言え、このしょうもない状況を作り出したのは国民自らであることを、もう一度自覚したい。だからこそ、その収拾には我々も相当な覚悟と忍耐が必要となった。決してやってはならないことは、無関心になること。そして、政治をスキャンダル化ワイドショウ化して、世論誘導するマスコミに引っ掛からないことだ。
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by harukko45 | 2010-06-02 17:05 | 日々のあれこれ

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